参拝の準備と内緒の誘い
案内された広い部屋で竜騎士の人達だけでなく、キルガス司令官や見た事のない貴族の人達と一緒の席で夕食を食べる事になっていて、レイは緊張のあまり食事の味が殆ど分からなかった。
順番に紹介されても挨拶するのが精一杯で、誰が誰かなんて覚える余裕は全く無い。
平気な顔をしながら内心で大いに焦っていたが、目の前に現れたニコスのシルフ達が、笑って胸を張っているのを見て我に返った。
『大丈夫だよ』
『私達が覚えているからね』
『任せて任せて』
「よろしくね。僕には絶対覚えられないよ」
お皿の縁に座ったシルフ達にそう言って、こっそり笑いかけた。
緊張しかない食事が終わり、大人達はこの後場所を変えて話をするのでレイはそこで部屋に戻るように言われた。タドラと違ってまだ未成年である彼は、一応、配慮はされているらしい。
「明日の予定はウォーレンに言ってあるから、準備は彼がしてくれている。着替えは彼が教えてくれるから言われた通りにしなさい。朝練は軽くな」
「分かりました。ではお休みなさい」
順に挨拶してくれる貴族の人達にも応えて握手を交わし、喫煙室へ消える一行を見送った。タドラが困ったように肩を竦めるのを見て、レイはちょっと心配になった。
「タドラは吸わないって聞いたけど、一緒に喫煙室に行ったね。大丈夫かな?」
目の前のシルフにそう言うと、彼女達は笑ってごく軽いつむじ風を巻き起こした。
『守ってるから大丈夫だよ』
『煙いのは嫌なんだって』
「そっか、それじゃあ安心だね」
それを聞いて、笑ってシルフ達にキスを贈った。
迎えに来てくれたウォーレンと一緒に部屋に戻り、少し休んでから湯を使って早めにベッドに入った。
「おやすみなさい。明日も蒼竜様の守りがありますように」
ウォーレンにまでそう言われて、レイは嬉しくなって彼にキスを返した。
「おやすみなさい、明日もウォーレンにもブルーの守りがありますように」
「畏れ多い。私は精霊王の守りでお願いします」
顔を見合わせて笑い合った。
『お疲れ様。ずいぶんと緊張していたようだな』
明かりが消えて暗くなってから枕元に現れたブルーのシルフに言われて、レイは笑ってシルフを突っついた。
「黙って見てたなんてずるいよ。ちょっとくらい助けてくれても良いのに」
『それは知識の精霊達がやってくれているのだろう?』
「あの子達、本当にすごいよね。うん、頼りにしてるからよろしくね」
目の前に現れて、嬉しそうに手を振るニコスのシルフ達に笑って手を振り返し、レイは見慣れない部屋の天井を見上げた。
「豪華なお部屋だね。今でも、僕が竜騎士になるなんて夢を見てるみたいだよ……」
不安気なその言葉に、シルフ達が何度もその頬に慰めるようにキスを贈った。
「うん、一人じゃ無いもんね……おやすみ、明日は神殿へ参拝に、行くん……だよ……」
枕に顔を埋めるようにしてそう呟くと、しばらくして静かな寝息をたて始めた。
ブルーのシルフと、ニコスのシルフ達がゆっくりとレイの肩を押して枕から顔を上げさせる。
『おやすみ良い夢を』
額にキスをしたブルーのシルフは、そのまま枕元で、眠る彼をずっと愛おしげに見つめていたのだった。
翌朝、いつもの時間にシルフ達に起こされたレイは、言われた通り、朝練は軽くこなして、早めに用意された朝食を食べた。
案内された部屋には竜騎士の人達だけで、思わず安心した顔をしたら三人から笑われてしまった。
「だって、すごく緊張したんですから」
パンをちぎりながらそう言うと、マイリーがニンマリと悪そうな笑みになった。
「昨日の食事くらいで緊張してたら、今日の参拝はきっと泣くな」
「そうだね。隠れて泣くかもしれないね」
「そうですよね。やっぱりそうなりますよね」
マイリーと皇子だけでなく、タドラにまでそんな事を言われてしまい、レイは大いに焦った。
そして思い出した。
前回、ルークと一緒に来た時でさえ、神殿に参拝するのはあれだけの大騒ぎだったのだ。それが今回は、アルス皇子とマイリーとタドラ、それに自分の四人が一緒に行列するのだろう。
「うわあ。街中が大騒ぎですよね、これって」
「今更気付いたのか。前回、ルークと一緒に参拝しているだろうが」
吹き出す三人を見て、レイは口を尖らせた。
「だって、前回は僕は護衛の一人だったんですから」
「食事の後、レイルズの役割と参拝の段取りを説明するからね。しっかりと聞いておきなさい」
皇子に言われて、レイはとにかく頷くしか出来なかった。
皇子の言葉通り、食事の後に別室へ連れていかれて、マイリーとタドラの二人掛かりで今日の参拝の段取りを説明された。詳しい内容を聞き、ちょっと気が遠くなった事は内緒である。
「どうしよう、何だか大変な事になってるんだけど……」
一緒に聞いてくれたニコスのシルフに、レイは言わずにいられなかった。
『大丈夫だよ』
『お歌は知っているでしょう?』
「そりゃあ習ったけど。習ったけど、そんな大勢の人の前で歌うなんてやった事無いよ」
頭を抱えるレイを見て、タドラは笑って背中を叩いた。
「まあ、まだ独唱は無いからね。お参りも、僕達の後だからやり方は分かるでしょう」
「一応、習ったけど……自信無いです」
困ったように笑うレイに、タドラが顔を寄せた。
「その為の見習いの制服なんだよ。分かるかい。万一、何か失礼があっても、見習いなら何か言われる事は無いよ。後から注意される事はあっても、咎められる事はないから安心して。これも経験だからね」
「うう、頑張ります」
間違っても叱られないと聞き、少し気が楽になったレイだった。
部屋に戻り、ウォーレンが用意してくれていた竜騎士見習いの制服を着る。腰にミスリルの剣を装着したら準備は終わりだ。
「はい、これでよろしいですよ。では、いってらっしゃいませ」
笑って背中を叩かれて、元気に返事をした。もう、ここまで来たら開き直るしかないだろう。
廊下で待っていてくれた三人と一緒に外へ出ると、そこには既に大勢の兵士が整列していた。全員が、煌びやかな正装でラプトルに乗っている。順にラプトルが引かれてきて四人の前に並んだ。
「あ、ケティだね。今回もよろしくね」
前回、神殿への参拝の時に乗ったのと同じラプトルだった。
一目見ただけでそれに気付いたレイに、係の兵士は感激を隠さなかった。
ゆっくりとラプトルに乗る。
アルス皇子を先頭にマイリー、タドラ、レイの順だ。
周りを兵士達が囲み、隊列を組んだままゆっくりと進み始めた。
軍の敷地から出た途端に、早くも大歓声が沸き起こった。
「さあ、しっかり胸を張って前を向いていなさい」
耳元で聞こえたマイリーの声に、レイは元気に返事をしたのだった。
レイ達を見送りドワーフ達もいなくなった後、タキス達は手分けしていつもの用事を順に片付けていた。子竜の世話が終わったら、あとは畑仕事だ。
そろそろ夏野菜の収穫が始まる畑に入って、野菜の出来を見ていた時、頭上に蒼竜の姿が見えて三人は慌てた。
「レイ、何かあったのですか?」
慌てて駆け寄ったが、その背には鞍は無く誰も乗っていない。
「蒼竜様、いったい何事でございますか?」
家畜と騎竜の世話をしてくれていたシヴァ将軍とアンフィーも、驚いたように表へ駆け出して来た。
「ふむ、子供達の様子も落ち着いているようだし、少しぐらいなら出掛けても良いのではないかと思ってな、誘いに来てやったのだ」
三人は驚いたように顔を見合わせて首を傾げた。
「あの、どこへ行くと言うのですか?」
「明日、十点鐘の鐘の音と同時に、レイ達が精霊王の神殿へ参拝に出発する。レイの、竜騎士見習いとしての初めての正式な務めだ。どうだ? 見てみたいとは思わんか?」
まるで悪巧みを唆すようなその言葉に、三人は呆気にとられた。
「皇子が、せっかくだから其方達にも見てもらえと言ってくれたぞ。夜のうちに出れば間に合うだろう。それから、皇子からの伝言だ。他の皆は食べているのに、自分達だけニコスの噂のお弁当を食べられないのだけが心残りだ。とな。どうだ、行く理由には充分だと思うぞ」
それを聞いた三人は、堪えきれずに吹き出した。
「そ、そこまで言われては行かぬわけには参りませんね。わかりました、子竜の世話は、ブラウニー達に頼むと致します。夜のうちに出て、無事に見届けたらその日のうちに帰って来ましょう」
「強行軍だが、我らなら問題無かろう」
「そうだな、そこまで言っていただいて、行かない方が失礼だろう」
三人は頷きあうと急いでシヴァ将軍の元へ走った。明日、一日留守にするので後を頼むと伝えると、シヴァ将軍は笑って請け負ってくれた。
「どうぞ、こちらの事は気にせず行って来てください。留守はしっかりとお守りしますよ」
「では、神殿に着いたら、受付でこれを渡すが良い。計らってくれるとの皇子からの言伝だ」
ブルーの声を合図にシルフが持って来たのは、一通の封書だ。蜜蝋で封がされたそこには、尾に五本の棘を持つ竜の紋章が押されていた。
「守護竜の紋。我らのような者に、畏れ多い」
ニコスが息を飲む。受け取った封書を両手で捧げるように持ち、深々と頭を下げた。
「ご配慮感謝いたします。蒼竜様にも心からの感謝を」
「では、確かに渡したぞ。レイの晴れ姿を見てやると良い」
そう言って大きく翼を広げると、そのままゆっくりと飛び去って行った。
三人は顔を見合わせて声を上げて笑い合った。泣きながら、笑い合った。
その日の夜のうちにラプトルに乗って出発した三人は、暗い街道をタキスの飛ばした光の精霊を明かりにブレンウッドの街へ向かった。
到着したのは夜が明けた頃で、三人はそのまま緑の跳ね馬亭へ向かった。ラプトルを預けて自分達の朝食を取るためだ。
実は、春に買い出しに来た時に、バルテンからレイの正体について聞いていたらしく、ギードはかなりの時間、バルナルからなぜ黙っていたのだと散々愚痴を聞かされたのだった。
三人が来ても彼は驚かなかった。当然のように迎えてくれ、竜騎士様の参拝は十点鐘の鐘の音と同時に出発するそうだぞ。とまで教えてくれた。
いつもの朝食を緑の跳ね馬亭で食べ、早めに三人は神殿へ向かった。先に精霊王と女神オフィーリア、そしてエイベルに挨拶したかったのだ。
しかし、早朝にも関わらず、既に神殿は大混雑になっていた。
「これは参拝は無理そうじゃな」
「そうだな。残念だがここから祈っておくとしよう」
ギードとニコスはそう言って、扉の前で手を組んで深々と頭を下げた。タキスも隣で同じように祈りを捧げた。
「これを受付で渡せと言っていたな」
ギードの言葉に、ニコスは頷いて神殿横にある受付へ向かった。
出て来てくれた神官に、守護竜の紋の入った封書を見せる。目を見張った神官は両手でそれを受け取ると慌てたように三人を中に入れてくれた。
「こちらでお待ちください」
深々と一礼したその神官は、封書をトレーの上に乗せてそのまま何処かへ行ってしまった。
「まあ、まだ時間はあるから、待たせていただこう。おお、タキスよ。ここにエイベル様の祭壇があるぞ」
ギードの言葉通り、案内された部屋の正面には、小さなエイベル様の祭壇が置かれていた。これは、神殿の無い辺境の村などに布教の際に持っていく、いわば携帯用の祭壇なのだ。
綺麗に手入れされた小さな竜人の子供の像が真ん中に置かれ、周りには細やかな彫刻が所狭しと彫られていた。
「小さいが見事な細工だな、恐らく名のあるドワーフの作であろう」
ギードの言葉に、三人は跪いて、静かにその祭壇に祈りを捧げた。
そんな三人を、窓辺に座ったシルフ達が嬉しそうに眺めていたのだった。
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