年齢と居酒屋でのひと時

「ほら、離れるんじゃないぞ」

 人波に押されてラプトルから離れそうになったニーカを、カウリはすぐに気が付いて庇うように背中を押して自分の側へ来させてくれた。

 丁度ラプトルの横に彼女が来るように、彼が少しラプトルから離れて間を空けてそこを歩かせてやる。

「ここなら大丈夫だろうからさ。ああ、このベルトを持っていると良い。それとも、手でも握っててやろうか?」

 カウリにとってみればからかい半分だったその言葉に、ニーカはまるで花が綻ぶように笑って頷き、嬉しそうにカウリの空いた手を取った。

「嬉しい。まるで、お父さんと歩いてるみたいだね」

 照れたようにはにかむその笑顔を前に、カウリは言葉も無かった。

「お前、そこはせめてお兄さんて言ってくれよな……いや待て。ちょっと聞くけど、おまえ……今、幾つなんだ?」

 彼女が未成年なら、俺の歳ならまあ確かにそうかもしれない、などと呑気に思った彼は、ニーカの答えに衝撃を受けた。

「十二歳よ。秋が来たら十三歳になるの」

 笑顔で胸を張るニーカの予想外のその答えに、カウリは無言で空を見上げた。

「おお、なんてこった。十二歳だと……うん、そうだな。確かに俺は、紛う事なき父親世代だな。じゃあ、父親代わりとしては、これくらいしないとな」

 小さく笑ったカウリは、声を掛けてしゃがんでニーカを軽々と抱き上げると自分の右肩に乗せてしまったのだ。

「きゃっ!」

 驚いたニーカだったが、レイルズよりもまだ背の高い彼の肩は、ラプトルの背の上よりは低いが、周りから完全に飛び出した状態だ。

「すごいすごい!高いよ、カウリ」

 はしゃぐ彼女を見て、カウリも楽しそうに声を上げて笑った。

 神殿へ到着するまで、カウリはずっとそのまま抱いてくれていたのだった。

 そんな二人を、一番後ろを歩いていたレイとクラウディアは、驚きつつも微笑ましい気持ちで見つめていた。

 マークとキムは、カウリとニーカのすぐ後ろ歩いていて、神殿へ到着するまでずっと、必死になって笑いを堪えていた。




 いつもの時間よりも遅くなった彼女達を心配していた僧侶達は、レイ達四人の兵士と一緒に帰ってくるのを見ると、納得して笑顔で迎えてくれた。

 差し入れの雪玉は、特に巫女を始めとする女性陣に大喜びされていた。

「レイ、送ってくれてありがとう。あの……」

「うん。じゃあまたねディーディー」

 周りに人がいて恥ずかしくて顔を上げられないディーディーを見て、レイは特に何も言わずにいつものように笑って手を振った。

「カウリ、送ってくれてありがとう。またね!」

 ご機嫌で手を振るニーカに、カウリも笑って手を振り返した。

「おう、それじゃあまたな」

「それじゃあまたな、ニーカ、クラウディア」

「また一緒に勉強しような」

 カウリに続いて、キムとマークも笑って手を振る。

「沢山の差し入れまでいただいて、本当にありがとうございました」

「皆様、どうかお気をつけて」

 笑顔で並んでいる僧侶や巫女達に見送られて、四人は軽々とラプトルに乗って神殿を後にした。



「いやしかし、笑わせてもらったよ」

 レイとカウリの後ろを進むキムの言葉に、マークも頷いて苦笑いしている。

「え? 確かにずっと笑っていたけど、何がそんなにおかしかったの?」

 不思議そうに振り返るレイに、キムとマークの二人は笑いを堪えてカウリを見ている。

「カウリが、どうかしたの?」

「お前、もしかして、あのニーカの言葉が聞こえてなかったんだな。いやもう、聞こえた時には笑いを堪えるのに苦労したよな」

「いやまあ、確かにそうだけど……それにしてもよりにもよって、お父さんって! カウリと手を繋いで、ニーカはこう言ったんだよ。お父さんと歩いてるみたいだね、って!」

 キムの言葉に、マークも堪えきれずに同時に吹き出した。半瞬遅れてレイも吹き出した。カウリも堪えきれずに吹き出している。

「まあ驚いたけど、そりゃあ十二歳のお嬢さんからすりゃ、俺なんか確かに父親ってか、おっさん世代だろうよ。ちょっと今夜は、ベッドで毛布被って泣いてくるわ」

 泣く真似をするカウリを見ていたレイは、笑いながら無邪気に更にとんでもない事を言った。

「確かにそうだね、そうか、じゃあカウリは僕のお父さんでもおかしくないよね」

「いや待て! それはあんまりだぞ! 俺はこんなデカい子を持った覚えはないぞ!」

  咄嗟に叫ぶカウリに、キムとマークが、今度は堪えきれずに同時に吹き出す。

「レイルズ、いくらなんでもそれはカウリに失礼だろう。ってか、カウリって本当は幾つなんですか? 三十過ぎくらいでしょう?」

 マークの何気ない質問に、今度はレイが吹き出した。

「良かったね、カウリ、ずいぶん若く思われてるみたいだよ」

 キムもカウリはそれぐらいだと思っていたから、二人は揃ってレイを見て首を傾げた。

 レイはそんな二人をみて、笑ってカウリを見た。

「言って良い?」

 無言で頷く彼を見て、少し考えたレイは、すぐ近くに人がいない事を確認してから目を輝かせてこう言ったのだ。

「副隊長と、参謀殿と同い年だよ」

 一瞬何を言っているのかわからなかった二人だったが、マイリーとヴィゴが四十五歳の同い年である事はよく知られている。ようやくそれに思い至った二人はほぼ同時に悲鳴を上げた。

「ええ! 四十五歳? じょ、冗談だろう?前回もそんな事言ってたけど、冗談も過ぎると失礼だぞ」

「レイルズ! そうだぞ。冗談にしても酷すぎるぞ。カウリに失礼……」

 笑って頷いているカウリを見て、二人はもう一度悲鳴を上げたのだった。

「有りえない。幾ら何でもそれは有りえない!」

「だよな。幾ら何でも、お二人と同い年って……有りえないよな。前回聞いた時、絶対冗談だと思ってたぞ」

「俺も本気にしてなかった。それどころか、レイルズがようやく冗談を言うようになったと思って喜んでいたのに!」



 マークとキムの二人はまだ信じていない様子で、ずっとそんな事を言っている。

「なあ、ここまで実年齢を否定されると、逆に悔しくなるのは何でだろうな?」

 苦笑いしながら、そんな二人を見てカウリがそんな事を言い出したものだから、レイはもうずっと笑いを堪えるのに苦労していた。

「ねえ、この先って、あのビーフシチューの屋台があった場所だよね。もういないのかな?」

 円形市場の近くまで来たレイは、思い出してまたあのビーフシチューが食べたくなった。

「ああ、あの屋台はうまかったよな。残念だけど、あの屋台は期間限定なんだよ。だいたい冬から春までで、花祭りの後にはもう撤収してたよ」

「ええ! そうなんだ、残念。カウリにも食べてもらいたかったのに」

「お気遣いありがとうな。だけど、忘れてるみたいだから言っておくけど、俺はおまえより何年も前からオルダムに暮らしてるんだぞ。当然、円形市場のビーフシチューの屋台は知ってるよ。ってか、毎年楽しみにしてるから今年も何度も食いに行ったって」

 笑いながらそう言うカウリに、レイも笑顔になった。

「やっぱりそうなんだね。あのお店、本当に美味しかったもんね」

「何が違うんだろうな。確かにあれは美味い」

 大真面目に、そんな話をしている二人を見て、キムは笑いながら素敵な提案をしてくれた。

「俺達は、今夜は外食の予定だったからさ。何なら一緒に行くか?」

「行きたい!」

 目を輝かせるレイを見て、三人はまたしても吹き出したのだった。




「それで、どこへ行くの?」

 キムの案内で、円形市場では無くまた別の場所へ向かいながら、レイは嬉しそうに何度も周りを見回していた。

「居酒屋だよ。レイルズはまだ未成年だけど、まあ、その見かけなら入れるだろうからさ。酒以外の飲み物も色々あるからそっちを飲んどけよな。カウリは? お酒は大丈夫ですよね?」

「大好きだぞ。ってか、底無しって言われてるから心配するな。一緒に飲むと、毎回酒がもったいないって言われてる」

「ああ、いますね。たまに。いくら飲んでもほろ酔い程度で、顔色とかが全く変わらない奴」

 苦笑いするキムに、カウリも笑って頷いていた。



 到着したのは、大きな建物で真ん中の柱に見事な木彫りの竜が座っていた。

「黒竜亭って店だよ。串焼きが名物。串の数で会計するんだ。飲み放題だから、ここへ来たら好きなだけ飲めるんだよな」

 嬉しそうに目を細めてそう言い、カウリも笑っている。

「おお、黒竜亭に来るのは久し振りだな。ここの串焼きは、どれも美味いんだよな」

 目を輝かせるレイの背中を押して、四人は入り口でラプトルを預けて木札をもらうと、店員の案内で中へ入って行った。

「四人分の飲み代、先に払っとくよ」

 カウリが店員にお金を渡すのを見て、三人は慌てた。

「飲み代だけ奢ってやるよ。食った分は自分で払えよ」

 声を揃えてお礼を言う三人に、カウリも笑顔になった。



 広い店の中は、机が何列にもなって置かれていて、その左右に椅子がぎっしりと置かれている。壁際には数名用の丸い机も幾つも置かれている。

 何台もの大きなワゴンが、その机の間を縫うようにしてあちこち移動している。よく見ると、お酒を乗せているワゴンと、数人がかりで串焼きを焼きながら移動しているワゴンがあるのだ。

 四人は、壁際の四人だけで座れる机に案内してもらった。

「あれを呼び止めて好きなのをもらうんだよ。おすすめは、赤肉の漬けダレ焼きと、薫製肉の揚げ焼きだな」

 カウリの説明に、レイは目を輝かせて近づいて来るワゴンを見た。

「俺は、人参と青豆の肉巻きのやつが好きですね」

「ああ、あれも美味いよな」

 キムの言葉に、カウリが笑って頷く。

「どれもございますよ」

 丁度話す声が聞こえたワゴンの店員が、笑顔でそう言い止まってくれた。

「今の全部ください!」

 満面の笑みのレイがそう言い、三人が吹き出す。

 笑顔の店員は、レイがここへ来るのが初めてだと聞いてからは、お勧めの串焼きをいくつも教えてくれた。

 お酒を乗せたワゴンも来てくれて、それぞれ好きな飲み物を頼んだ。

 レイも、リンゴを使ったごく軽い発泡酒を少しだけ貰ってみた。これは、お酒扱いはされていなくてオルダムでは子供でも普通に飲んでいる。



「それじゃあ、レイルズの無事の単位修得を祝って、乾杯!」

 カウリの言葉に、三人もグラスを上げた。

「乾杯!」

「乾杯!」

「精霊王に、感謝と祝福を!」



 最後のレイの言葉に、三人はまた笑った。

「相変わらず真面目な奴だな。居酒屋でそんな乾杯する奴初めて見たぞ」

 レイが飲んでいるのとは比べ物にならない程のきつい酒を、まるで水のように一気に飲むカウリを、三人は呆れて見ていた。

「自分で言うだけの事はある。確かにあれは、酒を作っている人が見たら……泣くな」

「だよな。あの酒をあんな飲み方する人、俺も初めて見たよ」

「うわあ、あんな飲み方したら、僕、確実にぶっ倒れる自信があるよ」

 レイの悲鳴のような声に、キムは振り返った。

「レイルズ、心配するな、あれは普通じゃない」

 真顔のキムの言葉に、四人は顔を見合わせて笑い合った。

「ひでえ言われようだな。まあ、わかる気はするけどな」

「そう思うんだったら、もうちょっと味わって飲んでやってくださいよ」

 マークに言われて、カウリは空になったグラスを差し出してワゴンを呼び、まとめて何杯か出してもらっていた。



「ねえ、あれ何? あの肉で一つって事は無いよね?」

 レイが目を輝かせて、左隣に座るキムの肩を叩く。

 振り返ったキムは、近づいて来るワゴンを見て、また吹き出した。

「さすがにあれを一本って数えたら、店が潰れるって。あれは頼んで外側の焼けた部分を切り取ってもらうんだよ、それで、切った肉を串に刺してくれるんだよ。お願い、こっちに来てくれ」

 手を上げてそのワゴンを呼ぶと、人数分切ってもらうように頼んだ。

「僕、二本もらいます!」

 嬉しそうなレイの声に、店員も満面の笑みになった。

 巨大な肉の塊を、丸ごと火で炙っては削ぎ切りにしていくそれは、確かに豪快で嬉しくなった。焦げ目が付いた切り取られた分厚くて長い肉は、別の店員が手慣れた様子で金串に刺して渡してくれるのだ。

 レイの目の前には、分厚い肉がぎっしり刺された金串が二本置かれた。

「どうぞごゆっくり、またいつでも呼んでください」

 一礼した店員は、全員分の串を置くとまた別の机へ呼ばれて行った。

 次々と持ってきてくれる様々な串焼きを、レイは目を輝かせて食べ、時々はあのリンゴの発泡酒を飲んだ。

 お互いの話は尽きず、満腹になっても、お酒を前にして、いつまでも四人で笑い合った。

 普段の食堂とは違う、賑やかな居酒屋の雰囲気に、レイはすっかりご機嫌になっていた。



「さて、そろそろ戻らないとな」

 残っていた酒を一気に飲み干したカウリがそう言って三人を見る。一応、それぞれ自制して飲んでいたようで、潰れている人はいなかった。

 それぞれの目の前には、食べ終わった金串が入った瓶が置いてあり、店員に言って数えてもらう仕組みになっているのだ。

 これでは、はっきり言って不正し放題なのでは無いかと密かに心配したが、キムが笑って天井のランタンを指差してみせた。

 言われて見上げてレイも納得した。

 上には、それぞれ何人ものシルフが座っていてそれぞれ机を見ているのだ。

「数を数えてるわけじゃ無いんだけど、串を隠したりすると、彼女達が教えてくれるんだって。いつも思うけど、あれってどうやってるんだろうな?」

 カウリの言葉に、キムが笑って上を見た。

「俺も疑問に思って聞いてみた事があるんだけど、なんでもここの店主が、昔シルフを助けてその時に約束を交わしたんだってさ。店の営業時間中、不正を見つけて教えてくれればそれで良いからって」

「へえ、精霊との契約の話はたまに聞くけど、本当にやったって人は初めて聞いたよ。すげえな、何があったんだろうな。シルフを助けるって」

 マークが感心したようにそう言い、レイも驚いて頷いた。

「本当だね。人間がシルフを助けるって事自体、想像が出来ないね」



 楽しそうに笑う彼らを見て、ランタンにいたシルフが一人降りて来た。


『店主は闇の気配に囚われた子を助けてくれた』

『我らは恩を忘れない』


「闇の気配って……」

 一瞬で真顔になる四人に、そのシルフは笑って首を振った。


『それは偶然が生んだ闇の亀裂』

『大丈夫だよここは清浄なる地』


「本当に問題無いんだな?」

 真顔のカウリの言葉に、シルフは笑って頷いた。

「そうか、それなら良いよ。それじゃあ頑張ってお手伝いするんだぞ」

 そう言ってやると、シルフは嬉しそうに笑って手を振ってまたランタンへ戻って行った。

「それじゃあ、会計を頼んで帰ろうか」

 シルフを見送って、四人は店員に会計をしてくれるように合図を送ったのだった。

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