騒ぎの後と引越し準備

「なかなかお上手でしたよ。まあ、最後の曲はまだ練習中だと言う事で、次回に持ち越しですね」

 楽器担当のフォグ先生に笑顔でそう言われて、竪琴を抱きしめてレイは真っ赤になって俯いた。

 午前中の歌のお稽古で、カウリの発案で急に人前で歌う練習をさせられ、三曲目に歌った曲で失敗をしてしまったレイは、情けない顔で大きなため息を吐いた。

「もう、正直言って人前で歌うなんて全然出来る気がしません。皆、慣れるって言って笑うだけだけど、本当に慣れる日なんて来るのかな」

 心底困ったようなその言葉に、フォグ先生は小さく笑った。

「そうですか? 二曲目の独唱部分は素晴らしかったと思いましたよ。そうですね。こんな感想は失礼かもしれませんが、あの歌は、誰かの為に歌っているように私は感じました。それで良いんですよ。もちろん聖歌は精霊王や女神に捧げる歌ですが、自分にとって大切な誰かの為に歌っても構いません。例えばヴィゴ様は、娘様方の為に歌っているといつも言っておられますよ」

「良いの? そんなので」

「もちろん。我らは等しく精霊王のしもべであり、迷い子です。先の見えない人生という道を、互いに手を取り支え合って前に進もうとする。素晴らしい事ですよ」

 あの時、レイはエケドラにいる二人を思って歌ったのだ。

 聖歌は精霊王へ捧げる歌だと思っていたレイには、今の言葉は驚きだった。

「そっか、あんな風でも良いんだ」

 竪琴を抱き直したレイは笑顔で顔を上げた。

「あの時ね、僕、もう会えなくなっちゃった大切な人達へ向けて歌ったんだ。ありがとうございます。あんな風でも良いのなら、僕でも出来るような気がしてきました」

「それなら頑張りましょうね。新しい竜騎士様の歌や演奏を聴きたがっておられる方は、それは大勢おられますからね」

 満面の笑みでそんな事を言われてしまい、もう一度竪琴を抱きしめて悲鳴をあげたレイだった。




 翌日、訓練所へ行ったレイは、マークとキムの二人から揃って昨日の歌が如何に上手だったかを口々にクラウディアとニーカの前で褒められてしまい、自習室で真っ赤になって机に突っ伏したのだった。

「へえ、私も聞いてみたい。ねえちょっと歌って見せてよ」

 満面の笑みのニーカにそんな事を言われて、レイは真っ赤な顔のままで必死になって首を振り、勢い余ってそのまま椅子から転がり落ちた。

「おいおい、何やってるんだよ」

 笑ったキムが立ち上がって、腕を掴んで軽々と起き上がらせてくれる。

 キムは、レイよりも遥かに背は低いが、腕も太くて意外に力持ちだ。

「うう、本当に勘弁して。あれってなんて言うか……色々と削られる感じがするよ」

「私達だって、歌のお稽古はするわよ。あ、そうだ! 私達がお城へ勤めるようになったら、練習の時にディアの踊りに合わせてレイに歌って貰えば良いんじゃない? 舞い手も一人で、男性歌手の独唱に合わせる踊りも有ったよね。練習しないと駄目だって言っていたでしょう?」

 無邪気なニーカの言葉にレイは目を見開いてまた椅子から転がり落ち、クラウディアも真っ赤になって顔を覆って机に突っ伏した。



 巫女の資格を取ったとはいえまだ未成年であるニーカは、実際に舞台に上がる事はない。だが、裏方として様々な舞台のお世話をしているのだ。その為、どう言った踊りがあり、それに合わせる衣装がどれで装飾品がどれと言った勉強を、今必死になってしているのだ。

 背が低く小柄なニーカは踊り手としては不向きだろう。とは言えまだまだ成長期なので将来は未知数だが、本人の希望もあって、将来的にも人手のいる裏方に入る予定だ。



「僕も裏方が良かったな」

 レイの呟きに、四人が揃って吹き出す。

「竜騎士様が裏方に回ったら、皆驚くだろうな」

「全くだ。ってか、裏方で何をしてもらうんだよって話だよな」

 マークとキムは顔を見合わせて大笑いしている。

「そりゃあ僕だって、今のは無茶な事だって分かってるよ。だけど、やっぱり人には向き不向きって事があると思うよ」

 大きなため息を吐くレイを見て、四人は顔を見合わせて肩を竦めた。

「レイ、しっかりして。大丈夫よ、きっと貴方なら上手くやれるわ」

「そうよ、応援してるからね」

「ありがとう。あと数ヶ月、何とか頑張って慣れるようにするね」

 本気で情けなさそうにそう言った彼を見て、慰めるようにクラウディアがそっと顔を寄せた。そのまま手で口元を覆って耳打ちする振りをして、レイの頬にキスをしたのだ。

 マークとキムは、二人揃って本を見ていた為その一瞬を見逃し、ニーカは気が付いたけれど知らない振りをした。

 そして残念な事に一瞬だったので、レイは何が起こったのか気付く前に、彼女は座り直して知らん顔で本を読み始めてしまった。

 一人無言でパニックになっているレイを置いて、その日は何事もなかったかのように終わったのだった。




 そんな穏やかな日々が続き、もうあと残り三日で今年も終わる日になった。

 今日はクラウディアとニーカがお城の分所へ移動になる日だ。

 午前中のみお休みをもらえたとの事で、早朝からルークが手配した馬車が神殿へ行き、二人以外にあと三人分の荷物を積み込んで、合計五人の人を乗せて城まで運んでいた。

 馬車にはクラウディアとニーカの他に、もう一人城の分所への勤めが決まった年配の僧侶が乗り、同じく移動になった若い神官二人は、馬車の後ろ外側にある執事などが乗る場所に並んで立ったまま乗っている。

「有難いわね。自分で荷物を運ぶのは大変だもの。おかげで大切な本を一冊も手放さずに持って来られたわ。馬車を出してくださった貴族のお方に、心から感謝していたと伝えておいてね」

 この馬車は、二人の知り合いの貴族が好意で出してくれたものだと皆知っている。先程、出発する時にも外に乗っている神官達からも何度もお礼を言われた。

「気にしないで。他にもいろんな支援をなさっている方だからね」

 ニーカの言葉に、感激した僧侶は両手を組んで感謝の祈りを捧げたのだった。



「ねえ見て! 綺麗なお屋敷ね」

 一の郭に入った途端、周りの建物は一新していた。

 ゴチャゴチャとしたオルダムの街と違い、一の郭では道の幅も広く、また当然一軒一軒の屋敷の大きさも桁違いだ。いつも通る訓練所への道とは違う為、見える景色は初めての景色だ。

 ニーカが窓越しに指差したのは、綺麗な青いタイルが壁一面に敷き詰められたそれは見事な大きなお屋敷だった。青色一色だが濃淡のある片側が丸くなったそのタイルが、まるで竜の鱗のように見事に敷き詰められている。

「ああ、ここが有名な瑠璃の館ですよ。少し前まで木が大きくなり過ぎて少し荒れた印象だったのですが、すっかり綺麗になりましたね。もしかしたら、どなたか新しくお住まいになられるのかも知れないわね。それにしても、あの青いタイルの壁は、いつ見ても綺麗ですね」

 クラウディアとニーカの二人は、呆気にとられて遠くなっていく瑠璃の館を見送った。

「あのお屋敷に?」

「そう言っていたわね」

 クラウディアの小さな呟きに、ニーカがこちらも小さな声で答える。

 向かいに座った僧侶に聞こえないように、二人は顔を見合わせて小さなため息を吐いた。

「大丈夫よ、言ったでしょう? 貴方は貴方なんだからね」

「ええ、分かっているわ。分かっている……」

 ニーカの励ましに、クラウディアはそう答えるだけで、目を閉じて祈るように何度も何度も頷くのだった。



 膝の上では、そんな彼女達をシルフ達が心配そうに見つめていたのだった。

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