守りの贈り物

 痛い……。

 背中が痛い……。

 まるで、火がついたみたいに熱くて痛い……。



 酷い痛みを感じて意識を取り戻したニーカは、ぼんやりとしたまま薄く目を開いた。

 目の前には綺麗な布が見える。どうやら自分はmうつ伏せの状態で柔らかなベッドに寝かされているみたいだ。

 そこまでは分かった。

 だが、これはいつもの自分のベッドでは無い。神殿のベッドはもっと硬いはずだ。

 何とか起き上がろうとしたが、少し動いた瞬間、背中に走った激痛にニーカは息が止まりそうになった。

 誰かに助けを求めようとしたが、何故だか声が全く出ない。

 必死になって、何とか動く右手でシーツを掴んだ。

「大丈夫じゃ。体の力を抜きなさい。りきんではならぬ」

 耳元で、聞き覚えのある声が聞こえた。

『ガンディ! 助けて。背中が痛くてたまらないの!』

 必死になって訴えようとするが、声が出ない。指一本動かす事すら出来なかった。

 不意に、背中に何かが当てられ暖かくなった。柔らかいそれは、彼女の背中だけでなく、抱きしめるように彼女の体全体を温めてくれた。

『気持ち良い……あったかくて、お母さんに抱かれたら、こんな風なのかな?』

 そんな事を思い、暖かくて柔らかなそれにしがみついたところで、彼女の意識は再び途切れてしまった。




 次に彼女が目を覚ました時、部屋はすっかり明るくなっていて、恐らくもうお昼をかなり過ぎている時間だろうと思われた。

 しかも、今度は仰向けに寝かされている。

 見覚えのある天井を見て、ようやくここが白の塔の入院棟の部屋だと分かった。

「目が覚めましたか?」

 聞こえた優しい声に横を向くと、モティ衛生兵が畳んだシーツを持ったまま心配そうに自分を覗き込んでいたのだ。

「モティ、お久し振りです。ごめんね、また、お世話になっちゃったね」

 彼女に会える事は、とても嬉しい。だけど、ここに来るのはいつも怪我をした時だ。

 シーツを置いた彼女は、笑って首を振ると横に置かれていた椅子に座った。

「そうですね。本当は会わないのが良いのでしょうね。でも、私は貴女に会えて嬉しいですよ」

 もう一度笑って、そっと額にキスしてくれた。

「ええと、でも私、どうして白の塔にいるのかしら?」

 額を押さえて照れたように笑いながら、彼女を見上げる。

「覚えておられませんか? なんでも神殿のお部屋でお倒れになったと聞きましたよ。背中の痣が熱を持っていたらしく、巫女様から知らせを受けて、ガンディ様が対応してくださったそうですよ。ここへ運ばれてきた時は、呼んでも全く意識が無くて心配しました。背中の痛みは如何ですか?」

「まだ痛いけど、我慢できないほどじゃ無いです」

 本当はもっと痛いのだが、出来るだけ平気そうにそう言って笑ってみせた。

「嘘はいかんぞ。教えたはずだ。ここでは隠し事をするなとな」

 頭上から聞こえた、咎めるようなガンディの声に、ニーカは驚いてそちらを見た。

 不意に目の前に現れたシルフ達までが、そうだそうだと言わんばかりに何度も頷くのを見て、ニーカは小さくため息を吐いた。

「ごめんなさい。まだ背中がかなり痛いです。でも、じっとしていたら……我慢出来ると思います」

 その言葉を聞いたガンディは、黙って薬を取り出してくれた。

「これは竜騎士達に処方するのと同じ薬だ。痛み止めの効果はかなりある。何か食べてから飲みなさい」

「食事をご用意します」

 薬を受け取ったモティ衛生兵が、そう言って急いで部屋を出て行った。

「ねえ、私は覚えていないんだけど、何があったか聞いてもいい?」

 枕元に立っているガンディにそう尋ねると、彼は笑って首を振った。

「とにかく、まずは食事をして薬を飲みなさい。話は後ほどな」

 わざわざそんな言い方をするという事は、本当に何かあったのだろう。

 ガンディを見ると黙って頷いてくれたので、彼女も頷き、まずは食事をして痛み止めを飲む事にした。



 しかし、いざ食事をする為に起き上がろうとすると、酷い背中の痛みに、彼女は悲鳴を上げてしまった。

 とにかく、酷い痛みと痺れで体を少しの間も起こしていられないのだ。

 本気で背骨が折れたのでは無いかと怯えたが、ガンディにそれは大丈夫だと言われてようやく安心した。

 結局、大きなクッションを背中に当ててもらって少しだけ体を起こして、食事は全てモティに食べさせてもらわなければならなかった。



 食べさせてもらって食事を終えたニーカは、言われた通りにもらった薬と、いつものカナエ草のお薬を飲んだ。

「少し休んでくださいね。何かあったらこれを鳴らしてください」

 枕元の、すぐに手の届くところに小さなベルを置いて、食器を持ってモティは一礼して部屋を出て行った。

 入れ違いに、ガンディが入ってくる。

 黙って、彼は部屋に結界を張った。

 ニーカも、黙ったまま彼が座るのを待っていた。




「話しをする前に、一つ教えておこう。其方の背中にあった酷い痣だが、綺麗に消えて無くなったからな」

 ガンディの言葉に、ニーカは驚きに目を見張った。

 一度だけ見た、鏡に映ったあの酷く醜い痣が消えた?

「自分で見る事は出来ぬが、儂が保証してやる。綺麗な背中になったぞ」

「どうして……?」

 驚きすぎて、ニーカはそれしか言えなかった。それにしても、あんなに大きな痣が、いきなり消えるなんて事があるのだろうか?

 しかし、その後ガンディの口から語られた出来事の数々は、もうこれ以上ないくらいに彼女を驚かせた。

「エ、エントの大老って……精霊王の物語に出て来るお方ですよね? 本当にいらっしゃるんですか? ええ、お会いしたかったです!」

 無邪気にそんな事を言う彼女に、ガンディは小さく吹き出した。

「まあ、其方ならば、また会える日も来よう。とにかく、今は体を治す事を第一に考えなさい。痛みと痺れが完全に取れるまでは、ここに入院だからな」

 しかし、彼女は困ったようにガンディを見上げた。

「あの、でも……」

「神殿の許可は得ているぞ。今の其方が帰っても、皆に迷惑を掛けるだけだ、諦めて大人しく寝ていなさい」

「もちろん、神殿でのお勤めを休むのも、皆に申し訳ないです。でも、あの……」

「なんじゃ? 他に何かあるのか?」

 特に、今はやりかけの仕事も無いと聞いている。彼女がこんなにも困る意味が分からなかった。



「あの、実は……秋に三位の巫女への昇格試験があるんです。なので毎日夕食の後、イサドナ様やディアに頼んでお勉強を見てもらっているんです」

 納得したガンディは笑って頷いた。

「それなら儂が教えてしんぜよう。こう見えて、正一位の薬師神官の資格を持っておるのだぞ」

 それは、神官の中でも特殊な資格で、医療従事者としての知識と経験が求められ、更には当然だが神官としての高い知識や修行の数々も求められる。恐らく今の精霊王の神殿でも、女神オフィーリアの神殿でも、この資格を持った神官はいないはずだ。

「其方が使っておる教科書を持って来てもらうようにクラウディアに頼んでおこう。勉強は横になっておっても出来る。好きなだけ教えてやるから、ここにいる間にしっかり勉強しなさい」

「ありがとうございます!」

 目を輝かせるニーカに、しかしガンディは笑って釘を刺した。

「ただし、勉強も儂が良いと言うまでは、してはならんぞ。今はとにかく、身体を治す事が第一じゃからな」

「分かりました。よろしくお願いします」

 横になったまま嬉しそうに笑うニーカを見て、ガンディも笑って頷いた。

「三位の巫女の資格が取れたら、城の神殿の分所に勤めるそうじゃな。そうなれば、竜との面会も容易となろう。頑張らねばな」

「ディアも一緒に、二位の巫女の昇格試験を受けるのよ。彼女も資格が取れたら、お城の分所に勤めるんです。だから、絶対に頑張ろうねって、二人で約束しているんです」

 目を輝かせる彼女の周りに、シルフ達が現れて笑顔で手を叩き始めた。


『お勉強お勉強』

『苦手だけれど頑張ってるよ』

『頑張ってるよ』

『一緒にお城へ行くんだもんね』

『行くんだもんね』


「そうよ、頑張って絶対に巫女の資格を取るの。お願いしますガンディ。無知な私に教えてください」

「任せておけ。なんでも教えて差し上げようぞ」

 笑顔で胸を叩いたガンディに、ニーカはもう一度笑って、どうかお願いします、と言った。





「よし、これで良いや。えっと、あとはマークとキムの分だね。何色にしようかな?」

 一通りの勉強が終わったレイは、引き出しから箱を取り出してきて細かい作業を始めていた。

 箱の中には、ガンディに頼んで買ってきてもらった、様々な色糸が綺麗に並べて収められている。

 色によってはかなり少なくなっているものもあり、一度在庫を確認して追加の購入をお願いしようと考えている。

 今、丁度編み終わったのは、ニーカの分だ。

 すでに、ディーディーに贈る分は編み終わっていて箱の中に入れてある。

 ニーカの分は、特にガンディに教えてもらった、邪を祓う意味を込めた模様を編み込んだ。色も、結界を示す十二色を編み込んだ細やかなものだ。

「ディーディーの分よりも、ニーカの方が可愛い色になっちゃったよ」

 ディーディーの分は、優しいピンクと白を使って、薄い緑色を基調に細やかな鹿の子模様を編み込んである。縁取りには華やかな黄色を使っているので、レイは、これは春の色だと思っている。

「喜んでくれるかな?」

 出来上がった二本のまじない紐を持って、レイはそっとそれにキスを贈った。


『彼女の意識が戻ったようだ。まだ痛みや痺れはあるようだがもう容体は落ち着いている。白の塔の薬師に連絡して、行って早く結んでやれ』

 現れたブルーのシルフにそう言われて、レイは慌ててガンディを呼んでもらった。


『連絡しようと思っておったところだ』

『まだ痛みや痺れがあるようなので』

『当分は入院させるぞ』

『だが一人で心細かろう』

『来れるなら来てやってくれ』

 並んだシルフ達が話すガンディの声を聞き、レイは今から白の塔の彼女の所へ行く事を告げて、消えるシルフ達を見送った。

 今日は出かけるつもりは無かったので、ゆったりとしたニコスが縫ってくれた部屋着を着ている。

 隣の部屋にいるラスティに声を掛けて、レイは急いで着替えをすませると、付き添いを断って一人で白の塔へ向かった。




「うわあ、忘れてたよ。僕、竜騎士見習いの制服を着ていたんだった」

 竜騎士隊の本部がある渡り廊下から、城の敷地内に入った途端、周り中から大注目を集めたレイは、思わずそう呟いて足早に白の塔を目指した。


 常に堂々としているように。一人の恥は、竜騎士全ての恥になると思え。


 竜騎士見習いの服を着るようになってすぐの頃に、マイリーから言われた言葉だ。

 俯きそうになると、レイはいつもその言葉を呟いて、必死になって堂々と胸を張って前を向くのだった。


 今まで、城の中で竜騎士見習いの服を着ている時は、常に誰かと一緒だった。

 しかし、今は自分一人だけだ。

 中には彼に話しかけようとする者もいたが、急いでいる様子の彼を見ると、黙って一礼して下がってくれた。

 中庭を突っ切って白の塔の敷地に入った時には、安堵のため息を吐いたほどだった。


 受付で身分証を出して入院棟の中に入る。向かうのは貴族達が入院する際に使う特別棟だ。

 廊下を歩いて、教えられた部屋に到着した。

 個室の扉は今は開かれていて、レイは声を掛けてから中に入った。


 部屋には、カバンを持ったディーディーが座っていた。

「レイ、来てくれたんですね」

 目を輝かせるディーディーと手を叩き合い、ベッドに横になったままこちらを見ているニーカを覗き込んだ。

「具合はどう? まだ痛みはあるの?」

 レイを見たニーカは、小さく笑った。

「実はまだ、背中が痛くて起き上がれないの。目が覚めた時、背骨が折れたんじゃないかって本気で心配したわ」

 小さなその声に、レイは思わず彼女の手を取った。

「大丈夫だよ。すぐに良くなるって大爺が言っていたからね。今は安静にしていて」

 笑って頷く彼女の左側に回り、レイは小物入れから作ったばかりのまじない紐を取り出した。

「あのね、これは僕が作ったんだよ。ニーカのは、ガンディに教えてもらって、特に邪を祓う意味を込めた模様を編んだんだよ。左手に結んでも良い?」

 当然彼女達も、レイが左手に、家族から贈られたのだと言うまじない紐を結んでいる事を知っている。

「良いの? そんな大事なもの、私がもらって……」

 戸惑う彼女に、レイは笑って頷いた。

「もちろん、これはニーカの為に編んだものだからね」

 おずおずと差し出された細い左手首に、レイはそのまじない紐を綺麗に結びつけていった。

「ディーディーの分も有るからね」

 結び終わったレイは、覗き込んでいたクラウディアを振り返った。

「えっ、私まで頂けるんですか?」

 驚く彼女に、レイはもう一本のまじない紐を取り出した。

「ほら、左手を出して」

 同じく細い手首に、丁寧に結び付けてやる。

「あのね、もしもこれが切れても気にしないで良いんだよ。これが切れた時は、厄災を断ち切ってくれた時なんだって。だから、もしも切れても、拾って結び直したりしちゃ駄目だよ。落ちた厄災を拾うことになるからね。もしも切れた事に気がついたら、拾って神殿にお願いして焼いて貰えば良いんだって。分かった?」

 レイの説明に、二人は自分の左腕を見て、揃って満面の笑みになった。

「ありがとうレイルズ。大事にするわ」

「ありがとうレイ。嬉しいわ。大事にします」

 それぞれ、嬉しそうに左手を撫でて笑っている。

「良かった、喜んでもらえて」

 レイも笑って自分の手首に巻かれた、少し色の落ちたまじない紐をそっと撫でた。


 彼女達の周りでは、新しく結ばれたまじない紐にキスを贈るシルフや、そっと撫でて嬉しそうにしているシルフ達が何人も現れ、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

 笑顔の三人は、飽きもせずにそんな彼女達を眺めていたのだった。

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