タガルノの森の中にて

「ガイ、蒼竜様への連絡は済んだのか?」

 すっかり暗くなった森の中で、ここだけは光の精霊達が灯す明かりに照らされた場所に、何人ものアルカディアの民達が手慣れた様子で夕食の用意をしていた。

 背後から掛けられた声に、彼は目の前でシルフが手を振って消えるのを確認してから振り返った。

「ああ、とりあえず現状報告は済んだよ。向こうも大爺のところへ主殿と一緒に行っていたらしく、驚くべき事を教えてくれたよ。これじゃあ、はっきり言って俺達の方がもらい過ぎだ」

「一体何を教えてくれたのだ?」

 バザルトの驚いた声に、ガイは肩を竦めた。

「今回の、結界の崩壊無しの玉座の引き継ぎは、明らかに人間の手で行われた。あの、城で賢人と呼ばれている人物が全てを取り仕切ったのは分かった。しかし、その奴が何者なのか全く分からん以上、迂闊な手出しは出来ない」

「まあ確かにその通りだ。しかし……」

「その疑問を、蒼竜様が一部だが解いてくれたよ。要するに、タガルノに新たな守護竜が誕生した。そして、その竜は正当なる主を得ている。その為に、守護の結界が新たに生まれ、第二王子の取った方法が何であれ、結果として玉座が正しく引き継がれた」

 その言葉に、バザルトだけでなく、周りにいた全員が息を飲んだ。

「だが、城にそのような兆候は一切無いぞ。あの王も王妃も、間違いなく竜の主では無い」

「もちろん、守護竜とその主は別にいる。ここではなく……別のところで守られているよ」

「何処だ。その主は何処にいる。何があろうと、居場所を確認して、絶対なる守護の結界を張って、我らの総員を以ってでも守らねばならんぞ」

 バザルトだけでなく、周り中の注目を集めたが、しかし、ガイは笑って首を振った。

「心配はいらないよ。間違いなく、この地上であそこよりも安全な場所は無い」

「なんだと?」

 バザルトの問いに、ガイは笑ってもう一度首を振った。そして、身を乗り出すようにして聞いている周りの者達に向かって掌を向けた。

「大爺が、これに関してはこれ以上言うなってさ。要するに、言葉に出してはならないって事だ。まあ、ここはそれぞれが、それぞれ自分の仕事をしっかりして貰えば、それで良いんだよ」

「成る程、よく分かった。つまり、正当なる主を得た守護竜が復活した為に、今回、正しい方法で玉座が引き継がれ、それによって結界の崩壊がおこらなかったわけだ」

「地下に眠る奴にとっては、更なる計算違いだろうな。古竜が人の世界に関わり出しただけでも、あれだけ焦ってあちこちに手を回していたのに、そのことごとくが失敗に終わり、挙句に己の腕までもが、もがれて永遠に封印されてしまった。そして、守護竜の復活だよ」

「いっその事、泣いて精霊界に逃げ帰ってくれんもんかね」

 バザルトの言葉に、ガイは堪えきれずに吹き出した。

「その意見には、心の底から同意するよ。この際、城に忍び込んで皆で精霊界への扉を開いてやれば良いんじゃ無いか? こちらからならどうせ一方通行の扉しか開かない訳だから、案外喜んで逃げ帰るんじゃ無いか?」


『それはやめて!』

『あんな厄災を私達に押し付ける気?』

『絶対やめて!』

『それは駄目!』


 突然、目の前に現れたシルフ達に怒ったようにそう言われて、二人は揃って吹き出した。

「ごめんごめん。言ってみただけだって。本当にやる訳じゃ無いよ。まあそうだよな。何処であれ奴を野放しにする方が、今よりも絶対に危険だよな」

 顔を見合わせた二人は、肩を竦めてもう一度ため息を吐いた。

「結局、あのまま永遠に地下で眠っててくれるのが、一番良いって事だな」

「問題を先送りしているだけにしか見えないけど、まあそうだろうな。今はそれ以外の解決策は俺も思いつかないよ」



 もう一度大きなため息を吐いたガイは、立ち上がって大きく伸びをした。



「無事に王位も引き継がれたし、あとはあの賢人の正体だな。いっそ、城に誰か忍び込んで、近くで顔を見たほうが早いかもな」

「顔を見たら分かると思うのか?」

「さあね、だけど少なくとも、人間なのかそれ以外なのかは分かるだろう? まあ、単なる俺の勘だけど、あの賢人は敵じゃ無いよ」

「それは俺も思うが、それならなぜ我々に連絡をよこさないのだ? 仮に、竜人だとしたら間違い無く精霊使いだろうに。俺達が城を見張っている事ぐらい気付きそうなものだぞ」

「そこなんだよな。バザルトは、何故連絡が来ないと思う? こっちからはあれ程、うるさいくらいにシルフを寄越しているのに、全て完全に無視だ。まるで、以前の誰かみたいだと思わないか」

 そのガイの言葉に、バザルトは黙り込んだ。

「確かに、まるで以前の古竜のようだな」

「じゃあさ。古竜が俺達を無視していたのは、何故だと思う?」

「一つには、人の世界に興味が無かったから。そして、我々如きが何をしようと、自分には関係無いと思われていたのだろう。勝手にしろと言われたも同然だったからな」

「まあ、邪魔はされなかったから、少なくとも認めては貰えていたようだけどな。それと全く同じなんだよ。奴はタガルノを立て直す事には全力を注いでいるが、それ以外の、自分自身の事も含めて一切を頓着していない。与えられた部屋に置かれた豪華な調度品も、見向きもしていない。彼にとってはただの椅子だからな」

「ティルマイヤーの装飾花瓶に座られた時には、俺でも叫びそうになったからな」

「あれ、一つがいくらするか知ってたら、絶対あんな事しないぞ」



 二人は、顔を見合わせて呆れたようにそう言って笑った。



「あの部屋に置かれた調度品と装飾品達に、心の底から同情するよ。せっかくの新たな部屋の主人に一瞥もされないどころか、下手すりゃ椅子や机扱いだもんな。財産が目的なら、少なくとも、豪華な調度品に囲まれたあの部屋には喜ぶだろうに。あの賢人は相当な変わり者だと思うぞ」

「その賢人、お前の予想では誰なんだ?」

 全く予想出来ないバザルトの言葉に、ガイは笑って指を口元に立てた。

「じゃあ、バザルトも考えろよ。この問題を解く手掛かりは、その人物はタガルノを守ろうとしている事。そして、少なくとも玉座の引継ぎを指示出来るほどには、この国の政に対しても知識がある。そして恐らくだが……人ではあるが、人間では無い」

「降参だよ。さっぱり分からん」

 暫く考えて両手を上げるバザルトを見て、ガイは笑って立ち上がると振り返って城の方角を見た。

「とにかく、今はもうちょっとだけ見守るとしよう。この先どうなるかは、本当に……誰にも分からないんだからさ。大爺は言われたそうだ。未だ確定した未来は見えない。この国に光が差すか、或いは新たなる崩壊の第一歩となるのか。まずは新たなる王の動向を見守るとね」

 そう話しながら背を伸ばすガイの後ろ姿を見て、バザルトは小さくため息を吐いた。

「いずれにせよ、我々は傍観者だ。まずは、新たなる王を戴いたこの国の行く末を見届けるとしよう」

 バザルトの言葉に、ガイは振り返りもせずに頷いた。



「彼は、一人で全てを救おうとしている。守護竜の加護を失って長年迷走していたこの国を、果たして何処まで立て直せるのか。肝心の新たなる守護竜は未だ幼く力を持たない。守護竜が成長するまでには、まだ少なくとも数十年単位の年月が必要だ。それまで、借りられる手は、借りた方が良いと思うんだけどな」

「言ってくるかな?」

「どうだろうね。新たなる王が、まつりごとを彼に丸投げしたら、もしかしたら何か言ってくるかもな」

 肩を竦める彼を見て、バザルトは考えながら同じように城の方角を向いた。

「ガイ。お前は、あの城の賢人は誰だと思ってるのだ?」

 振り返ったガイは、正面からバザルトを見つめた。

「この国が守護竜を失った、あの悪夢とも言える竜の背山脈への大遠征の時に、遠征に参加していた家臣の中に一人だけ竜人がいたはずだ。死んだ事になっていて国へは帰って来ていない。俺は、あの賢人はその本人か、あるいはその意思を継いだ子孫だと思っている。守護竜の死に責任を感じ、新たな守護竜の誕生を待っていたのだとしたら、急にこの激動の時にまるで待っていたかのように現れた理由は説明が付く。そして、政に詳しい理由も説明が付くよ」

 呆気にとられて聞いていたバザルトは、無言で何度も頷いた。

「確かに十分有り得るな。元家臣ならば、王や貴族達が何を喜び何を嫌がるか熟知しているだろう。竜人はあの国では歓迎される。そこまで分かっていれば取り入るのは簡単だろうな」

「まあ、あくまで予想でしか無いけどな。だけどもし違っていても、当たらずといえども遠からず、だと思ってるよ」

 そう言って笑うガイは、以前のような若さ故の軽い言動はすっかり鳴りを潜め、彼とこうやって話をしているとまるでキーゼルと話しているかのような錯覚さえも起こしそうになるのだった。

「キーゼル、お前の最後の教え子は、俺なんかよりもよほど優秀だよ」

 苦笑いした彼は、大きく深呼吸して立ち上がった。



 ちょうどその時、食事の支度が出来たとの呼び声にその話はそこまでになり、二人は揃って振り返って返事をした。

 周りで彼らの話を聞いていた者達も、自分達の食事を受け取る為に立ち上がった。

「まずは腹拵えだ。何であれ、食事は大事だからな」

 大きな椀によそられたスープと焼き締めたパンを受け取りながら、ガイは嬉しそうに笑ってそう言った。



 頭上の枝に座ったブルーのシルフは、ずっと黙ってそんな彼らの話を聞いていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る