結婚式前日のあれこれ
そうしてあっという間に日々は過ぎ、もう明日はカウリの結婚式当日になった。
夜明けと共に結婚の為の儀式が始まる。
カウリは精霊王の神殿の分館にある特別室に、チェルシーは女神オフィーリアの分所にある花嫁専用の特別室に、それぞれこもる事になっている。
そこでは、男女別々の神殿で行われる結婚式前日の儀式があるのだ
まず、早朝各神殿内に設けられた専用の泉で沐浴を済ませて身を清めた後、それぞれの神殿で精霊王と女神オフィーリアに、一日がかりで結婚の報告の為の祈りを捧げなくてはならない。
午前中いっぱい、決まった時間に祭壇の前で捧げられる祈りの数々を、やや信仰心が浅いカウリは、最前列の真ん中に座って俯き、神妙に祈りを捧げるふりをしながら密かに欠伸を噛み殺していた。
「分かっていたけど、これは本当に参るよな。正直、これが嫌で結婚しなかったってのに、今になって彼女じゃなきゃ嫌だって思える人に……出会っちまったんだもんな。はあ、仕方ねえよな」
『おいおい、黙って聞いていれば随分な言い草だな。精霊王に失礼だぞ』
目の前に現れたブルーのシルフに呆れたようにそう言われて、カウリは俯いたまま顔をしかめた。
「申し訳ありませんねえ。俺の信仰心は、秋の木の葉よりも軽いと自覚しているもんで」
『だが、祈るのだろう?』
「もちろんですよ。これは、俺の為じゃなくて、彼女の為の祈りですからね」
嫌だと言いつつも、その口調は優しげで、ブルーのシルフは小さく頷くとふわりと浮き上がって彼の右肩に座った。
その時、ミスリルの鈴を持った神官達が近づいて来たので、カウリは口を噤んで俯いて頭を下げた。
彼の頭上でミスリルの鈴が振られ、小さな鉱石が、彼の目の前の小さな机の上に置かれた。
「道の途中にて門を塞ぐものにはこれを与えられよ。さすれば正しき道が開かれるであろう」
「恵みを感謝致します」
決められた答えを返し、一礼して両手で鉱石を受け取る。
先程から祈りの度に、柊の枝、枝付きのミニリンゴがそれぞれ持ってきて渡されている。
これは、輪廻の輪に戻る為の道行きにある障害物を避ける為のものでもあり、また生きる上で必要な物を表しているとされているのだ。
最初に渡されるのは、悪しきものを祓い、道を進む者を守ってくれる聖なる柊の枝。
二度目の祈りの後に渡されるのが、その季節の枝と葉のついた果物。これは道の途中で請われて与える事で、己の身代わりとして厄災を持って行ってくれるとされているのだ。
そして三つ目が鉱石。一般的にはただの石で構わないとされているが、彼に渡されたのは正式な物でパイライトと呼ばれる金色の四角い金属の塊だった。このパイライトは、愚者の金、とも呼ばれていて、文字通り金色をした鉱物だ。しかし、実際には金とは全く違う黄鉄鉱と呼ばれる金属の一種なのだ。
その為、道の途中で門を塞がれて前に進めなくなった時にこれを与えれば、愚かな相手はよく見もしないでこれを金だと思って我先にと飛びつくので、その隙に門を抜ければいいのだと言われている。
受け取ったパイライトの塊を、隣の椅子に置いたトレーのミニリンゴの横に並べる。
並んだ品々を見てカウリは小さくため息を吐いて天井を見上げた。
「そして、最後に渡されるのがナイフなんだよな。聖なる柊はまあ、信仰の象徴だろうな。果物、要するにその季節の食いもんだろ。そして見掛け倒しの財産、最後が相手を切り払ってでも進む為のナイフ。最初の二つはまだしも、生きていく上での必要なものがこれって……結構えげつないよな」
『同感だな。もっと慎ましく出来ぬものかのう』
ブルーのシルフの言葉に、カウリは小さく吹き出した。
「心の底から同意するよ。だけどまあ、これは見かけだけでもちゃんとしろって意味の戒めでもあるって聞いたぞ」
『成る程な。確かに一理ある』
妙に重々しく頷いてそう呟くブルーのシルフの言葉に、もう一度笑ったカウリは短くなった目の前の蝋燭の横に新しい蝋燭を灯してから、短くなった蝋燭を専用の道具を使って消したのだった。
女神オフィーリアの神殿の分所でも、同じようにチェルシーが女神オフィーリアへの祈りを捧げていた。
こちらは、信仰心の浅い彼とは違い、何度も捧げられる祈りを真剣に聞き、自分も続いて真剣に祈りを捧げ、巫女から渡される品を丁寧に両手で捧げ持って頂いていた。
昼食も決められた時間に決められた部屋で、一人で食べるのだ。持ってこられたものは残さず全て頂く。
食事の後に一刻休み時間が与えられるが、それ程ゆっくりはしていられない。
午後の最初にもう一度沐浴をして身を清めて、再び祭壇の前で祈りと蝋燭を捧げなくてはならないのだ。
その儀式は日が暮れるまで延々と続き、用意された質素な夕食を残さず頂いた後に、また深夜を過ぎる時間まで祈りと歌を捧げる時間になる。
そして全て終われば、神殿内部にあるこれも決められた部屋で休むのだ。
また、翌朝の結婚式当日の夜が明けるまで、二人は決して会ってはならないとされている。
部屋に来てくれたグラントリーから、結婚の前日の儀式で何をするのかといった詳しい説明を聞き、婚礼と葬送の祈りが同じことに驚きながら、レイは蒼の森での、あの悪夢のような事件の後の母の葬儀の時の事を思い出していた。
「最近では、結婚も葬儀も、これらは簡略化して柊の枝だけや、ナイフだけなどで行われる事も多いですね。ですが城で結婚式を挙げる際には、今申し上げたように正式な手順で決められた時間に決められた祈りを捧げます」
「そっか……母さんの葬儀の時は、急だったのに、ちゃんと全部やってくれたんだね……」
小さく呟いて胸元のペンダントを握りしめたレイは、小さく呟いた。
「ありがとう、タキス、ニコス、ギード……」
ちょっとだけ浮かんだ涙は、うまく誤魔化せたと思う。
『大丈夫か? レイ』
心配そうなブルーのシルフの言葉に、レイは笑ってそっと首を振った。
「大丈夫だよ。皆がどれだけ母さんの事を大事にしてくれたかって事だもんね。よくニーカが言ってるけど、僕も今、本当に幸せだよ。大好きだよ、ブルー」
もう一度笑って、レイはブルーのシルフにキスを贈った。
そして、グラントリーから結婚式当日の自分の役割についても教えられ、レイは目を輝かせて大きく頷いたのだった。
その日の夜、レイは興奮してすぐには眠れず、望遠鏡を取り出して半分だけ出ている月を見たり星を眺めたりして過ごし、かなり遅い時間になって、ようやくベッドに入ったのだった。
そして翌日、いつもの時間にシルフ達に起こされたレイは、眠い目をこすりつつもワクワクしながらベッドから飛び起きた。
「いよいよ今日はカウリとチェルシーの結婚式なんだよ。あの綺麗なドレスの仕上がったのを見られるんだよ。楽しみだなあ」
顔を洗って寝癖を綺麗に整えているとラスティが来てくれたので、急いで身支度を整えた。
「今日は、朝練はお休みなんだね」
「そうですね、レイルズ様にも蝋燭を捧げていただかないといけませんから、食事が終わればもう神殿へ参りますよ」
「うん、僕、結婚式って初めて見るからすっごく楽しみなんだ」
「さぞかし綺麗な花嫁様でしょうね」
ラスティも嬉しそうにそう言うと、レイの背中側のシワを直してやり、早めの食事の為に一緒に食堂へ向かった。
今回、結婚する二人はどちらも家族との縁が完全に切れているので、誰かが家族の代理をしなければならない。その為、チェルシーにはヴィゴの一家が代理の家族としてその役につき、ヴィゴがチェルシーの父親代わりの役になった。またカウリには相談の結果、アルジェント卿と奥方が両親の代理をしてくれる事になったのだった。また孫達もそれぞれに大切な役割が与えられていた。
食堂には、アルス皇子を始め竜騎士達全員が揃っていて、皆笑顔で今日の話をしながら食事を終えたのだった。
一旦部屋に戻って、ラスティに手伝ってもらって見習いの第一級礼装に着替えたレイは、期待に胸を膨らませて扉に向かった。
そんな彼の周りでは、シルフ達が、皆大喜びでついて行って手を叩きあっていた。
『楽しみ楽しみ』
『結婚式ってなあに?』
『それは結婚を誓う儀式の事』
『結婚ってなあに?』
『結婚ってなあに?』
『知らない』
『知らない』
『だけどきっと楽しくて嬉しい事』
『皆笑顔で笑ってる』
『だから嬉しい』
『嬉しい嬉しい』
無邪気に笑いさざめくシルフ達に、振り返って見上げたレイは小さく笑った。
「結婚式は、二人が精霊王の御前で互いへの愛を誓って、これから先一緒に生きていきますって誓うための儀式なんだよ。それはつまり、これから二人で幸せになりますって精霊王に報告するための儀式でもあるんだよ」
レイの言葉に一斉に頷いて拍手するシルフ達に手を振って、レイは廊下で待つラスティの元へ走って部屋を出て行ったのだった。
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