クムスンへの到着

「すっかり遅くなってしまったね。ではクムスンへ行こう」

「念の為シルフを飛ばしておきましたよ。少し遅くなるってね」

 皇子の言葉に、マイリーがそう言って立ち上がった。足元ではまだタドラが笑いながら転がっている。

「こら、起きないとまた擽るぞ」

 指先で背中を突つくと、悲鳴を上げてタドラが慌てて起き上がった。

 レイも笑いながら、タドラの背中を土を払うのを手伝った。

「じゃあ行くとしようか。あまり遅くなると、クムスンの皆が心配しそうだしね」

 順にそれぞれの竜の背に乗り、平原を後にした。

「あの遺跡には、絶対にまた来よう」

 皇子とマイリーは嬉しそうにそう言うと、一気にクムスン目指して加速していった。



 光の精霊達が照らしてくれる中を、四頭の竜はあっという間にクムスンの上空に到着した。

 着陸する前に光の精霊達はペンダントに戻ってもらい、これも街の隣に作られた大きな軍の駐屯地へ降り立った。

 夜遅い時間にも関わらず、ここでも兵士達が大勢整列して出迎えてくれた。


 出迎えたクムスンの司令官は、驚いた事にやや年配の女性だった。

 髪を短くしたその女性は、大柄な兵士達が多い中では小柄に見えるが、一見温和だがその鋭い眼光は、彼女がただの女性では無い事を示していた。



 司令官直々の案内で、一旦応接室へ案内された。

 改めてアルス皇子と握手を交わしたその女性は、隣に立つマイリーを見上げて嬉しそうに手を差し出した。

「元気そうだね。マイリー」

「エルザ司令官、お久し振りです」

 マイリーがそう言って、差し出された手を握る。

「うむ、確かに久し振りだね。しかし、お前さんは相変わらず酷い目にばかり会うようだな。だが、その度に強くなって帰ってくる。偉いぞ。立派になったな」

 愛おし気にそう言って、しっかりとマイリーを抱きしめたのだ。小さく笑ったマイリーも、自分よりも頭一つは小さな彼女をそっと抱きしめた。

「国境で、お前さんが酷い怪我をしたと聞き、どうなる事かと心配していたよ。だが余計なお世話だったようだな」

 離れて見上げた彼女の言葉に、マイリーは首を振った。

「これは、私ではなく、大勢の人が頑張ってくれたおかげですよ。俺はもう、正直言って諦めていましたからね」

 自分の左足の補助具を見て、マイリーは肩を竦めた。

「では、若いのを連れて来ましたから紹介します」

 そう言って、タドラとレイを司令官に紹介した。

「君がタドラだね。まだ二十歳だって? これもまた若いな。将来が楽しみだね」

 嬉しそうに笑って、握った腕を叩く。

 そして、隣のレイを見上げて小さく笑い、マイリーを振り返った。

「ヴィゴより大きいんじゃ無いかい、この子」

「さすがに、まだそこまで大きくはありませんよ」

 吹き出すマイリーを、彼女は驚いて見つめていた。

「何と。笑ってるよ、あの無表情の見本みたいだったマイリーが。いや月日は偉大だね、誰だい、お前さんに感情を理解させたのは?」

 からかうようなその言葉に、マイリー以外の三人が同時に吹き出した。

「エルザ。マイリーは照れ屋なだけで、実はこれでも普段は結構表情は豊かだよ」

 皇子が庇うようにそう言ったが、その声は笑っている。

「マイリーの表情が豊か? 初めて聞く言葉だね」

 しみじみ言ったその言葉に、今度は四人同時に吹き出した。

「もう勘弁してください。貴女が今仰ったでしょう? 月日って偉大なんですよ」

 マイリーの言葉に、改めて全員揃って大笑いになったのだった。



 また別の広い部屋に案内されて、クムスンの軍の上層部の人達も同席する中でお茶とお菓子を頂いた。

 レイは、その場で彼らに竜騎士見習いのレイルズとして紹介された。もちろん、まだ正式な活動はさせないが、来年の春の正式な見習いとしてのお披露目までに、竜騎士達に同行させて、まずは様々な環境に慣らせていく事も併せて伝えられた。

 その席で、レイは質問責めにあった。

 一応、話していい事は教えられているので、答えられる範囲で一生懸命に答えた



 ようやく解放されて部屋に行く頃には、もうレイは疲れ切っていた。

「疲れたよ、もう眠いです……」

 廊下を歩きながら必死で欠伸を飲み込んでそう言うと、タドラに笑って背中を叩かれる。

「今からそんな事言っててどうするんだよ。言っておくけど、正式に紹介されたらあんなもんじゃ無いからね。僕でも本気で神殿へ逃げ帰りたくなったんだから」

 前を歩いていたマイリーが、それを聞いて小さく吹き出した。

「そうだったな。誰かさんは、夜中に休憩室の隅で帰りたいと言って泣いてたな」

「マイリー! それは言わないで!」

 顔を覆って叫ぶタドラを、レイは驚いて見つめていた。

「だって、僕もレイ程じゃ無いけど、あんまり人と接した事が無かったからね」

 レイの視線に気づいたタドラは、誤魔化すように笑ってそう言ったのだ。



 レイは以前、光の精霊魔法をガンディからロベリオとユージンと一緒に習った時、タドラがご家族と上手くいっていないと聞かされた事を思い出した。

「えっと、神殿って? タドラは神殿にいたの?」

 彼は貴族だと思っていたが、違うのだろうか?

「ああ、僕は十四歳で神殿へ神官見習いとして入ったんだ。だけど、その四年後に竜との面会でベリルと出会って竜騎士になったんだよ」

 納得したレイは、タドラを振り返った。

「良かったね。エメラルドと出会えて」

「そうだね。あの子に会えて、僕は幸せだよ」

 顔を見合わせて笑い合った。

 そんな二人を、到着した部屋の前で皇子とマイリーは黙って見つめていたのだった。



「それではおやすみなさい」

 アルス皇子が部屋に入るのを見送り、隣の部屋にマイリーが、廊下を挟んでタドラとレイもそれぞれの部屋に入った。

「ねえ、マイリーの着替えを手伝わなくても良いの?」

 思い出して立ち止まったが、マイリーは世話係の従卒以外にも医療兵が三人、一緒に部屋に入っていくのを見て安心した。

 ライマーと名乗ったレイの世話係の男性は、ラスティと同期なのだと聞き、嬉しくなったレイだった。

 もう疲れたので、湯を使って早々にベッドへ潜り込んだ。



「明日は七点鐘の鐘で起きてください。明日の朝練は申し訳ありませんが、お休みとなっており有りません。ご希望なら訓練所を開けますがどう致しましょう?」

「えっと、お休みならいいです」

 やりたいと言えば本当に開けてくれたのかもしれないが、そんな無理は駄目だ。レイは慌てて首を振った。

「お食事の後、殿下をお迎えして観兵式を行いますので、ご一緒に立ち会っていただきます。前回、今の皇王様がまだ皇太子だった頃に巡回に来られた時は、ブレンウッドで観兵式が行われましたから、今回はクムスンの番なんですよ。皆、殿下がお越しになると聞いて張り切っていましたよ」

 明日の予定を説明してくれるライマーの言葉を聞いて、オルダムでアルジェント卿のご家族と一緒に見た観兵式を思い出して嬉しくなった。

「観兵式って何をするの?」

「オルダムの閲兵式程の大した事はしませんよ。整列して、殿下に剣を捧げるんです。ですが大人数ですから、近くで見れば迫力はあると思いますね」

「楽しみにしてます」

「はい、ではおやすみなさい。明日も貴方に蒼竜様の守りがありますように」

「おやすみなさい。ライマーにも、ブルーの守りがありますように」

「畏れ多いですね」

 笑って立ち上がった彼は、部屋のランタンの火を消して静かに部屋を出て行った。



「凄いね。オルダムで見たみたいにするのかな? 全員で剣を捧げるんだよ」

 枕元に現れたブルーのシルフに、レイは笑顔でキスをした。

「おやすみ。また明日ね」

「ああ、楽しみにしていると良い。おやすみ、良い夢を」

 横向きになって枕に抱きつくようにして目を閉じたレイの頬に、シルフはそっとキスを落とした。

 静かな寝息が聞こえて来ても、シルフはずっと枕元に座ってレイの真っ赤な髪を撫でていたのだった。



 翌朝シルフ達に起こされていつものように起きたレイは、朝練がわりに、ベッドで少しだけ柔軟体操をしておいた。

 肩を回していると、ノックの音がしてライマーが入って来た。手にしているのは竜騎士見習いの制服だ。

「おはようございます。そろそろ着替えをお願いします」

「おはようございます。じゃあ先に顔を洗って来ます」

 ベッドから降りて、まずは顔を洗いに洗面所へ向かった。

 竜騎士見習いの服を着て、剣帯に剣を装着して、小物入れにカナエ草のお薬とお茶、それからのど飴も入れてもらう。

「これって、竜が来ている時は他の人も飲むの?」

 中庭に三頭の竜が並んでいるのだから、一般の兵士も近く危険があるだろう。

「はい、お越しになった前日から、全員にお薬が配られています。まあ、数日程度なら危険は無いと聞いていますけれど、念には念を入れておかなければなりませんからね」

「あれ、じゃあ国境の砦の人達も? 皆飲んでたのかな?」

 思わず呟いたレイの言葉に、ライマーは頷いた。

「タガルノとの国境の三つの砦では、少量ですが日常的にお薬を飲んでいますね。定期的に摂取する事で、少量でもある程度の効果はあるそうですよ。国境の砦は、いつ戦いが起こって竜騎士の方が出撃するか知れませんからね、竜熱症への対策は手を抜くわけには参りません」

「大変なんだね。竜と人が一緒に暮らすのって」

「ですが、カナエ草のお薬のおかげで、病気にならないと分かっているのですから。皆、喜んで飲みますよ」

「そうだね。竜熱症は怖いんだよ」

 自覚は全くないが、竜熱症のせいで死にかけたのだと聞かされたら、やはり怖い。出来る対策は万全にするべきだろう。


『タドラです』

『おはようレイ』

『もう起きているかい?』

『食事に行くよ』


 丁度その時、ベッドに現れたシルフ達がタドラの言葉を伝えてくれる。

「はい、もう着替え終わりました。じゃあ行きますね」

 シルフにそう言って手を振り、レイはライマーに一礼した。

「お世話になりました。また会えたら、その時もよろしくお願いします」

 マイリーから、オルダムにいる竜騎士付きの人以外は皆、定期的に移動して担当の街が変わるのだと教えてもらった。

「そうですね。またお会いすることもあると思います。その時は、こちらこそよろしくお願いいたします」

 嬉しそうにそう言って笑ってくれた。

 各地に段々と知り合いが増えて、レイは何だか嬉しくなるのだった。






「今頃、クムスンで観兵式ですかね」

 壁一面が本棚で埋め尽くされた勉強専用の部屋で、書き写していた本から顔を上げて窓を見ながら呟くカウリのその言葉に、隣に座って説明のために本を開こうとしていたヴィゴは笑って頷いた。

「そうだな。それももうそろそろ終わる時間だろう。終わればそのまま次の街へ出発だ」

「忙しいんですね」

 呆れたようなカウリの言葉に、ヴィゴは重々しく頷いた。

「そうだぞ、次はお前も行くんだからな。それまでに覚えてもらう事は山程有るんだから覚悟しろよ」

「頭が痛くなってきたので、ベッドに戻って寝ても良いですか?」

 遠い目になるカウリに、ヴィゴは遠慮無く背中を力一杯叩いた。

「やめてください! 本気で骨が折れますって」

 相変わらず好き勝手に泣き言を言うカウリだったが、口で文句を言う割に、やるべき事はほぼ完璧にしている。なのでもう、これが彼のやり方なのだろうと、周りからは好意的に受け入れられていた。



「今日の夜には戻って来るんですよね」

「ああ、まあ今回は巡行はついでみたいなものだからな。いつもならもう少しゆっくり時間を取るんだが、今回はエイベル様の墓の設置が一番の目的で、あとは殿下が巡行なさったという実績と、ブレンウッドの精霊王と女神オフィーリアの神殿への参拝が主な目的だからな。ああそれから、レイルズの紹介だな。まあお前もすぐに行くんだぞ」

「ああ、だめだ。本当に頭が痛くなってきた」

 机に突っ伏す彼の背中を軽く叩いて、新しい本を取るためにヴィゴは立ち上がった。

「これはもう片付けて良いんですよね」

 顔を上げたカウリが、最初に使った数冊の本を手にした。

「ああ、それもここへ一緒に戻しておくよ」

 振り返って手を伸ばした彼に、本を渡そうとカウリは椅子から立ち上がった。



 その瞬間、酷い立ちくらみを起こしたカウリの視界はそのまま真っ暗になった。



「カウリ!」

 ヴィゴが自分を呼ぶ声が遠くに聞こえる。

 危険を感じて椅子の背にしがみついた所までは覚えているが、彼の意識はそこで完全に途切れてしまったのだった。

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