愛しき我が家
西へ向かってかなりの高度を飛行していた一行は、太陽が頂点を過ぎた頃、食事の為に一旦地上に降りる事にした。
しばらくして降りた場所は、川沿いの広い草原地帯で、シルフ達に安全を確認してもらってから降り立った。
レイも少し離れたところに降りてくれたブルーの背中から、教えられた袋を手に持って、背中側から地面に滑り降りた。
それぞれの竜の側に座り、水筒を手に携帯食を当然のように食べ始めるのを見て、レイも袋から携帯食と水筒を取り出した。
「ええと、これは……栗だ! ありがとうラスティ!」
以前、砦からの帰宅の時に貰った携帯食は、残りを皆で食べて検証した結果、レイは栗が一番口に合ったのだ。甘みはしっかり付いていたので、まだ一番食べやすかったのだ。その事をラスティに話した事があったので、彼は覚えていてくれたのだろう。袋の中には栗の他に蜂蜜と書かれた包みもあった。
包みを剥いで、水筒からカナエ草のお茶を飲みながら、栗味の携帯食を少しずつ齧った。
「携帯食は食べられるか?」
からかうようなマイリーの声に、レイは頷いて、以前、知らずに一番定番の味の無いのを平気で食べた話をした。
「へえ、案外、何でも平気で食べるんだね」
近くで聞いていたタドラにそう言われて、レイは笑って肩を竦めた。
「自由開拓民の子供が好き嫌いなんか言っていたら、生きていけないよ」
「逞しいな。確かにその通りだ。好き嫌いを言えるのは、他に食べるものがある事が大前提だからな」
マイリーの言葉に、タドラとアルス皇子も頷いていた。
「単なる好奇心なんだけど、気を悪くしないでね。村にいた頃は、どんな物を食べていたんだい?」
アルス皇子の質問に、レイは手にしている携帯食を見た。
「普段はパンとスープです。パンは、村長の家にある大きな窯を借りて、順番に一週間分まとめてパンを焼くんです。硬く焼き締めた黒パンです。それを熱いうちに薄く切って、冷ましたら水気が抜けて硬くなるので、それを木箱に入れておいてスープに浸して食べるんです。スープは普段はベーコンや干し肉のかけらと乾燥させておいたキャベツや芋を刻んで入れたものです。秋の収穫の時期は、もう少し具が増えます。でも、大体そんな感じです」
「パンとスープ。それだけ?」
「はい、そうです。でも、時々母さんがパンケーキを焼いてくれました。お城で食べるみたいなふわふわのじゃ無くて、硬くて甘く無いパンケーキです。秋のキリルのジャムがある時期は、それをかけてくれるから、ジャムのシロップが沁みた柔らかいところを最後に食べるのが楽しみだったんです。大好きな……パンケーキ……」
思い出したら涙が出そうになり、レイは誤魔化すように咳払いをした。
「お砂糖はあったんだね」
タドラの言葉に、レイは頷いた。
「お砂糖は、春と秋のジャムを炊く時だけ行商人に頼んで持ってきてもらっていました。だから、残りを皆で大切に使いました。普段使う塩は、村でまとめて買って皆で分けていたんです。そんな風に、畑の収穫も皆で分けたし、角山羊と赤牛、それから
初めて聞く自由開拓民の村の詳しい暮らしに、皆驚きを隠せなかった。
「共同で購入して分配する。収穫も同じく分配する。簡単に言うが難しかろう。大人と子供を同じ数で数えるのか。労働力を考えれば、失礼だが母親とレイルズだけの場合、あまり役には立たんだろうに」
頷いたレイは空を見上げた。
「僕はまだ小さかったからあまり詳しくは知らないけど、分け前が少ないって言って揉めているのを何度も見たよ。だけど、村を離れて一人では生きていけないもん。そんな事、僕だって分かってた。だから、不平や不満は皆あっただろうけど、ちゃんと仲良くしていたよ」
「成る程な。妥協してでも寄り集まって暮らさないと、森で一人で生きる事は出来ない、か」
無言で頷いたレイは、ブルーの足に寄り掛かってもう一度空を見上げた。
「雨が降れば、畑に水が流れ込まないように水路を閉じなければいけないし、日照りが続けば、皆総出で森の中まで入って別の川から飲み水を運んだりもしたよ。秋の収穫時期には、村長の家に集まって、皆で一緒にジャムを作ったり干し野菜を作ったりしたよ。僕、皆でする共同作業が大好きだった。食事も一緒に食べるの。その時はいつもよりスープの具も多いし、パンも大きいんだ。あの日も、寝る前まで村長の家でキリルのジャムを作って、砂糖漬けの仕込みをしていたの。全部、無くしちゃったけどね……」
思い出すと、不意に涙が一粒だけこぼれ落ちてしまい、レイは慌てて目をこすって誤魔化した。皆、それに気付いていたが、何も言わずに見なかった振りをしてくれた。
「だからね、蒼の森のタキス達のところにお世話になって初めて食事をした時、こんなに美味しいものがこの世にあったのかって思って泣きながら食べたよ。
「話は聞いているからね。実はとても楽しみなんだ」
笑顔でそう言ってくれたアルス皇子に、レイも笑って胸を張った。
「はい、お城の料理人にだって負けないです」
その言葉に、皆笑顔になった。
「ではそろそろ出発しよう」
立ち上がったアルス皇子の言葉に、皆も立ち上がる。
「今、どの辺りなんですか?」
ブルーの腕に乗って、ふと思い付いてマイリーを見る。
「蒼の森まで後二刻ってところかな。もう半分以上は来ているぞ。ああ、それから言っておくが、帰りにブレンウッドや他の街へも立ち寄るからな。覚悟しておけよ。今度はお前もその服で行くんだからな」
からかうようなマイリーの言葉に、レイは目を瞬いた。竜騎士達は皆、今は遠征用の薄緑色の服を着ている。レイだけが竜騎士見習いの服のままなのだ。本当は、見習いにも遠征用の服があるのだが、今回は蒼の森のタキス達に見せる為にわざわざこの服を着ているのだ。
「今回の旅は、いわば殿下の巡行も兼ねているからね。ブレンウッドを始め、他の街に立ち寄らないわけにはいかないんだよ。悪いが付き合ってくれ」
苦笑いしてそんな事を言われて、レイは納得した。
「各地への竜騎士達の巡行もそろそろ始まるからね。それには見習いも同行する事が多いから楽しみにしているといい。秋頃か、来年の春までには君も一緒に行く事になると思うよ」
目を輝かせて頷くと、レイはブルーの背中によじ登った。胸元に荷物を装着しているため、いつものように伏せてもらえないのだ。
順番に上昇して、また西へ向かって飛行を続けた。
しばらくして、目の前に懐かしい景色が見えて来た。
「蒼の森だ!」
レイの声に、皆も笑顔になる。
逸る心を抑えて、目印の大岩を目指した。
やがて、懐かしい景色が見えて来た。綺麗に開墾された畑。石の上の草原には、家畜達やトケラの姿も見える。
「ああ、皆いるよ。ほら!」
草原にはタキスとニコス、それにギードの三人が並んでこっちを見上げて手を振っていたのだ。
「先に降りなさい」
アルス皇子にそう言われて、レイは大きな声で返事をして草原に降り立った。
「ただいま!」
転がるように、ブルーの背から飛び降りてタキスに飛びついた。
「お帰りなさい。なんて立派になって……」
しっかりと抱きしめ返したタキスも、それっきり何も言えなくなった。
ブレンウッドの街で会った時よりも更に背が伸びている、それに抱きしめると分かる。明らかに一回り以上身体が大きくなっているのだ。
「おかえり、レイ」
ニコスとギードが、両側からタキスごと抱きしめてくれた。
「ただいま、ただいま……会いたかった、よ……」
涙が滲んできて、慌てて顔を上げた。笑って三人が手を離してくれたので、レイは背後を振り返った。
三人は、広い草原の端に並んで降り立ち、竜の背から降りて彼らを黙って見つめていた。
ニコスが跪いて両手を握り合わせて額に当てて頭を下げた。二人もそれに倣う。
「このような辺境の地にお越しくださり、我ら一同心から歓迎致します。ニコラス・ベルンハルトと申します。どうぞニコスとお呼びください。粗末な家でございますが、どうかごゆるりとお寛ぎくださるよう、切に願います」
「ようこそお越し下しました。ギルバード・シュタインベルガーと申します。どうぞギードとお呼びください」
その後ろでタキスも顔を上げて、王子の顔を見てから笑顔で深々を頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。どうぞこの滞在が殿下にとって良き経験となる事を願います」
三人からの挨拶を受けて皇子は大きく頷いた。
「どうぞ立ってください。こちらこそ大人数で押しかけて申し訳ありません。それから、どうか過度なお気遣いは無用に願います。実はここへ来るのをとても楽しみにしていました。ただの一人の人として、お世話になりに来たんですよ」
笑いながらそう言われて、立ち上がったニコスも笑顔になった。
「恐れ入ります。ではどうぞこちらへ」
案内しようとしたが、アルス皇子は首を振った。
「土産をいろいろと持って参りました。申し訳ありませんが、運ぶのを手伝ってください」
ギードが台車を取りに走って行き、レイがそれを見て後を追った。
三人は手慣れた様子で竜達から順番に箱を下ろし、鞍と手綱も外した。台車を持って上がってきた二人も手伝って荷物を台車に積み込み、レイはブルーの鞍と手綱を外す為にタドラと二人でブルーの背中に上がった。
全部の荷物をまとめて持って降り、石の家の中に案内する。しかし、三人は目の前に聳え立つ光景に目を見張り立ったまま動こうとしない。
「話には聞いていたが、これは凄いな」
「本当にこの岩をくり抜いて作ったんだな。自分の目で見ても、俄かには信じられん」
「うわあ、本当に石の家だ……」
最後のタドラの言葉に、レイは思わず吹き出した。
「ほら入ってよ。中も広いんだよ」
笑って大きな丸い扉を開く。中に入った一同は、またそこで三人揃って高い天井を見上げて動かなくなった。
「これは見事だ。しかも丸いんですね。我々の住む家は普通は四角いのにな」
アルス皇子の呟きに、ギードが笑顔で両手を広げた。
「以前、ロベリオ様とユージン様がお越しの際にも説明させて頂きましたが、それは建て方の違いからでございます。ここはもともと岩盤の塊をくり抜いて空間を掘り出しております。なので、くり抜くには丸い形が一番効率が良いのです。また空間を保持する力も丸い方が均等にかかりますので、掘って部屋を作る場合、丸い形が基本でございます。鉱山の中に掘られた通路や部屋も、基本的に丸い形でございます。しかし、皆様方がお暮らしになっておられる家屋敷の場合、削り出した石や丸太、あるいは切り出した板などをいわば組み立てて作りますので、直線のものを組み合わせれば、必然的に出来上がりは四角くなりましょう」
「素人にもよく分かる説明ですね、確かにその通りだ」
納得して大きく頷くアルス皇子に、皆も笑顔になった。
「どうぞこちらへ」
ニコスは、普段使っている居間ではなく、廊下の反対側にある別の部屋へ一同を案内した。
「あれ、ここは初めて見る部屋だね」
レイの言葉に、タキスが頷いた。
「いくらなんでも、殿下を、台所と続きの居間にお呼びする訳にはいかないでしょう? 食事はここで食べていただこうと思って用意したんです」
「お部屋はこちらをお使いください。お世話をする者がおりませんので、失礼ですが私が……」
「ああ、お構いなく。どうぞご自分のお仕事をなさってください。言いましたよね。ここには一人の人として参りましたと。大丈夫ですよ、こう見えて自分の事は一通り出来ますから」
ニコスの言葉を遮り、そう言って自慢気に胸を張る皇子をニコスは驚きの目で見つめた。
「手が必要な時には遠慮無くお願いします。どうぞそれ以外は放っておいていただいて構いません。どちらかと言えば、その台所と続きになった居間を見せて頂きたいですね」
普通の庶民の暮らしよりは、ここはかなり良い生活をしている。それでも、城で生まれ育ったアルス皇子にとっては、まさにここは未知の場所だ。いろいろな部屋を見たいと思うのは当然だった。
「かしこまりました。では夕食はこちらでお召し上がりください。明日の朝食は、居間にご用意致します」
「食事も、皆一緒に食べるのでしょう? まさか、私だけここで食べろって言うんじゃないでしょうね?」
笑いながらそう言われてしまい、まさにそのつもりだったニコスは驚きのあまり咄嗟に返事が出来なかった。
「申し訳ありません、先にお願いしておくべきでしたね。今回のレイルズの里帰りに併せて、これは殿下の巡行も兼ねております。皇族の方が一般の方の家に泊まる事など、普通はあり得ません。ですのでこれも経験だからよく皆の暮らしを見て来なさいと、陛下からのお言葉も賜っております。まあ少し身分の高い人が泊まった。程度に考えて頂ければそれで構いませんよ」
マイリーの言葉に、なんとか頷くニコスだった。
とにかく皇子を用意した一番広い部屋に案内して、本当に構わないからと言われて戻って来た。
「あの、本当によろしいのですか? 私は以前、オルベラートで貴族の屋敷に仕えておりました。最低限のお世話程度ならば出来ると思っておりましたので……」
マイリーは満面の笑みでニコスの肩を叩いた。
「その事はレイルズから聞いております。ですが、本当に大丈夫ですよ。遠征の際には、平気で寝袋に転がって皆と一緒に寝るようなお方ですから」
それを聞いて、ニコスもやっと納得したらしく笑って頷いた。
「レイ。お前といると本当に退屈しないよ。まさか、皇族の方がおられるのに、お世話をしなくて良いなんてな」
どうなる事かと心配して見ていたレイも、それを聞いて、ようやく安心してニコスに抱きついたのだった。
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