オルダムへの帰還
翌朝、いつもの時間にシルフ達に起こされたレイは、大きく伸びをしてからゆっくりベッドから起き上がった。
『おはよう。今日も良いお天気のようだぞ』
「おはようブルー。えっと、今日は何をするのかな?」
膝の上に現れたブルーのシルフに笑顔で挨拶をして、レイは部屋を見回した。
今使っているのは、本部の見慣れた豪華な広い部屋ではなく、以前も使わせてもらった砦の中にある竜騎士専用の部屋の一つだ。
絨毯はかなり薄いし、家具も飾り気のない質素なものだ。だが、レイにとってはこれぐらいの方が実は落ち着く。
小さく笑って立ち上がると、窓際へ行ってカーテンを開いて、金属の格子の入ったガラスの窓を開け、大きく深呼吸をして外の空気を吸った。
窓から見える中庭には、守護竜であるルビーと、パティ、ベリルの三頭がいて、後の三頭はいない。どうやら早朝にも関わらず、交代で哨戒任務に出ているようだ。
「以前、ここに来た時にも思ったけど、他の皆はいっぱいいろんな事をしているのに、自分は何も出来ないって……すごく落ち着かないんだね」
彼に気付いてこっちを見ている竜達に笑って手を振ってやり、レイはもう一度大きく伸びをした。
その時ノックの音がして、オリノスが入って来た。
「おはようございます。そろそろ起きて……おや、もう起きておられましたか」
ベッドにいないのに気が付いて、一瞬慌てたオリノスだったが、レイが笑って返事をしたのを見て、ホッとしたように笑った。
「今日も良いお天気のようですよ。まもなくヴィゴ様とロベリオ様、ユージン様がお戻りになられますので、ご一緒に食事をとの事でした。今のうちに、顔を洗って来てください」
遠征用の竜騎士見習いの制服を取り出す彼を見て、レイはもう一度元気に返事をして、顔を洗うために備え付けの洗面所へ向かった。
顔を洗って寝癖を直して出てくると、まずは手早く着替える。丁度着替えが終わったところで、中庭が急にざわめきだして兵士達の声が聞こえてきた
振り返ると、ヴィゴの乗った大きなシリルが降りてくるところだった。
急いで剣帯と剣を身に付けて、窓辺に走った。
「おかえりなさい!」
開いた窓から少し身を乗り出すようにして、格子の隙間から手を振って大きな声で呼びかける。
ロベリオの乗るアーテルと、ユージンの乗るマリーゴールドも並んで降りてくるのが見えた。
「おかえりなさい!」
もう一度大きな声でそう言うと、三人は笑ってこっちに向かって手を振り返してくれた。
中庭では、出て来た第二部隊の兵士達もこっちを見て笑っている。彼らにも手を振ってから、レイは手を引っ込めて窓を閉めた。
『ルークです』
『おはようレイルズもう起きてるか』
「おはようございます。はい、もう起きて着替えも終わりました」
『それじゃあヴィゴ達も一緒に食事をするから』
『休憩室へ出ておいで』
「分かりました、行きます」
背中の歪んだ剣帯をオリノスに直してもらってから、レイは同じ階にある竜騎士隊専用の休憩室に向かった。
休憩室には、マイリーとルーク、カウリの三人が書類を前にして並んで座っていた。ソファーには、これも書類を手にしたアルス皇子も座っている。
書類から顔を上げたカウリが笑って手を上げてくれたので、レイも笑顔で手を振り返した。
「おはよう。昨夜はちゃんと眠れたか?」
「おはようございます。はい、ちゃんと眠れましたよ」
顔を上げて挨拶してくれたマイリーに、レイは元気に返事をする。
「おはよう、もう少ししたらヴィゴ達も着替えて戻ってくるから、一緒に食事にしよう」
「おはようございます。はい、さっき戻って来ていましたね」
カウリの横に座って、皇子と話をしながら、カウリが持っていた書類をマイリーに返すのを見ていた。
見た方が良い書類ならちゃんと説明して見せてくれるのに、誰も自分に見せない。という事は、今の自分は見る必要の無い書類なのだろう。
同じ見習いでも、カウリとレイでは置かれた立場も割り振られる仕事も違う。少し悔しいとも思うが、彼と自分の年齢や人生経験の差を考えると、逆に一緒に扱われる方が不自然だろう。
そう思って大人しく座っていると、書類をまとめたマイリーがアルス皇子と何か話していてこっちを振り返った。
「レイルズ、カウリの両名は、食事が済んだら、ヴィゴ、ロベリオ、ユージン、タドラと共に一旦オルダムへ戻ってもらう。我々もいくつかの手続きが済んだら、すぐに戻るよ」
「もう戻るんですか?」
驚くレイに、マイリーは書類を束ねながら頷いた。
「まあ、今回の出動は新王の立ったタガルノに対する、謂わば示威活動の一環だ。国境に竜騎士がいるというのは、彼らにとっても相当な脅威だからね」
「なので、逆に言えば戦いにならないと分かった時点で竜騎士を国境から下げる事で、タガルノに対しての、こちらも警戒を解きましたという答えになるわけだ」
マイリーの言葉を継いで、ルークがもう少し詳しく説明してくれる。
少しだが、精霊魔法訓練所で用兵や外交について学んでいる今なら、マイリーやルークの言葉に隠された意味も分かった。
竜騎士隊が国境から下がると言う事は、新しい王が立ったタガルノを、ファンラーゼンとしても認めた事にもなるのだろう。この後、国同士でどのようなやりとりがされるのかはレイには分からないが、どうやらもう完全に戦いになる事はないようだと分かって、心の底から安堵した。
「平和が良いよね」
小さな声で呟くと、隣にいたカウリとルークも、同意するように大きく頷いてくれた。
「えっと、新しい王様って、どんな方なんだろうね?」
何気なく言ったその言葉に、その場にいた全員が、なんとも言えない顔になった。
「え? どうしたんですか?」
「まあ、知らない方が幸せな事ってあるよな」
苦笑いしたルークの言葉に、三人も苦笑いしながら頷いている。
意味が分からず首を傾げるレイを見て、カウリが小さな声で教えてくれた。
「賢王とは言い難いな。要するに、良い評判は一つも聞かないような人物だって事だよ」
驚くレイが口を開こうとした時、着替えを終えたヴィゴ達三人が部屋に入って来た。
「おかえり、ご苦労だったね」
立ち上がったアルス皇子の言葉に、三人は直立して敬礼してから、それぞれ椅子に座った。
彼らに続いて、食事を乗せたワゴンを押した第二部隊の兵士達が入ってくるのを見て、レイは口を噤んだ。一般兵達がいる中で、竜騎士達が迂闊に隣国の王様の悪口を言うのも聞くのも問題があるだろう。
本部の食堂よりも若干塩味が濃く味も微妙な、しかし量だけはたっぷりとある食事を誰も文句を言わずに黙って食べる。レイも、出されたものを残さず全部頂いた。
食後のカナエ草のお茶を飲みながら、マイリーが先ほどの話をヴィゴ達にするのを見ていた。
「了解だ、では我々は一足先に帰らせてもらうよ」
「良かった。帰りは、暑苦しいあの鎧じゃなくて、この格好で帰れるな」
ユージンの言葉に、ロベリオが小さく吹き出して何度も頷いている。
「格好良いのに、嫌なの?」
不思議そうなレイの言葉に、二人は揃って大きく頷いた。
「だって、いくらミスリルは軽いって言っても金属なわけで、やっぱり窮屈だし暑いよ。服を着ているようにはいかないからね」
確かに、服を着ているような快適さは期待出来ないだろう。
「そう言えば、レイルズの鎧は、まだ製作出来そうにないってロッカが嘆いていたな」
ルークの言葉に、レイは首を傾げる。
「えっと、ロッカにも時々身体の大きさを測ってもらってるよ。どうして作れないの?」
それを聞いたルークは、大真面目に腕を組んでレイを見た。
「そりゃあ育ち盛りの誰かさんが、測る度に大きくなっているからに決まってるだろう」
その言葉に、レイだけでなくカウリとロベリオ達までが吹き出した。
「育ち盛りだもんな。確かに服でさえもあれだけ作り直しているんだから、融通の利かない金属製の全身鎧はちょっと作れないよね」
「以前、もう少しパーツを細かくして対応すると言っていたんだが、今の成長速度だとそれでも補いきれないらしいからな。まあ、まだ彼が実戦に出るまでにはかなりかかる。その時までには、ロッカが何とかしてくれるように願うよ」
ルーク達が笑いながらそんなことを言っているのを聞き、レイはいたたまれなくなった。
毎月のようにガルクールが微調整をしてくれ、何度も型紙を直して仕立て直しをしてくれているのを知っているレイは、申し訳なくなって頭を下げるしかなかった。
「気にする事はないよ。大きく成長するのは良い事だからね。目標はヴィゴなんだろう? 彼と格闘術で対峙出来るくらいに大きくなっておくれ」
笑う皇子の言葉に、ヴィゴがもう一度吹き出し、休憩室は笑いに包まれたのだった。
それから、一旦部屋に戻ったレイは、もう一度身支度を整えて確認し、オリノスが用意してくれた荷物の袋を受け取った。
「こちらには、蜂蜜入りのカナエ草のお茶が入っています。ベルトの小物入れに、お薬とお茶の葉、のど飴を入れてありますのでご確認ください」
「お世話になりました」
荷物を抱えて頭を下げると、オリノスも嬉しそうに深々と一礼してくれた。
「本当は、国境の砦に竜騎士様方がお越しにならない事が一番ですからね。次にレイルズ様にお目にかかる場所が、ここ以外であるように願います」
「本当にそうだね。僕もここにはあんまり来たくないです。じゃあ、今度は別の街で会おうね」
レイの言葉に、顔を上げたオリノスと顔を見合わせて笑い合った。
オルダムの本部で、竜騎士専任の従卒になっている者以外は、定期的に各地に移動していると聞いた。時には専任の従卒が竜騎士と一緒に移動して出先で彼らの面倒を見る事もあるが、基本的には担当地域が決まっていて、その地域の担当者がそれぞれ決められた竜騎士の世話をするそうだ。
まだ行った事の無い地域にも、それぞれレイルズの担当者は決められている。当然、新しく竜騎士となったカウリの為にも、各地で担当者が決められていて。既に配置されている。
竜騎士とは、それほどに大切にされる存在なのだ。
「レイルズそろそろ出発するよ」
ノックの音がしてロベリオが開いた扉から顔を覗かせた。
「はい、今行きます!」
改めて荷物を抱えたレイは、もう一度オリノスと笑いあって一緒に部屋を出て行った。
広い中庭にはブルー以外の全員の竜が並んでいて、さすがに少し狭く感じる。
アルス皇子の両横に、ルークとマイリーが並んでいる。
「俺達もすぐに戻るから、それまで皆の言うことをよく聞いて、しっかり勉強していてくれよな」
「はい、ルークも頑張ってね。でも無理しちゃ駄目だからね」
ルークの言葉に、レイは元気に返事をした。
「ああ、ちゃんと休んでるし大丈夫だよ。それじゃあ気をつけてな」
ヴィゴを先頭に一列に並び王子に敬礼する。レイも一緒に並んで敬礼した。それを見た三人が、お手本のような綺麗な敬礼を揃って返してくれた。
「では、先に上がるよ」
ヴィゴと若竜三人組がまずそれぞれの竜に乗り、順番にゆっくりと上昇する。四頭が上がったところで開いた場所に入れ替わりにブルーが降りてくる。
その背には、既に鞍が装着されていた。そしてブルー以外の竜達はまだ鎧をつけている。
レイも急いでブルーの腕から背中に上がり、荷物を金具に取り付けてからしっかりと鞍に
「お待たせ、それじゃあ戻ろう」
そっと首を叩いてやると、大きく喉を鳴らしたブルーが大きな翼を広げてゆっくりと上昇する。広場にいた全員が、揃って敬礼して見送ってくれた。
ヴィゴを先頭に綺麗な三角を描いた彼らの最後尾に、ゆっくりとブルーが並ぶ。
下から沸き起こる大歓声に見送られて、五頭の竜は、オルダムを目指して西に向かって飛び去って行った。
「戦いも無く、帰ることが出来てほっとしたよ」
「そうだね、こんな無駄足なら大歓迎だよね」
オルダムへ向かって飛ぶ竜の背の上で、耳元で聴こえるロベリオ達の言葉に、レイも大きく頷くのだった。
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