出発までの時間
翌朝、いつもよりも少し遅くシルフ達に起こされたレイは、大きな欠伸をしてベッドに寝転がったまま伸びをした。
「おはよう。まだ眠いけど、もう起きるよ」
寝癖のついた髪の毛を撫でつけながらベッドから降りて、まずは洗面所へ向かった。
「そう言えば、マーク達の予定を聞いていないけど、何時頃に来てくれるんだろう? 離宮に一緒に行くのかな? それとも、先に僕だけ行っておくべきなのかな?」
誘ったのは自分だが、彼らの予定を聞いていない事に今更ながら気が付いたのだ。
洗面所から出たら、丁度ラスティが着替えを持って来てくれたのと一緒だった。
「おはようございます。もう少しゆっくりなさっても良かったのに」
笑顔で着替えを渡してくれるラスティにお礼を言って、レイは今日の予定を聞いてみる事にした。
「えっと、今日の予定ってどうなってるんですか?」
まずは寝間着をまとめて脱ぎ、用意されたカゴに入れる。
「はい、マーク伍長とキム伍長から連絡を頂きました。今日はもうお休みを頂いたそうなので、お二人はレイルズ様のご予定に合わせると仰っておられます。如何なさいますか? 朝食の後、もう離宮へ行かれますか?」
「えっと、ガンディは? ガンディも離宮に来てくださいってお誘いしたよね」
「はい、ガンディ様は昼前にはお越しになられるとの事でしたので、皆様で昼食をご一緒に食べて頂く予定になっております」
「じゃあ、食事が終わって少し休憩したら、もう行っても良いですか?」
「畏まりました。ではそうですね、十点鐘の鐘で出掛けましょうか」
それなら、食事の後に少しくらい読書をする時間が取れるだろう。
頷いたレイを見て、ラスティはマーク達に連絡しておきますと言ってくれた。
着替えを終えると、カウリとラスティ達と一緒に、いつものように食堂へ向かった。
食事を終えて部屋に戻ったレイは、そのままソファーで時間まで読書をして過ごした。
アルジェント卿から頂いたあの物語は、少し難しいけれど確かに皆が言うようにとても面白い。もう必死になって時間を作り、夢中になって続きを読んでいるのだ。
今、三巻目の真ん中辺りに差し掛かったところで、ようやく全ての主な登場人物が出て来て物語が動き始めたところだ。
精霊王の生まれ変わりの少年は、精霊王の物語のままに、ライル・ムートと言う名の貧しい村の少年としてこの物語にも出て来ている。だが肝心の冥王の生まれ変わりとなる筈の人物が、ここまでには出て来ていないのだ。
「精霊王の物語では、冥王の生まれ変わりは、個人の名前は無くて、貴族の若者としか書かれていなかったもんね。僕はやっぱりオスプ・クーリタスが冥王の生まれ変わりだって思うけど、違うのかなあ?」
今のところ、オスプ少年は、両親と二人の兄の遺体を取り返して消えてしまったあれ以来、物語に直接出て来ていない。
精霊王の生まれ変わりの少年の話と、それ以外はどうやら十二神となった英雄達のそれぞれの物語のようだ。だけど、それなら精霊王の物語でも一通りは語られている。英雄自身が、自分の過去の独白といった形で語られたり、他の誰かから聞かされるといった具合だ。
精霊王の物語が、常に精霊王を中心に語られるのと違い、今読んでいるこの物語は、章ごとにあちこちに話が飛び、出てくる人物も今のところ全く一致しない。また時系列も前後するのだ。その為、王都の広場であった塔が崩壊して大勢の人々が巻き込まれた、あの事件の前後の話が中心になっている。
「ええ、これって……もしかしてアルカーシュ?」
辺境に栄えた王を持たぬ国として書かれたそれに、レイは思わず身を乗り出した。
「星を信仰の対象とし、大きな神殿の中には見事な玻璃窓があった。玻璃窓って何だろう?」
知らない言葉に、思わず呟くと、目の前にブルーのシルフが現れた。
『玻璃とは正確には水晶の事を指す。だが、水晶のように透き通った
納得したレイは、大きく頷いてまた夢中になって読み進めた。
「へえ、アルカーシュってそんな昔からあったんだね」
『あの国は、あの当時としてはまさしく別世界だっただろうな。王を戴かぬ国。音楽を愛し、知識を国民に与える事を躊躇しなかった貴重な国だった』
その言葉に、レイは不意に思い付いて顔を上げてブルーのシルフを見つめた。
『うん? どうした?』
栞を挟んで本を閉じたレイを見て、ブルーのシルフは不思議そうに少し首を傾げた。
「えっと、聞いても良い?」
『我が答えられる事ならば』
レイが何かを聞いても良いかと尋ねると、ブルーはいつもこう言うのだ。何でも教えてやるとは言わない。
「えっとブルーは、アルカーシュの事、知っている……よね?」
『もちろんだ』
「えっと、タガルノにアルカーシュが滅ぼされた時、どうして守ってあげなかったの?」
それは、子供ならではの無邪気で残酷な質問だった。
身じろぎをしたブルーのシルフは、小さなため息を吐いて首を振った。
『その時の我は、己の哀しさにかまけて全てを投げ出していたからだ。今でも後悔している。何故、シルフの声を聞かなかったのかと……』
その言葉の意味に気づいたレイは、慌てたように必死になって謝った。
「ご、ごめんなさい! 無神経な事聞いたよね。そうだよね、百年ほど前なら、ブルーは蒼の森にいたんだもんね。ごめんね、気を悪くしないで、責めるつもりじゃなくて……」
『構わぬ。理由はどうあれこれは我の過ちだ。我が関わっていればまた違った結果になったやもしれぬが、それはもう……今更言うても詮無い事だ』
レイの言葉を遮るようにそう言ったブルーのシルフは、顔を上げてレイの目の前に飛んで来た。
そっとその頬に、いつもよりも少しだけ長いキスを贈った。
『過去に犯した過ちは、どれ程悔やんだところで覆りはせぬ。アルカーシュの民には、いつか我が精霊王の御許へ行った時に謝る事に致そう』
その言葉に、レイは迂闊な質問をよく考えもせずに聞いてしまった自分を悔いた。
そんな悲しい思いをさせたかった訳ではないのに。
『気にするな。そろそろ約束の時間だぞ』
何でもない事のようにブルーのシルフがそう言った丁度その時、ノックの音がしてラスティの声が聞こえた。
『レイルズ様、そろそろご準備をお願い致します』
「はあい、今行きます」
慌てて返事をしたレイは、まずは読みかけの本を元の場所に戻した。それから、壁に掛けてあった剣帯を取り、手早く身に付けた。
入って来たラスティが、いつもの剣を渡してくれたので、両手できちんと受け取ってから剣帯に装着する。背中側に歪みがないか見てもらってから、ブルーのシルフも一緒に部屋を出て行った。
厩舎まで歩いて行ったら、丁度マークとキムがそれぞれの騎竜に鞍を乗せている所だった。
「お待たせ。あ、僕の分は自分でやらせてください」
レイの鞍を持って来てくれた顔馴染みの兵士にそう言い、お礼を言って受け取った鞍をゼクスの背中に乗せてベルトを手早く締めていった。
緩みがないか確認してもらってから、いつものように軽々と背中に飛び乗った。
「じゃあ、行こうか」
右肩にブルーのシルフを乗せたまま、そう言って振り返る。
頷いた二人も軽々とそれぞれのラプトルに乗り、三人は仲良く並んで厩舎を出て、離宮へ向かってラプトルを走らせたのだった。
少し離れてラスティと護衛の兵士達が、これもラプトルに乗ってその後を追った。
考えてみたら、今までは常に誰か他の人達が一緒にいたし、訓練所の自習室では三人だけになる事はしょっちゅうだったが、まず各自の勉強が先にあるので、話をすると言ってもそれほど込み入った話は出来ない。
今回のように、三人だけで時間を気にせずゆっくり話が出来るのは初めての事だ。
嬉しくなったレイは、右肩に当然のように座っているブルーのシルフを見た。
「楽しみだね」
小さな声でそう話し掛けると、ブルーのシルフは嬉しそうに笑って頷いてくれた。
『うむ。我も彼とゆっくり話が出来るのが楽しみだ。それに、白の塔の長ともな』
目の前に迫る離宮の庭には、見慣れた巨大なブルーの姿が見えてきた。
「ブルー!」
一気に加速してブルーの元へ駆けて行くその後ろ姿を、マークとキムは笑顔で見ていたのだった。
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