最後の日の騒動と火蜥蜴達の事

 衣装を詰め込んだ大きな箱を抱えて、クラウディアは廊下へ出た。背の低いニーカは、簪などの装飾品の入った箱を持っている。

 最後に部屋を出たエミューが、忘れ物がない事を確認してそっと扉を閉めた。

「じゃあ戻りましょう」

 荷物をそれぞれに抱えた六人は、進行担当だった年配の神官様に挨拶をしてから女神の分所に戻った。



 出迎えてくれた水の精霊使いの僧侶と一緒に、ニーカが衣装部屋に入って行く。

「ニーカ、お洗濯はお願いね。じゃあ貴女の分の荷物は部屋に置いておくわね」

「うん、お願いします。あとで片付けるわ」

 二人分の私物の包みを持ったクラウディアは、ひとまず荷物を置きに皆で一緒に自分達の部屋に戻った。

 荷物を置いたら、そのまま今度はこちらの分所での年末の祭事に参加しなければならない。

 休む間も無く、皆それぞれの担当部署に分かれて足早に去っていった。




 今日のクラウディアの担当は裏方で、女神オフィーリアの像に年末の挨拶にくる参拝者が捧げる蝋燭の管理だ。

 女神像の両側には、合計六箇所に大きな蝋燭立てが置かれているのだ。

 金属製の棒に蝋燭を立てる為の針がいくつも突き出た物が、階段状に何段にもなった大きな蝋燭立てだ。

 エイベル様の像の両横には。円形の蝋燭立てが置かれている。真ん中の柱に固定された円形の蝋燭台が、これも何段にもなっている大きな物だ。

 祈りの際に捧げられる蝋燭は、小さなものなのですぐに燃え尽きてしまう。

 しかし、途中で火が消えてしまったり、またちょっとした風向きなどの所為で、蝋燭の一部分だけが溶けきらずに燭台に残ったままになる事があるのだ。こうなったまま放置すると、後の参拝者が蝋燭を捧げる場所がどんどん少なくなってしまう為、消えた蝋燭や溶け残りの蝋を定期的に見回って取り除かなければならないのだ。段になった燭台の後ろ側から専用の蝋挟みを使って手早く取り除かなければならず、当然、周りにある蝋燭の火の扱いにも注意が必要だ。

 毎年、数人は蝋燭の火が服に燃え移って軽い火傷をしたり服に穴を開けてしまう巫女や参拝者がいるのだ。

 その為、火の精霊魔法を扱える精霊使いが最低でも一人は絶対に、常に現場にいなければならないと決められているのだ。



「あらクラウディア。お帰りなさい。精霊王への奉納の舞、ご苦労様でした。そうそう、竜騎士隊のルーク様から沢山差し入れのお菓子が届いているのよ。この時間に戻ってきたのなら、ディアは休み無しで戻ってきたんでしょう? 火の精霊使いの神官様が応援に来てくださってるからね、構わないから先に食べてきてちょうだい」



 一位の先輩巫女のパンセスが、振り返って休憩室を指差して教えてくれた。



 彼女も、幼い時に事故で両親を亡くして神殿の巫女になったそうで、話をしてあまりにも境遇が似ていた為、すっかり仲良くなったのだ。

 そしてもう一つ。実は彼女も伯爵家の三男坊と密かな恋をしているそうだ。

 去年の花祭りの際、彼女もそのお相手の方から竜騎士様の花束をもらったのだと聞き、その時の話を聞いたクラウディアも、手を取り合って自分の事のように喜んだのだった。

 そして当然、今年の花祭りの時に、レイから竜騎士の花束を広場でもらった時の話を事細かに聞き出されてしまい、もう互いに真っ赤になって笑い合ったのだった。



「まあ、そうなんですね。嬉しいです、じゃあお言葉に甘えて遠慮なく頂いてきます」

 こういった気遣いも、最初はいちいち固辞していたのだが、どうやら分かってきた。気にしなくて良いのだ。本当に忙しい時は、皆そう言ってくれるし、逆の立場なら自分もそう言うだろうと言われてしまい、それ以来言われた時には遠慮無く休ませてもらう事にしている。

 確かにずっと緊張していたので疲れている事も自覚していた。



 休憩室には簡単なお茶が飲める用意もされている。

 一つため息を吐いて座ったクラウディアは、火蜥蜴にお願いして湯を沸かしてもらい、手早くお茶を入れた。

 大きな缶の中に入っていたのは、ドライフルーツを刻んでお酒に漬け込んだものが刻んだナッツと一緒にぎっしりと入っている、どっしりと重いバターケーキだった。綺麗に切り分けられて、それぞれ油紙で包まれている。


「女神のしもべの方々に感謝の贈り物を。日々のお勤めご苦労様です。来年も良き年で在ります様に」


 箱には、流暢な文字で綴られた綺麗なカードが入っていた。

 声に出してそれを読む。

 時々だが光の精霊魔法の授業を今も一緒に受けているクラウディアには、それが本当にルークの文字である事が判った



「こんな細やかな気遣いまでなさるのね。レイにそれが出来るかしら?」

 綺麗に飾られたお菓子の箱を見ながら、ちょっと心配になるクラウディアだった。

 頂いたバターケーキは具がぎっしりと入っていてとても美味しかった。だけどとても大きくて、一つ食べたらお腹もいっぱいになってしまった。

 疲れていたクラウディアは、そのまま目を閉じてうとうとしてしまう。

 しかし、誰かの足音が聞こえて不意に目を覚ました。



 自分でもよく分からないが、何故だか急に目が開いたのだ。



 振り返ったその時、開いたままの扉の前をカリカ僧侶が小走りに駆けて行くのが一瞬だけ見えた。

 しかし、そちら側は巫女たちの暮らしている部屋がある方向で、普段は用の無い場所の筈だ。

 その時、目の前にシルフが現れて座った。

『あの意地悪僧侶が、お前達の部屋に向かったぞ』

 突然聞こえたその声は、何度か聞いた事のある、レイの伴侶の古竜の声だ。

「もしやラピス様ですか?」

『僕もいるよ』

 こっちはいつものシルフの声で、話してくれた。

「ではそちらは、クロサイト様ですね」

『あの僧侶は我らに任せて自分の仕事場に戻りなさい。あのような者に、そなたが関わる必要はない』

 嫌そうに言われたその言葉に、クラウディアは思わず身を乗り出した。

「あの、どうか手荒な真似は……」

『心配は要らぬ。己が人よりも優れ一番優秀なのだと勘違いをして、未熟な技に驕り高ぶる愚か者に、自分の矮小さと愚かさを思い知らせてやるだけだ』

 嘲るようなその言葉も、普通の人が言ったら貴方こそどれ程優れているのだと言いたくもなるだろうが、相手はこの世界で唯一の存在である最強の古竜だ。

 その古竜から見れば、確かに彼女の振る舞いはその通りで至極当然の言葉なのだろう。

「私のような未熟者にまでお心を砕いていただき、本当に感謝致します。どうかよろしくお願い致します」

 床に片膝をつき、両手を握り合わせて額に当てたクラウディアは、ブルーのシルフに向かって深々と頭を下げた。

『うむ。任せておきなさい』

 鷹揚に頷いたブルーのシルフは、そのまま消えていなくなってしまった。

『ニーカは洗濯の真っ最中だよ』

『もう少ししたら終わるから』

『こっちに戻って来たら部屋には戻らないように言ってあげてね』

「畏まりました。では一緒に蝋燭の守りを致します」

 改めてもう一度深々と頭を下げたクラウディアは、しばらくしてから顔を上げた。

 しかしもう、そこにはさっきと同じ、空になったお茶のカップと、まだまだぎっしりと入ったお菓子の缶が置いてあるだけだった。




「おかしいわ。どうして開かないのよ。全く役立たずなんだから」

 カリカ僧侶は、目的の部屋の前で途方に暮れていた。いつもなら簡単に開くはずの扉が、何度やっても開かないのだ。

「シルフ、何をしている。さっさと扉を開けなさい」

 舌打ちをして、シルフにさらに強く命じる。

 嫌そうに身じろぎしたシルフ達が、戸惑う様に扉の前に浮かんでいる。

 その時、急に扉がゆっくりと開いた。

「全く、愚図なんだから。命じた仕事くらいさっさとしろといつも言っているでしょうが」

 扉の前でまだ浮いたまでいるシルフに向かって吐き捨てるようにそう言うと、彼女は手袋をした手で平然と部屋に入っていった。そこはニーカとクラウディアの部屋だ。



 ベッドの上に、小さな包みがそのまま置かれている。

 にんまりと笑った彼女は、まずは右側のベッドに駆け寄り、手早く包みを開いた。

 一番上に、細長い守り刀を包んだ絹の包みが置いてある。

「無用心ね、こんな高級品を部屋に置きっぱなしにして」

 包みを開いた途端に、ルビーの見事な輝きが現れる。

 そのまま包み直してもう片方の包みを開き、同じように守り刀だけを取り出して持ってきた袋に放り込んだ。

 手早く包みを元に戻し、それぞれのベッドに置くと、そのまま部屋を出ようとして驚いた。扉がまた開かないのだ。

「シルフ、開けなさい」

 急がなければ、誰かに見られでもしたら全てが終わる。

 イライラしながらきつく命じた途端、目の前にいたシルフ達が一斉に彼女に向かって舌を出したのだ。


『お前はしてはならない事をした』

『聖なる刀に手を出した』

『報いを受けよ』

『悪しき行いには正当な報いを』

『愚か者には罰を与えよ!』


 怒ったようなシルフ達が、次々に言うその言葉に、彼女は真っ青になった。

「な、何を言っているのお前達。戯言を言っている暇があったらさっさと命じられた仕事をしなさい」

 しかし、彼女の精一杯の強がりにも、もう誰も従ってはくれなかった。



 舌打ちをした彼女は、無言でもう一度扉を押した。

 今度は先ほどと違い簡単に開く事が出来た。

 そのまま部屋を出た所で、いきなり腕を誰かに掴まれたのだ。 

「離せ! 無礼者が!」

 本来、僧侶に対して過度な接触は禁じられている。

 腕を振り払おうとしたが果たせず、睨みつけようとして言葉を失った。

 彼女の腕を掴んでいるのはルディ僧侶で、その背後に立っていたのは、城の保安部の兵士だった。

 我に返って逃げようとして抵抗しようとした所を、保安部の兵士達に押さえつけられてしまった。

「これはなんだ?」

 手に持っていた袋を取り上げられてしまい、必死になって抵抗したが、もうこうなっては言い逃れは出来なかった。

 中身を確認したルディ僧侶は顔を上げて袋を保安部の兵士に渡した。

「カリカ。貴女を不法侵入、および窃盗の現行犯で逮捕します」

 ルディの言葉に、後ろ手に縄をかけられたカリカ僧侶は、そのまま両腕を屈強な兵士に捕まえられて連行されて行った。



 その現場は、ブルーのシルフの言葉に素直に従って自分の仕事場へ戻って行ったクラウディアは、何一つ見る事も無く、逮捕劇は内密のうちに終わったのだった。






 その日の夜、火送りと火迎えの儀式を終えて帰って来た火蜥蜴を迎えて、ひとしきり撫でてやった後指輪に戻った事を確認したレイは、大きく伸びをして望遠鏡を片付けた。

「さあ、もう休もう」

 そう言って立ち上がった時、窓枠に現れたシルフ達が何人も並んで座ったのだ。

「あれ、あれは精霊通信だね? こんな時間に誰からだろう?」

 不思議そうに座り直したレイは、シルフが口を開くのを待った。

『こんな遅くに申し訳無いタキスです』

『俺もいるよ』

『ワシもおるぞ』

 並んだシルフ達の言葉を聞いて、レイは笑った。

「あれ、さっき話したばかりなのにどうしたの? 何か言い忘れた?」

『ちょっと先程見た火送りと火迎えの儀式の事で』

『あまりにも私達三人共興奮しすぎているので貴方にもお教えしようと思ったんです』

 一気に喋るシルフを見て、レイは驚いて目を瞬いた。

「どうしたの? 何かあった?」

『今年も貴方の火蜥蜴が蒼の森まで来ていたんです』

『庭で輪になって森の火蜥蜴達と一緒になって走っていましたよ』

『ですがもう貴方の所に帰っていますよね?』

 その言葉に、レイは驚きのあまり声も無かった。

「えっと、うん、さっき戻って来たよ。もう指輪に入っちゃったよ」

『おお! やはりもう戻っているんですね』

『では精霊達にとって』

『この世界での距離は関係無いと言う事が、これで証明されましたね』

 確かにこれを確認したら興奮もするだろう。



 伝言のシルフは、同じシルフが行き来しているのでは無く、こっちで言った言葉を向こうにいるシルフが伝えてくれるのだ。

 しかし、利用は出来るが、声飛ばしがどう言った仕組みなのかは、実は解明されていない。



「凄いや。ねえタキス! この話、明日ガンディに会うんだけど話しても良い?」

『ええもちろんです』

『実は許されるなら本気で論文を書きたいくらいなんですけれどね』

 それを聞いたレイは、目を輝かせて身を乗り出した。

「凄い。ぜひ書いてよ。僕読みたい!」

 その言葉に、ニコスとギードが吹き出す様子まで、律儀にシルフ達が再現してくれた。

『まあ論文を書けるかどうかは分かりませんが』

『これは私達だけが知って終わって良い事では無いと思うので』

『一度師匠にも報告をしてゆっくり話してみます』

 嬉しそうなタキスに、レイも嬉しくなった。

「そうだね、じゃあ明日、話しておくから後でガンディに詳しく教えてあげてよ」

『分かりました』

『じゃあもう遅いのでこれで終わりにしますね』

 そう言って、目の前の三人のシルフ達が手を振った。

「うん、おやすみ。あ、タキス! ニコス! ギード! 今年もよろしくね」

 慌ててそう言い、レイはシルフ達に笑って手を振った。

『ええもちろんですよ私達の愛しい息子』

『今年は遂に竜騎士として独り立ちですよ』

『今まで以上にしっかりしなければね』

 そう言われて、レイは照れたように何度も何度も頷くのだった。

 もう一度手を振っていなくなるシルフ達を見送り、レイはソファーに置いてあったクッションを抱きしめた。



 いつの間にか、レイの肩にブルーのシルフも現れて、彼らの話す様子をじっと愛おしげに見つめていたのだった。

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