砦での勉強会

「勉強にはこの部屋を使う。隣が書庫になっているんだ」

 食事が終わってマイリーに案内された部屋は、本部の小会議室よりも小さな、机と椅子が並んでいるだけの部屋だ。

「まずは、書庫へ行こう」

 言われるままに、そのまま続きになった隣の部屋へ向かう。



 そこは、書庫というだけあって文字通り書類であふれていた。

 壁一面に棚が作られ、束になった書類が積み上げられていた。部屋の真ん中にも大きな本棚がいくつも天井まで等間隔にびっしりと並んでいて、そこにも束ねられた冊子がぎっしりと詰まっている。

 呆気にとられて本棚を見上げていると、彼らに気付いた第二部隊の兵士が、一台のワゴンを押して駆け寄って来た。

「マイリー様、こちらにご希望の書類と冊子はご用意しております。どうぞお使いください」

 ぎっしりと積み上げられた冊子や書類の束が乗ったワゴンごと渡され、マイリーはそれを押してそのまま隣の部屋に戻っていった。

 我に返ったレイとカウリが慌ててワゴンを押すのを代わり、無言の争いの結果レイがワゴンを押す事になった。



 元の部屋に戻った彼らは、言われるままに移動式の黒板を持って来て、二つ合わせた机に、用意されていた国境地帯の大きな地図を広げた。

 並んで席についた二人を見て、向かい側に座ったマイリーは、まず過去の戦いの際の兵士の動きを、ファンラーゼン軍とタガルノ軍とに色分けした駒を使って地図上に展開して説明していった。

 実際の地図の上で説明されると、兵達の動きがよく分かる。

 竜騎士隊は、竜の形をした駒を使う。

 何度かの戦いを再現されていて、レイは気が付いた。

 竜騎士隊が到着すると、一気に前線がタガルノ側に下がるのだ。それはつまり、竜騎士隊が到着する事で戦力に大きな変化が現れる事を意味していた。

 一通りの説明が終われば、今度は逆にこう攻められたらどうするかなど、実際に地図を使って駒を動かした。

 タガルノ側をマイリーが担当して、次々に襲いかかる部隊を見習い二人の共同戦線が迎え撃つ。砂時計で計っている時間の間、竜騎士隊が到着するまでいかに持ち堪えるかが勝負の分かれ目となる。

 一度目はあっという間に攻められて、十六番砦を落とされてしまった。そのまま十七番砦へ逃げようとした所を背後から急襲されてしまい、結局竜騎士隊が到着する前に戦線は崩壊してしまった。



「ほら、負けたぞ」

 呆れたようなマイリーの言葉に、二人は無言で机に突っ伏した。

「じゃあどうすればよかったんですか? 攻めてこられたら迎え撃つ以外出来ません」

 困ったようなレイの言葉に、カウリは無言で考えている。

「兵士の数は普段通りで大きな変化はない。各砦に配備されている実戦部隊は、概ね一個大隊から中隊程度で、十六番砦で千人程度。十七番砦は実戦部隊が五百から七百程、十八番砦が一番少なく実戦部隊の兵士は三百程度。一気に動かせない以上は、伝令のシルフを通じて支援のための準備をさせるのが一番か……そうなると、まずは十六番砦の兵士には、砦を絶対に守らせる必要がある。ならば、迂闊に出ずに、ここを守ればいいのか。マイリー、もう一度お願いします」

 駒を並べながらそう言い、カウリはレイを手招きした。

「レイルズ、良いか。すぐに迎え撃って出るのでは無く、各砦へ連絡して増援を待ちつつ砦を守るんだ。だから、これ以上は出てはいけない」

 駒を動かして攻めてくるタガルノ軍を押し返し、その場を必死で守った。攻撃は、六面体のサイコロと呼ばれる駒を使って決めて、一定時間を過ぎれば増援部隊が到着する。しかし、それはタガルノ軍も同じで、時折休憩を挟みながら、一進一退の攻防が続いた。

 主にカウリが考え、時にレイが提案して守る砦の守備はなかなかのもので、結局一度負けただけで後はなんとか凌ぎきり、竜騎士隊の増援で決着が着いた。

 昼食を挟んで、午後からは先ほどの攻防戦と同じような実戦の資料を見せられ、駒を動かしながら当時の戦いを再現して確認した。



「な、事務書類が大事な意味がちょっとは分かっただろう?」

 散らばった書類を整理しながら、カウリが面白そうにレイを見てそう言った。

「確かにそうだね。何百年も前の戦いも、詳しい資料を残していてくれるから、今の僕達がそれを見て戦いを再現出来るんだもんね」

「この国は、昔から事務処理の大切さを理解してくれている稀有な国だよ。だから、散逸した資料は少ない。まあ散逸した書類が全く無い訳ではないけれどな。それこそ、この国の前身である、三つの国が争っていた時代の史料でさえも、完璧では無いが残ってるくらいだからな」

「そうなんだ、すごいね。でも、千年以上前の資料はさすがに無いよね」

「それは無理なんじゃ無いか? そもそも、紙を竜人の賢者が人間に広めたのが千年前だって言われてるからな」

 その言葉に、レイは手にした書類を見つめた。

「じゃあそれまでの人って、どうやって字を書いていたの?」

「石板と呼ばれる柔らかい石に、鉄筆と呼ばれる金属製の針で引っ掻くようにして書いたな。それから、羊皮紙と呼ばれる、羊などの獣の皮をなめした、薄い革を使っていたのさ。羊皮紙はその後も紙と並行して比較的最近まで公文書では使われていたよ。まあ、今はさすがに使われていないがね」

 マイリーの説明に、カウリも頷いている。

「ああ、精霊王のお話の中には羊皮紙って言葉が何度も出て来ますね。僕、変わった紙の名前だと思ってました」

 照れたように笑う彼を見て、マイリーが立ち上がった。

「ここにも少しだが古い羊皮紙の書類があるぞ、見てみるか?」

「見てみたいです!」

 目を輝かせるレイに、カウリは吹き出した。

「それは確かに、俺も見てみたいですね」

 束ねた書類を置いて、二人が立ち上がる。

 まずは、借りた資料を書庫に返し、マイリーは書庫にいた兵士に何か言ってからまた別の部屋ヘ向かった。

 後を追いかけて来た兵士が、鍵のかかったその部屋を開けてくれた。



 部屋の中には、シルフがいて棚に風を送っていた。

「ご苦労様。少し見せてもらうよ」

 シルフにそう声を掛けて、マイリーは奥に作られた棚に向かった。

 そこには硬い羊皮紙が何枚も束ねて置かれていた。



「例えば、これは何が書いてあると思う?」

 笑ったマイリーが、丸めて紐で縛った羊皮紙の山から一本の羊皮紙の筒を取り出して見せる。

「砦に置いてあるぐらいだから、戦いに関する資料でしょう?」

 カウリの答えに、レイもそう思ったので隣で頷く。

「じゃあ見てみようか」

 紐を解いて、その羊皮紙を広げる。

「そっちを持ってくれるか」

 机に置いて端をカウリに持たせて、一気に広げる。

「レイルズ。読んでみてくれるか」

 マイリーに言われて、レイは正面に回ってその羊皮紙に書かれている文字を見た。少し古い書体だが、ラディナ文字なので読むことが出来る。

「えっと。三の月の十一日、晴れ。今日も退屈で堪らない。ハウルは金を返さないし、チョコルは彼女に振られて泣いてばかりいる。毎晩酒に付き合わされて、俺は腹が痛い……何これ?」

 途中からカウリは吹き出し、マイリーも笑っている。

「ええ、ちょっと待って。何ですかこれ。誰かの日記?」

「日記は日記でも、これは日報。つまり兵士が書く、その日一日何をしていたかという報告書だよ」

 日報の存在はレイも知っている。まだ公式のものではないがレイも書くように言われて、一日何をしたかなどを書いてルークに渡しているのだ。

「待ってください。日報って、こんな事書いて良いの?」

 呆れたようなレイの言葉に、もう一度カウリが吹き出す。

「まあ、大昔にこれを書いた兵士は、まさか数百年後にまで自分の書いた愚痴まがいの日報が残って、後世の人々に読まれるなんて思ってもいなかっただろうな」

 大真面目なマイリーの言葉に、もう一度二人揃って吹き出した。

「ハウルにお金返してもらえたのかな?」

 笑いながらレイがそう言うと、マイリーが笑いながら丸まった羊皮紙の山を指さした。

「この羊皮紙の日報の山の中には、ハウルが賭け事で大儲けして、溜まっていた借金を全部まとめて清算してくれた話や、チョコルって奴に新しい彼女が出来て、別の街へ一緒に駆け落ちしたって書かれた日報もあるぞ」

「何それ! 面白い!」

「後は、どこの街の酒が美味いとか、つまみは自分は何が好きか、なんて内容の日報もある」

「それもう、兵士が書く日報の内容じゃありませんよね。はっきり言って完全に個人の日記でしょう」

「途中から、ずっと同じ兵士の字が続いているからな。恐らく、周りも面白がって止めなかったんだろうな。で、結果として後世まで、借金したり振られたり駆け落ちした話や、どこの酒が美味いなんて馬鹿話が残った訳だ」

「馬鹿過ぎる……だけど、こういう馬鹿は嫌いじゃないですよ」

 大笑いしているカウリの言葉に、マイリーも同意するように頷いて笑っている。

「いつの時代にも、馬鹿やって遊んでいる奴はいたって事だ」

「この、兵士の愚痴日記の話は、酒のネタでよく聞きましたけど、まさか本当にあったとはね。しかも羊皮紙……貴重な資料のような振りして、まさかの愚痴日記!」

 笑いを堪えられないカウリの言葉に、マイリーも笑いながら羊皮紙を丸めている。

「だけど、これだって、当時の兵士達の考えや生活を知る上では、立派な生きた資料なんだぞ」

「そりゃあそうでしょうけど、やっぱり馬鹿ですね」

「ああ、馬鹿だな」

 その言葉に、堪えきれずに、もう一度全員揃って吹き出したのだった。



「一応、真面目な資料もあるぞ。こっちは戦後交渉でタガルノ側に賠償を求めた時の資料の下書きだ。校正が面白いんだぞ」

 差し出された羊皮紙を、また三人がかりで広げてレイが読む。

「校正ってこの赤字で書かれているのですよね。えっと、もっと分捕ってやれ。こっちは……甘っちょろいこと書くな、もっと厳しく書け……何これ?」

 またしてもカウリが吹き出し、マイリーも笑っている。

「どうも、この時代のやつらは、かなり色々と適当だったみたいでな、ほぼ全てにおいて、残っている下書きの資料はこんな感じだよ。城の書庫に保存されている真面目に書かれている正式な書類を見ても、裏でこんな校正がされていたのかと思うと、全く信用出来ないぞ」

「面白い、正式な書類だけじゃなくて、こんな下書きの書類があると、また違ったものが見えてくるんだね」

 目を輝かせるレイに、カウリも笑っている。

「事務仕事の恐ろしさでもあるな。後世まで思わぬ資料が残っちまう」

「じゃあ、千年残る事を考えて日報は真面目に書かないとね」

 大真面目なレイの言葉に、カウリとマイリーは、またしても二人同時に吹き出した。



 レイの肩の上では、ブルーのシルフが面白そうにそんな彼らを眺めていたのだった。

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