母と息子のそれぞれの想い
全ての作業が終わった一同は一旦下がり、ドワーフ達はテントへ戻って行き、マイリーとタドラは皇子の衣装を片付けるのを手伝った。
マイリーの差し出した箱の中に、皇子は自ら額に付けていた額飾りを取り外して丁寧にその箱へ納めた。そして皇子の手でゆっくりと蓋を閉めて布で包む。
すると、マイリーの足元に一人のノームが現れた。そのノームは、レイが今まで見た中で一番大きかった。
「お願いします」
マイリーがしゃがんで、手にしていた包みを差し出す。
『守れ守れ国を守りし女神の涙』
頷いて手を伸ばしたノームは、箱に手を乗せてそう言い、更に言葉を続けた。
『守れ守れ守れ宝が正しき場所に納められるその時まで守れ』
箱が一瞬光り、直ぐに光はノームと共に消えてしまった。
「え? 今、何をしたの?」
驚くレイの横で、ギードが感動に目を輝かせていた。
「おお、まさしくあれは女神の涙。まさか生きているうちに、こんな間近で見ることが出来るなんて。しかも今のは、古代種の鍵のノームではないか! まさかこの森に古代種のノームがいたとは……」
「タキスもさっき、そんな事を言っていたよね。女神の涙って、あの額飾りの名前なの?」
不思議そうにレイが尋ねると、興奮して頬を紅潮させたギードが説明をしてくれた。
「そうです。あれはファンラーゼンの国宝の一つである、女神の涙と呼ばれる大粒のルビーが付いた額飾りで、傷や曇りが全く無く、完全なる宝石だと言われております。またルビーは、この国の守護竜であるルビー様の守護石でもありますな。守る力が強く、邪を祓う石としても強い力を発揮します。また、ルビーの赤い色が強い程守る強い力があると言われております。そして今、古代種の鍵のノームが行ったのは、国宝である女神の涙が、本来あるべきオルダムの地から離れている為、あるべき元の場所に戻るまで、強い守護の術を掛けたのです」
「さすがはドワーフだね。完璧な説明だよ」
ギードの説明を聞いていたアルス皇子にそう言われて、ギードは慌てて膝をついた。
「こ、これは差し出た事を申しました。つい興奮して……」
「構わないよ。まあドワーフなら、これを見て興奮しないほうがおかしいって」
アルス皇子は苦笑いしながらそう言い、箱の中に丁寧に女神の涙が入った箱を戻すマイリーを見ていた。
そして、振り返ってドワーフ達が入ったきり全く出てこない大きなテントを見る。何と無く皆もそれに倣った。
「まあ、そうでしょうな。異様に静かな事を考えると、彼奴ら皆して中で結界を張って大騒ぎしておると見た」
同じく苦笑いしたギードが、咳払いをしてからシルフを呼んで何やらお願いした。
『分かった言ってくるね』
頷いた彼女がくるりと回って消えるのを見送り、ギードは改めて深呼吸をした。そして、その場にしゃがみ込んで地面を愛おしそうに撫でた。
「古代種の鍵のノームは、ワシも始めてお目にかかりましたな。まさかこの森にいたとは……驚きです」
「この森には、全ての属性の古代種の精霊達が何人も暮らしておるぞ」
ブルーの言葉に、ギードだけで無く、アルス皇子やマイリー達までが驚きに目を見張ってブルーを見上げた。
「それは素晴らしい。水の精霊の古代種は、もうこの世界にはいないと言われております。会わせて頂くわけには参りませんか?」
目を輝かせる皇子に、ブルーは笑って顔を上げた。
『呼んだ?』
二人の目の前に現れたのは三人。それは、いつも見ているウィンディーネよりもはるかに大きな子達だった。
「初めまして。アルス・リード・ドラゴニアと申します。貴重な古代種の精霊に会えてとても嬉しく思います。どうか、この地にて良き水を守り、楽しき時をお過ごしください」
腰の剣を少しだけ抜いて聖なる火花を散らした。
三人は嬉しそうに手を叩いて聖なる火花を喜び、次の瞬間、そのうちの一人が皇子の指の見事なルビーの中に飛び込んでしまった。この指輪も、先程の額飾りと対になると言われてもおかしく無いほどの、大粒で美しいルビーだ。残りの二人は笑って手を振っていなくなった。
指輪を見つめたまま驚きに声も無い皇子に、ブルーは笑って喉を鳴らした。
「さすがは皇子だな。彼女達に気に入られたらしいぞ。その子と仲良くするが良い」
「よ、よろしいのですか?」
驚く皇子に、ブルーは頷いた。
「何処にいるか決めるのは彼女達だ。我が、何か言うようなものでは無いぞ?」
面白がっているようなその言葉に、皇子も笑顔になった。
「ありがとうございます。大切に致します」
愛おしげに指輪を撫でて、ブルーを見上げた。
「お、ようやく出てきたようだぞ」
ブルーの声に、皆も振り返った。
大きなテントが開き、中からバルテン男爵を始めとしたドワーフ達が全員出て来るところだった。
「おい、結界を張れ! 早くしろ!」
テントの中に入るなりバルテンがそう叫び、二人のドワーフが慌てたようにシルフを呼び出して結界を張ってもらった。
次の瞬間、全員が一斉に拳を振り上げてものすごい声を上げた。まさしく感動の雄叫びだ。それからまた一斉に喋り出した。
「見たか。あのルビーの美しかった事!」
「夢のようなひと時であったな。まさかあんな間近で女神の涙を見せて頂けるとは」
「もう、飛び出しそうになるのを堪えるのに必死だったからな」
「信じられん。まさか女神の涙をオルダムから、ああも簡単に持ち出されるとは」
「全くだ。しかも、皇王様自ら箱に入れてくださったと仰られていたな」
「それだけここを大切な場所だとお考えなのだ。良いなお前達。今日ここで見た事は忘れろとは言わんが、酒の席で自慢して話すような事では無いぞ」
最後のバルテンの言葉に、全員が揃って大きく頷いた。
「もちろんです。我らとて、迂闊に話して良い事と悪い事くらい分かっております」
「それなら良い。しかし美しかったなあ」
目を輝かせたバルテンの言葉に、またしても皆が大声で感想を言い合い、すっかり興奮した彼らは、時間を忘れて、今度はルビーの加工方法について話し始めていた。
『そろそろ出た方が良いと思うよ』
バルテンの目の前に現れたシルフがそう言ったが、興奮した彼らは彼女が現れた事にすら気が付いていない。
『そろそろ出た方が良いと思うよ!』
無視されて怒った彼女はバルテンの目の前に行き、そう叫んで彼の鼻の頭を小さな手で力一杯叩いた。
火花が飛ぶような弾ける音がして、驚いたバルテンが後ろにひっくり返る。
「おお、シルフか……すまんすまん。そうだな。これはまた後でゆっくりと落ち着いて話すと致そう。お前達も話は後だ。まずはテントを片付けるぞ」
赤くなった鼻を押さえて起き上がったバルテンは、苦笑いして頷いた。
先ほど結界を張った二人が指を鳴らすと、何かが割れる音がして静かになった。
「では、皆を見送ったら我らも片付けて撤収すると致そう」
まずは見送りの為に、全員揃ってテントの外に出た。
「全く。女神の涙を見て興奮するのは分かるが、時と場所を考えろ」
呆れたようなギードの言葉に、ドワーフ達は揃って照れたように頭を下げた。
「もうしわけございませなんだ。つい興奮して我を忘れてしまいました」
バルテンの言葉に、皇子とマイリーが小さく吹き出す。
「まあ気持ちは分かりますよ。それは後ほど好きなだけ話してください。ですが出来れば、あまりベラベラと気軽に話さないで頂けると有難いのですがね」
国宝である女神の涙は、当然だが普段はオルダムの城の宝物庫の中で、衛兵と精霊達によって厳重に守られている。特別な儀式の時にしか持ち出すことは無く、皇王と言えども簡単に扱えるものでは無い。
ひとめでも見たいと切望する者も多く、オルダムから持ち出された事が知られたら、自分達の街にも来て欲しいと言い出す者が現れるのは、ここにいる誰もが簡単に予想がついた。
「もちろん心得ております。話がしたくなれば、今ここにいる者達で心ゆくまで語り合うことに致します」
バルテンの答えに、皇子も満足したように頷いた。
マイリーとタドラ、レイも手伝って、ベリルの背中に先程の肩掛けや杖、そして女神の涙が入った箱を金具を使ってしっかりと取り付けた。
「バルテン男爵。ここの撤収が終われば今夜は皆で石の家へお越しください。今夜は庭に焼き台を出して、皆で食事をしようと思っております」
「いや、しかし……」
「殿下に、下々の者達の楽しみを知っていただく事もまた経験です。どうかご協力ください」
笑顔のタキスとニコスにそう言われて、バルテンも満面の笑みになる。
「では、喜んでお伺い致します」
「はい、ではお待ちしております」
三人は頷き合って、互いの腕を叩いた。
「では、そろそろ行くとしようか」
皇子の言葉に、順番に竜の背中に乗ってゆっくりと上昇した。
ドワーフ達が並んで見送る中、最後にレイ達を乗せたブルーがゆっくりと上昇する。上空を何度か旋回した後、四頭の竜はゆっくり飛び去っていった。
飛び去る竜を見送ったバルテン達は、互いの顔を見合わせて全員が満面の笑みになり、大急ぎでテントの撤収を始めた。
「えっと、この後ってどうするんですか?」
ブルーの背の上で、レイはそう尋ねた。
そろそろ陽が傾き始めている時間だ。
先程から気になっているのだが、空から見える周りの景色に見覚えがあるのだ。
答えがないまま飛び続けて到着したのは、予想通り、母さんのお墓のあるあの丘だった。
墓のある丘から少し離れた場所に降りたブルーの背の上で、レイは驚きのあまり声も無かった。
当然のように、アルス皇子とマイリーとタドラの全員が竜の背から降りるのを、ただ呆気にとられて見つめていた。
「レイルズ、どうした降りなさい。後ろが降りられなくて困っているぞ」
ブルーの側に来たマイリーにそう言われて、レイは慌ててブルーの高い背の上から飛び降りた。
慌てたシルフ達が、その体を守ってくれる。
「無茶するんじゃ無いよ、全く」
驚いたマイリーが、何事もなかったかのように地面に立った彼の背中を、力一杯叩いて笑った。
「お母上に、お前のその姿を見て頂かないとな」
今のレイは、竜騎士見習いの正装をしている。肩の房飾り金具も大きくて、生地も分厚くてとても立派に見える。
その言葉に、レイは大きく頷いた。
アルス皇子を先頭に、皆が順番に母の墓に丁寧に参ってくれるのを、後ろに控えたレイは目に涙を浮かべて見つめていた。エイベルのお墓だけではなく、まさか母さんのお墓にまで参ってくれるなんて思ってもいなかった。
三人が参り終わってから、レイは母さんのお墓の前に立った。両手を広げてくるりと一回転して見せる。
「母さん、ほら見て。これが竜騎士見習いの制服なんだよ。素敵でしょう。僕の為に、お城のガルクールが全部仕立ててくれたんだよ。少しでも大きくなって服が窮屈になると、また一から仕立ててくれるんだよ。凄いよね。全部、そんな風に……皆が、僕だけの、為に、色んな、もの、を、作って、くれ、る……ん、だよ……」
不意にあふれた涙に言葉を詰まらせて、レイは顔を覆った。
「母さんに会いたい……この姿を見て、素敵だねって、笑って言って欲しいよ……どうして、どうしてあの時、身を守る為に、光の盾や、風の盾を……使わなかったの? 今なら、分かるよ。あれ程……精霊達に、愛、されていた、母さん、なら、そんなの、簡単だったろうに……どうして、僕を置いて、いってしまったの……」
絞り出すようなレイのその言葉に、後ろにいた者達は皆息を飲んだ。
確かにその通りだろう。
時の繭を紡ぐ事の出来る程の精霊魔法使いが、突然の襲撃から自分と彼を守る為の精霊魔法を使わなかったのは、考えてみればあまりにも不自然だった。
『だってあの人は誓いを立てていた』
『己の為には決して魔法を使わないって』
『私たちは止めたのに』
『それがこの子の為だからって言った』
『大好きだったのに』
『大好きだったのに』
『いなくなってしまった』
立ち尽くして顔を覆ったまま泣いているレイの周りに現れたシルフ達は、口々に悲しそうにそう言って、慰めるようにレイのふわふわな赤毛を何度も何度も撫でた。
「お母上が、精霊魔法を自ら封印なさっていたと?」
マイリーの言葉に、一斉にシルフ達が頷く。マイリーとアルス皇子は無言で顔を見合わせた。
「事情は分からぬが、何か、お母上なりの考えと決意があったのだろう。あれ程に精霊達に愛されている人が精霊魔法を手放す事は、並大抵の決意では無い」
皇子の言葉にマイリーも頷き首を振った。
「しかし、どれ程の理由があったにせよ死んでしまっては終わりだ……本当に、惜しい方を亡くしたものだ。生きておられれば、レイの良き師となられたであろうに」
最後の言葉は、マイリーの本音に近い。
古竜の主であるレイは、彼に自覚は無いようだが実際のところ竜騎士隊の中でも最強の精霊魔法使いなのだ。それはこの国最強と同意語でもある。
実際、精霊魔法訓練所からは、精霊魔法の実技については彼に教えられる教授がもういないと言われているのだ。
今の彼を精霊魔法訓練所に通わせているのは、竜騎士隊の中とは違う外の世界で知り合いを作り、多くの人と触れ合って彼に人生経験を積ませてやる事が主な目的なのだ。もちろん精霊魔法だけでなく、ありとあらゆる知識に触れさせる時間を作るという理由もある。
まだ泣いている彼に、マイリーが声をかけようとした時、背後からタキスがそっとレイを抱きしめた。
「貴方の思いはとてもよく分かります。でもどうかお母上を恨まないでください。お母上にもお考えがあったのでしょう。お母上は自分の中の何かを犠牲にしてまでもあなたを守ったのですよ。まさに己の命をかけて……こんな良い子を、置いていかなければならなかったお母上の無念を思うと……」
タキスもそこまで言って、涙を堪えて息を吐いた。
「うん、分かってる。ごめんね、悲しい思いをさせて」
振り返ったレイが、改めてタキスを抱きしめて額にキスを贈った。
「もっといっぱい勉強して、立派な竜騎士になる。それからいつか精霊王の御許へ行ったら聞いてみるよ。母さんが考えていたことをね」
「貴方ならきっと、生きているうちにお母上の考えに思い至れますよ。大切な私のもう一人の息子。どうかこの地を離れても、常に健勝でありますように」
抱きしめ返したタキスも背伸びをして、少し屈んでくれたレイの額にそっとキスを贈った。
「本当に大きくなりましたね」
涙を堪えて笑ったタキスの言葉に、レイも笑顔になるのだった。
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