新しい墓石

 悠然と飛ぶブルーの後に三頭の竜が続き、仲良く並んだ四頭の竜はゆっくりと蒼の森の上空を飛んでいた。

「あそこに降りるぞ」

 ブルーが示した場所は、蒼の森の深部にあるブルーの棲む青の泉だ。

 上空から見ると、一部分だけがぽっかりと口を開けるように木々が途切れていて、真上から見ると真っ白な砂地が広がっているのが見えている。

 ゆっくりと降下するブルーに続き、三頭の竜も降りていった。



「これはまた……白と青しかない世界だな」

 竜の背から降りたアルス皇子の言葉に、マイリーとタドラも無言で頷いた。

 深い森の中にあって、ぽっかりと、ここだけがまるで別の空間であるかのように。色の違う世界が広がっている。

「その辺りに湧いている水は冷たくて美味いぞ。順に飲むと良い」

 ブルーの言葉に、フレアが教えられた水源の一つに口をつけた。

「何だこの水は。これは……良き水などと言うものではない。力にあふれている」

 驚いたようにそう言って翼を伸ばして身震いすると、いきなり水に頭を突っ込んで必死になって飲み始める。

 それを見て、アンジーとベリルも並んでその隣の水を飲んだ。一口飲んだ後は、こちらも夢中になって飲んでいる。

「美味い、こんな美味い水を飲むのは初めてだ」

 ベリルの言葉に、アンジーも大きく頷いた。

「本当ね。こんな美味しい水を飲んだのは初めて。一体この泉は何なの?」

「ここは地下の相当深い場所から直接水を引いている。元々良き水の湧く泉だったのを、我が長い時をかけてここまで強い水にしたのだ。ここは快適だぞ。其方達が水の属性なら、一晩ここで寝ろと言ってやるのだがな」

 からかうようなブルーの言葉に、二頭の竜は目を細めて大きな音で喉を鳴らし、ブルーと首を絡めあった。



「其方達も飲んでみると良い。ここの水は人にとっても良き水だぞ」

 そう言われて、三人は教えられた水源の水を、手袋を外した手で掬い直接手から口に含んだ。

 三人の目が見開かれる。

「これは……」

 一口飲んだきり絶句するアルス皇子。

「甘い、確かに違うなこれは……」

 マイリーは感心するように呟いて、改めてもう一度味わうようにゆっくりと飲んだ。

 タドラは、手にした水を見たまま呆然としている。それから我に返って慌てたようにもう一度飲んだ。

 そんな三人を笑顔で見ていたレイも、水を掬ってゆっくりと飲んだ。

「やっぱり、ここの水は美味しいね」

 嬉しそうなその声に、ブルーは目を細めてレイに頬擦りをした。

 少し休んでから、また全員竜の背に乗り、いよいよ今回の目的であるエイベルの墓のある場所へ向かった。




「あそこだね。本当だ。テントが張ってある」

 身を乗り出したレイが言う通り、エイベルの墓がある草原には、何張りものテントが立ち並び、少し離れた場所に、六人のドワーフ達が並んで上空を見上げていた、

 エイベルの墓のある場所には大きな布が被せられ、上空からはその姿を見ることは出来なかった。

 広い草原にレイはブルーを降下させた。一気に飛び降りてタキス達が降りるのを助ける。

 駆け寄って来るドワーフに、振り返ったレイは笑って手を振った。

「バルテン男爵! お久し振りです!」

「おお、レイルズ様、お元気そうですな」

 目を細めて笑うバルテンに、隣でギードが笑っている。

「男爵殿、お久し振りですなあ」

「ぬかせ! 先日会うたところではないか」

 二人は笑い合って、ものすごい音がするほどに互いの背中を叩き合っている。そんな彼らを見て笑ったアルス皇子の乗ったフレアが、最後に地面に降り立った。



 それを見たドワーフ達が、全員並んで膝をついた。

「お待ちしておりました。ご依頼の件、無事に完成致しました。どうぞ、ご確認くださいませ」

「ご苦労だったね。では、早速だが覆いを外してもらおう」

 皇子の言葉に頷き、バルテンは立ち上がって部下のドワーフ達に指示を出した。

 タキスは、レイの後ろで彼らの動きを息を飲んで見守っている。

 竜達までが見守る中、ゆっくりと墓所を覆っていた大きな布が外される。



 そこには、3メルト四方ほどを綺麗に膝丈ほどの高さの石の柵で囲い、小さな墓所が作られていた。地面には、レイとタキスが植えた宿根草の野の花が、再び綺麗に整えて植えられていた。

 しかし、その真ん中にあるのはまだ、あの時のタキスが割って置いた、無名の歪な形の白い石だけだった。

「え? このままなの?」

 思わずそう呟いたレイの肩をタキスがそっと叩いた。



「では、まずは準備を」

 その声に、マイリーとタドラが、タドラの竜の背に乗せていた箱を二人掛かりで運んで来た。昨夜、お土産の箱と間違えて開けそうになった、あの箱だ。

 アルス皇子が頷いてその箱を開ける。



 皇子の声を聞いたドワーフ達が、慌てたようにテントへ走って行ってすぐに戻ってきた。

 全員が、見事な刺繍の入った肩掛けをして腰にはミスリルの短剣を装着し、右手に小さなミスリルの鈴のついた短い杖を持っている。

 アルス皇子は竜騎士のマントを外し、箱から見事な刺繍が全面に施された肩掛けを取り出して自分の肩に掛けた。そして一本の杖を取り出した。

 その杖の先端部分には、ごく小さな房状になったミスリルの鈴がいくつも取り付けられ、取り出しただけでとても軽やかな優しい音を立てた。

 そして、マイリーが箱の中から掌程の大きさの平たい箱を取り出し、ゆっくりと皇子に向かってその箱を開いた。

 頷いた皇子は、両手で丁寧に取り出して自らの額にそれを装着した。

 顔を上げてこちらを向いた皇子の額に光る真っ赤な涙型の宝石の付いた金色の額飾りを見て、タキスは息を飲んだ。

「あれは女神の涙。まさか……まさか……」

「え? 何なの?」

 レイは身支度を整えたアルス皇子の見事な美しさに、ただ声も無く見とれていたのだ。

 驚くその声に頷いたタキスは、隣に立つマイリーを見た。

「マイリー様、まさかとは思いますが、本物ではありませんよね?」

 しかし、マイリーは笑っている。

「エイベル様の墓所を清める為なら、当然これを持って行くべきだと陛下が手ずから箱の中へ入れてくださいました。あの肩掛けにはマティルダ様も新たに刺繍を施して下さいました。折を見て、陛下もこの地を訪れたいとの仰せです」

 目を見張ったきり、声も無いタキスを優しい目で見て、マイリーは頷いた。

「我らが、エイベル様にどれだけのものを日々頂いているか。どれ程の感謝をしても、到底足りるものではありません。せめてこれぐらいはさせてください」

「私の方こそ……」

 言葉も無いタキスの背中を、マイリーは優しく叩いた。

「何度も申し上げておりますが、貴方もどうか、ご自分の値打ちを理解して下さい」

「私は森に住むただの農民ですよ。ちょっと薬に詳しいだけの」

 タキスの答えに、マイリーは小さく吹き出すのだった。



「準備は良いかい? では始めようか」

 振り返ったアルス皇子の言葉に、一同は墓所の前に左から、タキスとレイ、ニコスとギードが横に並び、その隣にマイリーとタドラ、シヴァ将軍が並んだ。二列目にバルテン男爵を先頭にドワーフ達が並んだ。

 墓所の正面に立ったアルス皇子が、右手に持った杖をゆっくりと左右に振る。幾つものミスリルの鈴が軽やかな音を立てて、辺りに美しい音を響かせた。

 皇子は、朗々と精霊王への祈りと弔いの祈りを読み上げる。背後からもドワーフ達が揃えて鳴らす鈴の音が響き渡った。

 吹き抜ける風の音だけが聞こえる草原を、ミスリルの鈴の音が幾重にも重なって優しく広がって包み込んだ。

 やがて祈りを終えた皇子は、手にしていた杖を剣帯の隙間に差し込み、墓所の囲いの中へゆっくりと歩み寄った。

 そしてその場で跪き、両手でゆっくりとタキスの作った白い墓石を持ち上げたのだ。マイリーが進み出て、手にしていた真っ白な布に、皇子が差し出すその石を乗せて丁寧に包んだ。二人がゆっくりと墓所の囲いから出て来て横に控える。

 それを見て、バルテン男爵とドワーフ達が祈りの歌を歌いながら大きな包みを皆で抱えて持ち、ゆっくりとギードの横を進み出て墓所の中へ入った。

 アルス皇子がまた墓所の正面に立つ。ドワーフ達は手分けしてその包みを真ん中の、先ほど石が置かれていた場所に、ゆっくりと乗せた、それからもう一度いくつもの石を運んできて根元部分に並べて置いていった。

 手際よく作業は進み、あっという間に見事な墓石が積み上がった。

 深々と一礼したドワーフ達が、最後まで包まれていた真ん中の大きな石の覆いをゆっくりと外した。

 それを見た全員の口から、堪え切れない声が漏れる。



 正面を綺麗に磨かれた真っ白なその石には、真ん中にエイベルの名前が彫られ、下に小さな文字が彫られていた。

「全ての竜騎士と、竜に携わる全ての者達の心からの感謝と敬意をここに捧げる」

 読み上げたレイは、涙を堪えて隣に立つタキスを抱きしめた。タキスはもう、先程からずっと泣いている。

 そしてその真っ白な墓石の周りには、見事な彫刻が彫り込まれていた。

 それは、まるで墓石を守るように寄り添う竜の姿だった。まるで生きているかのようなその竜は、よく見るとこの国の守護竜である老竜フレアにそっくりだったのだ。

「あれはルビーだね。ほら、尻尾の棘が五本あるよ」

 レイの言葉に、マイリーが振り返った。

「そうだよ。守護竜は尻尾に五本の棘を持つ。通常は三本だからね。エイベル様の墓所を守るのに、これ以上のお方はいないだろう?」

 マイリーの言葉に、頭上からフレアが首を伸ばして覗き込んできた。

「その墓石には、我の鱗を納めてある。この地を守ってくれるだろう」

「皆様に、心からの感謝を。本当に、なんとお礼を言ったら良いのか……あの子もきっと、精霊王の御許で喜んでいる事でしょう……」

 涙でぐしゃぐしゃになったタキスが、なんとか顔を上げてそう言い、またレイに縋り付いて泣き出した。

「ほら、せっかくエイベルのお墓が綺麗に出来上がったんだから、一番にタキスが参らないと」

 レイが背中を叩いて前へタキスを押しやる。アルス皇子に手を引かれて、タキスは真新しいエイベルの墓石の前に立った。

 そっと跪いて、死者に捧げる祈りの歌を歌い始めた。その歌声にアルス皇子が続き、皆も次々と歌い始めた。

 再び杖が振られ、ミスリルの鈴の音が、やさしくその歌声に調和する。

 静かな草原に、祈りの歌声が流れて消えていった。



「ありがとうございます。全ての皆様に心からの感謝を」

 立ち上がって振り返ったタキスが深々と頭を下げてそう言い、レイの元へ戻って来た。

 頷いたアルス皇子に背中を叩かれ、レイも墓石の前に立った。

 進み出たレイもその場に跪き、教えられた通りにゆっくりと祈りを捧げた。

 それから順に全員が墓に参って、最後にもう一度、皆で祈りの歌が捧げられた。



 全てが終わっても、皆しばらく黙ったまま墓所を見つめていた。

 そして、最後に竜騎士達とドワーフは、全員揃ってミスリルの剣で火花を散らし、聖なる結界を強化した。

 レイは、自分が腰に装着していた剣をタキスに渡し、自分は腰の後ろに装着していた、ギードが作ってくれた短剣を使って、皆と一緒に聖なる火花を散らした。



 墓石の上にはシルフ達が座り、そんな彼らをずっと優しい眼差しで見ていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る