精霊魔法訓練所にて

 翌日から、またいつもの日常が戻って来た。

 訓練所へ行くのは、週のうち四日程度で、あとは本部で剣術や弓の稽古、グラントリーが来てくれた時には礼儀作法や貴族について学び、あっという間に日々は過ぎて行った。



「毎日暑くなって来たね」

 朝練での走り込みの後、吹き出る汗を拭いながらそう言って笑うと、隣で座り込んでいるカウリも無言で頷きながら汗を拭いている。

 ハン先生とガンディの二人掛かりの徹底した指導の成果で、あれ以来貧血を起こす事は無いようだ。

 それに、改めてこうして見ると、彼の身体はここへ来た時に比べたら明らかに一回りは大きくなったように見える。

 カウリは、口では駄目だと毎回愚痴を言っている割りに、案外真面目に勉強も訓練もしているのだ。

「だけど頑張ろうね」

 笑って背中を叩いてやると、立ち上がって背中を叩き返された。

 笑って逃げると追いかけて来て、訓練所を二人で走り回り、またしても二人揃って汗だくになるのだった。



 朝食の後は、護衛のキルートや、カウリの護衛の人と一緒に精霊魔法訓練所へ向かう。

 精霊魔法訓練所でも、実技に関しては、このひと月半ほどで既に上位まで全ての単位を貰っているらしい。今はひたすら座学が中心なのだそうだ。

 それも、地理と数学はすぐに全部の単位をもらえて、今は歴史や精霊魔法の系統について主に勉強していると聞いた。



「僕より進むの早いんだね。良いなあ」

「おう、地理や数学は、普段から勉強していたからな。おかげで役に立ったよ。あ、言っとくけどそれ以外は、覚えるだけでも毎日必死なんだぞ」

 小さく舌を出す彼を見て、レイもその気持ちはものすごくよく分かった。

「最後の下位の座学の単位が取れたら、すぐに上位の魔法陣の描き方の講習も始まるらしいからな。聞く限り、これが一番大変そうだな。もう、本当に毎日毎日覚える事だらけで、正直言って頭が煮えそうだよ」

 パンをちぎりながら情けなさそうにそう呟く彼を見て、レイは慰めるように背中を軽く叩いた。

 今日は食堂でカウリも一緒になったので、マーク達やディーディー達と一緒に食事をしている。

 基本的に、彼はマークやキムとは話をするが、あまりディーディーやニーカとは話しているのを見ない。

 ディーディーも、どうやら彼には妙に気を使っているようで、一緒の席に座ってもあまり近くに来ない。ニーカは逆に、彼女の方からいつも彼に話しかけたりしている。

 ニーカに聞いてみると、竜舎で会った時には仲良く話してくれるのに、訓練所ではこんな感じらしい。

 それに、彼の周りにいるのは、明らかに貴族の、しかもそれなりに年齢の高い人が多いように見える。

「まあ、カウリは俺達とは明らかに歳が違うからさ。逆に気を使ってくれてるんだと思うぞ」

 午後からの教室へ戻るカウリを見送っていると、キムが笑いながらそんな事を言う。

「ええ、そうなの? でも、確かに歳は違うからね」

「そう言えば、カウリって幾つなんだ?」

 思い付いたようにキムに聞かれたので、年齢に関しては話しても良いと聞いていたので普通に答えた。

「四十五歳だよ」



 その瞬間、反対側にいたマークまでがもの凄い勢いで振り返った。



「はああ? 誰が四十五歳だって?」

 二人同時に、全く同じことを聞かれて、レイはもう一度答える。

「誰って、カウリだよ。今、キムが聞いたでしょう? 彼は幾つなんだって」

「じょ、冗談……だよな?」

「え? どこが冗談?」

 首を傾げて聞き返すと、二人は無言で互いの顔を見ている。

「いやいや、カウリ若く見え過ぎだよ。てっきり三十代前半ぐらいだと思ってた」

 態とらしくマークがそう言い、キムも笑って大きなため息を吐いた。

「いや、俺はもう少し上かと思っていたけど、それでも絶対三十代だと思っていたよ……ええ、待て。って事は、マイリー様やヴィゴ様と同い年だよな?」

「そうだよ」

 当然のように答えるレイを見て、二人は揃って大きなため息を吐いて首を振った。

「さすがにそれはちょっと……でも、何であれ無為に過ごした歳月は本当に勿体無いよな。成人してすぐに竜との面会に来られていたら、もっと早く伴侶の竜と出会えた筈なのにな。オルダムにだって、確か五年前には来ていたんだろう?」

「うん、そう聞いたね。彼のお父さんが、貴族だったらしいんだけど、彼の事を死ぬ直前まで認めようとしなかったんだって」

「ああ、本妻が妾の存在を嫌ってその子供の存在を抹消する、なんてそんな話も聞くよ。当の本人にしてみればいい迷惑だよな」

 彼のその後については話して良いとは聞いていなかったので、頷くだけにする。

「あ、教授が来たぞ。それじゃあまたな」

 キムがそう言って手を振って図書館へ戻って行った。



「へえ、レイルズが冗談を言うとはね」

 今の話を完全に本気にしていないキムはそう呟き、レイが冗談を言ったと思って密かに喜んでいたし、マークもレイの初めて冗談は、なかなか上手だったと内心では密かに感心していたのだった。




 今日は唯一の実技の授業の日で、竜人のティバル教授の指導で光の精霊魔法について詳しく習っているのだ。

 この授業の時は、ディーディーとマークもいつも一緒なので、レイにとっては楽しい時間なのだ。



 今日の説明が始まろうとした丁度その時、扉をノックする音が聞こえた。

「あ、来ましたね。どうぞ」

 教授の声に、扉が開く。そこに立っていたのは、いつもの竜騎士隊の服を着たルークだったのだ。

「あれ? どうしたの、ルーク。何かあった?」

 特に連絡は来ていないが、わざわざルークが来るのなら何かあったのだろう。せっかくの楽しい実技の日だったのに、帰らなくてはならないらしい。

 立ち上がろうとしたら、ルークは笑って手を上げてレイを止めると、当然のように彼の隣に座ったのだ。

「ルークです。今日からしばらく、こちらで光の精霊魔法の実技の授業だけ受ける事になりました。どうぞよろしくお願いします」

 驚きに声も無い三人に、にっこり笑ってそう言ったのだ。

「そう言えば、以前ブレンウッドから戻る時に、ルークも光の精霊が見えたって言ってたよね」

 目を輝かせてそう言うレイに、ルークは照れたように笑った。

「あれから、ガンディや殿下、ロベリオにも、時々光の精霊魔法について教えてもらっていたんだけど、何しろ忙しくてね。ようやく色んな事が一段落したんで、こっちで実技だけ改めて教えていただく事になったんだよ」

「彼は、ここの卒業生でもありますからね。復学は簡単な手続きだけで済みます」

 嬉しそうな教授の言葉に、ルークもここで勉強していたと聞いたのを思い出した。



 ルークが差し出す手を、頬を染めながらぎこちなく握り返すディーディーを、レイはちょっと複雑な思いで見つめていた。

 そんな彼を、マークは面白そうに横目で見ながら、差し出されたルークの手を握った。




 まずは、教授に言われてマークが光の盾を作ってみせる。

 光の盾は物理的な攻撃に対して、他の属性の精霊魔法の盾よりも高い防御力を持つ。特に闇の眷属に対して、唯一効果があるとされているのだ。

 教授がルークに教える横で、レイとマーク、ディーディーまで加わって一緒になって実演しながら説明して、その結果、ルークは教授が驚くほど早く光の盾を作り出す事に成功した。

「さすがは現役の竜騎士様ですね。これほど早くに覚えるのは初めて見ました。あとはもう慣れです。光の盾の拡大と縮小、そして瞬時の展開。盾の強化。何度もやって身体で覚えるしかありません」

 教授の説明に頷きながら、ルークは何度も確認するように光の盾を繰り出していた。



 最前線へいつ出るかわからない竜騎士である彼には、これは絶対に覚えたい精霊魔法でもあったのだ。

 だが残念な事に、光の盾が守る事が出来るのはその精霊魔法を使う本人のみなのだ。同じ場所に一緒にいれば守る事は出来るが、少しでも離れてしまうと守る事は出来ない。



「それでも、前へ出て止める事は出来るよな、特に、光の精霊魔法は闇の眷属に対して高い効果があると言われているからな」

 教授から、光の盾の強化の仕方の詳しい話を聞きながらそう呟くルークを見て、レイはマイリーの事を思い出していた。

「そう言えば、マイリーの怪我は、大きなガーゴイルにやられたって言ってたね」

 レイの言葉に、ルークは小さく頷いた。

「あの時は、皆驚きのあまり誰も反応出来なかったんだ。突然現れて、殿下めがけて飛びかかった巨大なガーゴイルを止めてくれたのが、たった一人反応して動いたマイリーだったんだよ。正直言って、俺は動く事も出来なかった」

 悔しそうなその言葉を聞いて頷きかけたレイは、不意に俯いたディーディーに驚いて隣を見た。

 ディーディーは、両手で顔を覆っている。

「マイリー様のお怪我は、まさか……闇の眷属によるものだったんですか」

 消えそうな声でそう言った彼女の肩は、小さく震えていた。

「ああ、怖がらせてしまって申し訳ない。もう、闇の眷属は駆逐しましたからご心配無く」

 優しくそう言うルークの声に頷いたディーディーは顔を上げて、泣きそうな顔で隣に座るレイを見つめた。

「えっと、大丈夫だよ、ディーディー」

 なんと言っていいのか分からず困ったレイはとりあえずそう言ったが、彼女はまた顔を覆って俯いてしまった。

「ごめんなさい。私、考えただけで怖くて……」

 慌てて彼女の背中を撫でてやりながら、なんと言って慰めようか考えていると、ディーディーが呟いた言葉に、レイは突然真っ赤になった。

「だって、もしもレイがそんな恐ろしい所に行く事になったらって、そう考えたら……私……」

 左右から心配そうに見ていたルークとマークは、それを聞いて見事に同じ角度で天井を揃って見上げ、同時にため息を吐いた。心配そうに見ていた教授も、苦笑いして同じくため息を吐いている。



 完全に二人の世界に入っているクラウディアとレイルズを見て、彼女の隣に座っていたマークは黙って立ち上がってルークの反対側に座った。それを見たルークも、笑って立ち上がるとマークの反対に回って座る。これで、レイとルークの間には完全に一人分の空間が空いた。

 それを見た教授が無言で彼らの前へ来て、何事も無かったかのように、二人を相手に光の矢の調整方法について話し始めた。

 そして二人も、当然のように教授の話を聞いていた。



 そんな彼らの動きに全く気が付かないレイは、なんとかディーディーに顔を上げてもらおうと必死になって、大丈夫だ、大丈夫だから心配しないで、と言い続けていたのだった。


 そして、そんな彼を、少し離れた場所に並んだブルーのシルフとニコスのシルフ達が、呆れたように笑いながら見つめていたのだった。

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