タドラ
「それでは、おやすみなさい」
あれから後、王都でのレイの様子をいくつかタキス達に話してから三人は居間を後にした。
先にアルス皇子を部屋に送り届け、マイリーの部屋へタドラも一緒に向かう。居間からタキスが追いかけて来て、三人でマイリーの部屋に入った。
彼が足の補助具を外してベッドで休む為には、誰かの補助が必要だからだ。
タキスは念の為、補助具を外した後の足の状態を見ている。昨夜は少しむくみの症状が見られた為、寝る前にマッサージを施している。
二人掛かりで補助具を外して、まずは軽く身体を拭くのを手伝った。
それから着替えてベッドに休ませてから、軽く左足にマッサージを施した。
「ありがとうございました」
お礼を言うマイリーに振り返って一礼し、タキスは部屋を出て自分の部屋に戻った。
「それでは僕も失礼しますね。明日の朝、また着替えのお手伝いに来ます」
立ち上がったタドラがそう言って扉に手をかけた時、その後ろ姿に、マイリーは思わず声を掛けた。
「タドラ、大丈夫か?」
扉を開こうとしていたタドラは、背後から聞こえた心配そうなマイリーの声に驚いて立ち止まった。
「え? 何がですか?」
振り返ると、ベッドに横になっていたはずのマイリーは起き上がり、座って自分を見ている。
だが、自分が心配される理由が分からなかった。
「あの、何が大丈夫なんでしょうか?」
そう尋ねると、彼は何とも言えない顔をした。
「どうやら自覚が無いようだな。すまない、今の俺はそっちへ行けないから、良ければここへ来てくれ。少し話さないか?」
頷いたタドラは、戻ってベッドの横に置かれた椅子に座った。
手を伸ばしたマイリーが、そっとタドラの背中を撫でてくれた。
「今にも泣きそうな顔をしているぞ」
優しい声でそう言われて息を飲んだ。まさか、気付かれているとは思わず咄嗟に横を向く。
「以前の俺なら、気付かなかっただろうな」
小さく笑ってそう言われて、タドラは思わず顔を覆った。
「聞いてはいましたが、改めて目の前で見せられると……僕の勝手な思いだって分かっています。でも思わずにはいられない。彼らはどうしてあんなに優しいんでしょう。ここは本当に優しさに満ちています。正直に言って、レイルズが羨ましい。僕にも、あんな優しい手があれば……もっと……もっと……」
椅子に座っていたが、崩れるようにそのまま床に座り込みマイリーのベッドに突っ伏した。その肩は震えていた。
「レイルズが羨ましい。全部失った彼は、それ以上のものを与えられた。それなのに、どうして僕には何も無かったのかって……何度も考えてしまう。こんな考えは不毛だし、必死に一人で頑張るレイルズにも失礼だって分かってます。でも、でも思わずにはいられない!」
叫ぶようなその告白を、マイリーは黙って聞いてくれた。
「言ったはずだ、お前は役立たずなんかじゃ無い。立派な竜騎士で、俺達の大切な仲間だ。泣くな。シルフ達が心配しているぞ」
優しい声に顔を上げると、何人ものシルフ達が、マイリーのベッドに並んで座り、こっちを見つめていた。
『私たちがいるよ』
『大好きだからね』
『大好き大好き』
『大好き大好き』
並んだシルフ達が、そう口々に言う。
『忘れないで貴方は大切な私の主だよ』
一人のシルフが、タドラの目の前に現れて愛おしげに額に何度もキスを贈る。
「ベリル……ありがとう。そうだよね、僕には君がいるよね」
顔を上げたタドラは、まだ赤い目を拭いもせずに、少しだけ笑って目の前のシルフにキスを贈った。
「すみません、ちょっと弱気になりました」
照れたようにそう言って笑うタドラの腕を、マイリーはそっと叩いた。
「忘れるな。お前は唯一無二の存在だ。誰にもお前の代わりは出来ない。自分が信じられないなら、エメラルドを信じろ。分からなくなれば、俺達の言葉を信じろ。大丈夫だ、お前は立派な竜騎士だよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで、僕がどれだけ救われているか……」
またベッドに突っ伏したタドラを、マイリーはいつまでも優しく背中を撫でていてくれた。
家族から虐げられて役立たずだと罵られ、いつも部屋に閉じ込められて孤独の中にいたタドラにとって、幼い頃に言われ続けた家族からの心無い言葉の数々は、今でも彼の心の中で時に牙を剥く。
そんな彼を竜騎士隊の皆は理解して、事あるごとに何度も根気よく言い聞かせていた。
お前は役立たずなんかじゃ無い。唯一無二の存在であり、立派な竜騎士なんだ。と。
幼い頃から精霊が見えたタドラは、知らなかったのだ。
少し歳の離れた兄が、同じように精霊を見る事が出来ていた事を。
しかし、その兄は、いざ精霊特殊学院へ入学しようとした矢先に、調べられた試験で『甲斐無き手』の持ち主だとわかったのだ。それは精霊魔法を正しく使う事が出来ない者である事を意味する。
上位の術者達によって厳重な封印を施されてしまい、一切の精霊魔法を使う事はおろか、シルフ達の姿は見えても声は一切聞こえなくなってしまった。そして彼女達もまた、彼の事を完全に無視するようになった。
封印の施された彼の事を、シルフ達は認識出来なくなってしまったのだ。
その結果、学院への入学は取り消されて彼は家へ戻された。
しかし、周囲から期待され甘やかされて育った彼は、その事実を受け入れられず、家に戻ってからわがまま放題になった。そして、周囲を妬むようになった。彼を溺愛していた母親は、そんな彼を見て心を痛め、更に大事にするようになった。
そんな中、生まれた弟のタドラは幼い頃から精霊達が見え、彼女達ととても仲が良くなった。
兄は、自分を無視して弟と仲良くするシルフ達にも腹を立て、父や母に、密かにタドラが精霊達と悪巧みをしていると何度も訴えた。自分は精霊が見えるんだから分かるんだ、と言って。
自分で本棚に火を付けて、部屋を丸ごと台無しにして、それを全部まだ幼い彼のせいにした事すらある。
理由も分からず何度も両親から頭ごなしに叱られ、その度に拗ねて謝らないタドラを見て、両親は兄の言葉を愚かにも信じてしまった。
結果として、タドラは家族からも、そして使用人達からも次第に疎まれ、邪魔者のように扱われるようになり、学校も辞めさせられてしまい、部屋に閉じ込められるようになっていった。
そして十歳になった彼が、部屋の窓から逃げ出そうとしているところを見つかり捕まってしまった。怒り狂った両親と兄の手により、その時彼はひどく殴られたのだった。
そしてそのまま、屋敷にある地下室に閉じ込められてしまった。
食事だけは使用人が持って来てくれたが、殆ど誰も口をきいてくれない。孤独な生活の中、空気取りの為の天井近くにあった細い小さな窓から、時おり遊びに来てくれる鳥達だけを友として彼は四年もの年月をその地下室で過ごしたのだ。
その時のタドラは知らなかった。シルフ達に伝言を頼めば外部の人に助けを求められる事を。
しかし、両親からの一方的な暴力と、頭ごなしに役立たずはここにいろと言われた為に、恐怖に萎縮してしまい、ここにいなくてはいけないのだと思い込んでしまったのだ。
精霊特殊学院に入学したのは僅か四歳の時。しかも一年と経たずに辞めさせられてしまい、それっきり家に閉じ込められ、ほとんど家族と使用人以外の他人との接触が無かった彼に、自力で助けを求める事は不可能だった。
そんなある時、偶然屋敷に来ていた精霊使いの神官が彼の存在に気付き、両親を説得して彼を地下室から連れ出したのだ。
神殿で保護された時、十四歳の彼の体重は、十歳の子供の平均と変わらない程しか無かった。
適性検査の結果、風と水の精霊魔法への高い適性と、感応力の高さが分かった。そして、鳥を自在に操る事が出来るのもわかった。
神殿の神官達は狂喜して、彼の将来に大いに期待したのだった。
四年間を神殿で過ごし、その間に、彼は本来与えられるべきだった多くの知識を与えられた、文字の読み書き、算術、そして精霊王への祈りの数々。本を読める事の幸せを知ったのもこの頃だった。
神殿での生活は厳しかったが、この穏やかな四年間は、成長期の彼にとって、文字通り救いの時間となった。
貴族であり成人した彼には、当然精霊竜への面会の機会が与えられた。
そして、とりあえず行っておいでと、気軽に笑って送り出された精霊竜との面会の場で、彼は出会ってしまったのだ。己の半身である竜に。
その後の彼の生活は、文字通り激変した。
だが、彼が竜騎士になったと知り手のひらを返したように優しい声で話しかける両親に、タドラは心の底からの嫌悪感を覚えた。以来、彼の中では家族は他人よりも遠い存在になった。
何故、自分は愛されなかったんだろう。その問いに答えてくれる人はいない。
大いなる喪失を心の中に抱えたまま大人になった彼には、無邪気に笑い、素直に人を信じる事の出来るレイが、心底羨ましかった。
ここへ来て分かった。この森の家族がいたから。彼は喪失を乗り越えてあんなにも素直に育ったのだと。
しかし、タドラは彼の兄のように、自分に無いものを持っているレイルズを妬む事をしなかった。
そんな事をしても誰も幸せになれない事を、彼は身を以て知っていたからだ。
代わりに、自分が出来なかった分も彼に笑って欲しかった。無邪気に笑う彼を見ると、タドラの中にいる、幼かった頃の自分も一緒に笑えるような気持ちにさえなれたからだ。
心配そうに自分を見つめるマイリーに、タドラは顔を上げて気丈に振る舞い笑って見せた。
「ありがとうございます。もう大丈夫です。だってほら、後輩が二人も出来たんですからね。頑張って面倒をみてあげないと」
照れたように笑うタドラに、マイリーも笑顔になった。
「よし、もう大丈夫だな。だが無理はするなよ。辛い時には弱音ぐらい吐いていい。カウリを見てみろ。どれだけ言いたい放題している事か」
その言葉に、タドラは堪える間も無く吹き出した。
「確かに。でもあれは彼流の上手い自己表現ですよね。僕には分かりますよ。あれでも彼も相当周りに気を使っています。怯えていると言ってもいいぐらいにね」
タドラの言葉に、マイリーも笑って頷いた。
「まあそれも当然だな。そんな新人達を、しっかり守ってやるのも先輩の務めだ。頼むぞ」
「はい、頑張ります」
ようやく、顔を見合わせて笑った。笑う事が出来た。
そんな彼らを、並んだシルフ達が愛おしそうに見つめていた。そして、窓辺に座ったブルーのシルフも、そんな彼らを黙って見つめていたのだった。
「それじゃあ、今度こそ、お休みなさい」
立ち上がったタドラが、一礼して部屋を出て行くのをマイリーは黙って見送った。
「聞いているんだろう? ラピス。何か、言いたい事があれば聞くぞ」
横になったマイリーの言葉に、窓辺に座っていたシルフが小さく笑ってふわりと飛んで来る。
『何やら色々と複雑なようだな』
心配そうなその言葉に、頷いたマイリーは、簡潔に、タドラが家族から受けた仕打ちの数々を話した。
横になったマイリーの枕元に座ったブルーのシルフは、彼が話し終えるまで黙ったままじっと聞いていた。
『成る程な。それはずいぶんと辛い思いをしたものだ。しかし、今の彼は立派に立ち直っているように見えるな』
「ええ、ですが時折、まだああやって不安定になる時があります。そんな時は、大抵はロベリオやユージンが気付いてくれるんですがね。今は……まあ、俺でも少しは役に立ったようです」
照れたように笑うマイリーに、ブルーのシルフはそっとキスを贈った。
『誰しも皆、様々な傷を持っている。その傷の深さも、傷の痛みも、そしてその回復も、本人にしか分からぬ。彼はそれを知っているのだな』
「そうですね。彼は本当に……立派な若者ですよ。人を妬む事がどれほど愚かで不毛な事か知り、それをせぬように己を律する事が出来る。正に竜騎士に相応しい得難い人物ですよ。彼にも早く己の価値を理解してもらわなければね」
『それはお前達の仕事だな』
からかうようなブルーの言葉に、マイリーは小さく笑ってため息を吐いた。
「人を育てるのは、本当に難しいですね。でも、それもまた経験ですよ。では、お休みなさい」
そう言って、壁と枕元のランタンを見た。
「消してくれ」
彼がそう言うと、部屋のランタンは一気に火が小さくなって消えていった。
「ありがとう。おやすみ……」
目を閉じたマイリーは、毛布を胸元に引き上げるとすぐに静かな寝息をたて始めた。
『おやすみ、良い夢を』
そう呟いたブルーのシルフは、くるりと回って消えてしまった。
翌朝、いつものようにシルフ達に起こされ、目を覚ましたレイは起き上がって大きな欠伸をして天井を見上げた。
見慣れた丸い天井が広がっている。
「今度はいつ、帰って来られるかな?」
小さく呟いて、座ったまま柔らかな毛布の掛かった膝に顔を埋めた。
「やっぱりここが良いな……」
小さく呟いてギュッと目を閉じると、勢いよく起き上がった。
「弱気は無し! 僕は僕の場所で頑張るんだ!」
自分に言い聞かせるように呟くと、勢いをつけてベッドから降りた。
『おはよう。今日も良い天気のようだな。オルダムでは少し曇るようだが、帰る頃には晴れているだろう』
目の前に現れた、ブルーのシルフがそう言って、寝癖の付いたレイの頬にそっとキスを贈った。
「おはようブルー。もう今日には帰っちゃうんだね。寂しいけど、またいつでも来られるもんね」
『そうだな。いつでも連れて来てやるぞ』
「うん、その時はお願いね。じゃあ顔を洗ってきます」
綿兎のスリッパを履いて、手を振って洗面所へ走る彼の後ろ姿を、ブルーのシルフは優しい眼差しで見送っていたのだった。
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