クラウディアの誓い

 その日、授業が終わって本部へ帰ったレイは、彼女達の試験の結果が気になってどうにも落ち着かない時間を過ごしていた。




 夕食までまだ時間があるので、レイはラスティに断ってブルーに会いに離宮を訪れていた。

 広い庭に座ったブルーにもたれて、レイはすっかり暗くなった空を眺めながらぼんやりとしていた。

「ねえ、試験の結果ってすぐに分かるものなの?」

「如何であろうな? 今日、最後の面接だったのだろう?」

 素知らぬ風のブルーの顔に、レイは腹筋だけで起き上がってそっと抱きついた。

「絶対、ブルーは試験の結果がどうなったか知ってるんでしょう?」

 口を尖らせてそんな事を言う彼を見て、ブルーは思わず笑ってしまった。

「ほら! 絶対知ってるんだ。ねえ、教えてよ。どうだったの?」

「それは駄目だ。彼女達が、自分の口でお前に報告すると言うから、何も言わないと彼女達と約束をしたんだ」

「ええ、明日まで聞けないなんて!」

 そう叫ぶと、レイは笑ってブルーの頭に力一杯抱きついた。

「まあ楽しみにしていろ」

 楽しそうに喉を鳴らしたブルーは、護衛の者達がそろそろお戻りくださいと声を掛けるまで、ずっと一緒に過ごしたのだった。



「それじゃあまたね」

 泉へ戻るブルーを見送り、レイも本部へ戻った。

 そのまま、ルーク達と一緒に夕食を食べ、食事の後は、ブルーのシルフとニコスのシルフに教えてもらって明日の天文学の予習をして過ごした。

「こんな複雑な事、誰が考えたんだろうね」

 天球儀をそっと動かしながら、レイは呆れたようなため息をもらした。

「星の運行、季節の区切りと暦、動かない星北極星……そして、星のかけら……」

 何故かは分からないが、この言葉を聞くと、何かを思い出しそうになるのだ。

「何だろう? 分かんないや」

 レイのペンダントから呼びもしないのに出てきた光の精霊達が、彼のふわふわで真っ赤な髪に座って、愛おしそうにその頭を何度も何度も撫でているのに、レイは気が付かなかった。




 翌日、いつものようにシルフ達に起こされたレイは、朝練に参加してヴィゴに木剣で叩きのめされはしたものの、元気に戻って朝食を食べた。

 いつもより、少し早めに本部を出て、訓練所へ向かう。

「そう言えば、ニーカとクラウディアの試験って、そろそろ終わるんじゃないのか?」

 途中にカウリに聞かれて、レイは頷いた。

「昨日が最終日だったんだよ。今日、結果を聞かせてもらうのが楽しみなんだ」

「何だよ、シルフを飛ばせばすぐに聞けたのに」

 呆れたようにそう言われて、レイは舌を出した。

「せっかくだから、顔を見て聞きたいよ。そうしたら、手を取ってお祝いを言えるでしょう?」

「手を取るだけか? そこはお前、キスの一つもだな……」

 いきなり叫んで走り出したレイに、慌てて一緒に走り出したのは、彼の護衛役のキルートだけだった。

 置いていかれた残りの者達は、呆然とその後ろ姿を見送り、ほとんど同時に吹き出した。

「こら、いきなり走らせるんじゃねえよ。危ないだろうが!」

 後を追いかけながら笑って掛けられたその声に、振り返ったレイは、鞍上でもう一度大きく舌を出したのだった。



 門の所でカウリと別れて、レイはいつものように一人で図書館へ向かった。

「おはよう。今日は早いんだな」

「おお本当だ。おはよう。そりゃあ、早く結果が聞きたいからだよな」

 丁度、自分の本を選んでいたマークとキムに声を掛けられて、レイは鞄を足元に置いて自分の本を選び始めた。

「おはよう。だって、それは早く知りたいよ」

「彼女にシルフを寄越せば、どうなったのか話を聞けたのに」

「だって、会って直接聞きたいよ」

 マークの言葉に振り返ったレイが応えると、三日月みたいな目になったキムが、レイの脇腹を突っついた。

「そりゃあ、結果次第では手を握ってそっとキスをだな……」

 次の瞬間、レイは真っ赤になってしゃがみ込み、キムはマークに思いっきり首を確保して決められ、無言で悶絶したのだった。



「全く、本気で死ぬかと思ったじゃないか」

「馬鹿な事言うお前が悪い!」

「真面目だなあ」

 自習室で子供みたいな事を言い合っている二人を見て、レイも笑いを止められなかった。

「おはようございます。朝から楽しそうね。何があったの?」

「おはようございます。本当だ、ずいぶんと賑やかね」

 話題の主の、クラウディアとニーカが扉をノックして入って来た。

「おはようございます」

 振り返ったレイに、二人は満面の笑みになった。

「二人とも、無事に合格したわ。私は三位の巫女にディアは二位の巫女よ。ほら、ディアにはリボンの襟飾りが付いたのよ。ほら見て、私は制服が変わったわ」

 両手を広げるニーカは、今まで来ていた濃い赤茶色の見習い巫女の制服から、同じく赤茶だが、クラウディアと同じ薄い赤茶色の巫女の服に変わっていた。

 三位の巫女に襟飾りは無い。二位になると、襟元に大きめの輪になった薄紅色のリボンが、ネックレスのように掛けられるのだ。一位になると、このリボンが赤くなる。

 更に上位の巫女になると、服の色が薄い緑になる。そして襟のリボンが上三位は濃い桃色に銀糸の縁取り、上二位は薄紅色に銀糸の縁取り、上一位は赤に銀糸の縁取り、と言う具合にこれも変わっていくのだ。



「素敵な襟飾りだね」

 レイの言葉に、クラウディアは嬉しそうに頷いた。

「襟飾りは憧れだったから嬉しいです」

「よく似合ってるよ」

 笑顔のレイの言葉に、クラウディアは頬を染めた。

「ニーカ、ちょっと数学の本を探しに行こうか」

「そうね。お願い」

「あ、待ってくれよ。俺ももう少し探したい」

 キムの声に、ニーカが笑って頷き、それを聞いたマークも、慌てたように二人の後を追って部屋を出て行ってしまった。

「ええ? どうしたの、皆……?」

 呆気にとられた二人は、思わずほぼ同時に我に返って真っ赤になった。



 今、部屋に二人きりなのだ。



 レイは、無言でそっと彼女の手を取った。

 一瞬、彼女が驚いたように震えたが、握った手を振り払うことはされなかった。

「おめでとう。城の分所に来てくれる日を待ってるからね」

「はい、私も……楽しみです……」



 小さく呟いた彼女は、そっと目を閉じた。



 レイは手を取ったまま屈んで、彼女のその柔らかな唇に、そっと啄ばむようなキスを贈った。

「大好きだよ。ディーディー」

 唇を離して体を起こしたレイは、我慢出来ずにそう言った。その瞬間、彼女の方からいきなり抱き付いてきたのだ。

 レイとクラウディアでは、今では頭一つ分近く身長に差がある。彼女が抱きつけば、それはレイの胸元に飛び込む事になるのだ。



 レイの胸元に顔を埋めたまま、ディーディーは震えていた。



「どうしたの? ねえ、僕何か……」

 彼女が震えている事に気付いたレイは、驚いて、思わず彼女の顔を見ようとして腕を取った。

「違うの、違うの。お願いだから、お願いだから今だけでいいわ。少しの間だけこうしていて。お願いだから……私の顔を見ないで」

 胸元から聞こえる言葉に、レイは小さくため息を吐いて、そっとその細い身体を優しく抱きしめた。

「どうしちゃったんだよ。嫌がられたかと思ってびっくりしちゃった」

 態と軽い口調で言ってやると、無言で首を振っている。

「ねえ、顔を見せてよ」

「駄目です。お願いだから見ないで」

 彼女は、今や耳や首元まで真っ赤になっている。

「でも、そろそろ離れないと、ニーカ達が戻ってくるんじゃない?」

「駄目。駄目なの」

 実は、扉の向こうでは戻ってきた三人が、さっきから入るに入れず困っているのがレイには見えているのだ。

「ねえ、ディーディー、どうしちゃったんだよ」

 笑ったレイの声に、それでもクラウディアは顔を上げられなかった。




 昨夜の面接で、神殿の上層部の方々からこれは叶わぬ恋なのだと思い知らされ、一晩眠れずに悩み続けた。どれだけ考えても、自分が身を引く以外に考えつかなかった。

 だから、彼と少しづつ距離を置こうと思っていたのに、キス一つで世界中が虹色に見えるくらいに幸せになってしまったのだ。



 彼を嫌う事なんて出来ない。

 ましてや、自分から離れる事なんて絶対に無理だ。

 それを、クラウディアは、キス一つで思い知らされてしまったのだ。



 目を閉じたクラウディアは小さく呟いた。

「精霊王よ、そして女神オフィーリアよ。私はこの恋を、生涯一度の恋と決めました。叶わぬならばそれで良い。私が彼を嫌う事は一生ありません。どのような結果になろうとも、我が生涯をかけて、彼を、彼一人をお慕い申し上げます……」


「え? なんて言ったの?」

 ごく小さな声で紡がれたその誓いは、レイの耳には届かず、彼女は密かに安堵の息を吐いた。



 それで良い。今の誓いは、あくまで自分のものだ。

「何でもない。ねえ、まだ私の顔……赤いんじゃなくて?」

 ようやく笑って顔を上げられた。



 いつも通りに自分は笑えていただろうか。



「大丈夫だよ。ディーディーはいつでも可愛い」

 しかし、そんな彼女の心配をよそに、笑ったレイに今度は額にキスをされてしまい、再び彼女は耳まで真っ赤になったのだった。



「図書館の机で勉強するか」

「そうね。じゃあ例題集を解くから、解らない所を教えてくれる」

「ああ良いぞ。行こうか」

「じゃあ、俺はこの本を読むとしよう」

 三人は、顔を見合わせて笑い合うと、持っていた本を抱えなおして図書館へ戻って行ったのだった。



 部屋の中では、再び真っ赤になってしゃがみ込んでしまったディーディーを、レイが何とかしてなだめようと必死になって話しかけていたのだった。

 そして、机の上では、何人ものシルフ達が、大喜びでそんな二人を飽きもせずに眺めていたのだった。

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