星系信仰と天文学
慌ただしく日々は過ぎ、気がつけばもう八の月半ばになろうとしていた。
レイは、精霊魔法訓練所での授業内容が一新されて新しい科目が増え、また大混乱の日々を過ごしていた。
彼が受ける事になった高等科と呼ばれる一般学科の授業は、大学の授業と同等のものになる。その為、訓練所の教授ではなく、王立大学から何人もの専門の教授が来てくれるのだ。
実は、通常なら訓練所で一般学科を終えて高等科を希望した学生は、許可されれば特待生としてそのまま王立大学に編入となり、そこで高等科に当たる科目を勉強する事になるのだが、レイルズの場合は、さまざまな事情を鑑みて、このまま訓練所で授業を続ける事になったのだ。
巨大なお城の東側、一の郭の端にある王立大学の広い敷地と、精霊魔法訓練所は隣接している。その為、生徒の事情によっては、こういった配慮がなされるのは決して珍しい事ではなかった。
そして、午前中は自習で、午後からが個人授業という形も基本的に変わっていない。
なので、今まで通りに皆で一緒に自習室で勉強をしているのだった。
「政治と経済、用兵と兵法、基礎医学と薬学、語学と文学と古典文学、それから天文学……もう駄目。僕、最近この名前を聞いただけで頭痛がするんだけど、これって何の病気なんだろうね」
「心配しなくても、大学に入った奴はほぼ全員最初にかかる病だから諦めろ。これの治療法はただ一つだよ。勉強しろ」
キムに笑って簡単に言われてしまい、レイは小さな悲鳴を上げて読んでいた本に突っ伏した。
先程レイが言ったのは、全て高等科に入って新しく始まった科目で、それ以外にもさらに難しくなった数学や歴史の授業も引き続きあり、上位の精霊魔法や、光の精霊魔法の授業も三人一緒にまだ続けられていた。
特に彼を困らせているのが天文学で、始まってからまだ間が無いにも関わらず、想像以上の難しさに、既にレイルズにとっては上位魔法陣の時以上の最大の難敵となっていた。
「だけど、やりたかったんだもん、天文学……」
突っ伏したままそう呟くレイの背中を、クラウディアとニーカが慰めるように撫でてくれた。
「私には何も出来ないけど、応援してるからね。頑張れ!」
「そうよ、私達では何もしてあげられないけど貴方ならきっと出来るわ。どうか頑張ってね」
「ありがとう。うん、僕、頑張るよ」
ニーカとクラウディアの心のこもった励ましに笑って顔を上げたレイは、自分がこの天文学を選んだ日の事を思い出していた。
楽しかった街歩きが終わって本部に戻った翌日、ヴィゴが訓練所に同行してくれて一緒に新しい高等科についての説明を受けたのだ。
「高等科では、通常の授業以外にも希望があれば科目を追加出来ます。もしも、何か習いたい科目があれば出来る限り希望に添いますので、まずはこの科目一覧をご覧ください」
ケレス学院長の言葉に、同席していた事務方の人が渡してくれた紙を受け取る。そこには学院長の言葉通りに、大学で受ける事の出来る科目の一覧と、それがどのような学問であるのかが簡単に書かれていた。
「用兵と兵法、基礎医学と薬学は、士官以上の軍人には必須科目だから既に申し込んである。どうだ、他に何かやりたいものはあるか?」
横から、ヴィゴが一緒に覗き込みながらそう教えてくれた。
しかし、どれもあまりにも専門的過ぎてレイには何が何だかさっぱり分からなかった。しかし、ある一行で彼の視線は釘付けになった。
「天文学……あるんだ、そんな科目が」
亡き父と母が信仰していたという星系信仰。
オルダムではもう聞く事の無い名だが、それは今では信仰という形では無く、星の運行を読み解き、暦を作る学問として残っているのだと教えられた。
春分や秋分などは、季節の区切りとなる神殿での祭事の日を決めたり、農民達が主に種まきの時期などを知る為の目安として使われるものでもある。
レイは今までに何度か城の図書館へ行った際に司書に教えてもらい、初心者でも分かると書かれた簡単な天文学の本を何冊も読んでいたのだ。
だが自分で勉強出来る事はたかが知れている。誰か教えてくれる人はいないかとずっと密かに思っていたのだ。
「ねえヴィゴ、僕これがいいです。天文学、やってみたいです」
目を輝かせるレイのその言葉に、ヴィゴだけで無く、ケレス学院長も驚きに言葉も無かった。
「天文学を選ぶとはまた驚きだが、まあ気持ちは分かるぞ。そうだな。確かに、お前にはふさわしい学問かもしれんな」
レイルズの両親の事については、ヴィゴもマイリーから詳しく聞かされている。星系神殿の巫女であったという母親と、その神殿の護衛の兵士であったという父親。両親が信仰していたそれを、レイルズが知りたいと思うのは当然の事だろう。
「学院長、では彼の希望通りに天文学を加えておいて下さい。ただし、全くの初心者ですから、そこは、どうかご配慮をお願い致します」
何か言いたげな学院長だったが、ヴィゴが頷くのを見ると笑って大きく頷いた。
「畏まりました。ではそのように致しましょう。はっきり申し上げて天文学は難しいですよ。ですが素晴らしい学問です。どうかしっかり学ばれますように」
嬉しそうに笑った学院長は、受け取った一覧をヴィゴに渡し、彼が天文学の欄に印を入れてサインをするのを見ていた。
サインを終えたヴィゴが、その書類を事務員に返す。
「ではこちらで手続きと準備を致します。八の月から授業は始まる予定ですが、教授陣の予定次第で少しずれる場合もありますから、授業の日程が決まり次第予定表を本部へお届け致します」
事務員と共に、もらった書類を確認しながら学院長は笑顔でそう言い立ち上がった。
「ではレイルズ。これからもどうかしっかりと学ばれますように。何か困った事があれば、いつなりと相談に応じますので遠慮なく仰ってください」
「ありがとうございます。これからも、どうかよろしくお願いします」
立ち上がって嬉しそうに満面の笑みで答えるレイに、学院長も事務員も嬉しそうに何度も頷いていた。
「ねえブルー。ブルーは天文学って解る?」
広げた天文学の教科書の横に座って自分を見ているブルーのシルフに、レイはふと思いついて聞いてみた。
『もちろん知っているぞ』
すると、ブルーのシルフだけでなく、ニコスのシルフ達までが三人揃って笑いながら頷いているではないか。
まさか、こんなところに先生がいたなど思いもしなかったレイは、嬉しそうに笑って顔を上げた。
一番最初の、暦の区切り方の項目で既につまずいているレイにとって、ブルーとニコスのシルフ達は、この日から新しい先生となったのだった。
突然、シルフと話をしていたかと思うと、いきなり計算を解き始めたレイを四人は驚きの眼差しで見つめていた。
「そうか、これで割り出せるんだ。じゃあこれも出来るね」
別の頁をめくり、また、もの凄い勢いで計算を始める。
「私達には何の事だかさっぱり分からないけど、彼には解ってるみたいね」
呆れたようなニーカの言葉に、キムとマークも笑って頷いている。
真剣に計算をするレイを見つめていたクラウディアは、彼が計算を終えて一息ついたところで不思議そうに話しかけた。
「レイは、どうして天文学なんて難しい科目を選択したの? 私には分からないけど、竜騎士様には必要なの?」
驚いたレイは、横に座る彼女を見て首を振った。
「違うよ。これは僕がずっとやりたかった学問なんだ。だけど、お城の図書館で読んでも、専門書はさっぱり分からなくて、諦めてまず初心者向けの本を何冊か読んだんだ。だけど、それだと具体的な計算方法なんかはそんな本にはほとんど載っていなくてね。だから、高等科で教えてもらえるって知って、絶対これがやりたいってお願いして選んだんだよ」
「それは俺も思ってた。どうしてまた、難しい学問の代名詞にもなってる天文学なんてのを選んだんだ? ってね。元々勉強したかったって言ったけど、それはまたどうしてだ?」
単なる疑問だったのだが、笑って話すレイの説明を聞いて、四人は言葉を失った。
「天文学の前身とも言える星系信仰って知ってる?」
レイの言葉に、唯一クラウディアが頷いた。
「星そのものを信仰する教えですよね。神学の歴史で習いました。オルダムでは聞く事は殆どありませんが、海沿いの街や島国では、今でも深く信仰されていると聞きました」
「よく知ってるね。そうだよ。僕の亡くなった両親は、若い頃、その星系神殿の巫女と神殿の護衛の兵士だったんだって。だから、オルダムでは星系信仰は無理だけど、天文学なら勉強として教えてもらえるって知って、絶対いつかやりたいって思ってたんだよ」
教科書と、天文学の専門書をそっと抱きしめるレイを見て、全員が納得した。
亡くなった両親が信仰していたのなら、それは知りたいだろう。
「それなら、お前はもしも星系信仰の神殿があれば、そこへ行って信徒になるのか?」
マークは思わず我慢出来なくなって質問した。
竜騎士は皆、精霊王の忠実なる
大人の事情を心配する二人に、クラウディアは笑って首を振った。
「私に、星系信仰について教えてくださった神官様が仰っていました。星系信仰は、精霊王の教えに反しないので、海沿いの街では、精霊王の神殿に一緒に祀られている事もあるそうですよ。レイのご両親がどこの街のご出身だったのか私には判りませんが、きっと、精霊王の事も祈っていてくださった事でしょう」
笑って説明するその内容に、マークとキムだけでなく、同じ事を考えて心配していたニーカも安心したように笑って納得した。
「えっとね、僕が調べた限りでは、星系神殿には精霊王と英雄達みたいに、人の形をした神様はいないんだよ、唯一人の姿をしているのが聖デメティル様なんだけど、その方は、迷える者を正しき道に導くのが役目であって、信仰の対象ってわけでは無いから、小さな彫像がある程度なんだって。それも、祭壇の下の信仰者と同じ高さに祀られているんだって。星系信仰では星そのものが信仰の対象だから、祭壇にあるのは、星や太陽を表した青の色ガラスの窓や、絵や彫刻なんだって。その彫刻も人はいなくて、輝く太陽や星を立体的に彫って表したり、布を何枚も重ねて波状にひだを作って空や風を表したりするんだよ。神殿って言っても、全然違うんだね。だから、精霊王が一緒に祀られている神殿では、精霊王の後ろの背景が夜空になっているんだって。僕、いつか行ってその祭壇を見てみたいんだ」
嬉しそうに、星系信仰と星系神殿について詳しい説明をするレイの事を、皆、感心しながら聞いていたのだった。
その日、昼食が終わって解散した後、キムが教室へ入るレイを見送りながら小さな声で呟いた。
「きっと、天文学を学ぶ事で、レイルズは亡くなったご両親を身近に感じてるんだろうな。俺が教えてやれないのが心底残念だよ。誰か、知り合いで天文学を教えられそうな人っていないかな?」
「俺も思ったんだけど、さすがにそれは無理だよ。俺の知り合いにそんな学のある人はいないなあ」
キムの呟きを聞いて、マークも残念そうに頷いている。
「残念だけど、俺もどう考えても思い付かないよ。あ、だけど長寿な竜人だったら、逆に星系信仰について何か知ってたりしないかな」
「そうだな。それに海沿いの街の出身者がいれば、星系信仰の信者が案外いたりするかもしれないぞ」
目を輝かせて頷き合った二人は、部隊に戻ったら調べてみようと、頭の中で調べる為の段取りを考えていたのだった。
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