朝練と出発
『おはよう』
『おはよう』
『起きて』
『起きて』
シルフ達に前髪を引っ張られて、レイはまだ寝ていたくて枕に抱きついた。
「後、ちょっとだけ……あ!」
腕立ての要領でそのまま一気に起き上がった。ベッドに座り込み、枕を抱えて笑顔になる。
「おはよう。今日のお天気はどう?」
『おはよう。今日も良いお天気だぞ。こちらでは夕刻に雨が降るようだが、蒼の森はしばらくお天気が続くようだな』
目の前に現れたブルーのシルフがそう言って笑い、レイの頬にキスを贈った。
「おはようブルー。お天気で良かった。雨が降ったら移動の時に濡れちゃうもんね」
頷いて笑うブルーのシルフに手を振って、レイは大きく伸びをした。
「ふわあ。でもまだちょっと眠いや」
大きな欠伸をしたその時、ノックの音がしてラスティが入って来た。
「おはようございます。朝練に行かれるのならそろそろ起きてください。おや、吸い込まれそうな欠伸ですね」
最後はからかうような声で、そう言って笑った。
「おはようございます。朝練には行って良いの?」
ベッドから降りてスリッパを履きながら尋ねる。
「殿下が少しお仕事が残っておられるとかで、出発は十点鐘になりましたから、それまではゆっくりしていただいて構わないとの事です」
「分かりました。じゃあ顔を洗ってくるね」
洗面所に向かうレイを見送り、一つ深呼吸したラスティはベッドのシーツを引っ張った。
朝練には、殿下とマイリー以外全員来ていたので、準備運動の後、皆で一緒に走り込みを行い、それから木剣で手合わせを行なった。
レイはルークと、カウリはヴィゴにそれぞれ相手をしてもらい、見習い二人は揃って叩きのめされた。
「もう一本お願いします!」
すぐに起き上がって叫ぶレイを見て、ヴィゴが笑って手招きをしてくれた。
ヴィゴとは棒ばかりで、まだ殆ど木剣では相手をしてもらった事が無い。目を輝かせて木剣を持ち直して構えた。
「お願いします!」
「よし、打って来い!」
ヴィゴの大きな声に、レイは声を上げて思い切り打ち込んだ。当然のように受けられて、そのまま弾かれる。
「もう一本!」
横からの打ち込みも易々と止められ、もう後は必死になって思いつく限りの手で挑み続けた。
「良いぞ。もっと考えろ!」
少し力を込めて払われると、もうそれだけで弾き飛ばされる。それでも正面から相手をしてもらえる事が嬉しかった。
特に、ヴィゴの2メルトからなる高い身長と長い腕から振り下ろされる上段からの一撃は恐ろしく、とてもではないが、来ると分かっていても簡単に止められるものではない。何とか必死で受け止めても、重すぎる一撃に腕が痺れて剣を弾かれる。咄嗟に転がってその場から逃げて次の一撃を避けた。
まだまだ、確実に手加減されているのが分かっていても、どうする事も出来なかった。
剣を引いて待ってくれたので、慌てて立ち上がって飛ばされた剣を拾ってまた構える。何度倒されても必死で向かっていくその姿を、床に転がったままのカウリが呆れたように見ていた。
「元気だなあ。相変わらず」
「こら、いつまで寝てる。起きろ、今度は俺が相手だ」
ルークに剣の面で背中を叩かれて、カウリは腹筋だけで起き上がった。
「お手柔らかに願いますよ。何しろ初心者なもんで」
構えながら軽い口調でそう言うと、ルークは鼻で笑った。
「寝言を抜かすな!」
いきなりの上段からのヴィゴと変わらないほどの強い一撃に、カウリは悲鳴を上げて必死で受け続けた。
「ちょっ、待って、ください、よ! 普通は、初心者の、打ち込みを、先輩が、受けて、くれるんじゃ、ないんですかー!」
大声で下がって叫びながらも、その間のルークの打ち込みを全て受け止めている。
舌打ちしたルークの強力な一撃に、とうとう剣を弾かれてしまった。後ろに転がって一回転して逃げる。
「怖っ! だからもうちょい手加減してくださいって!」
もう一度転がって逃げて、打ち込まれた剣先からギリギリのところで逃げる。
「逃げるな!」
笑いながら更に打ち込まれて、情けない悲鳴を上げてそれでも逃げる。転がった先に落ちていた木剣を拾って、下から打ち込まれた剣を膝をついた状態で止めた。下から掬い上げるようにしてルークの剣を弾き返して立ち上がる。
「よし。打ち込んで来い!」
嬉しそうなルークの声に、カウリも力一杯上段から振り下ろした。
結局見習い二人は力尽きて叩きのめされてしまい、二人揃って仲良く転がっている。
「おい、生きてるか?」
笑いながら覗き込むヴィゴにそう言われて、レイは何とか目を開いた。
「大丈夫です。ヴィゴはやっぱりすごいなあ……」
嬉しそうに笑うレイの腕を叩いて、ヴィゴは起き上がるのに手を貸してやり、隣に転がっているカウリを見た。
「カウリ、お前も起きろよ」
ヴィゴに声を掛けられて、横向きに倒れていたカウリは目も開けずに仰向けに寝転がった。
「もう駄目っす。世界が回ってます」
手足を投げ出して床に転がったままそんな事を言う彼に、ルークが笑って顔の横にしゃがみ込んだ。
「カウリ、こっちを見て。うん、まあ大丈夫だろうけど、念の為ハン先生に見てもらえよな」
一応、ちゃんと自分を見ているのを確認してから起き上がるのに手を貸し、後ろで控えているハン先生の所へ連れて行った。
「大丈夫?僕は大丈夫だよ」
交代で、診てもらっていたレイが立ち上がって場所を譲る。
「おう、ちょっと世界が回ってるぞ」
笑いながらそう答えて座る彼の背中を叩いた。
二人とも特に問題なしと診断をもらい、少し休んでから乱取りに混ぜてもらった。
「駄目だ。体力も腕力もホントに無いわ。ちょっと基礎訓練からやり直さないとなぁ」
乱取りが終わり、防具を外しながらそんな事を言っているカウリだったが、周りの兵士達はそうは思っていなかった。
「レイルズ様とは太刀筋が全く違うけど、打ち込みはとんでもなく重いよな」
「正面からなんて、怖くて受けられないよ」
今の竜騎士見習いの二人は、年齢も、性格も、そして体格も全く違うが、どちらも駄目だと自分で言う割には、相当な腕の持ち主だった。
朝練の後は、一旦部屋に戻り軽く湯を使って汗を流した。着替えはいつもの騎士見習いの服を渡されて、素直にそれに着替え、それから、揃って食堂で朝ごはんを食べた。
「出発は、十点鐘の鐘が鳴ってからだから、それまで少し休んでいて構わないぞ」
ルークに言われて、レイは頷いた。
「分かりました。ヴィゴに相手をしてもらえるのが嬉しくて、確かにちょっと、出掛ける前に張り切りすぎたかも」
「張り切ってたもんね」
タドラの声に、レイも笑顔で頷いた。
「しかしお前は相変わらず元気だなあ。うん、若いって凄いな」
呆れたようなカウリの言葉に、皆が苦笑いしている。
「あなたも十分若いですよ。まあ覚悟してしっかり鍛えてください」
ルークにからかうようにそう言われたカウリは無言で突っ伏し、それを見て皆で笑った。
「頑張ってね、カウリ。僕も頑張るから」
レイの言葉に、顔を上げないまま頷くカウリだった。
食事の後、部屋に戻ったレイは、以前作って置いてあったまじない紐の入った箱を取り出した。
三本の出来上がった紐を取り出して嬉しそうに顔を寄せる。
「やっと渡せるよ。喜んでくれるかな?」
色の違う三本のまじない紐は、それぞれ想いを込めて作ったものだ。
タキスのは縁取り部分が綺麗な濃い黄色で、中は濃い緑と白と赤の、くっきりとした組み合わせだ。
ニコスのは柔らかな中間色で揃えた。茶色の縁取りにオレンジと優しい緑、それから少し黄色っぽい未晒しの生成りの組み合わせになっている。
ギードのは、濃い焦げ茶色の縁取りに薄紫と青、そして白の組み合わせだ。
布で包んで、ベルトの小物入れの中に大切にしまった。
ソファーに座って大きく伸びをする。
「ちょっと、出掛ける前に張り切りすぎたかな……」
背もたれに身体を預けて天井を見上げる。
何人ものシルフ達が現れて手を振ってくれた。笑って手を振り返して、大きな欠伸をする。
「ちょっとだけ、眠いんだ……」
目を閉じて、そのまま眠ってしまったレイだった。
「レイルズ様、そろそろご準備をお願いします」
ノックの音がしてラスティが部屋を覗いた時、彼が見たのはソファーに座ったまま熟睡しているレイの姿だった。
「おやおや、朝練ではずいぶんと張り切っておられたそうだから、お疲れなんですね」
苦笑いした彼は、しかし部屋に入ってレイの腕を叩いた。
「起きてください。レイルズ様。そろそろご準備をお願いします。殿下も、もう間も無く戻られるとの事ですよ」
しかし、全く起きる気配が無い。いつもならこのまま寝かせておいてやるのだが、さすがにこれはそのままには出来ない。
「起きてください!レイルズ様!」
少し力を込めて足を叩き、大きな声でそう言ってやる。
「ええ! 何?」
驚いて飛び起きた彼を見て、ラスティは思わず吹き出した。
「せっかくのお休みのところを申し訳ありません。そろそろ殿下もお戻りになられるそうですから、ご準備をお願いします」
寝ぼけていて、一瞬何を言われているのか分からず、呆然とラスティを見つめる。
「レイルズ様? 顔を洗ってきますか? ここ、よだれが付いてますよ」
頬を指差して言われて、悲鳴をあげて洗面所に走った。
「あれ、それを着るの?」
ラスティが手にしていたのは、竜騎士見習いの服だ。
「せっかくのお里帰りですからね。竜の紋章の入った制服を着ているところを是非ともご家族にお見せして来てください」
笑顔でそう言われて、レイは目を輝かせた。
「こちらに着替えが入っています、普段はお好きに着ていただいて構いませんが、エイベル様の墓石の設置の際とお帰りの際には、竜騎士見習いの服を着てくださいね。ご自分で着られますか?」
渡された服を、いつもはラスティに手伝ってもらうが念の為一人で全部着てみた。
「これで良い?」
両腕を広げて回って見せる。
「はい結構です。背中側は剣帯の部分がシワになりやすいですから、これは誰かに確認してもらってください」
そう言いながら、いつものミスリルの剣を渡した。
受け取ろうとして違いに気が付いた。ラスティがもう一本剣を持っている。
「せっかくですから、こちらもつけてお帰りください」
それは、最近は使っていないギードが作ってくれた短剣だった。しかも、鞘には追加でベルトを通す金具が取り付けられている。
「これは、こちらのベルトに通してください」
そう言って、一旦剣帯を外させて腰のベルト部分にその金具をレイの目の前で通した。
「以前していたみたいに、後ろに横向きに装備するんだね」
ヴィゴやマイリー、ルークは同じように腰の部分にもう一本短剣を装備している。ロベリオ達若竜三人組は、レイと同じように短いナイフをもう一本装備しているだけだ。
「まあ、二本目の剣は装備される方とそうで無い方がいらっしゃいます。特に決まりはありませんから、好きにして頂いて構いませんよ」
「じゃあ、僕はギードが作ってくれたこの短剣を装備します!」
笑顔でそう答えるレイに、ラスティも笑って短剣を装着した剣帯を渡した。
「この部分を外していただくと、剣帯を抜かなくても鞘ごと外れますので、覚えておいてください」
ベルトに通す輪の一部分が動くようになっていて、それをずらすとベルトから簡単に鞘ごと外せるようになっているのだ。その部分を見せて説明してくれるのを、レイは真剣に聞いていた。
「すごいね、分かりました。じゃあ外す時の為に、後で練習しておくね」
剣帯を改めて身につけ、いつものミスリルの剣を装着する。
荷物を手にしたラスティと一緒に表へ出た。上空には既にブルーの姿が見える。中庭には三頭の竜が、鞍を装着して待っていた。
フレア以外の竜は、胸元にそれぞれ荷物の入った箱を幾つも装着している。
お土産を何も用意していなかったレイは慌てた。せっかくオルダムにいるのだから、何かここでしか買えないものを買ってくればよかった。今になってそんな事を思い付いてしまい、心底残念に思った。
「次は絶対に、何か買って来よう」
小さな声でそう呟き、ブルーがゆっくりと旋回している空を見上げた。
『もう少し待ってくれ。皆が上がったら降りるからな』
目の前に現れたブルーのシルフに、レイは笑ってキスを贈った。
「うん、今は降りる場所が無いもんね」
改めて近くでアルス皇子の竜を見上げる。ブルーよりも一回り小さいが、他の竜と比べるとその存在感は圧倒的だった。
「新たな竜騎士の面会に立ち会ったそうだな。良い経験になっただろう」
首を伸ばして来てそう言った真っ赤なフレアの鼻先をそっと撫でてやる。
「うん、シルフ達が大騒ぎだったよ。でも不思議だよね。カウリは五年もすぐ近くにいたのに……目の前に来ないと分からないんだ」
「全く同感だな。しかし、本来ならばもっと早くに会いに来てくれていたのだからな。精霊王も酷な事をなさる」
「カルサイトが本当に嬉しそうだったもんね。あんな優しい声を出すのを初めて聞いたよ」
「それは当然だ。待ちに待った主なのだからな」
目を細めて笑うフレアに、レイも笑って何度も頷いたのだった。
「お待たせしたね。では出発しよう」
建物からアルス皇子を先頭に、マイリーとタドラが出て来た。
手を振ってフレアから離れて後ろに下がる。
順番に竜に乗りゆっくりと上空へ上がる。三頭が上がったところでブルーが交代で降りて来てくれる。
急いで駆け寄って既に装着してあった鞍に乗った。
ブルーの胸元にも、大きな箱が装着されてあった。
「お待たせ。じゃあ行こうかブルー」
そっと首を叩くと、喉を鳴らしたブルーが翼を広げてゆっくりと上昇した。
アルス皇子の竜を先頭に、マイリーとタドラの竜が後ろにつき、その後ろにレイのブルーが並んだ。
「では行くとしよう」
アルス皇子の声がすぐ近くで聞こえて、四頭の竜は大歓声に見送られて、ゆっくりと西へ向かって飛び去って行った。
いよいよ蒼の森の皆に会える。
手綱を握りしめたまま、レイは頬を紅潮させてブルーの背の上で、背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見つめていた。
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