戻ってきた日常と巫女の試験の事

 その夜、夕食の後カウリと別れて部屋に戻ってからも、レイは少しぼんやりしていた。

 湯を使い寝巻きに着替え、早々にラスティとおやすみの挨拶をして部屋の明かりを消してもらった。



 しかし、レイはベッドに転がったまま、ずっと黙って天井を見上げている。



『どうした、眠れないのか? 大丈夫か?』

 枕元に現れたブルーのシルフが、心配そうにレイを覗き込んだ。

「うん、大丈夫だよ。ねえ、次は何の悪戯をするのがいいと思う?」

 横に転がって笑いながらそう言うレイに、ブルーのシルフは堪える間も無く吹き出した。

『真剣に何を考えているかと思えばそういう事か。ふむ、どれがいいかな』

「次は何をしようかな?」

 枕に抱きつくレイに、ブルーのシルフは真剣な顔で口を開いた。

『レイ、いい事を教えてやろう』

「何? 次に何をするのが良い?」

 枕を抱えたままこっちを向いたレイに、ブルーのシルフは内緒話をするように、耳に口を寄せた。

『効果的な悪戯とは、引く事も肝心なのだぞ』

「引く事? それってどういう意味?」

『つまり、こういう事だ。あれだけ続けて悪戯をしたであろう。そうなると明日辺り、また何かするだろうと考えるから、其方の従卒であるあの男もカルサイトの主も当然警戒するだろうな』

「まあ、そうだろうね」

『そこで、引く、訳だ。いつものように良い子でいればいい。そうしたら、彼らは一度で満足したと思い油断するだろうな』

「ああ! 分かった! つまり明日じゃなくて、もう少し間を開けてやればいいんだね」

『そうだ。分かったか?』

「分かりました。じゃあ明日は良い子の日にします」

 満面の笑みのレイに、ブルーのシルフも満足気に頷いた。

「おやすみ、ブルー」

『ああ、おやすみ』

 笑顔で挨拶して、毛布を被るレイに、ブルーのシルフはそっとキスを贈った。




 翌朝、起こしに来たレイの部屋の前で、ラスティは小さく深呼吸をした。それからそっと扉をノックする。

「レイルズ様、そろそろ朝練に行かれるのなら起きてください」

「はあい、起きます……」

 寝ぼけた返事が聞こえて、ラスティは小さく笑った。

 あれは絶対に態と眠そうな声を出している。

「さて、昨日は何も有りませんでしたからね。今日は何をしてくれるんでしょうか?」

 そう呟いて扉を開けて部屋に入った。

 しかし、ベッドでは大きな欠伸をしているレイがいるだけで、棒も布も飛んで来ず、部屋はいつもの通りだった。

 どうやら一度の悪戯で、もう満足したらしい。

 手早く白服に着替えるレイの背中のシワを伸ばしてやりながら、少し拍子抜けするラスティだった。



 朝練には若竜三人組だけでなく、ヴィゴも来てくれて、レイは大喜びで相手をしてもらった。

 相変わらず手加減されているのは分かるが、それでも正面から相手をしてもらえる事が嬉しくて、レイは何度も何度も必死になって打ち込んだのだった。




 皆で一緒に食事をした後は、いつものように訓練所へ向かった。

 今日は一番苦手な基礎医学の授業がある日だ。ゼクスの背の上で、その事を思い出したら憂鬱になって小さくため息を吐いた。

「どうした? いつも元気なレイルズがため息なんか吐いてるぞ」

 からかうようなカウリの声に、レイは振り返ってもう一度ため息を吐いた。

「カウリも受けてる基礎医学の事を考えたらため息だって出るよ。僕、もう本当に泣きそうだよ。どうしてあんなに沢山専門用語があるの? あれって、わざと解りにくくしてあるとしか思えないよ」

「まあ、その意見には心の底から同意するな。だけどさ、それもあの上位魔法陣の授業と一緒で、それを正しく使いこなせない人をふるい落すって意味があるんだと思うぞ」

「僕は別にお医者さんになりたい訳じゃ無いです!」

 空を見上げてレイは思いっきり叫んだ。

 背後では、二人の話を聞いている護衛の者達が揃って苦笑いしている。

「確かに、士官には必須科目だって言われたけど、はっきり言ってそれなら実習だけで良いよな、応急処置とかさ」

「本当にそうだよね。まあ薬学は、ちょっとは日常にも役立つ事もあるから、まだ覚える気もするけどね」

「そうだな。栄養学とか日常で使う薬の知識とかは、まだ知ってて損は無いって思えるよな」

「僕は、薬学はタキスに色々教えてもらってたからまだ楽なんだけどね」

「良いな、俺はどっちかっていうと薬学で苦労してるよ」

「どっちにしても、覚える事だらけだよね」

「本当にな。もう、やってられるかってな」

「でも頑張って覚えてね」

 レイの言葉に、カウリは笑って肩を竦めた。





 それから数日後、国境から殿下とマイリーとルークが戻り、ようやくいつもの日常が戻って来た。

 新しい王様になったタガルノが、これから先どうなるのかはレイには分からないが、出来れば平和な日常が長く続く事を心の底から祈った。



 そして残念な事に、レイは何となく次の悪戯をする時期を完全にはかり損ねてしまい、すっかり良い子に戻ってしまっていた。

 だが、樹上の読書と昼寝はとても快適で気に入ったので、時間があればこっそり抜け出して木の上で過ごした。

 唯一これだけが、主人が勝手にいなくなるという、ある意味ラスティにとっては、一番心臓に悪い習慣になって残ったのだった。





 十の月に入ると、朝晩には少し冷え込むようになり、また新しくなった竜騎士見習いの服も、よく見ると生地が少し分厚くなっていた。



「そういえば、秋にあるって言ってた巫女の進級試験って、いつあるの?」

 その日、訓練所で朝からいつものように揃って自習した後、一緒に食堂で食事をしていた時に、レイはふと思い出して隣で食べているディーディーとニーカに尋ねた。

 しかし、その言葉を聞いた途端に、二人は揃って食べていた手を止めて両手で顔を覆った。

「ええ? ごめんね。僕、何か、聞いちゃいけない事を聞いた?」

「いえ、違うんです。もう、試験の事を考えただけで頭痛がしてきて……」

「私も駄目。お腹が痛くなってきたわ」

 机に突っ伏したニーカの言葉に、マークとキムも、顔を覆った。

「うわあ、試験前って確かにそうなるよな」

「分かる、特に進級試験って、感じる圧が普通じゃ無さそう」

「えっと、僕には何も出来ないけど応援してるよ! 頑張ってね」

 慌てたレイの言葉に二人は揃って吹き出した。

「ありがとう、レイ。ええ、もちろん毎晩必死になって勉強してるわ」

「私も、同室の子達と一緒に、許可をもらって夜もランプをつけて勉強してるの」

「目を悪くしないようにね」

 顔を見合わせて笑い合った。



「それで、試験はいつなんだ?」

 マークの質問に、ニーカが持っていた小さな手帳を開く。

 これは、神殿の巫女や見習い巫女達に、経典と一緒に配られているもので、中には巫女としての心得や、一年を通じての日々の務め、月ごとの祭祀の予定や、準備する事、気をつけるべき事などが詳しく書かれているのだ。余白も多く、自分の予定も書き込めるようになっている。

「ここ、試験は十五日から月末までよ。だから本当にもうすぐなの」

 その言葉に、三人は驚いて顔を見合わせた。

 彼らにとっての試験とは、部屋で時間を決めて問題に対する答えを書くものだ、はっきり言って数時間で終わる、長くても一日で終わる。それなのに、十五日から月末までかかると言われて、考えてしまった。

「ええ、そんな長い期間で一体何をするんだ?」

 思わず呟いたマークの言葉は、レイとキムの疑問と全く同じだった。

「なあ、それって具体的には何をするんだ? 難しいお祈りを暗記したりするのか?」

 兵士として、精霊王に祈りもするし、真面目に食前の祈りもするが、それほど熱心な信者という訳ではないマークにしてみれば、そもそも巫女の試験で何をするのかなんて想像もつかなかった。

「お祈りは、見習い期間中に全てそらんじました。二位以上の巫女への試験には、日々の行い、つまり、普段行なっている全ての事が試験の対象になるんです」

 クラウディアの説明に頷いて、ニーカも顔を上げた。

「私は三位の巫女、つまり一番最初の巫女の資格だから、最初の一日は筆記試験がいくつもあるの。今、マークが言った、長いお祈りを全部覚えているかの試験や、巫女としての所作の確認、道具の手入れの仕方なんかよ。もちろん、日々の務めも全て評価の対象になるから気を抜けないの。だから、試験期間中は精霊魔法訓練所は、私達はお休みね。それで、最後の日に、神殿の偉い神官様とお話をするんだって」

「ああ、いわゆる面接だな」

 二人の説明に、キムが納得したように頷いた。

「結果はその場で教えてもらえるんだって。ああ、考えたらまたお腹が痛くなってきたわ」

「もうこの話はやめよう。彼女達の食欲がこれ以上なくなったら困るからな」

 キムの提案に笑って頷いた一同は、それからはお互いの面白かった事などの話をして、食べながら大いに笑って過ごした。




「それじゃあまた明日ね」

 笑顔で手を振る彼女達と別れて、三人は揃ってため息を吐いた。

「進級試験って、僕、もっと簡単なものだと思っていた。半月もずっと試験が続くって……確かに考えただけでもお腹が痛くなるよ」

 レイの言葉に、二人も頷いている。

「確かに凄いな。だけど、巫女や神官って、外の人からは神殿の代表みたいに見られるからな。当然、それにふさわしい振る舞いや所作が求められるわけだよ」

「それなら彼女達は絶対大丈夫だと思うよな」

 キムの説明にマークが笑って断言する。レイも同意するように何度も大きく頷いた。

「まあ、俺達に出来る事は無いからさ。せめて精霊王に彼女達の試験が上手くいくように、毎日お祈りするとしよう」

「そうだね。僕も毎日お祈りするよ」

 キムの言葉に、レイも笑ってお祈りをする振りをした。

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