夜の語らい
「ごちそうさま。もう、僕お腹いっぱいだよ」
ニコスが用意してくれたカナエ草の茶を飲みながら、レイは、まだ焼き台の横で食べて飲んで騒いでいるドワーフ達をのんびりと眺めた。
同じく、もう食べ終わった皇子やマイリー、タドラやシヴァ将軍の前は綺麗に片付けられて、新しいお酒と切り分けた果物だけが置かれている。
「お肉だけじゃなくて、お魚とかソーセージとかかなりいろいろ焼いてたけど、食料の在庫は大丈夫なの?」
小さな声で、殿下達に聞こえないようにこっそりニコスに尋ねた。
途中、持ってきた肉だけでは足りなくなり、ニコスが急遽追加の肉を持って来ていたのだ。
もしも足りなくなるようなら、オルダムへ戻ったら何か送ろうと考えていたレイだったが、ニコスは笑って首を振った。
「実は予定外の追加の食料が大量にあってね。正直言って、俺達だけでは食べ切れそうに無いんだよ。保存するにも限界があるし、だから、あれぐらい食べてもらっても全く問題無いんだ。むしろ在庫を減らしてくれて有難いぐらいだよ」
苦笑いしながらそう言われて、レイは小さく吹き出した。
「そっか、僕達もかなり持って来ていたもんね」
「ええ、もちろん、この辺りでは手に入らないような品も多く有りましたからね。それは本当に有難いんですが、何しろ量がね……」
顔を見合わせて小さく吹き出した。
それからしばらくして、ようやくドワーフ達も食べ終えたようで、ギードが焼き台から薪を掻き出して火を落とした。
シルフ達が風を送って焼き台を冷やしているのを、皇子は感心したように見つめていた。
「ごちそうさまでした。いや、本当に美味しかったですよ」
マイリーの言葉にニコスは笑顔で一礼した。
「大した事はしておりませんが、お口にあったのなら何よりでございます」
笑顔で頷き合い、マイリーは立ち上がった。
「ちょっと質問ですが、あれはどうやって片付けるんですか?」
マイリーが、シルフ達によってしっかり冷めた焼き台を指差して興味津々で尋ねる。
「汚れた金網や鉄板は取り外せるようになっておりますので、水の精霊の姫達にお願いして綺麗にしてもらいます。台は、折りたたみ式になっておりますから、畳んで納屋の奥に片付けます」
「精霊魔法を使わないとしたら?」
皇子の質問に、ニコスは何が聞きたいのか分かって頷いた。
「焼き台は自然に冷めるまで置いておき、金網や鉄板部分は、熱いうちに取り外して水につけて置いておきます。しばらくしてから、こびりついた焦げや汚れを専用の硬いタワシを使って磨くのでございます」
「いつも食べるだけだったが、片付けるのはそんな風にしているんですね」
感心している皇子達の前で、休憩していたドワーフ達が立ち上がって話していた通りに厩舎の隣にある水場へ金網や鉄板を外して持って行った。
ギードの指示で、ウィンディーネ達によって手早く洗われて綺麗になるのを、皇子は黙って見つめていた。
「ここに来てから、感心するほど知らない事だらけだ。考えもしなかったよ。そうだよね。今までだって、誰かがああやって片付けてくれていたんだ」
「それを知っていただけただけでも、ここへ来た意味がありましたね」
マイリーの言葉に、皇子は素直に頷いた。
「ここへ来て良かった。勉強になりました」
笑い合う彼らを、レイは不思議な思いで見つめていた。
「殿下が蒼の森の石のお家にいるって、目の前で見ていてもやっぱり信じられないね」
空になったカップの縁に座ったシルフ達に、レイは笑って話しかけるのだった。
綺麗に片付けを終えドワーフ達はギードの家へ、他の皆はいつもの家へ戻った。皇子やマイリー達を部屋へ送り届け、何となく三人は居間に集まる。
ギードはドワーフ達と一緒に自分の家へ戻ったので、居間にはレイとタキスとニコスの三人だけになった。
「お茶でもいれるか」
ニコスがそう言って、レイにも紅茶をいれてくれた。
「あのね……聞いて欲しい話しがあるの。えっと……ブルー、ギードは今何をしてる?」
目の前に現れたブルーの使いのシルフは、頷いてレイの腕に座った。
『すまんな部屋に戻ったぞ』
『話があるならそっちへ行こうか?』
隣に現れたシルフの口からギードの声が聞こえた。
「じゃあ、構わないからそこで聞いていてよ。ブルーにもちゃんと聞いて欲しいし」
並んで座るシルフを見て笑っていつもの席に座ったレイは、何度も口籠もりながら、二人に降誕祭の日の出来事と、その後の彼らに課せられた罰について詳しく話した。そして、二人と会わせてもらった時に彼らの腕にもまじない紐を結んだ事も話した。
「エケドラ……その名を久し振りに聞いたな。そこは旧アルカーシュの、ファンラーゼンとの国境付近にあった、精霊王に仕える聖人の一人である聖グレアムの神殿のあった場所だよ。確か後に改修されて、辺境の修行僧達の為の神殿として使われている筈だ。急峻な山の斜面を切り開いて、ワインの原料の葡萄を育てていると聞いたな。確かに、歩いて旅をした事さえ無い二人が行くには、かなり厳しい道のりになるだろうな」
ニコスの言葉に、レイは涙を堪えて頷いた。
『特にクームスから向こうははっきり言って人の手の入らぬ荒野が続く』
『素人だけで行けるような所では無いぞ』
世界中を旅した経験のあるギードには、その旅の過酷さが手に取るように分かった。
「彼らは絶対に死なないって約束してくれた。僕はその言葉を信じてるよ」
頷いたニコスは、言葉を選びつつレイが知らないであろう事を話した。
「恐らく巡礼の旅と同様に、彼らは途中の各地の神殿に立ち寄って、泊めてもらう代わりに労働奉仕、つまり働いている筈だ。街の中の神殿なら掃除や水仕事などの下働き。郊外の神殿では、畑仕事や家畜の世話をするんだ。どれひとつ取っても、わがまま放題で育った貴族の坊ちゃんには……厳しい作業だろうな」
既に嫌になって逃げ出している可能性をニコスは考えていたが、レイは彼らの事を今でも信じているようだ。
しかし、貴族社会の考え方に詳しいニコスには、彼らの父親達の考えと裏での動きが容易に想像出来た。
つまりこれは途中で逃がす事が前提の、彼らに厳しい罰を与えましたという、いわば建前の意味の処罰なのだ。
恐らく二人の父親から依頼を受けて、護衛専門の腕の良い冒険者達が、護衛の意味もあって複数彼らに密かに同行している筈だ、そしてある程度オルダムから離れて郊外での野宿の時に、隙を見て密かに彼らを助け出し、どこかオルダムから遠く離れた知り合いの屋敷、もしくは直轄地の屋敷で密かに匿って住まわせるのだろう。
翌朝、いなくなった彼らを見た同行の僧兵達は、彼らは修行を放棄して逃げ出しました。と、神殿へ申し出て、神殿は怒って彼らを破門する。という所までが一連の流れだろう。
オルダムからの追放になった時点で、軍からの監視は放棄されているから、これで彼らはオルダムには帰れないが、連れていかれた土地では少なくとも自由の身になれるわけだ。
だが、ニコスはその事をレイに話さなかった。
純粋に、彼らを信じているレイが愛おしくもあったし、彼らが心を入れ替えて、本当に真面目に厳しい修行と贖罪の旅をしている可能性も僅かだがあるのだ。
彼らの事を何も知らない自分が、横から余計な事を言うのは違うとも考えたからだ。
「無事にエケドラヘ到着出来ると良いですね。私達も精霊王に祈りましょう」
タキスも恐らく考えている事は同じだろうが、彼も黙ってレイの背中を優しく撫でていた。
「うん、いつか立派になった彼らに会えるって信じてるよ」
顔を上げて無邪気に笑ったレイは身体こそ大きくなったが、彼らの目にはやっぱりまだまだ子供に見えた。
「それじゃあ、もう休むね」
照れたように笑ってレイはタキスとニコスの頬に順にキスを贈り、笑って部屋へ戻って行った。
その後ろ姿を見送り、扉が閉まるまで二人は口を開かなかった。
「お待たせしました。どうぞ」
立ち上がったニコスが改めて扉を開くと、そこにはマイリーとアルス皇子が部屋着のままで立っていた。後ろにはタドラの姿もある。
無言で頷いた三人は、そっと入って来た。ニコスが黙って音もなく扉を閉めた。
「彼の今の話ですが、実はその後の報告が来ています」
マイリーの言葉に、ニコスとタキスは、用意していたお酒とグラスを置きながらマイリーの顔を見た。
「貴族の考え方に詳しいニコスなら、今の話をどう考えましたか?」
率直なマイリーの言葉に、ニコスは先程自分が考えていた事を素直に話した。
「三の月に入ってからオルダムを出たのなら、途中の各地の神殿で労働奉仕をしていたとしても、既にクームスまで到着しているでしょう。恐らくもう、父親の手の者が彼らを連れ出しているのでは?」
頷いたマイリーだったが、彼の口から語られたのは、驚くべき事実だった。
「密かに付けた護衛の中に、我々の手の者を潜ませています。基本的に手出しはしない事。万一襲撃があれば出来る限り彼らを守る事。そして結果を見届けろ。とだけ言って同行させました。ところが今現在、彼らは逃げ出すどころか、旅の間は文句も言わずに夜明けから日が暮れるまで黙々と歩き、到着した各地の神殿では、与えられた奉仕労働を一切の文句を言わずに毎日真面目にこなしているそうです。始めのうちこそ慣れぬ労働に失敗も多かったようですが、今ではすっかり慣れて、神殿から、良ければここで修行しないかと言われるほどに、真面目に働いているそうですよ」
驚くニコスにマイリーは笑って頷いた。
「護衛の一人が、夜、彼らを密かに連れ出そうとした時、彼らはそれを断ったそうです。レイルズに顔向け出来ないような卑怯な真似はしない、と、そう言ったそうです」
驚きに声も無い二人に、アルス皇子は真剣な顔で口を開いた。
「貴方の予想の通り、裏では彼らを逃して預ける予定先まで我々は聞いていました。しかし、このままでは本当に、彼らはエケドラまで自力で辿り着きそうですよ」
「それで……よろしいのですか?」
戸惑うニコスに皇子は苦笑いしている。
「お二人のお父上は、いまだに蟄居閉門されたままです。正直に言うと、閉門が解かれた後も、元の職に戻るのは難しいでしょうね」
マイリーの言葉に、二人は無言で頷いた。
貴族間の勢力争いで、息子の仕出かしたそのあまりにも大きな失態は、父親の立場にもかなりの影響を与えている。
「レイルズは、我々の間では密かに『恵みの芽』と呼ばれています。理由はお分かりですね。彼と関わった者達は皆、良くも悪くも己自身と向き合い戦う事になりました。しかも、その殆どが良き結果へと導かれています。ルークは、長年確執のあった父親と和解しました。新しく竜騎士となったカウリも、彼と出会った事により己の価値というものについて考え続け、結果として庶子である自分を受け入れて竜との面会に来たのだと言っていました。他にも、メアに取り憑かれた子供を助けたとの報告も聞いております。降誕祭での事件は正にその最たるものですね。彼があの場にいなければどうなっていたか、考えただけで背筋が寒くなります。その後のテシオス達の事とてそうです。犯した罪は消えませんが、彼ら自身が己としっかりと向き合い、犯した罪の重さを自覚して精一杯その身を以て償おうとしているのですから、これも大した成長です。父親の件にしても、彼らは不本意でしょうが、結果として元老院に蔓延っていた古い悪しき考えや、無駄な建前を重んじる手法がかなり一掃されています。元老院本来の役割である、皇王への助言や各国との交渉などに、既に多くの者達が動き始めています」
皇子の話が終わっても、無言で顔を覆った二人は言葉も無く頷くことしか出来なかった。
「彼を、オルダムの皆様の元へ送り届けた後、正直申し上げてここは火が消えたようになりました。本当に寂しかったんです。毎日、あの子がこんな事をしていた。彼ならきっとこう言うだろう。そんな話ばかりしていました。毎晩のようにシルフを通じて聞かせてくれる、彼のオルダムでの生活を聞くのが、何よりの楽しみでした。だんだん連絡が来なくなっても、元気ならそれで良いと、互いに言って毎日慰め合っていましたよ」
タキスが泣きそうな顔で笑いながらそう話した。
「騎竜と黒角山羊の子供が産まれてくれたのは、正にそんな我々には天からの救いでした。忙しく世話をする中で、命の育つ速さと力強さを改めて見せつけられました。我々が住む場所がここであるように、あの子も、オルダムで自分の場所を見つけたんですね」
ニコスの言葉に、皇子は力強く頷いた。
「どうかご心配なく。彼はもう、自分の足でしっかりと歩き出していますよ」
また顔を覆った二人は揃って深々と頭を下げた。
「どうか、あの子をお導きください。我々では見せてやる事すら出来ない広い世界へ、彼をお連れください」
タキスの祈るような言葉に、皇子は笑ってその手を取った。
「お約束します。彼は立派な竜騎士になりましょう。その時には、貴方達にも見てもらわないとね」
「ありがとうございます……」
「本当に、心からの感謝を……」
『ありがとう……ございます……』
シルフの口からも、ギードのすすり泣く声が聞こえていた。
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