居間での朝食

 翌朝、シルフ達に前髪を引っ張られて起こされたレイは、目を開いて見えた景色に笑いを止められなかった。


『おはよう』

『おはよう』

『主様はご機嫌』

『ご機嫌ご機嫌』


「おはよう。やっぱり我が家って良いね」

 目の前で手を振るシルフにキスを贈り、レイは大きく伸びをした。



 東側の窓から差し込む朝日が、部屋の床を照らしていてとても綺麗だ。



『おはよう。今日も一日良いお天気のようだな』

 ブルーのシルフが現れて、レイの頬にキスをしてくれた。

「おはようブルー。えっと、まだ泉にいるの?」

『いや、上の草原に来たところだ』

「もう来てくれているんだ。じゃあまた後でね。顔を洗ってくる」

 ベッドから降りて、置かれていた綿兎のスリッパを履いて洗面所へ向かった。



「おはようございます!」

 今日の予定が分からないので、一旦部屋着に着替えて居間へ行った。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

 食器を取り出していたタキスが、戸棚の前で振り返って笑う。

「おはよう。うん、よく眠れたよ。やっぱりここのベッドが一番良いや」

 タキスから食器を受け取りながら、レイは嬉しそうにそう言って笑った。

「おはよう。今ギードがもう一つ机を取りに行ってるから、すまないが手伝ってやってくれるか」

 ニコスにそう言われて頷くと、目の前に来て手招きしているシルフについて廊下に出た。

『こっちこっち』

 ふわふわと目の前を飛ぶシルフについて、普段使っていない倉庫に向かった。

「おはようギード。どれを運べば良いの?」

 扉は開いていたので、声を掛けて中を覗き込んだ。

「おお、おはよう。すまんが先に椅子を運んでくれるか」

「分かった。これだね」

 扉の横に積み上がった椅子を見て、両手に一脚ずつ持って先に居間へ向かった。急いで戻って残りの一脚を運んだ。

 ギードが台車に乗せた、大きな折りたたみ式の机を横で支えて二人で運んだ。

「こっちを今日はワシらが使うからな。竜騎士の皆様とシヴァ将軍には、普段使っておる方の机をお使いいただく」

 ギードの言葉に、レイも納得して頷いた。

 普段居間で使っている大きな机は、細やかで見事な彫刻が縁に彫り込まれていてとても綺麗だ。密かに、貴族の屋敷の部屋にあってもおかしくない程だと思っていたが、オルダムに行って分かった。まさしくその通りだったのだ。

「あの居間で使っている机って、もしかしてギードが作ったの?」

「いや、あれは元々ここに置いてあった家具の一つでな。しかし、彫刻部分をよく見れば、場所によって彫っている手が違うんじゃ。普通ならそんな事は有り得んからな。恐らく、ドワーフの新人達に教えて手習いで作らせた机なのだろうさ。だが、かなりの年数を経て良い風合いが出て来た。それ程価値のあるものでは無いが、中々に良きものだぞ」

「そうなんだ。見る人が見れば分かるんだね。でも、オルダムにあってもおかしく無いと思うよ」

「そう言って貰えば、作ったドワーフ達も喜んでおるだろう」

 ギードも笑ってそう言い、居間に到着した二人はゆっくりと机を降ろして組み立てた。

 台所側に折りたたみの机を置き、両方に綺麗にテーブルセンターを置いて並べ、食器を並べていく。

 グラスを並べていると、アルス皇子を先頭にマイリーとタドラとシヴァ将軍、それから少し離れて小さくなっているアンフィーが居間に入って来た。皆、身軽な服装だ。

「おはようございます」

 タキスが慌てたように振り返り、皆で挨拶を交わした。



「へえ、こんな作りになっているんですね」

 目を輝かせた皇子が台所を見ている。それに気付いて小さく笑ったニコスが頷き、マイリーとタドラも一緒になってニコスの案内で台所の様子を見て回った。

「これは中々良い窯ですね。確かに火蜥蜴の道が綺麗に出来ている」

 マイリーが、パンを焼いている窯を覗き込んでそんな事を言っている。

「え? マイリーはそんなことが分かるの?」

 驚いてレイは彼を見た。マイリーも貴族だと思っていたが、違うのだろうか?

「彼は、私と同じで火の精霊魔法は最上位まで使えるよ、だから、その火蜥蜴の道って言うのが見えるんだよ。あの赤い線がそうなんだね」

 皇子の言葉に頷くマイリーにレイは尊敬の眼差しになった。マイリーは風の精霊魔法も上位まで使えると聞いた。

「俺は、地方豪族の次男でね。住んでいた屋敷の居間はここよりももう少し広かったが、台所と続きになっていて同じような作りだったぞ。そこの台所にもこんな感じの大きな窯があって、料理人から聞いた事がある。火蜥蜴の道が綺麗に出ている窯は良い窯だとね。今見れば分かるよ。確かに、火蜥蜴達が並んで綺麗に走っている」

 窯を覗き込んでそう言うマイリーは、とても優しい顔で笑っている。



 地方豪族とは、地方貴族の管理の手の届かない辺境の地域でその土地を管理し、国に税金を納める事でその地域の自治を認められた人の事だ。大抵は、元々その土地に住んでいた有力者などがその任に就く。オルダムから遠い地方に置かれ、貴族と同等の扱いを受けるのだと教わった。

「俺の故郷のクームスは、豊かな宝石鉱山があるんだ。我が家は、代々そこの管理を任された家でね。まあ要するに、その山を持ってるだけだよ」

「ご謙遜を。クームスの宝石鉱山の鉱山主であれば、その資産は、並みの地方貴族など足元にも及びませんぞ」

 ギードの言葉に、マイリーは苦笑いしている。

「言ったでしょう。俺は次男ですからね。まあ、だから士官学校に入って軍人になった訳です」

「では、その指に嵌めておられる見事なオパールは、クームス産ですか?」

 彼の左の中指には、見事なオパールの精霊の指輪が嵌められている。

「そうです。これは私が陛下から正式に竜騎士となって剣を賜った時に、故郷の父上から贈られたものでね、大切な品です。オパールは、今となってはルークの竜の守護石なのですが、まあ、私の方が持っていたのは早かったと言う事で、今でもそのまま使っています」

「ルークがしている指輪の石も綺麗だよね。あれもオパールでしょう?」

 レイがマイリーの左手の指輪を見ながらそんな事を言った。

「そうだよ。あれは彼が竜騎士になった時に、俺とヴィゴの二人から贈った品だよ。もちろん俺の故郷の山で採れたオパールだ。ああ、もう朝食の準備が出来たようだな」

 台所を見たマイリーの言葉に、三人はタキスの案内でそれぞれ用意された椅子に座った。シヴァ将軍はタドラの隣に座り、アンフィーは、こっちのテーブルに来てギードの隣に座った。

「大変お待たせしました。これも経験でございます。ご希望通り、我々が普段食べている食事をご用意致しました」

 ニコスの言葉に、皇子は笑顔で頷いた。



 レイも手伝って、順に肉団子と野菜がたっぷり入ったスープと、薫製肉と目玉焼きにサラダを綺麗に盛り付けたお皿が用意された。レイがサラダに上に砕いた胡桃を散らしてから、それぞれの前に置いていく。それから、大きなカゴを二つ用意して、窯から焼き立ての丸いパンを取り出して盛り付けた。

 アルス皇子は目を輝かせてレイの動きを見ている。

「ジュースは今朝はリンゴのジュースを用意したよ。そっちのグラスに入れてくれるか」

「分かった、これだね」

 台所に置かれた大きなピッチャーをワゴンに乗せて運んで来ると、これも順番に注いで置いて回った。

 更に、ニコスは窯から大きな黒パンを取り出して切り分け、これもカゴに盛り付けてテーブルに置いた。

 小皿に、二色のパンを並べて乗せて、それぞれの前に置いていった。

 全員が席に着いてから、いつものようにタキスの言葉で、皆で揃って食前のお祈りをした。



「これは美味しそうだ。しかし、こんな色のパンは初めて見ました。これは何のパンですか?」

 黒パンを興味津々で見つめる皇子に、ニコスは深々と頭を下げた。隣ではタドラも同じように黒パンを見ている。

「本来であれば、このようなものを皇族の方にお出しするのは失礼なのでしょうが、これもまた経験でございます。これは、下々の者達が日々食べている黒パン、と呼ばれる品の一つで雑穀を使ったパンでございます。これは小麦の外側の皮にあたる部分まで全て一緒に製粉、つまり粉にしたものです。この色はその皮の成分によるものでございます。他にはライ麦と呼ばれる別の麦の粉を使った黒パンもございます。そちらの方が、これよりも更に濃い色と独特の酸味と風味がございます。どちらも栄養は豊かなのですが、慣れぬ者には少々独特の味がするパンですので、もしお口に合わぬようであればどうぞそのままに」

 説明を聞いた皇子は、真剣な顔でまずはそのまま黒パンをちぎって口に入れた。

 黙って黒パンを食べる皇子を、なんとなく皆も黙って見つめていた。

「うん、確かにいつものパンとは違いますね。仰るように独特の風味がある。でも、これはまた違った味わいがあります」

 口にあったようで、平気で食べる皇子を見て皆も笑顔になった。

「ですが殿下、一つ申し上げますが……これは、普通の黒パンとは明らかに違いますよ」

 同じく、黒パンを口にしたマイリーがしみじみとそう言い、タキス達は小さく吹き出した。レイも堪えきれずに吹き出す。

「ええ、マイリーは普通の黒パンを知ってるの?」

 レイの言葉に、マイリーは頷いている。

「まあな、はっきり言って不味い黒パンは、本当に、これは食い物じゃ無いと言いたくなるくらいに不味いからな」

 苦笑いしながらそんな事を言い、また笑っている。彼がその不味い食べ物とは思えない黒パンを口にしたのは、タガルノでの捕虜だった頃の事だ。

「確かに。硬くて酸っぱくて、食えたものでは有りませぬからなあ」

 ギードも大きく頷きながら黒パンを見ている。

「そうだよね。あ、だから薄く切って乾燥させたものを、普通はスープに割り込んでふやかして一緒に食べるんです。それに、パンを焼くのも毎日窯に火を入れていたら薪がいくらあっても足りませんので、だいたい十日分ぐらいをまとめて焼いて、薄く切って乾燥させて保存するんです」

 レイの話す下々の者達の生活に、皇子は驚いて、改めて手にした黒パンを見つめた。

「つまり、これは黒パンだが……皆が食べている黒パンと同じでは無い?」

「そうですね。ニコスが焼くと黒パンでもこれほど美味しくなるのだと、実は先程から俺は密かに感動しています」

 大真面目なマイリーの言葉に、レイ達はまた堪えきれずに吹き出した。

「成る程。覚えておこう。これを食べたからといって、全てを知った気になってはいけないのだな」

「ルークが以前こう申しておりました。本当に貧しい者は、この黒パンを食べる事さえ出来ないのだと。ルークでさえも幼かった頃は、ハイラントのスラムで、日々の食べる事に苦労しておったそうです」

「すまぬ、私には想像もつかないよ……」

 俯いて首を振る皇子に、マイリーは頷いた。

「様々な暮らしがあります。底辺にいる者の痛みと苦労を知り、どうか良き王となられませ」

 その言葉に、皇子は顔を上げて頷いた。

「ありがとう、ニコス。良い経験をさせてもらいました。大切に、残さず全て頂きます」

 笑って黒パンを手にした彼を見て、皆も食事を再開した。



 食後のカナエ草のお茶を飲みながら、レイはマイリーを見た。

「えっと、今日の予定ってどうなってるんですか?」

 お茶を飲んでいたマイリーは、カップを置いてレイを見た。

「午前中はここでの生活を見せて頂く。午後からは出かけるよ。少し前から、ブレンウッドのドワーフギルドの人達が、森へ入ってエイベル様の墓を準備してくれている。午後からは、我々もエイベル様の墓のある場所へ行き、まずは墓石を設置するのを手伝うんだ。設置が済んだら順に墓に参ってから、ラピスの住むという蒼の泉を見せてもらう。後はまあ、蒼の森を色々と見せてもらうって所かな。短い滞在ですまないが、明日の午後にはもう帰るぞ」

 それはルークから聞いていたので、レイは頷いた。

「分かりました、じゃあ、森へ行くときは竜騎士見習いの服だね?」

「そうだ、それまではそのままで良いぞ」

「分かりました。後でもう一度、子竜達に会ってこようっと。ううん、やっぱりニコスのビスケットは美味しい」

 お茶を飲み、キリルの入ったビスケットを食べて笑顔でそう言う彼に、皆も笑顔になった。

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