試験期間と面接

 それから数日、平和な日々が続いた。

 レイは、訓練所へ行った日は皆と一緒に必死になって勉強し、訓練所がお休みの日には本部で勉強をして過ごした。

 まだまだ覚える事が山のようにあり、ルークやマイリー、グラントリーに様々な事を教えてもらっていた。



 そして、いよいよ彼女達の試験が始まった。



 初日は、ニーカに与えられた最初の試練の筆記試験だ。

 クラウディアは、神殿で試験期間中の試験官役の僧侶と共に早朝から神殿での務めが始まっている。

『頑張ってねニーカ』

『応援してるからね』

 スマイリーの寄越してくれたシルフにキスを贈り、ニーカは頷いて大きく深呼吸した。

 今の自分に出来るだけの勉強はした。後はもう、自分を信じるだけだ。

 配られた数枚の問題用紙を受け取り、もう一度深呼吸をする。

「それでは、始めてください」

 部屋の四隅に座った精霊魔法を使える神官達が手を叩くと、部屋に結界が張られてスマイリーのシルフは手を振っていなくなった。

 問題用紙をめくると、まずは問題を真剣に読み始めた。




「今頃、ニーカは試験が始まってる頃かな?」

 自習室で、本を開いたマークが伸びをしながらそう言うので、レイも書いていた手を止めて顔を上げて頷いた。

「ディーディーは夜明けで起きて早朝から神殿に一日篭るんだって言ってたよ。お祈りと、歌。それから舞の試験もあるんだって」

「それが十五日も続くんだろう。何度聞いても凄いと思うよ」

 キムは、感心したようにそう言って首を振る。

 レイとマークも揃って大きなため息を吐いた。

「だけど、俺も来週には単位修得の試験があるぞ。俺の最大の敵は、やっぱり数学だな」

 マークが顔を覆って呻くようにそう言い、レイは慌てて慰めるように背中を叩いた。

「えっと、僕で良かったら教えてあげるよ」

 天文学のお陰で、今までやっていた程度の数学はすっかり楽勝になったレイだ。

「お願いします! これ!」

 マークが開いた頁を見て、レイは笑って頷くとさらさらと問題を解き始めた。

 詳しい解き方を解りやすく説明するレイを、マークだけで無く、隣で自分の研究の本を読んでいたキムまでが、いつの間にか側に来て真剣に聞いていたのだった。



「凄いな。お陰で理解したよ」

 何度も繰り返して説明を聞き、例題を何問か解いたマークは、嬉しそうに笑ってレイの背中を叩いた。

「持つべきは、勉強熱心な友人だな。ありがとう、おかげで助かったよ。また、解らなかったら教えてくれよな」

 手を叩き合って、またそれぞれの勉強を始める。

「マーク、お前の方がここでは先輩の筈なんだけどなあ」

 呆れたようなキムの声に、二人はほぼ同時に吹き出したのだった。

「いや、この際、先輩後輩は関係無いって。レイルズは間違いなく俺より進んでるんだから、教えてもらうのに、何か問題があるか?」

 自分だけでは解らないんだから、少しでも教えてもらえるなら嬉しいとしか考えていないマークだった。

「だって、僕は勉強以外では二人にはお世話になってばかりだもん。何か一つでも役に立てたら嬉しいよ」

 その無邪気なレイの言葉に、二人は無言で感動していたのだった。






 今回、二位の巫女の進級試験を受けるのはクラウディアを含めて三名の巫女だ。

 試験期間中は、それぞれ別々の仕事が割り振られていて一緒に務めを行う事は無い。また彼女達には、常に複数の試験官役の神官や僧侶が側にいる。

 この試験期間中は、休憩時間はごく僅かで、自分の時間は、寝る時間以外はほぼ無いに等しい。


 早朝のお祈りに始まり、祭壇の掃除と蝋燭の交換、香炉の交換と掃除。割り当てられた作業や務めを、クラウディアは黙々とこなしていった。

 普段はお喋りな彼女達も、お務めの間は一切の無駄口をきかない。

 口を開く事が許されているのは、祈りを捧げる時と、聖歌を歌う時だけなのだ。

 衣擦れの音だけが聞こえる神殿で、クラウディアは、鐘が鳴る度に捧げる定刻の祈りの言葉を目を閉じて唱え始めた。




 ようやく午前中の筆記試験が終わり、ニーカは疲れ切って机に突っ伏していた。隣では、同室の年上の見習い巫女も同じように力尽きて突っ伏している。

「ねえ、第六章の祈りの始まりって……」

 彼女の質問に、ニーカは顔を上げないまま答えた。

あまねく一切を照らしめし、慈悲の心と……」

「ああ、やっぱりそれよね。私ったらどうして!」

「何を書いたの?」

 あまりの嘆き様に、ニーカは思わず顔を上げて覗き込んだ。

「正しき道を進み行き、輪廻の輪の中歩む時……」

「ええ? それは、葬送と癒しの祈りだから、第十二章よ」

「そうよね。私って馬鹿よね。何故だかこの祈りが出てきて、それ以外がすっぽり抜けちゃったのよ」

 突っ伏して馬鹿だ馬鹿だと呟く彼女に、ニーカは小さく笑ってから、態とらしく大きなため息を吐いた。

「私の友人が言っていた言葉を貴女に贈るわ。あのね、失敗した時は、何故やってしまったかを嘆くのでは無く、これからどうすべきか考え悩むんだって。失敗から何かを学べば、それは失敗じゃ無いとも言ってたわね」

「……良い言葉ね。有難う。嘆くのは最悪の結果が出てからにするわ。こんな事してる暇があったら、午後からの勉強をするべきね」

「そうね、でもまずは食事に行きましょうよ」

 ニーカの声に、立ち上がった彼女は照れた様に笑った。

「ごめんね、ニーカ、何だか愚痴に付き合わせちゃったわ」

「構わないわ。それで貴女の気が晴れたのなら、少しは私も役に立てたって事でしょう」

「大好き!ニーカ」

 笑った彼女が飛びついて来て、小柄なニーカは転びそうになって慌てて椅子を掴んだ。

「さあ、食事に行きましょうか」

 背後からかけられた神官様の声に、慌てた二人は振り返って返事をしたのだった。


 実は、彼女達は知らないが、こうした普段のちょっとした振る舞いも、評価の対象なのだ。

 試験内容の出来不出来はもちろん評価されるが、それ以外の部分も大きい。

 今の二人のやりとりを見ていた神官と僧侶は、お互いに目を見交わし、小さく頷いたのだった。



 少女達が、自分に出来る精一杯の事をしている間、レイもひたすら勉強と訓練の日々が続いていた。

 それでも訓練所がお休みの日は、基本的にお休みがもらえる。

 毎日、朝と寝る前に、彼女達の為に精霊王と女神オフィーリアに、一生懸命お祈りをするレイだった。




「ほう、今、彼女達は神殿に篭って進級試験の真っ最中か」

 その日はガンディが、午後から見習い二人の為に基礎薬学を教えに本部へ来ていた。

 一段落した休憩時間に、レイは、彼女達の進級試験の話をしていた。

「まあ、普段から真面目に務めておれば、三位や二位の試験程度は簡単じゃよ。余程の失敗をせぬ限り、落とされる事は無いさ。彼女達を信じてやれ」

「もちろん信じてるよ。だけど、やっぱり心配だよ」

「まあ、そうじゃろうな。ならば、気がすむまで心配でもお祈りでもしてやりなさい。結果を待っているだけの者には、出来る事はそれくらいじゃからな」

「ガンディ! 他人事だと思って!」

 レイの叫びに、ガンディは笑っているだけだった。

「懐かしいのう、試験も、今はする側ばかりで、自分で試験を受けたのはいつが最後か思い出せんわい」

「ガンディは、確かに試験をする側だね」

「それを言うなら、俺だって、試験なんていつ以来だよ」

 横でカウリも笑っている。

「僕は、ついこの間試験を受けました!」

「そうだったな、本科の卒業おめでとう!」

 その時に、何があったのか思い出したカウリは、吹き出すのを必死で堪えながらガンディの横へ行った。

「ん? どうした?」

 小声で話される、試験の日の騒動を聞いたガンディも、カウリと同じく満面の笑みで振り返った。

 二人揃って目が倒れた三日月みたいになっている。

「やだもう! その話は無し!」

 気配を察したレイが立ち上がり、部屋中を走り回って二人に追いかけ回されて、笑いながら悲鳴をあげて逃げ回っていた。



「お前らは、何をしてるんだよ」

 ノックも無しに入ってきたのは、書類の束と、何冊ものノートを抱えたルークだった。

「お疲れ様です。それはルークのお仕事の書類?」

 少し古い様に見えてそう尋ねると、ルークは笑って自分が持つノートと書類の山を見た。

「いや、二人が基礎薬学に苦労してるって聞いたからさ、俺の作った昔のノートを持ってきてやったのさ」

 それを聞いたガンディは、先ほどとは違う、本当に嬉しそうな笑みになった。

「レイルズ、カウリ、良かったな。最高の参考書が届いたぞ」

 その言葉に、二人は顔を見合わせて、慌ててルークが持つノートと書類の束を受け取った。

「ノートに番号が振ってあるだろう。こっちは束ごとに同じく番号があるから、ノートの番号と連動してるんだ。まずは一番最初のノートと……これだな」

 1、と表紙に書かれたノートを取り出して机に置いた。

「十年程度なら、教材に大きな変更は無いでしょう。一応目を通してやってください」

「ああ、彼らが勉強するのは、本当の基礎だけだからな。教材もほぼ同じだよ。この上になると、毎年、細かく色々と変更があるんだがな」


 話をしているルークとガンディの横で、見習い二人は出された1番のノートを開いた。

「うわあ、すげえ書き込み」

「何これ、言葉の暗記の方法が書いてあるよ」

「ええ、どうやるんだ?」

 二人の叫ぶ声に、ルークが胸を張った。

「そこに書いてある通りに、数え歌みたいにひたすら歌って覚えるんだよ。音程はここに書いてある。これが雨の歌で、こっちが置いてけぼりの寂しん坊。他にも色々あるけど、どれも有名な子供が歌う程度の童謡だよ。知ってるだろう?」

「凄い! これなら覚えられそうです!」

 満面の笑みのレイが、何度も頷きながら目を輝かせている。

 隣では、カウリも嬉しそうに早速小さな声で呟いていた。

「懐かしいのう。これ、後程書き写させてもらっても良いか。今見ると、本当に良くまとまっておる」

「ええ、もう全部まとめて提供しますので好きに使ってください。俺は貴方から貰った医学書があればそれでいいですよ」

「感謝する。彼らの様に、それまで医学に一切触れた事の無い者達には、専門用語を覚えるだけで挫けるものもいるくらいだからな」

「そうですよね。俺も、本気で逃げ出したくなったもんな」

 早速自分のノートに、覚え歌の歌詞を書き写す二人を見て、ルークは堪え切れずに笑った。




 神殿の彼女達の試験期間は、ようやく最終日を迎えていた。

 夕方までは、同じ様に与えられた務めを果たし、夕方には精霊王の大聖堂での合同の祈りに参加した。

 そして、いよいよ最後の面接の時間になった。

 別室で待たされ、一人ずつ呼ばれるのだ。


 最初に呼ばれたのはニーカだった。

「行ってくるね」

 見習い巫女達だけでなく、同じく進級試験を受けていた他の者達も一斉に顔を上げて頷き、拳を挙げて無言の応援をした。

 一礼したニーカが、隣の部屋へ行くのを、皆無言で見送った。


「失礼します」

 ノックをして、返事を聞いてから部屋に入る。

 部屋には、全部で十人の豪華な肩掛けをした人達が座っていた。半分は女神オフィーリアの上層部の僧侶で、男性は、精霊王の神殿の上層部の神官様だろう。

「座りなさい」

 一番手前の神官に言われて、一礼したニーカはそっと椅子に座った。

 面接については、実はほとんど何も教えられていない。平然としているように見えるが、内心ではどうして良いのか分からず、彼女は大いに焦っていた。


「ニカノール……洗礼名が書かれていないな」

 皆知っているが、今初めて気付いたように言うその神官に、ニーカは小さく頭を下げた。

「申し訳ございません。私は自分の洗礼名を知りません。ここへ来てからシルフに調べてもらいましたが、何故かシルフ達に見えないと言われました。見えたのは、最初の名前であるニカノールだけです」

「ふむ、ごく稀にそのような事があると聞くが、何故見えぬのであろうな。不思議な事もあるものだ」

 中央正面の真ん中にいた大柄な人物が、小さなため息をと共にそう呟く。何故か肩掛けをしていないので身分が分からないが、そこに立っているという事は、高位の神官様なのだろう。

「まあ良い。では仮の名を授けよう。リベルタス、これは古い言葉で自由と言う意味を持つ。どうじゃ?」

 目を輝かせたニーカは、椅子から立ち上がるとその場で跪き、両手を握りしめて深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。大事に、大事に致します」

「では、立ちなさい。ニカノール・リベルタス。おめでとう、三位の巫女への昇格を許可する。精霊王と女神オフィーリアの名に恥じぬよう、一層の務めを果たされるよう願っておるぞ」

「おめでとう。今日から貴方は精霊王と女神オフィーリアに使える三位の巫女となりました。女神の巫女として恥ずかしくない行いをなさい。欲に負けず、常に清廉でありなさい。そして、貴方の伴侶の竜を大切に」

 上位の僧侶からの祝福の言葉に、ニーカは改めて跪き感謝の意を表した。

「あ……ありがとうございます!」

 もう一度深々と頭を下げてから、彼女は立ち上がった。

「ありがとうございました。それでは、失礼します」

 出るように促され、ニーカはもう一度お礼を言って部屋を出た。



 控え室に戻ると彼女と入れ違いに別の見習い巫女が出て行き、ニーカは立ち上がったクラウディアのところへ走って行って彼女にしがみついた。

「おかえりなさい、ねえ、どうだったの?」

「三位の巫女の資格を頂きました!」

 目を輝かせたニーカの言葉に、部屋は拍手に包まれた。

「それにね、凄いのよ。洗礼名が判らない私の為に、仮の洗礼名を授けてくださったの。ニカノール・リベルタス。古い言葉で、自由って意味があるんですって。嬉しいすごく嬉しい!」

「まあ、それは素晴らしいわ。三位の巫女になれば、書類に洗礼名を書かなければならない事もあるから、新たに命名してくださったのね。素敵だわ」

 ニーカの言葉に、周りからは歓声が聞こえた。

 洗礼名の判らない彼女の事は、皆密かに心配していたのだ。正式な署名はどうするんだろう、と。



 大喜びのニーカの周りでは、これも大喜びのシルフ達が、彼女の周りを輪になって手を繋いでクルクルと輪になって踊っていた。

 スマイリーの使いのシルフも、一緒になって嬉しそうに大はしゃぎで飛び回っていたのだった。

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