カウリの恋人

 結局その日は、レイとクラウディアの二人は殆ど勉強は出来ず、時間切れで戻って来たマーク達と一緒に揃って食堂へ向かった。

「もうやだ……皆して……」

 クラウディアは、まだ少し赤い顔でさっきからパンをちぎりながら、ずっとそればかりを言い続けている。



 すぐ隣で食べていると、何人かの女性達がクラウディアやニーカに話し掛けて、お祝いを言っているのが聞こえてきた。

「ここは女性の生徒は少ないでしょう。だから女性同士は皆仲が良いわよ。彼女達は図書室で会った時によく話す人達よ。ええと、金髪のお二人は地方貴族の娘さんだって聞いたわ。お父上がお城に務める事務官なんだって言ってたわ。黒茶の髪の子は、農家出身で、オルダムに花嫁修行を兼ねて奉公に来ていて、突然精霊が見えるようになったんだって。それで、卒業後もその商会で働く事を条件にここに通わせてもらってるんだって。自立した女になるんだって笑ってたわ」

 向かいに座ったニーカが、こっそり教えてくれた。

「そうなんだ。確かに女性は少ないもんね。良かったね。神殿以外で仲の良い同性の友達が出来て」

 レイの言葉に、ニーカも嬉しそうに笑って、彼女達の話の輪に入っていった。



 嬉しそうに女性同士で仲良く話をしているのを見て、レイは、やっぱり彼女が一番可愛いな。などと密かに考えていた。

「お前、今彼女が一番可愛いとかって思ってるだろう」

 不意に耳元で囁かれて、レイは文字通り飛び上がった。

「にゃ、にゃにを言ってるんれふか!」

 慌てるあまり、盛大に舌を噛んだ。

「待て、今のは何語だ? 俺に分かる言葉で話してくれよな」

 振り返ると、満面の笑みのカウリが立っている。

「えっと、ええっと。仲が良くて良いなって思ってただけです!」

 必死になってそう叫ぶと、一斉に女性達が彼を振り返った。

「あ、あの……」

 女性達に注目されてしまい困ったレイは、口をパクパクさせて必死になって何か言おうとしたが、何を言ったら良いのか全く分からない。

 途端に、それを見ていた彼女達は揃って笑い出した。男性とは違う、軽やかな鈴が転がるような笑い声が食堂に響く。

「ほら、ディア。彼氏が置いていかれて拗ねてるわよ」

「やだ可愛い」

「赤くなったわ!」

 焦るレイを見て、さらに彼女達が笑う。

「お嬢様方、その辺にしておいてやってください。こいつはまだ女性の扱いについては初心者なものでね」

 カウリのからかうような言葉に、また、彼女達が笑う。

「あら、じゃあ貴方がお相手してくださる?」

 笑った一番年長と思われる二十代の女性が、そう言って右手を彼に差し出した。

 通常、このような場合は当然その手を取って挨拶をするのだが、彼は笑って首を振った。

「ええ、それはちょっと無理だなあ。だって、俺、心に決めた彼女いるし」



 その瞬間、食堂が静かにどよめいた。



 しかしカウリは平然としている。そんな話は初耳のレイは目を見開いたが、彼女達はそれを聞いても当然のように笑って肩を竦めた。

「あら、残念。出遅れちゃったみたいね」

「空きが出来たらいつでも声を掛けてね」

「それじゃあディア、またね」

「さっき言ってた参考書、今度持ってくるわね」

「ありがとうございます。それじゃあ」

 立ち上がったクラウディアに、三人は笑って背中を叩いてから手を振って食堂を出て行った。



「ええと、カウリ。今の話って……」

 無言で口元に指を立てられ、レイは残念に思いながらも口を噤んだ。

 後で、本部へ戻ったらヴィゴに聞いてみようと密かに考えていた。きっとヴィゴは、彼のお相手が誰なのか知っているだろう。




 午後からは、カウリと一緒に基礎医学と薬学の授業だ。

 ルークのくれたノートのおかげで暗記が楽になった話を二人から聞き、教授はルークのノートを開いて読みながら、ひたすら感心していた。

「これは素晴らしいですね。ルーク様のノートの話は、医学部の教授の間では伝説になっていましたが、実物を拝見出来て納得しました。確かにこれは素晴らしいですね。この方法だと、意味は解らなくてもとにかく丸覚えしてしまえる。必要な単語を一通り覚えてしまえば、言葉の意味を含めて詳しい内容は、この後の授業に出てきますからね」

 その言葉に、レイとカウリは笑って顔を見合わせた。

「それでは、早速次のページに進みます」

 にこやかな教授のその言葉に、二人は、揃って無言で天井を見上げたのだった。




 その日、本部へ戻ったレイは、着替えもそこそこに休憩室にいたヴィゴに駆け寄った。

 マイリーと二人で、書類と陣取り盤の両方を散らかすという器用な事をしていたヴィゴは、駆け寄ってきたレイに気付いて顔を上げた。

「おう、おかえり。早かったんだな」

「はい、ただいま戻りました。あのねあのね、ちょっと聞いても良いですか?」

 目を輝かせるレイに、向かいに座って書類を見ていたマイリーも顔を上げた。

「おかえり、どうしたそんなに慌てて」

 笑顔である事を見ると何か問題があった訳では無さそうだが、レイの様子に二人は持っていた書類を置いた。

「はい、ただいま戻りました。えっと、ちょっとお聞きしますけど、カウリって結婚しているの?」

「はあ? 何の話だ?」

 驚いたヴィゴは、何度か目を瞬いてから首を振った。マイリーも驚いている。

「いや、今は独り身だし、こいつと違って離婚歴も無いぞ。どうした? そんな話が何故出てくるんだ?」

 その言葉に、マイリーが無言で机の下でヴィゴの足を蹴った。



「こら、お前はヴィゴに何を言ってるんだよ」

 その時背後から聞こえたカウリの声に、レイは振り返って舌を出した。

「だって、僕ばっかりからかわれて悔しいもん!」

「子供か、お前は! あ、そうか、すまんすまん。まだ子供だったな」

 笑って頭を撫でられたが、レイは誤魔化されなかった。振り返ってヴィゴとマイリーに、今日の食堂での一連の出来事を話した。

「今日ね、食堂でディーディーの友達の女性達に話しかけられたの。ちょっとからかわれて困ってたら、カウリが助けてくれたの。そうしたら冗談だと思うんだけど、その女性に、じゃあ貴方がお相手してくださる?ってカウリが言われたんだよ。そうしたら、その時にカウリはこう言ったんだよ『ええ、それはちょっと無理だなあ。だって、俺、心に決めた彼女いるし』って!」

 その言葉にマイリーが口笛を吹き、ヴィゴも驚いてカウリを見る。

「どういう事だ?」

「あはは、ええと……」

 困ったように頭を掻いた彼は、横目でレイを見た。

「まあ、今はとにかく竜騎士になる事だけを考えろって言われまして、一段落したら話そうと思っていたんですけれどね」

「つまり、その食堂で話した事は、その場を誤魔化すための方便では無く事実だと?」

「あ、はい……」

 誤魔化すように小さく頷く彼を見て、ヴィゴの片眉が上がる。



「この馬鹿者が! そう言う事は、真っ先に言え!」



 ちょうどその時休憩室に入って来た若竜三人組が、ヴィゴの大声に全員揃って反射的に直立する。その後ろでは、書類を持ったルークも同じく直立していた。

 そして、目の前で一喝された見習い二人も揃って直立していた。



「聞こう。どこの誰だ?」

 沈黙が落ちる。

「カウリ?」

 ヴィゴのものとは思えない程の低い声が聞こえた。

「その前に一つ質問です。問題になりますか?」

「なるかどうかは相手によるな」

 真顔のカウリに、同じく真顔のマイリーが答える。

「彼女は今は待つと、そして将来については俺の判断に従うと言ってくれました。だけど、俺は彼女の手を離す気はありません」

「だから、どこの誰だと聞いている。言え。話はそれからだ」



 突然、目の前で始まった本気の喧嘩腰の三人の話し合いに、直立したままのレイは真っ青になっていた。

 自分の軽口のせいで、カウリの彼女に何かあったらどうしたら良いんだろう。

 何か言わなければいけないと思うが、互いに睨み合うようにしている三人は、既にレイの事は全く眼中になく、取りつく島もない。



「ちょっと、お前ら……何をやったんだよ」

 尋常では無い様子にルークが慌てたようにそう言ったが、ヴィゴとマイリーは全く無視して答えようとしない。カウリも無反応だ。

 黙って状況を見たルークは、レイは無関係そうだと判断して、無言でレイの腕を取ってそのまま後ろに下がらせた。

「俺たちは第二休憩所にいます」

 ルークがそう言って、若竜三人組に目で合図をしてレイを引きずったまま休憩室を後にした。



「で、一体何があったんだ?」

 隣にある第二休憩所と呼ばれる少し小さな部屋に入ったルークは、腕を取ったままレイに真顔で尋ねた。

 背後では、立ったままの若竜三人組も真剣な表情でこっちを見ている。

「だって、まさかあんな大ごとになるなんて思わなかったから……」

 泣きそうなレイに、ルークは大きなため息を吐いてとにかく全員を座らせた。

 ルークの無言の圧力に、レイは先ほどヴィゴに話したのと同じ事をルーク達にも話した。



「ええ、カウリに将来を誓い合った彼女がいるのか?」

「それは、ヴィゴ達が知らなかったとしたら……そりゃあ、ああなるか」

「確かにそうだよね。せめて報告はしてくれないと」

 若竜三人組の言葉に、レイはまた真っ青になった。

「しかし、ここへ来た時に言わなかったカウリもカウリだな。ってか、そもそも誰なんだ。その相手って」

 また全員に揃って見つめられて、レイは必死になって首を振った。

「誰かは知りません!」



 沈黙が落ちる。



「つまり、知られたら反対される可能性があるって事か?」

 言いにくそうなロベリオの言葉に、ルークも顔をしかめながら頷いた。

「その可能性は高いな。しかし彼の性格を考えると外に女性を囲うとは思えないけどな」

「だとしたら……誰だ?」

 困ったように顔を見合わせていると、ルークの目の前にシルフが現れた。

『マイリーだ』

『全く人騒がせにもほどがあるな』

『詳しく話すのでとにかく戻って来い』

「了解、すぐに行きます」

 苦笑いして立ち上がり、真っ青なままのレイを確保して、揃って隣の部屋に戻って行った。



「まあ座ってくれ」

 入ってきた彼らを振り返ったヴィゴは、いつものヴィゴだ。先程とは別人のようなその落ち着いた様子に、レイは密かに安堵のため息を吐いた。

「それで、詳しい話を聞きましょう」

 座りながらルークがそう言い、レイも慌てて隣のいつもの席に座った。

 全員座ったのを見て、カウリが口を開いた。

「お騒がせして申し訳ありませんでした。ちょっと、その……警戒するあまり先走りすぎました」

 深々と頭を下げてから顔を上げた彼は、困ったようにレイを見た。

「レイルズ。お前は知ってる人だぞ」

 その言葉に、レイは目を見開いた。

「ええ。僕の知ってる女性で、カウリも知ってる人?」

 頷く彼に、必死になって考えるが思いつかない。

「えっと……あ! もしかして、ニーカ?」

 その言葉に、カウリだけでなく、部屋にいた全員が揃って吹き出した。

「お前なあ、幾ら何でもそれは無い。ニーカは今幾つだと思ってるんだよ。余裕で俺は父親世代だぞ」

 自分で言って凹む彼を見て、ルークはまたしても吹き出している。

「ええ、じゃあ誰?」


 その直後に不意に思い付いたその人物は、確かにカウリとお似合いに思えた。

「ねえ、もしかして……チェルシー上等兵?」

「正解だ」

 ヴィゴの言葉に、レイは満面の笑みになった。

「うわあ、知らなかった。でもお似合いだと思うよ!」

「どんな人?」

 目を輝かせるルーク達に、レイは口を開きかけて慌てて噤んだ。そして、こっちを見ているカウリを振り返った。

「えっと、言ってもいい?」

 しかし、カウリが何か言うよりも早く、ヴィゴが口を開いた。

「待て、その前にまずは詳しい話をする。彼のお相手というのがそのチェルシー上等兵で、彼が竜騎士にならなければ、今頃は結婚していた筈だったそうだぞ。しかし、それについて直属の上司はおろか、彼の同僚や部下達にもまだ一切知らせていなくて、当然二人が付き合っている事も誰にも気付かれていないらしい。どう思う?」

 呆れたようなヴィゴの言葉に、カウリは困ったように顔を上げた。

「だって、まさかこんな事になるなんて思ってもみませんでしたから。あの後、こっちの部屋に戻ってきてから、彼女を精霊通信の部屋まで呼んでとにかく詳しい話をしたんです。俺は今すぐにでも報告するべきだって何度も言ったんですが、彼女は、今はとにかくここで竜騎士としての訓練と勉強を最優先しろ、と言うばかりでして。で、結局、俺が落ち着いたら改めて話をしようと言われました」

「その後、彼女とは?」

「もちろん、毎晩みたいにシルフに頼んで話をしていますよ。だけど、あんまり毎晩毎晩精霊通信を使っていると、それはそれで目立つんでね……そろそろ俺の方が、寂しくて我慢出来なくなってきていたところだったんです」



 肩を竦めて平然とそう言う彼に、何となく全員揃って遠い目になった。



「な、本気で怒ったのが馬鹿らしくなるだろう?」

 マイリーの言葉に、全員揃って何度も頷く。

「ですね。全く! 本気で心配した俺の気持ちを返せ!」

 ルークがそう叫んで、いきなりカウリの背後から首元を締めて確保した。

「あ、いきなりそれは反則だぞ」

 叫んだカウリは、驚いた事に軽く身体をくねらせただけで、ルークの腕から逃れてみせたのだ。

 一瞬、呆気に取られたルークが空になった腕を見て、床に転がって逃げるカウリを見た。



「捕まえろ!」



 ルークの声に、レイが大声をあげて飛び掛かり、そのまま一緒に床に転がる。

 さらにレイの腕から逃れて転がって逃げるカウリを、ロベリオとユージンが笑いながら両手を広げて飛び掛かり、休憩室は大騒ぎになった。

 必死になって逃げ続けたカウリも、最後にはヴィゴまで参戦して確保され、床に転がったまま全員から擽られてしまい、真っ赤になって悲鳴を上げたのだった。

 レイも、この時とばかりにカウリの襟足をくすぐってやり、上がった悲鳴に大笑いをした。



 無邪気に戯れる彼らを、呆れたように窓辺に座ったブルーのシルフとニコスのシルフ達が並んで眺めていたのだった。

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