オルダムへの帰還と貧血対策
遠くで誰かが話す声が聞こえる。
目を覚ましたカウリは、呻き声を上げて目を開いた。
しかし開いた目に飛び込んできた見覚えの無い高い天井に、ここがどこだか分からず何度も瞬きをする。
「お、気が付いたな」
その声に横を向くと、本を手にしたヴィゴがこっちを向いているのが見えた。
自分が横になっていたのは、先程まで勉強するのに使っていた、学習室の窓際に置かれたソファーのようだ。
へえ、ここの天井って高かったんだな。
現実逃避にもう一度天井を見上げていると、足元にハン先生が立っているのに気が付いた。
「ようやくのお目覚めですね。気分はどうですか?」
額に乗せられた布を取り、顔を覗き込まれた。
銀髪で、女性と見紛うばかりの美貌の持ち主に急接近されて思わず仰け反る。
「逃げないでくださいよ。間も無くガンディが来てくれますから、シルフの診断の結果と併せて今後の治療を考えますからね」
そもそも自分がなぜ横になっているのか、カウリには全く覚えがない。
「ええと、ちょっとお聞きしますが、なんで俺、ここに横になってるんでしょうかね?」
全く、思い当たる記憶が無い。
「ヴィゴとここで勉強をしていた事は?」
「あ、それは覚えてます」
ゆっくり起き上がりながらそう答えて、彼に本を渡そうとして、立ち上がった時に酷い立ちくらみを起こした事を思い出した。
「ああ、もしかして……貧血か何かですかね?」
その時、ノックの音がしてガンディが助手と一緒に入って来た。
「倒れたそうだな。おお、気が付いたか。どれ、診て進ぜよう」
横に座ったガンディに顔を掴まれて、大人しく彼の方を向く。
大きなシルフが、彼の身体の中に吸い込まれていった。
しばらくの沈黙の後、出て来たシルフがガンディの耳に顔を寄せて何か話した。
「いかんな。これは酷い。お前さん、不摂生しとるなあ」
呆れたようなガンディの言葉に、ヴィゴが背後で吹き出すのが見えた。
「まあ、俺の日常が健康的な生活だったかどうかは……甚だ疑問ですかね?」
「こら、どうしてそこで疑問形なんだよ」
笑ったヴィゴがそう言って、座った彼の背中を叩く。
「竜騎士は、竜射線の影響で貧血になりやすいんじゃ。どうやら其方は普段からかなりの貧血気味のようだ。健康診断で引っかからなかったのか?」
「さあ? 特に言われた事はありませんけどね」
覚えが無い彼は、首を振って立ち上がろうとしたが、ガンディに止められた。
「もう少し休んでいろ。どうやら、血の様子を見るにカナエ草の薬も足りていなかったようじゃな。とにかくこれを飲みなさい」
差し出されたいつものカナエ草の薬を二粒飲む。
「次からは、一度に二粒飲みなさい」
「分かりました」
さすがに竜熱症は怖いので素直に頷く。そしてある事を思い出して口を開いた。
「あの、俺って恐らくなんですけど、薬が効きにくい体質なんだと思います。今まで大きな病気はした事が無いので分かりませんが、怪我をした時に痛み止めが全く効かなくて、以前酷い目にあった事があるんですよ」
彼の話に、ガンディとハン先生が同時に振り返った。
「詳しく聞かせろ、それはいつの話じゃ?」
真顔のガンディに詰め寄られて、また仰け反る。
「ええと、確かもう五年は前の話しですけどね。荷物を運んでいる時に起こった荷崩れが原因で左肩を脱臼したんですよ。しばらく固定したままでかなり不自由な思いをしました。その時に出してもらった痛み止めが全く効かなくてね。夜、痛くて眠れなくて大変だったんですよ」
「五年前ならまだ記録が残っているはずです。本部の診療記録を調べます」
立ち上がったハン先生がそう言って足早に部屋を出ていくのを見送り、カウリは困ったようにガンディを見た。
「ええと、結局、その時はもらっていた痛み止めを倍量飲んで、なんとか凌ぎました」
「ちょっと待て。お前、まさか医者に相談せずに勝手に飲んだのか!」
大声でそう叫んだガンディにまたしても真顔で詰め寄られて、もう一度大きく後ろに仰け反る。
「いやだって、痛かったんですから……」
「この大馬鹿者が! 勝手に自己判断で飲む薬の量を増やすな。薬には適量と言うものがあって、必要以上に飲むと、特に内臓に負担をかけるんだぞ」
「うええ。す、すみません。それは知りませんでした。以後気を付けます」
もの凄い勢いで一喝されて慌てて謝るカウリを見て、ガンディが大きなため息を吐いた。
「まあ、確認したが、特に身体に問題は無さそうだ。だが、今後はそう言った事があれば、自分で判断せずに、必ず儂かハン先生に相談する事。よいな」
「はい、約束します!」
右手を上げて宣誓するように言う彼を見て、ガンディはもう一度大きなため息を吐いたのだった。
大人しくソファに座っているカウリは、まだ少し顔色が悪いように見える。
ガンディは、助手が用意していた簡易コンロを使ってカナエ草のお茶を沸かして、いつもよりも濃く煮出したものをカップに注いでカウリに渡した。
「飲んでおきなさい。苦いなら蜂蜜を入れろ」
受け取って素直にそのまま一口飲んだ彼は、思い切り顔をしかめてガンディを見た。
「うわあ……なんですかこれ。すっげえ苦いんですけど」
「当然だ。普段と違って、これは特に苦味を取り出すために直接火にかけて煮込んだものだ。だが当然、それだけ薬効成分は入っているんだから有り難く飲みなさい」
「蜂蜜ください。さすがにこれはちょっと無理だわ」
ガンディが差し出す蜂蜜の瓶を受け取り、たっぷりと注いでかき混ぜてからゆっくりと飲んだ。
「おお、蜂蜜の威力って凄いんですね。これなら別に飲めるな」
「それに関しては、タキス殿とエイベル様に感謝するんだな」
普通のカナエ草のお茶を飲んでいるヴィゴにそう言われて、カウリはもう一口お茶を飲んで小さく笑った。
「そうですね。元気になったら、女神オフィーリアの神殿へ感謝の蝋燭と花を捧げに行ってきます」
「行くなら、モーガンに言って、第二部隊の服を着て行けよ」
ヴィゴが顔を上げてそう言うのを聞き、カウリも驚いてヴィゴを見た。モーガンとは、カウリの担当になった従卒の名前だ。
「つまり、この服を着て行くのは不味いって事ですか?」
「まあ、まだ正式なお披露目までは半年あるからな。行くなら、神殿が開いている時間外に、特別に開けてもらって竜騎士見習いとして行くか、お忍びで行きますと言う報告だけして、第二部隊の服を着て行くかのどちらかだぞ」
「ぜひ、後者でお願いします」
頭を抱える彼を見て、ヴィゴとガンディは揃って笑っていた。
真っ暗になった中を光の精霊達に照らされて飛び続け、ようやく前方にオルダムの街が見えてきた時、レイは小さく安堵のため息を吐いた。
帰って来た、という安心感が不意に込み上げて来て、オルダムが自分の第二の故郷になっている事を感じて、嬉しくなった。
「やっと帰って来れたね。夜に見るとオルダムの街は綺麗だね」
現れたニコスのシルフにキスをして、レイは眼下に広がる明かりの灯ったオルダムの街と、篝火と幾つもの灯に照らされた何本もの尖塔が並ぶお城を嬉しそうに見つめていた。
「レイルズ、もう光の精霊達を戻してくれていいよ」
アルス皇子の言葉に頷いたレイは、ウィスプ達を呼び戻した。
「ご苦労様、おかげで怖くなかったよ」
目の前で嬉しそうに飛び回る光の精霊達に笑いかけてやると、次々に手を振ってペンダントへ戻って行った。
到着した彼らを、本部の中庭に、兵士達が並んで松明を振って出迎えてくれた。
タドラが先に降り、アルス皇子、マイリーの順で降りて行く。
彼らの竜が竜舎へ戻ってから、広くなった広場にレイもブルーを降ろした。
「ありがとうね。お疲れ様」
背中を滑り降りて、荷物と鞍のベルトを外してくれている間に、ブルーの顔に抱きついて額にキスを贈った。
「うむ、では我は湖へ戻る。ゆっくり休みなさい」
レイの体に頬擦りしたブルーは、そう言ってゆっくりと上昇して泉へ戻って行った。
本部の前では、ヴィゴを先頭に、全員が整列して四人の帰還を出迎えてくれた。
「ただいま! ねえカウリ、起きても大丈夫なの?」
端に並んだ見習いの制服を着た彼を見て、レイは思わず駆け寄った。
「おう、ただの貧血だよ。ちょっと休んだらもう大丈夫だって」
困ったように笑う彼の背中を、レイは力一杯叩いてやった。
「なんだよもう、心配したんだからね!」
態とらしい悲鳴をあげる彼を見て、マイリーとタドラも彼の背中を叩いた。
「新人苛め、はんたーい!」
隣に並んでいたユージンの後ろに隠れる彼を見て、皆小さく吹き出すのだった。
一旦部屋へ戻り、荷物を置いて服を着替えようとしたが、彼が持っているのが竜騎士見習いの服なのに気付いて、思わず彼を見た。
「あれ? 騎士見習いの服じゃないの?」
剣帯を外しながら尋ねると、ラスティは手にしていた新しい竜騎士見習いの制服を見せた。
「これからは、レイルズ様も普段から竜騎士見習いの服を着て頂く事になりました。着替える前に、まずは軽く湯を使って汗を流して来てください」
返事をして、言われた通りまずは湯を使うために浴室へ入った。
湯を使い、着替えて少し休んだら、皆で揃って夕食を食べに食堂へ向かった。
食堂で並んでいる間に、カウリが手帳を広げているのを見て、レイは彼の腕を突っついた。
「カウリ、何を見ているの?」
顔を上げた彼は、広げていた手帳を見せてくれた。
「貧血に効く料理だってさ。これを食べるようにしろって言われたから、今日の料理にあるやつを探しているんだよ」
うんざりしているのを隠そうともせずに肩を竦めた彼は、並んでいる料理を覗いては手帳を確認している。
「えっと、ちなみに今日は何があるの?」
それなら自分も食べた方が良いだろうか? 少し考えながら彼の手帳を見ると、一つメニューを見つけた。
「ねえ、あれがそうだよね」
大きな貝の身と芋のクリーム煮が並んでいるのが見えた。
「そうだな。まあ貝はあまり好きじゃないけど食べるよ。あ、これも書いてあるな」
濃い緑色をした葉物の野菜のバター炒めが見えた。他にもよく見れば貧血に効くとされている材料が、かなりの料理に使われている事に気が付いた。
「成る程ね。以前いた兵舎の食堂とは、料理が違うとは思っていたけど、そういう事か」
手帳を閉じたカウリの呟きに、レイは不思議そうに彼を見た。
「えっと、どういう事?」
「つまり、ここの食堂で作られてる料理は、基本的に貧血対策の料理が中心なんだよ。竜騎士だけじゃなく、竜の身近で働いている兵士も多いんだから、当然その彼らだって竜射線の影響を受ける。となると、ここにいる人間の殆どは、貧血対策が必要ってわけだよ」
書かれていた料理を順番に取りながら、そう言って笑う。
彼の取る料理をレイも取りながら自分が普段食べていたものとあまり変わらないのを見て、密かに安心していたのだった。
「レバーペースト。これは……少しにしておこう」
最後に、パンの横にバターやジャムと一緒に並んでいる茶色のレバーペーストが入った小皿を一つだけ取る彼を見て、レイもそれを真似て一つだけ取ってみる。
「これは気が付かなかった。あ、でもヴィゴやマイリーはいつもバターじゃなくてこれを取っていたような気がするね」
並んで座り、彼らのトレーを見てみると、レバーペーストの小皿がパンの数だけあるのが見えた。
「うわあ、あんなに食べるのかよ。無理! 俺はまずは一つ食べるのを頑張ろう」
お祈りを終えて呟くカウリを見て、レイは小さな小皿に入った茶色のレバーペーストを見た。
「初めて食べるけど、美味しくないの?」
「まあ、食ってみろよ。好みがあるから美味しいかどうかは俺は言わない」
苦笑いして食べ始めた彼を見て、レイはまずはパンをちぎって初めてみるレバーペーストを少しだけ塗って食べてみた。
「えっと、僕は別に美味しいと思うけど?」
「おお、凄えな。それは貧血に良いらしいぞ。しっかり食べろよ、育ち盛り」
笑ったカウリに背中を叩かれて、レイも笑って彼の背中を叩いた。
「カウリもしっかり食べてね。もうちょっと太った方が良いんじゃない?」
「それも言われた、でも、俺あんまり食べても太らないんだよな。まあもう少し筋肉つけようと思ってるから、それで体重が増えてくれると良いんだけどな」
カウリはレイを横目で見てため息を吐いた。
「お前は良いよな。まだまだ大きくなりそうだし」
「目標はヴィゴだもんね」
嬉しそうなレイの答えに、カウリだけでなく、そばで聞いていたロベリオやユージン達までが揃って吹き出したのだった。
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