大爺の元へ

 光の精霊達と勝手に現れたニコスの精霊の案内で、レイは迷う事もなく無事に女神オフィーリアの神殿に辿り着いた。

「この子をお願いします!」

 キルートにゼクスを任せて、レイは駆け出して来た僧侶の案内で、ニーカの運ばれた施療院へ向かった。



 いつのまにか、右の肩にはブルーのシルフが座っている。



「こちらです」

 案内された部屋の前では、ガンディとディーディーが待っていた。

 挨拶もそこそこにとにかく部屋に入ろうとした。

 しかし、開いた扉の中は真っ暗で、レイの目にはベッドに横たわっているはずのニーカの姿が全く見えなかった。

「ええ、何これ? 気持ち悪い」

 何とか部屋に入ろうとしたが、部屋中を埋め尽くす黒い影に、レイは扉の前で立ち止まってしまう。

『これは一体何事だ? ええい、構わん、祓え!』

 苛ついたようなブルーの声に応えるかのように、レイのペンダントから呼んでもいないのに光の精霊達が飛び出して来た。

 それだけでは無い。

 あっと言う間に現れた大勢の光の精霊達が部屋を埋め尽くしたのだ。

 ガンディとディーディーは、突然のその光景に驚きのあまり声も無い。



 部屋を埋め尽くした光の精霊達が、全員揃って手を打ち鳴らした。



 軽やかな音がして、真っ黒になっていた部屋が元に戻る。もう、光の精霊達はどこにもいなかった。

「おお、闇の気配が消えたぞ」

 ガンディが、感心したようにそう呟いてニーカを見た。

 しかし、彼女はまだ赤い顔をして苦しそうにしている。

 慌てたように、ディーディーが落ちていた布を拾って、氷水の中で絞って額に乗せてやる。



「一体何があったの? あの変な黒いのは無くなったけど、でもまだ彼女は苦しそうだね」

 側へ来て心配そうに覗き込むレイに、ガンディは向き直った。

「其方に尋ねたい事がある。エントの大老を知っておるか?」

「え? どうしてここで大爺が出てくるの?」

 目を瞬かせる彼を見て、ガンディは確信した。

「どうやら知っておるようじゃな。ウィンディーネ達が言ったのだ。彼女の中で闇が暴れている。その闇が彼女を焼こうとしているが、自分たちでは止められないと。そして、光の精霊達はこう……」

 その時、ガンディの言葉を遮るように、彼の指輪から大きな光の精霊が飛び出して来た。


『これは彼女が持つ黒き定めの印』

『我らにはこれを取り除く事は出来ない』

『刻まれたそれは彼女の中に楔のように深く深く打ち込まれている』

『我らにはそれを取り除く事は出来ない』

『それが出来るのはエントの大老のみ』


 それを聞いたレイは、肩に座ったブルーのシルフを見た。

「連れて行ってくれる?」

『ああ、行こう。これはどうやらただ事では無いようだ』

 それを聞いた光の精霊は、嬉しそうにくるりと回って指輪に戻ってしまった。

「でも、こんな状態の彼女をどうやって運べば良いですか? 背負って行っても大丈夫かな?」

 横になったまま、息をするだけでも苦しそうな彼女をどうやって運べば良いのかレイには分からなかった。

「エントの大老は、どこにおられるのだ?」

『答える必要は無い。人は知らずとも良い事だ』

 警戒心を隠そうともしないその答えに、ガンディは己の失言を悟った。

「失礼した、今の言葉は忘れてくれ。それならば、彼女を担架に乗せてラピスのベルトに固定しよう。さすれば、安静にしたまま運ぶ事が出来る」

『ならば、彼女を城まで連れて行かねばならんぞ』

「すぐに馬車を用意させる」

 そう言うと、ガンディは急いで部屋を出て行ってしまった。

 部屋を沈黙が覆う。



「えっと……レイ、無事に帰って来てくれて本当に良かった。国境では戦いになったの?」

 隣から聞こえたクラウディアの心配そうな声に、レイは慌てて手を振った。

「ううん、今回は戦いにはならなかったよ。大丈夫だから心配しないでね」

 お互いに、ぎこちなく笑い合った。

 言いたい事は互いに山のようにあったが、それは今ここでするべき話では無いだろう。

 もう一度ニーカの額を冷やしてやりながら、クラウディアは小さくため息を吐いた。

 ニーカがこんなに苦しそうなのに、レイが怪我もなく無事で戻って来てくれた。それだけで、自分は嬉しくて声を上げて笑いそうになるのだ。彼女はそんな自分が怖かった。

 無言で手を組んで、精霊王と女神オフィーリアに祈りを捧げた。身勝手な己を罰してください、と。



「待たせたな馬車の準備が出来た。行くとしよう」

 ガンディがそう言って、大きな毛布でニーカをそっと包んだ。そのまま抱えて部屋を出て行く。レイとクラウディアも慌ててその後に続いた。



 施療院の外には、一頭立てのラプトルが引く馬車が待っていた。

 馬車の前で、用意されていた担架に彼女を乗せて毛布を掛けてやる。

「すまぬがちと狭いのでな。我慢してくれ」

 先にガンディが乗り込み、ニーカを乗せた担架を椅子の上にそっと乗せた。

 これでは確かにレイの乗る場所は無いだろう。

「僕はラプトルに乗って、後ろをついて行きますので、先に行ってください!」

 キルートが、二頭のラプトルを引いて来てくれたのを見て、レイはそう言って馬車の扉を閉めた。

「レイ、ニーカをお願いします」

 縋るようなその言葉に、レイは大きく頷いた。

「何かあったらシルフを飛ばすからね。心配しないで待っていて」

 一度だけ彼女の腕を叩き、レイはゼクスに飛び乗った。動き始めた馬車の後ろに着く。

 彼女だけでなく、何人もの僧侶達に見送られて、馬車は神殿を後にした。



 お昼時の人通りの多い時間だった事もあり、一の郭への城門を潜ったのは神殿を出てからかなりの時間が経ってからの事だった。

「ガンディ、ニーカの容体は? 大丈夫?」

 馬車はかなり揺れる。意識の無い彼女の事が心配だった。

『大丈夫だ』

『今の所落ち着いておるぞ』

 冷静なガンディの声が聞こえて、レイは少し安心した。馬車はやや駆け足で進み、竜騎士隊の本部に到着した時には、思わず安堵のため息を吐いた。



 中庭には、鞍をつけたままのブルーが丸くなって待っていた。



 待ち構えていた竜人の兵士達が、ガンディと一緒にブルーの背中に上がって担架を取り付けるのを、レイは一緒に上がって必死になって手伝っていた。

「ねえブルー。ガンディは一緒に行っちゃ駄目?」

 少し離れて、小さな声でそう聞いてみる。

「ふむ。どうしたもんかのう……」

 ブルーのその言葉に、レイも困ってしまった。

 森の大爺の所へ、自分が勝手に外部の者を連れて行って良いのかどうか、レイには判断がつかなかった。


『構わぬ』

『その竜人の医者も連れて来ると良い』


 突然現れたシルフの口から大爺の声が聞こえてレイは目を見開いた。

 ブルーの足元ではノームが手を振っている。

 慌ててブルーの背から飛び降りて、ノームのそばにしゃがみ込んだ。


『それから彼女の竜も連れて来るが良い』


 ノームが伝えてくれたその言葉を聞いて、レイはガンディに断って、大急ぎで第二竜舎へ走った。

「クロサイト! 一緒に来て!」

 大急ぎで奥にいたクロサイトに駆け寄り、連れ出そうとした。

「いけません、レイルズ様! クロサイトを動かす時には陛下の許可が必要なんです!」

 柵を外そうとした所を三人がかりで立ち塞がって止められてしまった。

「でも……」

「いけません。必要ならどうか陛下の許可を頂いて来てください」

 顔馴染みのティルク伍長に真顔でそう言われて、レイは頷くと大急ぎで竜舎を出て行った。

 そのまま城へ行こうとして、自分の服装が第二部隊の一般兵であったことを思い出した。

「ガンディ、大爺が貴方とクロサイトも一緒に連れて来いって言ってるの。だけど、陛下の許可が無いとクロサイトを動かせないんだって。すぐに戻るから、待っていてね」

 シルフを呼んで、ガンディに伝言を頼むと、レイは大急ぎで一先ず着替えるために本部の自分の部屋に向かった。



「ラスティ、陛下にお願いに行かなきゃいけないんだ。急いで竜騎士見習いの服を出して!」

 廊下を走って、部屋に駆け込んできたレイを見て、ラスティは小さく息を吐いた。

「レイルズ様、落ち着いてください。そのように慌てて走り回っては、周りの者達が何事かと心配致します。例えどのような事態であろうと、常に冷静でなんでも無い顔をしてください」

 真顔でそう言われて、レイは思わず息を飲んだ。

「分かりました、ごめんなさい。とにかく着替えをお願いします」

 手早く用意された服を着替えながら、陛下にクロサイトを連れ出す許可を取りたいと伝える。

「それならば、ヴィゴ様にお願い致しましょう。少々お待ちください」

 急いで部屋を出て行ったラスティは、すぐに戻って来た。後ろには竜騎士隊のいつもの服装のヴィゴがいる。

「一緒に行ってやる。ついて来い」

 既にシルフを通じてニーカの容体を伝えてあったので、話は早かった。

 平然と歩くヴィゴの後ろを、レイは内心は大いに焦りつつも先程のラスティの言葉を思い出し、何でも無いような平気な顔をしてヴィゴの後ろをついて歩いた。



 城へ入ると、当然のように大注目を集めたが、周りを見る余裕の無いレイは、逆に悠然と構えているように見えて、何も知らない周りの者達は感心しきりだった。

 いくつかの廊下を通り、階段を登ったり降りたりして、しばらく行くと急に人がいなくなった。

 執事が出て来てそのまま一緒に奥に入って行く。

 到着したのは、初めて見る綺麗な庭のある広い部屋だった。



「一体何事だ?」

 前置きも無く掛けられた言葉に、ヴィゴが片膝をついて頭を下げた。レイも慌ててそれに倣う。

 ヴィゴは、簡潔にニーカが原因不明の高熱を発して意識が無い事、シルフやウィンディーネ、ウィスプ達の言葉も伝え、ウィスプがエントの大老を頼れと言ったことも伝えた。

「エントの大老……そうか、そう言う事か」

 小さく呟くと、陛下はレイの前に立った。

「顔を上げなさい。其方には心当たりがあるのだな?」

「はい、ございます」

 陛下の問いに即答する。

 目を閉じて頷いた陛下はそのまま奥の机の前に行き、さらさらと一通の紙にサインをした。

「これを持って行きなさい。クロサイトを連れて出る許可証だ。ただし、必ず一緒に連れ帰るように。良いな」

「ありがとうございます」

 両手で渡された書類を受け取る。

「詳しい話は戻ってから聞く故行きなさい。今は時が惜しかろう」

「ありがとうございます。では行ってまいります」

 もう一度跪き、深々と頭を下げてからその場を辞した。

 ヴィゴがまた一緒に戻って行ってくれた。



 本部へ戻ったレイは、そのまま第二竜舎へ行き、ティルク伍長に許可証を渡した。

「お願いします」

 無言でその書類を受け取った伍長は、黙って敬礼すると手早くクロサイトの前の柵を外してくれた。

「行こう、クロサイト」

 中庭に早足で出て行くクロサイトと一緒に、レイも急いで中庭に駆け出した。



 そこにはヴィゴだけで無く一緒に戻って来た若竜三人組の姿もあった。

「ほら、これ。昼食まだだろう。これなら竜の背の上でも食べられるからさ」

 ロベリオが渡してくれたのは、焼きたてのやや細長いパンで、ハムや刻んだ野菜がパン生地に練りこまれていて、そのまま食べられるように薄紙で包まれていた。

「こっちは蜂蜜入りのカナエ草のお茶。のど飴は? まだある?」

 タドラの言葉に、飴入れを取り外して見てみる。減っていた分は、タドラとユージンの飴入れから分けてもらった。

 念の為、カナエ草のお薬とお茶の葉ももらい小物入れに入れておく。

 それから急いでブルーの背中に駆け上がった。

 手早く、もらったパンやお茶を鞄に入れてしっかりと鞄の口を閉じる。



 全員が並んで敬礼してくれた。その隣では、ガンディも立ってこちらを見ている。頷くと、駆け寄って来てブルーの腕から背中に上がりレイの後ろに座った。

「行って来ます」

 敬礼を返して、左手で手綱を持つ。

「行こう、ブルー。大爺のところへ」

 その声に、ブルーは大きく翼を広げてゆっくりと上昇した。クロサイトがそれに続く。

 大小の二頭の竜は並んで一気に西の空に向かって飛び去って行った。



「行ったか。果たしてどうなる事か……」

 ヴィゴの小さな呟きに、彼の周りではシルフ達も心配そうに頷いていたのだった。

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