近づくその日と不安の心

 二の月も半ばを過ぎると、月末まではもうあっという間だった。

 そして、記録的な大雪となった二の月から一転して、三の月に入ると良い天気が続き、気温もグングンと上昇していった。

 オルダムの街でも、場所によっては吹き寄せられた雪が積もって塊になりまだ残っている部分もあったが、良いお天気が続いたおかげで三の月の半ば頃にはもうすっかり溶けて無くなってしまったのだった。




「ええ、蒼の森はまだ真っ白なの?」

 その夜、久し振りにタキス達に連絡をしたレイは、まだ蒼の森は雪が深くて、タキス達の家の扉が開かないと聞き、驚きに目を見張っていた。

『今年の雪は本当に多かったですからね』

『さすがにあれだけの量はそう簡単には溶けませんよ』

『なので今年はまだ綿兎の毛梳きにも行っていないんです』

「あれ、そうなんだ。だいたい今頃の時期には行ってたよね?」

 レイの言う通りで、だいたい毎年三の月の半ば頃には、一気に気温も上がって雪が溶け始めるので綿兎の毛を梳きにまだ雪の残る蒼の森へ行っていたのに。

 もうそろそろ行っただろうと思って、今年の収穫量はどうだったのか、話を聞きたくて連絡を取ったところだったのだ。

『まあかなり気温も上がって来ましたからね』

『来週辺りにお天気が良さそうな日を見て』

『一度行ってみるつもりです』

『恐らく今年も相当の量が取れると思いますよ』

「えっと、そんな事も分かるの?」

 不思議そうにそう尋ねるレイに、ギードの声を担当するシルフが笑った。

『考えてみなされ』

『綿兎の毛は何の為に生えておるのだ?』

 いきなりそう聞かれて、レイは目を瞬いた。

「野生の綿兎の毛が生えている訳? あ、そうか。冬毛があんなに柔らかくてふわふわなのは、寒い雪の時期を乗り越える為だもんね。あれだけ寒かった今年の冬なんだから、当然綿兎達も普段の年以上にモッコモコになってるって事だね」

『正解じゃ』

『雪が多かった年はだいたい綿兎の毛も多いんですよ』

 ニコスの声に、二人も頷いている。

「じゃあまた頑張って集めないとね。こっちで綿兎のスリッパや小物を見る度に、もしかして森の子達の抜け毛なのかなって思ってるんだよ」

 その言葉に三人が笑っている。

『しかしそれももしかするともしかしますぞ』

『以前行商人が言っておりましたからな』

『ここ蒼の森の綿兎の毛は』

『オルダムでは最高級品として取引されておると』

『確かに毛の汚れを落とす洗浄も』

『我らがやる時は全て精霊達に頼むので』

『どれも綺麗に仕上がっておりますからな』

『普通は水で洗って目で見て汚れを取るだけなので』

『どうしても汚れやゴミが残るんですわい』

「そっか、シルフ達やウィンディーネ達に洗浄を頼めば、見えないような小さな汚れも残らないものね」

 ニーカが、普通の水では洗えないような衣装の洗濯を精霊魔法でしているのだと聞いた事があって、納得したレイは目を輝かせた。

「じゃあ、本当にお城で陛下やマティルダ様が使っておられる綿兎のスリッパは、蒼の森の綿兎達の毛なのかもしれないね。そうだったら嬉しいな」

 嬉しそうにそう言って、レイはブルーのシルフを見て笑った。



 皆でひとしきり笑った後、ギードのシルフが身を乗り出すようにして聞いて来たのだ。

『ところでレイ』

『お主の見習いとしての正式な始まりはいつからなのだ?』

『もう決まっておるのか?』

 それを聞いたレイは、悲鳴を上げて机に突っ伏した。

「うう、もうすぐなんだよ」

『春からだって言っていたもんな』

 並んだシルフから、ニコスの嬉しそうな声も聞こえる。

『それで具体的にはいつからなんですか?』

 これまた、嬉々とした様子でタキスのシルフがそう言っているのを聞いて、レイはようやく顔を上げた。

「えっと、マイリーに言われたのは、四の月の最初の日だって言われました。月初めにはお城の大会議室で陛下も参加なさる報告会ってのがあって、その月の予定や行事の確認をするんだって。それで、その時に僕達のことも話題になって、その場で紹介されるんだってさ。それから、その日の夜に、お城である夜会にも同じく見習いとして僕達が呼ばれて、そこで、ええと……社交場への出入りが解禁されるんだって」

 その辺りの事情に詳しいニコスは、苦笑いして何度も頷いている。

『成る程な』

『じゃあそこから貴族達との付き合いが始まる訳だ』

『女性陣のお相手もな』

『って事はもうダンスは完璧か?』

 嬉しそうにそう聞かれて、レイはまた悲鳴を上げて机に突っ伏した。

 ニコスの笑う声が聞こえる。

『頑張れよ』

『こればっかりは知識の精霊達にも』

『どうしてやる事も出来ないからな』

『体を動かす事は自分で覚えてくれよな』

「うう、頑張ります……」

 困ったように笑ったレイは、身体を起こして小さなため息を吐いた。

「ダンスのステップはもう完璧に覚えたと思うんだけどな。なんて言うか……ダンスって、基本的に女性とくっ付いて踊らなきゃいけないでしょう。あれがもう駄目。女の人の顔が間近にあると、頭が真っ白になっちゃうんだよ」

 レイのその言葉に、ニコスのシルフは苦笑いしている。

『レイそれはもう慣れてもらうしかないよ』

『大丈夫さ最初のうちは皆新人だ』

『お相手の女性の方が慣れておられるよ』



 簡単に言われてしまい、レイはまたため息を吐くしかなかった。



「ルーク達にもそう言われた。下手に取り繕わずに、分からない時は素直に聞きなさいって」

 困ったようにそう言うレイに、ニコスのシルフも笑って頷いてくれた。

『ルーク様の仰る通りだよ』

『言ってみればその為の見習い期間だからな』

『せいぜい見習い期間のうちに失敗したり笑われたりしておけ』

『その失敗の積み重ねが』

『お前が正式に竜騎士となった時の自信の礎になるぞ』

「でもやっぱりダンスは苦手だよ」

 また机に突っ伏して泣き言を言うレイを見て、ニコスは嬉々としてとんでもない提案をしてくれた。

『じゃあ苦手を克服する方法を教えてやるよ』

 その言葉に、レイは思わず身を乗り出してニコスのシルフを見た。

「ええ! 聞きたい聞きたい! 教えてよニコス。どうやったらダンスが上手になれるの?」

 すると、自慢気に胸を張ったシルフの口から聞こえて来た内容に、レイはもう一度悲鳴を上げてまたしても机に突っ伏したのだった。



『苦手克服には数をこなすのが一番さ』

『言ったようにダンスは慣れだからね』

『レイの知り合いの貴族の女性や娘さん達にお願いして』

『順番に何曲か続けて踊って貰えば良い』

『同じ相手とばかり練習していると』

『違う相手と踊った時に』

『ちょっとした違いで躓く事になるからな』



「ちょっとした違いって?」



『例えば背の高さの違い』

『大柄な方もいれば背の低い方もいる』

『少々横幅がふくよかな方もいれば』

『痩せて本当に細い方もおられるからな』

『そんな風に色んな方のお相手をしていると』

『どんどん慣れて来て』

『何があっても対応出来るようになってくるんだ』

『そうなればもう大丈夫だよ』



 その言葉を聞いたレイは、自分が知っている貴族の女性達って誰がいたっけ? と、指を折りながら数え始めた。

「えっと、ヴィゴの奥様のイデア様でしょう。娘さんが二人、クローディアとアミディア。それから……」

 しかし、もうその後が続かない。

 今のレイがそれ以外ですぐに思い付くのは、もうカナシア様とマティルダ様など、皇族の女性達なのだ。

「絶対駄目だよ。そもそもダンスの先生以外でお相手をお願い出来そうな方って、ヴィゴのご家族ぐらいしか思いつかないよ」

 意外に狭いレイの世界に、ニコスはしばし呆然として、それから思い切り吹き出した。

『そうかまあそうだな』

『そうそう一般の女性達と一緒にしないよな』

『じゃあそのダンスの先生役のご婦人にお願いして』

『背の高さの違う方や体格の違う方なんかのお相手をお願いしてみれば良い』

『きっと何とかしてくださるよ』

 ニコスの提案も、落ち着いて考えれば確かに納得出来る。もう一度大きなため息を吐いたレイは、何度か頷いた。

「すごくわかりました。じゃあ今度、サヴァトワ夫人にお願いしてみます」

『ああ頑張れ』

 笑って頷いたニコスの言葉に、レイも嬉しそうに頷いた。



『じゃあもう一つ教えてやるよ』

 突然改まったニコスの口調に、レイは驚いて座り直した。

『誰にだって苦手なものがあるのは当然だよ』

『お前の場合はどうやらダンスがそれらしいな』

『だけど頑張ってその苦手を克服したら』

『それは絶対にお前にとって自信になる』

『だからちょっとぐらい間違ったって大丈夫だよ』

『お相手の足を踏んだ事が無い男性なんてまずいない』

『だから安心して色んな失敗をすれば良いよ』

『例えその時は叱られたとしても』

『それは後で必ずお前の知識になるよ』



 その言葉を聞いたレイは何度も大きく頷いた。



「以前、同じような事をカウリからも言われたよ。えっと、今のうちに色んな失敗して、人生の経験値を上げておけって」

 すると、ニコスのシルフはそれを聞いて大きく頷いた。

『さすがは良い事を上手く仰る』

『人生の経験値ですか』

『確かにこれ以上無い良い表現ですね』

 それから、その後に始めて人を集めて歌を歌った時の事を話した。

 三人共、感心して最後には揃って笑い合った。



 笑って手を振りいなくなるシルフ達を見送り、レイは背もたれに思い切り身体を預けて高い天井を見上げた。

「もう、本当にお披露目は目の前だよね。大丈夫かな僕」

『楽しみだな』

 笑ったブルーのシルフの言葉に、レイも笑顔で頷いた。

「確かに怖いし緊張もするけど、楽しみでもあるよね。そっか、そう思っていれば良いんだね」

『ああそうだ。自信を持ちなさい。大丈夫だ。其方は充分に努力したのだからな』

 笑ってそう言い頬にキスしてくれたブルーのシルフに、レイも笑顔でキスを贈ったのだった。

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