歌の練習とお披露目の練習

 去年と同じく、降誕祭が終われば年末まではあっという間だ。



 ただ去年と違うのは、いつもの様に週の半分は訓練所へ通えた事で、訓練所へ行った日にはマークやキム、それにクラウディアやニーカと一緒に勉強をした。時々、彼らがいない時もあって、そんな時は他の人達とも図書館で一緒に勉強をしたり話をしたりして、友人と呼べる人がまた増えていた。



 訓練所に行かない残りの日は、本部で弓や槍を使った訓練や行儀作法、竪琴や歌の訓練などにも取り組んだ。

 ニコスから去年贈られた竪琴を、レイは今ではすっかり弾きこなせる様になり、城の音楽を担当する楽団からは、竪琴の要員が足りない時には是非来てほしいと言われる程の腕になっていた。




「歌も、少しは歌える様になったけど……人前で一人で歌うなんて絶対無理だよ。音が狂ったら恥ずかしいって」

 顔を覆ってそう呟くレイを、カウリは呆れた様に横目で見ていた。



 その日、訓練所はお休みで、一日中歌と楽器の練習の日だった為、カウリと二人揃って城の楽団から派遣された先生役の楽団員の人に発声訓練をしてもらっていたのだ。

 カウリは大人の男性らしく、綺麗なやや低い良い声をしている。

 歌う事自体も最初は恥ずかしがっていたカウリだったが、これは竜騎士にとっては決して避ける事の出来ない仕事の一つだと分かっているので、真剣に取り組んだ。

 集中的に続けた発声練習のおかげもあって、伸びのある力強い歌声で、今では練習でも平気で独唱部分を担当している。

 だがレイは、未だに恥ずかしさが消えず、合唱の時には上手に歌える様になったのだが、肝心の独唱部分になると、どうしても声が小さくなり俯いてしまうのだ。

 こればかりは、ニコスのシルフ達にもどうする事も出来ない。

「諦めて覚悟を決めろよ、ってかその為の見習い期間なんだから、音程を外すなら見習い中にしとけよ」

「カウリ酷い! そんなの絶対笑われるよ」

 また顔を覆って突っ伏したレイを見たカウリは、態とらしく大きなため息を吐いてレイの背中を叩いた。



「あのなレイルズ、前から気になっていたんだけど、ちょっと良いか?」

 改まった口調に、驚いたレイが顔を上げる。

 思いの外真剣な顔のカウリに見つめられて、レイは居住まいを正した。

「何? 改まって」

「お前さ、人前で何かをやろうとして失敗して笑われた事ってあるか? もう、今すぐここから消えて無くなりたい!だけど、状況がそれを許してくれない! ってやつ」

「笑われた事は無いわけじゃないけど、失敗して笑われるなんて、そんなのは無いよ」

 慌てて首を振ったレイを見て、カウリは自分と同い年で城の楽団員のラルフ先生を振り返った。

「貴方は?」

「数え出したら泣きたくなりますのでそれはご勘弁を。ですがそうですね、ちょっと思い出しただけでも、まあそれなりにありますよ。城の正式な楽団員になってからは、気を付けていますので大きな失敗はありませんが、若い時には色々とやらかしていますよ。皆そうでしょう?」

 当たり前の様に笑ってそう言い、それを聞いたカウリも笑って頷く。

「俺だってそうですよ。まあこの歳になると大抵の事は経験している。だから何か失敗しそうになっても、平気な顔で誤魔化す術を知っている。だけどこいつはそうじゃ無い。激動の人生を歩んでいる事は否定しませんけど、そういった何気ない日常の起伏とでも言うんですかね、特に人付き合いが狭いこいつは、何かやって、失敗したら全部終わりだって思っている節がある」

「だって、失敗するのは嫌だよ」

 小さな声でそう言ったレイを、カウリは優しい目で見つめた。

「逆だよ。失敗するなら今のうちなんだよ。若い時にやらかしたあんな事やそんな事は、俺達の年齢になった時に分かるんだ。それらの経験はその人の財産になる」

「失敗が?」

「失敗も、だよ。どんな事でも絶対に何らかの自分の糧になる。だからさ、俺が言いたいのは失敗を恐れるな、笑われる事を恥ずかしがるな、って事。分かるか? 人は誰だって失敗をする。恥ずかしい思いだって、した事無い奴なんていやしないよ。もしそんな奴がいたら、それは人じゃ無い。人だとすれば、これ以上ないくらいに貧しい人生だよ」



 真剣なカウリの言葉に同意する様に、真顔のラルフ先生も頷いている。



 なんと答えていいのか分からず困っていると、カウリは笑って肩を竦めた。

「まあ、あまり難しく考えるな。そりゃあ失敗なんてしないに越した事はないし、笑われるなんて誰だって嫌だよ。だけどさ、やりたくなくてもやっちまうのが失敗なんだよ。長い人生いろんな事がある。だから、若いうちにいろんな事を出来るだけ経験して、人生の経験値を上げておくんだよ」

「人生の経験値?」

「そう、それが多ければ多いほど、何かあった時の対応が容易くなる。ほら、一度経験した事は、二度目にやると最初よりも簡単に感じるだろう? それが経験を積むって事だ」

「失敗から学ぶって事?」

「おお、それも勿論あるな。前回失敗したら、次にやる時は少なくとも失敗する方法は経験済みな訳だから、それ以外の方法を考えれば良い。人は誰だって、当たり前にそんな風にして生きているんだぞ」



 その言葉は、以前マイリーからきつい言葉を言われて落ち込んでいた時に、ラスティから教えられた事と同じだった。



「分かりました。ありがとうカウリ。自信は全然無いけど、独唱も頑張ってみる」

 顔を上げて笑うレイを見て、カウリはニンマリと笑った。

「だそうですよ。それじゃあ独唱部分を歌ってもらいましょうかね。誰か観客がいた方が……」

「待って! どうしてそんな話になるの!」

 悲鳴を上げるレイを見て、カウリはもう一度満足そうに笑った。

「だからさ、早速経験してみようぜ。あ、第二部隊の奴らで良いな。手の空いてるのを集めて来ます」

 平然とそう言って立ち上がったカウリは、ラルフ先生に一礼して本当に部屋を出て行ってしまった。

「ええ、ちょっと待ってよ。絶対無理だって」

「それなら、合唱役の人も呼びましょう。ちょっと精霊通信室に行って来ます」

「えっと、それならここで呼びますよ。誰を呼んだら良いですか?」

 素直なレイは、別の階にある精霊通信室まで行く手間を考えて、当たり前の様にそう言った。

「よろしいのですか?」

 目の前にブルーのシルフが現れて、ラルフ先生を見る。

「では、城の楽団員専用の部屋にいるフォグとカントルを呼んでください」

 ブルーのシルフの横に、ブルーが呼んだ普通の精霊通信をする為の何人ものシルフが現れて並んだ。



 準備が出来たと聞き隣の教室に入った時、レイは悲鳴を上げそうになって咄嗟に口を押さえた。

 その広い会議室には、ヴィゴと若竜三人組を始め、顔見知りの竜騎士隊付きの第二部隊の兵士達が部屋の半分近くを埋め尽くす勢いで、大勢が並べられた椅子に座っていたのだ。真ん中辺りにマークとキムの顔も見える。

「あくまで練習なんだから、失敗しても気にするな。ほら、挨拶しろよな」

 尻込みするレイの背中を叩いて、カウリは平然と前に出て行く。

 扉のところに置いていかれたレイも、一つ深呼吸をしてカウリの後に続いた。

「お忙しい中をお集まりいただき有難うございます。説明させていただきました通り、人前で歌う練習です。なにぶん初めての事ですので、お聞き苦しければどうかお許し下さい」

 そう言って頭を下げるカウリを見て、レイも慌てて頭を下げた。

 窓を背にして、軍服とはまた違う、少しゆったりとした服を着た人が手に楽譜を持って五人並んでいる。

 その横には、大小の竪琴を持った人が二人と横笛を持った人が二人、そして、中が空洞になった細長い胴体に張った弦を弓で弾く、ヴィオラと呼ばれる弦楽器を持った人が三人並んで座っていた。

 その服はラルフ先生の着ている服と同じだ。

「彼らは演奏と合唱部分を担当してくれる人達です。いつも練習している通りだから、自分の歌う部分は分かるね?」

 ラルフ先生にそう言われて、レイはちょっと泣きそうになりつつも頷いた。



 歌うのは、精霊王を讃える歌と、同じく精霊王へ捧げる祈りの聖歌だ。



 まずは、一曲目の精霊王を讃える歌だ。

 ラルフ先生の指揮で、弦楽器の三人がゆっくりと伴奏を奏で始めた。

 そこに竪琴と笛の音が加わり、合唱担当の五人が口を開く。

 レイとカウリは、正面に並んで少し足を開いて立ったまま、顔を上げて五人と一緒にまずは合唱部分を歌い始めた。とは言え僅か七人での合唱だ。


 レイは、声変わりしてもやや高いままの自分の声が聞こえて、真っ赤になった。

 もっと、カウリみたいな低い格好の良い声だったら良かったのに。

 子供のような自分の声が、不意に恥ずかしくなった。

 一番の独唱部分はカウリの担当だ。

 二人が歌うのをやめ、合唱隊の五人の声も止む。

 間奏部分が奏でられてカウリがゆっくりと口を開く。

 カウリの、独特の低い声で歌われるその歌声は、朗々と広い会議室に見事に響き渡った。

 部屋にいる皆が、感心したように聞き惚れているのが分かった。



 ああ、自分も向こう側で座ってこの声を聞きたい。



 内心で本気でそう思っていたが、また合唱部分になり、慌てて歌い始める。

 間奏部分を聴きながら、レイは自分の心臓の音が耳元で聞こえるのを感じていた。

 ラルフ先生の指揮棒を見ながらゆっくりと口を開いて独唱部分を歌い始める。

 出だしはちょっと声が裏返ってしまった気がするが、しかし、皆真剣な顔で聞いてくれている。

 気にせずそのまま歌い続け、なんとか無事に歌い終える事が出来た。



 もう一度合唱があり、最後の演奏が終わって音が消えた途端、一斉に拍手が沸き起こった。

「素晴らしかったよ!」

「これが初めてだなんて信じられない!」

 口々に二人を褒めてくれる声が聞こえて、カウリとレイは、真っ赤になって頭を下げたのだった。



「それでは二曲目に移らせていただきます」

 ラルフ先生の言葉に、部屋が静まり返る。



 二曲目は精霊王に捧げる祈りの聖歌だ。



 今度の独唱部分は、レイが一番を担当する。

 最初は全員揃っての合唱からの始まりだ。

 ラルフ先生の指揮に合わせて歌い出したつもりだったが、ちょっとレイだけ早かったらしく、妙な高い声が一瞬部屋に響いた。

 それを聞いた何人かが目を見開いて咄嗟に口元を抑えた。



 その瞬間にレイの心臓の音が一気に速くなるのが分かった。足が震える。

 だけど、この後の一番の独唱部分はレイの担当なのだ。

 もう泣きそうになったその時、さっきカウリに言われた言葉が不意に頭に浮かんだ。



 失敗するなら今のうちなんだよ。



 そうだ。今ここにいるのは、顔も知らないお城の貴族の人達じゃない。

 今ここにいるのは、身内である仲間なんだ。

 以前、朝練で大泣きしたレイを見ても、誰も笑わなかった。皆彼の気がすむまで泣かせてくれたじゃないか。

 例え失敗しても笑われたとしても、それは彼を貶める笑いじゃない。ああ、失敗しちゃったよ。仕方がないなあ。失敗を笑って許してくれる、言ってみればそんな笑いなのだ。

 不意にその事に気付いたレイは、心が軽くなった。そうしたら、なんだか今の状況が楽しくなって来た。



 今度の独唱部分の歌い出しは、ちゃんと歌い出す事が出来た。



 正しき道を進む者、迷う事なく進み行け

 光あれ、精霊王の御守まもりをここに

 苦難の道を進む者、折れる事無く進み行け

 讃えあれ、精霊王の御守りをここに



 この歌の中で、何度も何度も繰り返して歌われるこの部分の歌詞が、レイは勇気をもらえるような気がして大好きだった。

 独唱部分の後半にもこの歌詞が出てくる。


 遠いエケドラの地にいる二人に、まだ傷も癒えていないであろう二人に届けとばかりに、力一杯歌い上げる。

 子供のような甲高い声も、もう気にならなかった。

 合唱と間奏部分の後カウリが二番の独唱部分を歌い始める。

 やっぱりカウリの方が、自分よりも上手いと思う。だけどもうそれも気にならなかった。

 最後の合唱部分を歌い終え、演奏が終わった瞬間、先程よりもさらに大きな拍手がまた沸き起こった。

「ありがとうございました!」

 大きな声でお礼を言って、二人揃って頭を下げた。


 拍手はいつまでも続き、皆に請われて、もう一曲披露する事になった。

 しかし、今度の女神オフィーリアに捧げる歌は、まだ練習中だった為に、カウリは独唱部分の歌詞を間違えて止まってしまったし、レイも歌詞を間違えた上に低音部分の音程を思い切り外してしまい、散々な結果になった。

 皆拍手はしてくれたが、少々苦笑いの最後になったのだった。



 だが、この経験はレイに、失敗しても大丈夫なのだと実感させる事になり、結果として彼に大きな自信を付けさせる事に繋がったのだった。

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