石の家での朝のひと時
「おはようございます」
今日の予定が分からなかったので、とりあえず部屋着に着替えて居間へ向かった。
「おう、おはよう」
お皿を出していたギードが振り返って笑う。
ワゴンには、六枚のお皿が種類ごとに積み上がっている。
「それって、ドワーフ達の分?」
棚からカップを下ろすのを手伝いながらそう言うと、ギードは笑って頷いた。
「今、大鍋にあいつらの分のスープを温めてくれておる。そろそろパンが焼けるはずだから見てやってくれるか」
「レイ、ドワーフ達の分のパンは机の上の籠を使ってくれ」
ニコスが鍋をかき回しながら顔だけ振り返って机の上を指差した。確かに、いつもよりも大きな籠が机の上に置いてある。
壁に作りつけられた窯を覗くと、火蜥蜴達が走り回っている。
「パンの具合はどう?」
蓋越しにそう言うと、火蜥蜴達は嬉しそうに跳ねて、くるりと回って見せた。
「じゃあ出しますよ」
笑って蓋をあけると、大きな木のパドルで順番に取り出していく。
「右側の二列がこっちの家の分だよ。それは網棚に取り出しておいてくれるか」
言われた通りに、順番に取り出していく。
「おはようございます」
タキスと一緒に、殿下とマイリー、それからタドラが居間に入ってきた。
「おはようございます!」
レイは、パドルを持ったまま振り返って、元気な声で挨拶をした。
「おはよう、とても良い匂いがするね」
タドラは嬉しそうに、台所のニコスをチラチラと見ている。
「それは何だい? 初めて見る道具だね」
興味津々の皇子の質問に、レイは窯を指差して説明しながら皆の目の前で残りのパンを順番に取り出して網棚に乗せていった。
今日のパンは丸パンで、全粒粉と普通の小麦粉を半々の量で作ったものだ。黒パンよりも食べやすくレイも大好きなパンだが、残念ながら城の食堂では見た事が無く、食べるのは久し振りだ。
「成る程。窯からパンを取り出す時に使うんだね」
殿下だけでなくマイリーとタドラまでがすぐ近くへ来て、窯の中を覗き込みながら感心したように呟いている。
何だかおかしくなって、レイは小さく笑った。
殿下が石の家の窯やパドルを見て感心してるなんて、やっぱり何度見ても夢を見てるみたいだ。
「取り出す時だけじゃ無くて、焼くパンを入れる時にもこれを使うんですよ。だって手は届かないし、第一熱くて素手でそんな事をしたら大火傷しちゃいます」
そう言いながら最後の一個を取り出し、窯の中にパンが残っていない事を確認してからそっと蓋を閉めた。
役目を終えた火蜥蜴達は一匹だけ残って他はいなくなっていて、その一匹は窯の真ん中で気持ちよさそうに寝転がっていた。
「ほら、これはドワーフ達の分だ」
蓋をした大鍋をニコスがワゴンに乗せると、お礼を言ったギードがまとめて持って出ていった。
「レイ、サラダを出してくれるか」
ニコスの声に、レイはもう一度手を洗ってからお皿を並べた。
サラダを順に取り分け、その隣にはニコスが焼いてくれた目玉焼きと分厚いハムが添えられる。森で採れるベリーのジュースも並べられた。
サラダの上には炒った胡桃を散らしてから、席に着いた皆の前に順に盛り付けたお皿を並べて行く。ニコスがよそってくれたスープをお皿の横に並べて、網棚に置いてあったパンを籠に盛ったら出来上がりだ。
全員が席に着き、精霊王への祈りの後食べ始めた。
「どれも本当に美味しいですね。ニコス。わがままを言ってすまなかったね。ここでの事、忘れないよ」
パンを手にした殿下の嬉しそうな言葉に、ニコスは手を止めて笑顔になった。
「殿下ご自身のご希望とはいえ、正直に申し上げると、本当にこれで良かったのかと心配しておりましたが、少しでもお楽しみ頂けたのなら、よろしゅうございました」
「僕も楽しかった」
同じく、手にしたパンを見ながらタドラが嬉しそうに笑う。
「俺も楽しかったですよ。成る程、皆が来たがるわけだ」
マイリーまでがそんな事を言い、居間は笑いに包まれたのだった。
「えっと、今日の予定ってどうなってるんですか?」
デザートに出されたベリーを摘みながら、マイリーに質問する。
「少し休んだら、すまないがもう出発だ。言ったように、ブレンウッドの街へ行くよ」
隣に座ったタキスの顔を見て、彼が笑って頷いてくれたのでレイも笑って頷いた。
「分かりました。じゃあ、食べたら竜騎士見習いの服に着替えてくれば良いんですね」
「あ、遠征用の見習いの服をガルクールが用意してくれているから、ブレンウッドへ行く時はそれを着てね。僕の箱に一緒に入ってるから後で渡すよ」
タドラの言葉に、レイは目を輝かせた。だが、竜騎士見習いの遠征用の制服は、まだ一度も着た事がない。一人で着る事が出来るか少し不安になった。
「大丈夫だよ。教えてあげるからね」
「はい、よろしくお願いします!」
タドラに片目を閉じてそう言われて、レイは満面の笑みで何度も頷くのだった。
食事の後、一旦部屋に戻ったところで、タドラが制服を持って来てくれた。
「へえ、良い部屋だね」
部屋を見回して笑うタドラに、レイも嬉しくなって笑った。
「あれ? この部屋は東側に窓があるんだね。どうなってるの? 東側は全部岩じゃないの?」
高くなった朝日が斜めに差し込む窓を見て、タドラが首を傾げている。
彼の疑問は当然だろう。
この家は、西側の岩の断面に扉が作られてあり、中に入ると広い玄関ホールから北側へ向かう廊下が掘られている。その廊下の左右に部屋が作られているのだが、居間は廊下の左側、つまり西側になる為、いくつもの窓が作られている。しかし、タドラ達が泊まった客間には外を見る窓は無く、窓の代わりに、綺麗なタペストリーや木彫りの彫刻が飾られていたのだ。
しかし、レイの部屋には小さいながらも東側に開かれた窓があり、朝日が差し込んでいるのだ。
「あのね、この石の家は岩の裂け目にそって、ぐるっと半円を描くようにして作られているの。反対側はギードのお家がある側だよ。僕たちの家のある側は、裏に当たる東側にも大きな裂け目があって、僕の部屋は丁度岩の東側の端に位置してるんだ。だから、少し掘って東側の裂け目に窓を開けたんだって」
「ああ確かに、上空から見たら、幾つもの裂け目があったね」
納得するように頷いたタドラは、東側の窓まで行って外を見た。
「へえ、反対側はすぐ近くまで森になってるんだね」
覗き込むタドラに、レイもその隣から外を見た。
「ここへ来てすぐの頃に聞いたんだけど、庭のある側も、以前はもっと近くまで森があったんだって、だけど、ギードが来てから森を少しづつ切り開いて、あそこまで大きくしたんだって」
「凄いや。森を切り開くって、簡単に言うけど、容易い事じゃないでしょう?」
「そうだね。ノーム達が手伝ってくれるけど、それでも簡単じゃないと思うよ」
「森で暮らすって、もっと簡単なのかと思っていた。すごいね、なんでも自分達でしなくちゃいけないんだもんね。僕には無理だな」
肩を竦めたタドラに、レイは笑って首を振った。
「どうだろうね。僕は村でも一日中働いていたから、逆にする事がないと落ち着かないよ。ようやく最近になって、のんびりお休みするって事が出来るようになったもん」
「それもすごいね」
二人は顔を見合わせて、まるで兄弟のように笑いあった。
「じゃあ、着替えようか。簡単だからすぐに出来るよ」
返事をして、勢いよくあっという間に下着以外は全部脱いだレイを見て、タドラは堪える間も無く吹き出したのだった。
「ここの金具とこっちを合わせる、留める上下を間違わないようにね。気をつけるのはここだけだよ。あとは上からマントを羽織れば終わり。分かった?」
順番に着ながら説明を受けて、簡単に自分で着ることが出来た。
「うん、分かったと思います。ありがとうございました。えっと、もう出発するの?」
剣帯にミスリルの剣を装着しながら尋ねると、立ち上がったタドラは、思いついたようにレイを見た。
「僕も部屋に戻ってすぐに着替えるから、一緒にマイリーの所へ行くかい? 彼の着替えを手伝うんだけど、レイルズは補助具の外し方とか、まだ知らないでしょう?」
作っている時は何度も見たが、確かにかなり改良されている今の補助具は詳しく見た事が無い。
「じゃあ待ってて。着替えたらシルフを飛ばすから、それから一緒に行こう」
「分かりました。じゃあ待ってるね」
ベッドに座って、タドラに手を振った。
「タドラって優しいよね」
目の前に座っていたブルーのシルフにそう言ってレイは笑った。
『そうだな。彼は優しいな』
同意して頷いてくれたブルーのシルフに、レイは嬉しくなって笑いかけた。
「ねえ、ブルーはもう上の草原に来ているの?」
枕に抱きついて尋ねると、シルフは笑って頷いてくれた。
「まずは鞍を取り付けないとね。すごく複雑だけど、僕はもうあの仕組みは全部分かったもんね。だけど、あれを一人で付けるのは無理かな。もし誰もいない時にあれを取り外ししようと思ったら、シルフ達に手伝ってもらわないと無理だよね」
『確かにそうだな。あれを一人で取り付けていたら、まあ大変だろうな』
笑いを堪えたブルーの言葉に、レイは声を上げて笑った。
『レイルズお待たせ』
しばらくすると、シルフが目の前で現れて手を振ってくれた。
「はあい、今行きます」
手を振り返して、枕を置いて立ち上がる。早足で部屋を出るレイの後を、ブルーのシルフは遅れずについて行った。
「ああ、すまないな」
ベッドに腰掛けたマイリーは、自分で既に着替えを終えていた。
「立ってください。後ろを見ます」
タドラの声に、マイリーが立ち上がるのを見て、レイはちょっと残念だった。
「何だ? どうした?」
不思議そうなマイリーの言葉にレイは慌てて首を振った。それを見たタドラが堪えきれずに吹き出す。
「そうか、ズボンは先に履いていたんですね。てっきり、一から着替えるんだと思っていたからレイも連れて来たんです。一緒に、貴方の着替えの手伝いをしてもらおうと思って」
「ああ、そう言う事か。それはすまなかったな。それなら、今度オルダムに戻ったら手伝ってもらおう。基本的な構造は同じだが、多分、レイルズが知っていた頃とはかなり変わっているぞ」
左足を叩きながら笑うマイリーに、レイも笑顔になった。
「いつでも言ってくださいね。いくらでも手伝いますから」
「ありがとうな」
マイリーの優しい笑顔に、レイは堪らなくなった。
いくら補助具の助けがあるとは言っても、きっと無理をしているはずだ。
動く時に絶対に使う足は、ちょっと怪我をしただけでもとても痛いし不自由なのに。
「無理しないでくださいね」
思わず出たレイの真剣な言葉に、マイリーは少し驚いたように目を瞬いた。普段、厳しい表情の多い彼がそんな表情をすれば、妙に幼く見える。
「大丈夫だよ。用の無い時はゆっくり休ませてもらっているから」
「うわあ。レイルズ、今の言葉は信用しちゃ駄目だよ。マイリーが休んでる時って、本当に具合が悪い時だけなんだからね!」
「おい、幾ら何でもそこまで酷く無いぞ」
タドラの言葉にマイリーが言い返し、しばしの沈黙の後、三人揃って同時に吹き出した。
「まあ、俺も自分で言ってて説得力無いとは思ったけどな」
「ああ、認めた!」
レイの叫びに、タドラがまた吹き出すのだった。
「三人ともずるいぞ。私だけ除け者にして、何を楽しそうにしているんだよ」
少し開いた扉に隙間から、皇子が覗き込んでいる。笑いながらそう言われて、マイリーは肩を竦めた。
「二人が手伝いに来てくれて、俺が休んでるのは具合の悪い時だけだなんて言うもんですから」
態とらしく悲しそうにそう言ったマイリーの言葉に、皇子は扉を開けて吹き出した。
「じゃあ聞くが、最近、それ以外でいつ休んだか言ってごらん」
沈黙が続いて、今度は四人同時に吹き出した。
「前言撤回します。確かにそうだな。じゃあ次回は堂々とルークに全部任せて、一日のんびり昼まで寝て、それから夜まで陣取り盤でもするとしよう」
大真面目なその言葉に、皇子までが大真面目に頷いた。
「許可するから、好きなだけ寝るなり遊ぶなりすると良い」
顔を見合わせて笑い合う皇子とマイリーを見ていて、レイは気が付いた。
今の話が本当なら、時々マイリーがいなかった時は。全部具合が悪くて休んでいた事になる。
ルークから、今日はマイリーはお休みだと聞いた覚えが、春になってからだって何度もある。それならあれは全部、本当に具合が悪くて休んでいたのだろうか?
不意に不安になってレイはマイリーを見つめた。
「ん?またどうした?」
自分を見つめるレイの視線に気付いたマイリーが、不思議そうに首を傾げる。
「あの、本当に無理しないで下さいね。具合が悪くなくても、時々はお休みは必要です!」
レイの大声に、マイリーは驚いたように彼を見た。
「だって……だって、マイリーの代わりはいないよ。お願いだから無理しないで!」
「分かってるよ。心配してくれてありがとう。ルークが頑張ってくれているからね、これでもずいぶん楽してるんだぞ」
「本当に?」
泣きそうな声で尋ねると、笑ったマイリーにそっと抱きしめられた。
「ありがとうな。本当に大丈夫だから」
「……全然信用出来ません」
優しい声に頷きそうになったが、何だか誤魔化された気がして、悔しくなってそう言ってやった。
マイリーの吹き出す音が聞こえた。
隣でそんな二人を見ていたタドラと皇子も、揃って笑いながらも何度も頷いていたのだった。
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