到着の報告

 一人で白の塔に来ていたクラウディアを、レイは神殿まで送ろうと申し出たが、神官様と馬車で一緒に来ていると聞き安心した。

「それじゃあ、またね。次に会えるのは訓練所かな?」

「そうね。ニーカはまだしばらく入院するようだし、一人で通えるかどうか分からないけれど、次に会えるとしたら訓練所ね」

「じゃあまたね」

 手を振って本部へ戻るレイを見送り、クラウディアも、待っていてくれた神官様と一緒に神殿へ戻って行った。



 翌日から、クラウディアは一人で行くのは危険だからと、護衛の者と一緒に訓練所へ来る事になった。

 神殿の神官の誰かが城に用事のある時は、一緒に馬車に乗せてもらって来る事もあり、そんな日には帰りの神官を待っている間に白の塔へ来て、ニーカと一緒にガンディから難しい講義を受けたりもした。



 その日、レイはマークとキムも一緒にお見舞いに来たものの、二人がガンディと一緒に真剣に勉強を始めたのを見て、三人は大人しく邪魔をしないようにして、それぞれ自分の勉強をしていた。

 天文学の授業は予想していた以上に難しく、レイは毎回ブルーやニコスのシルフ達に教えてもらいながら必死になって予習と復習をしているのだった。これだけやって、ようやく授業についていける程度だ。

 しかし、全く知らない状態から勉強を始めた彼が、分からないと言いつつも授業にしっかりとついて来ている事に、天文学の教授は密かに感心していたのだった。

 単なる好奇心で少し勉強する程度だろうと考えていた教授だったが、今では次はどれを彼に教えようかと嬉々として授業内容を考えているのだった。



 今日の復習がようやく終わり、一息ついて彼女達を振り返った。



 ニーカは、まだベッドから起き上がれないでいる。

 背中に大きなクッションを当ててもらい、少し体を起こして、大きな本を抱えるように持って上向きで読んでいるのだ。そんな彼女の周りでは、シルフ達が本を落ちないように支えるお手伝いをしていた。



「ガンディが神官の資格を持っていたなんて、知らなかったよ」

 一段落したらしく、本の整理を始めたガンディにレイは後ろから話しかけた。ガンディがその声に笑顔で振り返る。

「儂は、幻獣の研究をしていた頃に、各地の辺境の古い神殿を巡っていた時期がある。その際に、各地で病人の面倒を見たり、施療院の手伝いをしたりしておったら神官の資格を取らぬかと誘われてな。神官の資格を持てば、普通の人は入れぬ特別な古書などが収められた書庫にも入れると聞いて、勉強を始めたんじゃ。まあ長命種族の有り難さじゃな。気が付けば、それなりの地位を頂いてしまった。しかし、白の塔の長の地位を押し付けられてからは、まあ、持っていてもあまり意味の無い資格になったがな」

「ここでも、幻獣絡みなんだね。本当に、どれだけ幻獣が好きなんだよ」

「まあ、三度の飯よりも好きな事は確実じゃな」

 片目を閉じて、自慢気にそんな事を言われて、レイだけでなく、横で聞いていたクラウディアとニーカ、マークとキムも一緒になって吹き出したのだった。



 ニーカは見たところ元気そうに見えるが、ガンディに聞くと、背中の痛みはまだかなりあるらしく、誰かが見舞いに来ている時はかなり無理をして平気そうに振る舞っているようだと教えられた。

「しかし、誰も来ないのは寂しかろう。まあ安静にしておくのが一番だが、気晴らしも必要だからな。気にせず来てやってくれれば良いぞ」

「ルーク達が、一度顔を見に来たいって言ってるんだけど、構わないですか?」

「もちろん構わんぞ。遠慮せずに来るように言ってやってくれ」

「分かりました。じゃあ戻ったらそう伝えておきます」

 勉強道具を片付けながら、そんな話をしていた。



 マークとキムは、最初にガンディが部屋に入って来た時、二人揃って直立して敬礼したまま動かず、あっけにとられたレイは、ガンディがそれを当然のように受けて、手を上げて彼らが敬礼を解くのを見て、しきりに感心していた。

 レイは知らなかったが、ガンディは兵士達の間では、白の塔の長としてだけでなく、最高の薬師であり、医者としても尊敬を集めていたのだった。

 また、彼は王室専任の医師達の指導も行っているし、万一皇王の健康に問題があれば、すぐに駆け付ける事になっている。それは、皇王に対し、直接助言や諫言が出来る人物でもあった。

 そんな彼を前にして、一般兵であるマークやキムが直立したまま動かなくなるのは、ある意味当然の事なのだった。

 クラウディアも、ガンディは白の塔で一番偉い人だと言う認識はあるが、それ程に偉い人なのだとは思っていなかったのだ。

 恐縮する彼らに、ガンディは気にせずしっかり勉強しなさいと笑っていた。



 ニーカは、結局痛みが完全になくなるまでかなりの時を、白の塔で過ごす事になり、ようやく退院が決まったのは、国境の砦から殿下やマイリー、ルークが戻って来て通常業務に戻った九の月の終わる頃の事だった。




「そうか、ようやく退院か」

 その日、訓練所から戻ったレイは、白の塔のニーカがすっかり元気になり、明日、問題無ければ退院予定である事を報告した。

 休憩所で、マイリーと向かい合って陣取り盤を見ていたルークが、笑って振り返った。

「元気になって良かったな。中々痛みが取れないと聞いて心配していたよ」

 マイリーも顔を上げて笑顔でそう言ってくれた。

「明日、また神官様と一緒に馬車でディーディーが訓練所に来るから、帰りに白の塔へ寄って、大丈夫ならそのまま一緒に帰るそうです」

「そうか、なんなら馬車を出そうかと思っていたけど、神殿も考えてくれていたんだな」

 頷くルークに、レイも笑顔で頷いた。

「そうだね。ディーディーも訓練所へ来る時は、一人じゃ危ないからって護衛の人と一緒に来ているよ」

 実は普段から、二人の少女達を守る為に、少し離れて護衛の者達が一緒に来ているのだが、レイはそれを知らない。

 話をしながらカナエ草のお茶を飲んでいた時、マイリーの前に突然シルフが現れて並んだ。

 それを見た全員が、即座に無言になる。



『マイリー様ディオネルでございます』

 それは、精霊王の神殿の神官長の名前だ。

 驚く周りに構わず、マイリーは平然と答えた。

「ええ、今は本部におりますからそのままお話くださっても大丈夫ですよ。何かありましたか?」

『エケドラの神殿より報告がありました』

 それを聞いて、レイは思わず身を乗り出す。

『本日夕刻テシオスとバルドの両名』

『エケドラヘ到着したとの事でございます』

「それは何よりです。彼らが改心して真摯に己の罪と向き合う事を祈っております」

『ただ到着した折酷い怪我をしておったとの事です』

「ええ! 大丈夫なんですか?」

 思わず横から声を出してしまい、慌てて口を押さえて頭を下げた。

「構わないよ。そこで聞いていなさい。それで怪我との事ですが、容体は? 何があったのです?」

『間も無く到着という所で』

『はぐれの灰色狼に襲われたようです』

『護衛の者も数名怪我をしており』

『神殿で手当てを受けておるとの事です』

『ただし全員命に別状はないとの事です』

 それを聞いて、レイは安堵のため息を吐いてルークにもたれかかった。しかし、その後の報告に再び顔色をなくす事になった。



『テシオスが左目を失明』

『バルドも左腕に酷い傷を負ったとの事』

『その左腕ですが完全な回復は望めないだろうとの事です』

 驚きに声も無いレイを、ルークとカウリが両側から支えてくれた。

「彼らの怪我の一日も早い回復を祈ります。何かお手伝い出来る事はありますか?」

『いいえ現地で出来る限りの事はすると約束してくださいました』

『文字通り命がけで辿り着いた終の住処です』

『彼らの怪我の回復と心の平安を』

『我らも祈る事に致します』

「報告ありがとうございました。何かあればまたお願いします」

『それでは失礼いたします』

 並んだシルフ達がいなくなるのを見ても、しばらくの間、誰も言葉を発する事が出来なかった。



「左目の失明って……」

「二人共、左側を怪我しているって事は、恐らく並んで歩いていて左から急に襲われたのだろうな。灰色狼は、辺境地域の荒野では一番の脅威である大型の狼だ。普通は群れで行動するのだが、時に、はぐれと呼ばれる群れからはぐれた一匹で彷徨うものがいる。大抵は凶暴で見境がなく、昼間に人であろうとも平気で襲いかかってくる。少人数であれば全滅する事も珍しくは無い」

 マイリーの言葉に、レイは無言で顔を覆った。

「だけど、はぐれの灰色狼に襲われても誰も死なずに全員神殿まで逃げられたのなら、護衛の者達は相当な腕前だろうな」

 カウリの言葉に、ルークも頷いていた。若竜三人組は声も無く聞いていた。

 顔を覆ったまま動けないレイは、必死になって精霊王に、彼らの怪我が少しでも軽くなりますようにと祈った。



 その時、再び目の前にシルフが現れた。

『マイリー様シャルートです』

「ご苦労、報告を聞こう」

 平然とマイリーが答える。また全員が無言でシルフを見つめていた。

『本日夕刻エケドラの神殿に到着致しました』

『申し訳ございません』

『お二人に怪我をさせてしまいました』

「詳しく聞こう、何があった?」

 既に知っているが、平然とそう尋ねる。

『もう神殿が目の前まで近付き』

『翌日には到着する所まで来た時です』

『午後の日が傾き始めた頃』

『巨大な灰色狼の襲撃を受けました』

『岩陰から突然飛び掛かられバルド様が転倒』

『すぐ隣を歩いていたテシオス様も引き倒されました』

『我らもすぐに剣を抜いて戦いました』

『怪我をしたお二人をラプトルに乗せて』

『巡礼の僧侶と共に僧兵達をとにかく神殿まで走らせました』

『護衛の者の怪我は軽傷です』

『一番の重症はバルド様です』

『左腕は恐らくもう使い物にならぬでしょう』

『テシオス様も左顔面を爪でやられ』

『左目を失明されました』

『お守り出来ず申し訳ございません』

 頭を下げるシルフに、マイリーは優しく笑い首を振った。

「ご苦労様でした。貴方達は充分にその勤めを果たしてくれました。お約束の残金を支払っておきますので、怪我が癒えたらギルドで確認して下さい。万一、何か後遺症が残り、冒険者を続けられないような事態になれば、その時には連絡を」

『了解しました』

『それでは失礼します』

 消えるシルフ達を見送ったまま、再び沈黙に包まれる。



「マイリー、今の人って?」

 レイの小さな声の質問に、マイリーは優しく頷いた。

「テシオスとバルドがオルダムを出発する時に、護衛専門の腕の良い冒険者が丁度オルダムにいてね。彼らに密かに依頼して、二人を護衛するように頼んでいたんだよ。彼ら以外にも、それぞれの家からの依頼を受けて護衛専門の冒険者が後をつけた。クームスの街までは街道沿いの旅だからそれほど危険は無い。だがクームス以降は道無き荒野を旅する事になるからね。そこからは身分を明かして同行していたはずだ」

 知らなかった事実に、レイはマイリーを呆然と見つめていた。

「とにかく、彼らは自力でエケドラへ辿り着いたんだ。大したものだよ。今は彼らの怪我の回復を祈ろう」

 マイリーの言葉に、レイも何度も頷いた。頷くことしか出来なかった。





 その夜、いつものように湯を使ってベッドに入ったが、レイは眠れなかった。黙ってベッドから起き上がると、そっと窓を開けていつものように窓に座った。

 下から見上げる見回りの兵士に手を振って、手を振り返してくれた事を確認してから空を見上げた。

 すっかり秋になった澄んだ夜空に、数え切れないほどの星が瞬いている。



 黙ったまま、レイは星を見上げていた。



『大丈夫か?』

 膝の上にブルーのシルフが現れて、そっと話しかけてきた。

「うん、大丈夫だよ。ちょっと眠れないだけ」

 空を見上げたまま、少しぼんやりとそう答える。

『シルフから聞いた。二人は、同行していた巡礼の女性僧侶を庇って、狼の牙と爪を受けたらしい』

 ブルーの言葉に、思わず息を飲む。

『二人と彼女はとても仲良くなっていたそうだ。その巡礼の僧侶は幼かった息子を亡くしているそうで、彼らの事を息子のように可愛がっていたそうだ』

「そう、二人はちゃんと……戦ったんだね」

 目を閉じて顔を覆う。

『それから、二人が意識を取り戻してすぐに、こう言って泣いたそうだ』

『まじない紐が無くなっている。とな』

 それを聞いたレイの瞳から、堪え切れない涙がこぼれ落ちた。

「そっか、凄いや。本当に……厄災から、彼らを、守ってくれたんだね」

 しゃくりあげながらそう言って笑い、再び空を見上げる。

「また会えるかな。もしも会えたら、また結んであげるからね……」

 空を見上げたまま、そう呟いて、精霊王に祈りを捧げたのだった。

『きっと会えるさ。生きてさえいればな』

「そうだね。生きていれば、生きてさえいればもう二度と会えないなんて事は無いよね」

 涙を拭ったレイは、そう言ってまた夜空を見上げた。

 ブルーのシルフとニコスのシルフ達、それから他にも大勢にシルフや光の精霊達があちこちに現れて座り、黙って空を見上げるレイの事をいつまでも見つめていたのだった。



 その後、彼らが再会を果たす迄には、長い年月を必要とするのだった。

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