見習いの仕事と参謀の仕事

 昼食を挟んだ一日がかりの勉強会が終わったレイは、カウリと一緒に、マイリーの部屋で用意された夕食を一緒に頂いた。



 少し休憩してから、今度はマイリーの部屋で陣取り盤を教えてもらう事になった。

 しかしカウリと二人で組み、女王を落としてもらい、更に三手先に置かせてもらってまでしてマイリーと対決したが、全く相手にならずにあっと言う間に叩きのめされてしまった。

「マイリー。相変わらず強過ぎる。全然攻め方の参考にならねえよ」

 大きなため息を吐いて、天井を見上げながらカウリが情けなさそうにそう言った。

「お前らに負ける程、まだ衰えちゃいないよ」

 笑って駒を片付けるマイリーは、なんだか少し疲れているように見えた。

 時折、マイリーの耳元には伝言のシルフが現れ、彼に何か耳打ちして彼から指示をもらってすぐにいなくなっていた。

「もう、今日は構わないから休みなさい」

 顔を上げたマイリーにそう言われて、陣取り盤を片付けたレイは大人しくおやすみなさいの挨拶をしてマイリーの部屋を出た。



 彼らと交替で医療兵達がマイリーの部屋に入るのを見て、レイはここでは何の役にも立てない見習いの自分が少しだけ情けなかった。

「今の僕は見習いなんだから仕方無いよね。今のうちに、いっぱい勉強して役に立てるようにするんだ」

 小さく呟き、静かに自分の部屋に向かう。



 ルーク達は、昼夜を問わず交替で哨戒任務に当たっているため、今日は一度も顔を見ていない。さっきマイリーから、今はルークとタドラが帰ってきて休んでいると聞かされたのを思い出した。

 起こさないように彼らの部屋の前を静かに歩いて、そっと自分の部屋に入った。

「お帰りなさい。もうお勉強は終わったんですか?」

 振り返ったのは、ここでレイの世話をしてくれているオリノスだ。

「うん、すごく勉強になったよ。砦の攻略戦を模擬戦でやったの。カウリと二人で共同戦線を張ったんだけど、マイリーには全然敵わなかったよ。それから、羊皮紙の書類を見せてもらったよ」

 それを聞いたオリノスが、堪える間も無く吹き出した。

「し、失礼しました。もしかして、あの日報ですか?」

 その言葉に、レイもまたあの日報に書かれていた内容を思い出してしまい、彼と同じく堪える間も無く吹き出してしまった。

「オリノスも知ってるの?」

「もちろんですよ。この砦では羊皮紙の日報の話は有名ですからね」

「僕、全然知らなかったから、読んでくれってマイリーに言われて、途中まで真剣に読んだんだよ。もう、僕の真剣さを返して! って叫びたくなったよ」

「噂話として聞いたことがあると言う兵士は多いんですが、実際にあの書類を見た事がある人は、ごく限られていますからね」

「みたいだね。カウリも聞いたことはあったけど、本当にあるとは思わなかったって言ってました」

 レイがそう言うと、オリノスはまた笑って何度も頷いていた。


 オリノスが用意してくれたカナエ草のお茶を飲みながら、レイは自分に与えられた練習用の日報を見た。

 まだこれは正式な書類では無いが、実際に使われてるものと同じ書面になっている。

 ここには、今日何をしたか、誰か外部の者と会ったか、何を思ったかなど、かなり細かに書く欄がある。

 いつものように真剣に書きながら、最後の備考の欄に、レイは少し考えてこう記した。

「まだ見習い中で出来る事は少ないけど、自分でやれる精一杯の事をします。よし、これで良いや」

 最後に自分のサインを書いて、部屋に置かれた日報を入れる為の箱の中に入れて蓋をした。

 こうしておけば、オリノスが箱ごと事務所に持って行ってくれるのだ。

 最後のカナエ草のお茶を飲んでから、レイは湯を使うために立ち上がった。






 ベッドに横になって医療兵達に左足をマッサージしてもらいながら、マイリーは伝令兵が持って来た書類を無言で読んでいた。

 ようやくマッサージの終わった医療兵達が、彼に声を掛けて座らせて服を脱がせ、手早く汗を拭いてから夜着に着替えさせ、再びベッドに横にならせる。それから一礼して揃って部屋を後にした。

 しかし、マイリーは横になっていたベッドから身体を起こして座り直した。

「全く、ここまで恥さらしな文章を書いておいて、正式な親書だと言って寄越す神経が俺には理解出来ないよ。ああシルフ。すまないが明日の朝、ルークに時間が出来たら来てくれるように頼んでくれるか」

 枕元に座っていたシルフにそう言うと、彼は振り返ってベッドの端に座っていたブルーのシルフを見た。

「これ、読んだか?」

『いや、来た事は知っているがまだ読んでいない』

「どうぞ読んでくれ。そして、出来たら忌憚ないご意見をお聞かせ願いたいね」

 呆れたようなその言葉に、ブルーのシルフは軽々と飛んで来てマイリーの肩に座った。

 順番に彼がめくって見せるそれらの書面を、ブルーのシルフが無言で読み進める。

 最後の一枚を読んだ時、堪えきれないように小さく吹き出した。

『こんな馬鹿を相手にしなきゃならない其方が、何やら少々気の毒になって来たぞ』

「全くもって同意しか無いよ」

 書類を持ったままベッドに後ろ向きに倒れたマイリーは、天井を見上げ小さく呟いた。

「外交なんて言ったって、中身は所詮はこんなものだよ。毎回毎回、こんな親書を運ばされる兵士達が気の毒になる」

 マイリーの言葉に、ブルーのシルフも遠慮無く笑った。



 今回は実際の戦いは起こってはいないが、裏では密かな情報戦と外交上の駆け引きが既に始まっている。

 交渉にシルフを使えないタガルノは、何をするにもいちいち伝言の兵士が来て大層な親書を手渡す。その為、十六番砦にはそれを受ける専門の部署があり、何かあれば真っ先にタガルノと接触を行うのだ。

 国境の緩衝地帯のすぐ横に、小さな丸太の小屋が双方の国に建てられていて、そこに親書の受け渡しを行う担当兵達が昼夜を問わずにずっと詰めている。

 タガルノから親書を携えた兵士が来ると、それを知らせる黄色い旗が小屋に上げられる。それを見たファンラーゼン側の兵士が国境ギリギリまで出向き、タガルノの兵士からその親書を手渡しで受け取り砦まで運んでくる。

 それを砦で待っていた担当兵が親書を確認して、しかるべき部署へ届けるなり連絡の上代理で開封して中を確認するなりするのだ。



 今回は、タガルノ側から寄越された親書はまず三通。



 最初の一通は前王の崩御を知らせるもので、二通目は、第二王子が正式に後を継ぎ、新たな王としてタガルノを完全に掌握したことを知らせるものだった。

 そして三通目は、腹違いの妹に当たる王女との正式な結婚の告知だった。

 一旦、陛下の許可の下シルフ達が見守る中を親書は開封され、内容はシルフ達によって既に伝えられている。

 実際の親書は、伝令の兵士が携えてオルダムまで運んでいるのだ。

 今彼が持っているのは、それの写しだ。

 そして、四通目の今日届いた親書。

 先程、ブルーのシルフに見せていたものだ。

 そこには、要約するとこう書かれていた。



 長年の確執を乗り越え、新たなる王の元、互いに手を携えて新たなる未来へと進もうではないか。と。



 長年の確執も何も無い。毎回、一方的に攻めて来て、毎回撃退されているのは向こうなのだ。

 ファンラーゼン側の兵士が、一兵たりとも無断で国境を超えた事は、建国以来一度も無い。

 それは、他国を侵略しないという、代々の皇王が守り抜いてきた誓いであり誇りでもあった。



「陛下は一体どのような親書を届けるのだろうな」

 マイリーの呟きに、ブルーのシルフは大真面目に答えた。

『恐らく、大真面目に向こうが喜びそうな美辞麗句を並べ立てて、手紙だけ寄越しておくだろうな。彼の国に祝いの品など何一つ贈るものか』

 それを聞いて、同じ事を考えていたマイリーは、小さく吹き出した。

「確かに。支払われていない賠償金だけでも、まだどれだけあると思っている」



 ひとしきり笑い合った後、ブルーはアルカディアの民達が話していた、タガルノ城内の新たな王の側にいる問題の人物について、彼らの考えをマイリーに話した。

 もちろんあの後、今の話をマイリーに伝える事は彼らの許可を得ている。



「竜の背山脈への遠征の生き残り? もしくはその子孫だと? まさか、そんな昔の話が今に繋がるとはな。長命種族ならではの考えだな。百年も生きない人間には考えもつかんよ。それなら、その人物の真の狙いは何処にある? 新たな守護竜を国に迎え入れる為には……いかんな。どうにも分からん事が多すぎる」

『少ない情報で迂闊に判断するのは危険だ。今は情勢を見極め、国の安全を第一に考えるが良い』

「そうだな。とにかく今は情報が欲しい。大人しく待つのは性に合わんが、今は待つのが俺の仕事だな」

『焦りは禁物だ。それでなくとも……其方は無理をしている』

 ちらりと横目でブルーのシルフを見た彼は、小さく笑った。

「無理は承知だよ。だけどやらなきゃいけない時もある。まあこれが一通り片付いたら、以前言っていた、一日何もしない日ってのをやってみるよ」

『それなら、あの見習いに聞くと良い。彼はそういう事にかけてはかなりの使い手だぞ。それにレイも最近では何もしない時間を楽しめるようになってきた。其方も少しは立ち止まって遊ぶ事を覚えろ』

 からかうように言われて、マイリーは笑いながら顔を覆った。

「分かってはいるんだけどね。もう常に忙しいのが当たり前過ぎて、何もしないと逆に落ち着かないんだ。これはもう性分だよ」

 苦笑いするマイリーに、ブルーのシルフは鼻で笑った。

『そういう事なら、良い事を教えてやろう。あの見習いが、引き継ぎをするときに部下達に言っていたんだが、これが中々に良い事を言っていたのでな。日常の業務など六割程度の力でやっておけと。そうじゃないと、いざという時に全力で動けない。常に全力は厳禁。常に全力疾走していたら、転んだ時に大怪我するのは自分だから、普段は肩の力を抜いて、適当にしておけとな。どうだ? 我は中々の名言だと思うぞ』

「あの野郎。部下に何言ってるんだよ」

 吹き出したマイリーは、覆っていた手を離して、枕元に座るブルーのシルフを見た。

「人にはそれぞれ一番あったやり方があります。俺にはこれしか出来ない。これでも、この怪我のおかげで、かなり人に頼る事を覚えたと自分では思っているんだけどな」

『まあ、本人がそう思っているのなら、我が横から何か言うような事では無いな。しかし、そう思っているのなら、オパールの主にもう少し仕事を振れ。其方に何かあった時に困るのは彼らなのだからな』

「忠告感謝するよ。確かにその通りだな。まあ、ルークもかなりの事をしてくれていると思うがね」



 その言葉にもう一度鼻で笑ったブルーのシルフは、ふわりと浮き上がってマイリーの胸元に飛んだ。



「まあ良い。今は其方も頭の中はいっぱいだろうさ。とにかく少し休め。其方は人間なのだから、休息は必要だ」

 そう言って、ずれていた夏用の毛布をそっと掛けてやった。

「ああそうだな。おやすみ。今日も有意義な時間だったよ」

 笑ってそう言うと、マイリーはそっと目を閉じた。

 彼と仲の良いシルフ達が、枕元に何人も現れ、静かに寝息をたて始めた彼の額に、交代で何度も何度もキスを贈っていたのだった。

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