乱闘事件
その日、仕事を終えて本部へ戻ったレイを待っていたのは、心配顔のルークと若竜三人組だった。
「ただいま戻りました……えっと、どうしたの? 何かあった?」
いつになく自分を見つめて心配そうな彼らを見て、レイは不意に不安になった。もしかして、自分がいない間に何かあったのだろうか?
しかし、そんなレイを見たルーク達は安心したように揃ってため息を吐いた。
「大丈夫みたいだな。良かった」
「おかえり、それで、今日はどうだったんだ?」
「えっと、初日は出会いは無かったみたいだね。色んな人が来てびっくりしちゃったよ。でも、今日は皆の頬も無事だったよ」
掌で頬を叩くふりをしてそう言うと、四人は揃って小さく吹き出した。
「無事で何よりだな。着替えておいで。少し休憩したら先に食事に行こう」
「はあい、着替えたら休憩室へ行くね」
手を振ってラスティと一緒に部屋に入ったレイを見送り、一同はもう一度小さなため息を吐いた。
「まずは初日は無事に終わったみたいだな」
「まあ、ここ二十年の間、初日に竜の主は出てないからな」
顔を見合わせてルークとロベリオがそう言い、揃って休憩室へ入った。
「お、レイルズはまだ戻らないのか?」
部屋にはマイリーとヴィゴがいて、二人で陣取り盤を挟んで向かい合って座っていた。
「今戻って来ました。初日はまずは大きな問題は起きなかったようですね」
「そうか、それは何よりだ」
マイリーが駒を動かしながらそう言い、それを見たヴィゴが抱えていたクッションに顔を埋めた。
「おい、いきなりそこに来るか? もうちょっと攻めるにしても段取りってもんがあるだろうが!」
「そんな気遣いを俺に求めるな。ほら、お前の番だぞ」
無言でクッションに抱きついたまま顔を上げないヴィゴを見て、若竜三人組がヴィゴの後ろから覗き込んだ。
「うわあ、すごい鬼畜な展開……」
「これは無理かも。展開しても、先の逃げ場が無いよ……」
無言で固まる背後を見て、ヴィゴは小さくため息を吐いた。
「ええい、死なば諸共!」
そう呟いて、攻略線上にある敵の女王を自分の女王で取る、しかし、これでは次にこの女王も取られてしまう位置だ。
そこから駒の潰し合いが始まる。消耗戦に見えた展開だったが、後半、盤の端にいた赤い玉をつけた歩兵が伏兵だった。手前の騎馬を落とした瞬間、それの攻撃範囲の先にあった王様の駒に防御の駒がいなくなったのだ。
「あ、やられた……」
ヴィゴがそう呟いて突っ伏し、その勝負はマイリーの勝ちで終わった。
「すごい! すごいすごいすごい!」
いきなり背後から聞こえた大きな声に、息を飲んで展開を見ていたルーク達は飛び上がった。
「うわ、いつの間に来たんだよ」
振り返ったルークが笑いながら言うと、レイは、勝負の終わった盤を覗き込みながら目を輝かせた。
「着替えて休憩室に来たら皆が真剣に集まっていたから、どうしたのかと思って見てみたの。そうしたらすごい勝負だったから邪魔しないように一緒に見てたんだよ」
「あはは、いつ来たのか全然気がつかなかったよ。どうだ、この二人の勝負は凄いだろう」
ロベリオが笑ってそう言い、レイはもう一度大きく頷いた。
「ねえ、あの歩兵って、いつの間にあそこにいたの?」
「割と最初だったよね端に寄ったきり動きがなかったから、すっかり忘れてたよ。これだから赤い刺客は怖いんだよね」
「確かに、最初は気にしていたけど消耗戦になってそっちに気を取られてたから端まで意識が行かなかったんだね」
若竜三人組とルークが、今の動きを再現しながら真剣に話をしている。
「最初に昇格させて仕事もさせずに放っておくと、案外、皆忘れてくれる。こう言うのをいくつ置けるかで、後半の攻めの展開方法が全く変わるからな」
当然のようにマイリーがそう言って笑うので、レイはもう尊敬の眼差しでマイリーを見つめていた。
「レイルズの攻め方は、まだ正直で一直線だよな。力技で攻められるのは、初めのうちだけだぞ」
駒を片付けながらそう言われて、レイは小さく頷いた。確かにそれは、普段相手をしてくれるルークやヘルガーからも言われているのだ。
「うう、もっと頑張ります」
「まあ、その歳にしたら、かなり上手いと思うがね」
ヴィゴの言葉に、マイリーも頷き、夕食の後で陣取り盤の講習をしてもらえる事になった。
「まずは食事にしよう。腹が減ったよ」
立ち上がったマイリーの言葉に、レイも笑って頷いた。
「はい! 僕もお腹ペコペコです」
「しっかり食べろよ育ち盛り」
ロベリオの言葉に、休憩室は笑いに包まれたのだった。
皆で食堂で食事をした後は揃って休憩室に戻り、今日あった事を報告しながら陣取り盤を挟んで遅くまで遊んでいた。
「それじゃあ、明日も早いからもう休みますね。お休みなさい!」
ちょうど区切りの良いところでレイがそう言って立ち上がり、自分の部屋へ戻っていった。
「相変わらず元気だな。まあ明日も無事に終わる事を祈っておくよ」
マイリーの言葉に、皆揃って頷くのだった。
翌朝、いつも通りに起きたレイは、昨日と同じ時間に急いで第二部隊の本部へ向かった。今日も一日受付業務担当だ。
「おはよう、今日も頑張ろうね」
アドリアン上等兵の言葉に、レイは直立して返事をした。
「おはようございます!本日もよろしくお願いいたします!」
「よろしくお願いします!」
敬礼してくれて、顔を見合わせて笑顔になった。
「はい、これが今日の書類だ。そっちを持ってくれ」
また箱に入った書類を持って、一緒に第二竜舎前の受付場所へ向かった。
「おはよう、ちょうど良かった。こっちが追加の書類だ。一緒に置いておいてくれ」
出て来たティルク伍長の言葉に、レイは渡された書類の束を箱の上に乗せて、落とさないように気を付けて箱を見ながらゆっくりと歩いた。
「あれ? 何で竜舎の扉が開いてるんだ?」
前を歩く伍長の言葉に、レイとアドリアンは顔を上げる。
もちろん早朝から竜舎担当の兵士達が竜達の世話をしているが、面会期間中は、竜舎の扉は基本的に閉めるように指示されている。
書類を置いた伍長が扉を閉めようとした時、中から争うような声が聞こえた。
「困ります。今は面会時間外です、関係者以外勝手な出入りは許されておりません」
「そこを退け!」
悲鳴が聞こえて、何かがぶつかる音の後に倒れる音がする。
「誰か勝手に竜舎に入り込んだな。お前らも来い!」
伍長の言葉に、レイとアドリアンも慌てて書類の箱を置き竜舎に駆け込んだ。
中には倒れている第二部隊の兵士が二人と、数名の兵士達と通路で揉み合っている煌びやかな服を着た二人の青年がいた。しかもその内の一人は、鞘は付いているが剣を手にしていた。
「け、警備兵を呼んできます!」
アドリアン上等兵がそう叫んで走っていく。
レイは伍長と一緒に駆け込んで、鞘付きの剣を振り回すその青年を背後から羽交い締めにした。
「レイ、構わないからそのまま引き摺り出せ!」
もう一人を二人がかりで押さえ込みながら伍長がそう叫び、返事をしたレイは羽交い締めにしたその若者を引っ張って外へ引き摺り出そうとした。
「離せ!無礼者が!」
暴れるその青年に、深呼吸したレイは言い聞かせるように出来る限り冷静に話しかけた。
「貴方は既に幾つもの罪を犯しています。一つは面会時間外に関係者以外絶対に立ち入り禁止の竜舎へ勝手に押し入った事。もう一つはカナエ草の薬もお茶も飲まずに竜への過度な接触を行なった事。そして、兵士への暴力です。どうか大人しくしてください」
「離せと言っているだろうが!」
その若者は、そう叫んで身体を捻るようにしてレイの拘束から逃れようとした。
その動きだけで、少なくとも武術に全くの素人ではない事が分かる。
「いけません。大人しくしていてください」
あくまで冷静に説得しようとするレイに、その若者はいきなり肘を顎にぶつけてきた。
ニコスのシルフが咄嗟に現れて庇ってくれて、直撃は免れたが軽く一発食らってしまった。
腕が緩んだ拍子に抜け出されてしまう。
さすがに剣はまずいと思ったのか剣を捨てて殴りに来た。咄嗟に腕を立てて顔を守る。
あ。腹に来る!
次の動きが簡単に見切れて、左手で、殴ろうとした相手の右の拳を止める。
貴族の青年は、まさか止められるとは思っていなかったようで驚きに目を見開く。
「大人しくしてください。これ以上されると、ただでは済まなくなります」
拳を捕まえたまま、あくまで冷静な声でそう言い聞かせる。
「薄汚い手を離せ。無礼者が!」
左の拳で、いきなり殴られた。
勢い余って吹っ飛ばされて、レイは咄嗟に受け身をとって床に転がる。
「貴様! 何をする!」
その時、突然誰かが乱入してきて、レイを殴ったその青年貴族をものすごい勢いで殴り飛ばした。
殴られた青年は、後ろに吹っ飛ばされて柱に当たって転がり、呻き声を上げて動かなくなった。
「レイルズ、大丈夫か!」
振り返ったその青年を見て、起き上がったレイは頬を抑えながら笑った。
「リンザス、ヘルツァーも……助かったよ、ありがとう」
起き上がるレイに手を貸し、二人は汚れを払ってくれた。
慌てたように走ってきた警備兵が、転がったままの青年を連行して連れて行った。
「大丈夫か?」
ティルク伍長が慌てて駆け寄って来て、隣に立つ二人を見て直立する。
閲兵式で見事な戦いを見せた彼らは、すっかり兵士達の間でも有名になっている。
一般兵は一部の兵士以外は直接は戦いを見ていないが、上官達が話す見事な戦いぶりを、皆憧れの思いで聞いていたのだ。
「レイ二等兵をお助け下さり感謝致します」
二人は面白そうにレイを見た。
「へえ、レイ二等兵……」
「二等兵……」
二人は揃って笑いをこらえて妙な顔になる。
「二等兵……」
もう一度そう呟いて、二人は同時に吹き出した。
「あれ、本当だったのかよ。幾ら何でも無茶が過ぎるだろうが!」
「誰だよ。お前にそんな無茶な設定をしたのは!」
笑い転げる二人を伍長は遠い目で見て、それからもう一度咳払いをして直立した。
「ここにいるのは、レイ二等兵です。それ以上でもそれ以下でもありません。どうかそれでお願いいたします」
大真面目なその言葉にようやく笑いを収めた二人は、苦笑いしながら揃って頷いた。
「貴方も大変だね。まあしっかり頑張って彼を鍛えってやって下さい」
「だけどその前に、レイ二等兵は怪我の手当てをしないとね。唇の端、切れているよ」
ヘルツァーの言葉に、慌ててレイは自分の口元を触った。
少しだが血が付いているのに気付き慌てた。
竜の主や竜の世話をする者達は、出血を伴う怪我には気を付けないといけない。竜射線の影響で、普通の人よりも少しだけ血が止まりにくいのだ。
駆け寄って来た警備の兵士にリンザスとヘルツァーを任せて、伍長は控え室へ急いでレイを連れて走った。
「伍長も殴られたんですか? 頬が赤くなってます」
レイの言葉に、伍長は小さく頷いた。
「あれは、今年の一番の要注意人物だと言われていた伯爵家の馬鹿息子達でね。兄弟揃って我儘放題で有名なんだ。だけどまさか、開場前から乱入されるとは思わなかったよ。ちょっと警備を見直さないといけないな」
「そうだったんですね。いきなり殴られてびっくりしました」
痛む頬を押さえながらそんな話しをしていると、薬箱を抱えたハン先生が来てくれた。
「おやおや、随分と派手にやられましたね。見せて下さい。口の中は如何ですか?」
「ちょっと切れてるっぽいです。でも大した事は無いと思います」
「消毒しますね、ちょっと沁みますので我慢して下さい」
口の中の切れた部分と、唇の切れた部分を順に消毒される。
「うう、いたいれふ……ハンしぇんしぇい……」
頬の内側に丸めた綿を入れられて、レイはモゴモゴと痛みを訴える。
「少しそこで休んでいて下さい。氷を持って来ますね」
同じく頬を腫らした伍長には、駆け付けた医療兵が治療を行なっていた。彼も消毒されて頬を冷やしてもらっている。
ソファーに座って、持って来てもらった氷を包んだ布で頬を冷やす。何人ものウィンディーネが現れて、皆でレイの腫れた頬を冷やしてくれた。
結局その日は、午前中いっぱいそのまま休んで、午後からは切れた部分に小さな湿布を貼って案内の業務を行った。
顔の湿布を見て何か言いかける若者もいたが、レイは平然と案内を行い、午後からは特に問題も無く面会終了時間になったのだった。
湿布を貼った顔でレイが本部に戻った時、知らせを受けて待ち構えていた竜騎士達にとても心配されてしまい、逆にレイは困ってしまった。
「あの、本当に大丈夫だよ。無茶な人だとは思ったけど、別に僕は怒ってませんから!」
今にも文句を言いに飛び出しそうなルークとロベリオを必死で掴んで止めながら、レイはだんだん嬉しくなって来た。
理不尽に殴られた事は驚いたし腹も立った。だけど、まるで今日の出来事を自分の事のように怒ってくれる彼らを見て、レイは自分がいかに幸せであるか知って感激していたのだ。
「怒ってくれてありがとう。大丈夫だよ。僕は幸せだからね」
ルークの腕に縋り付き、レイはそう言いながら堪え切れなくなって声を上げて笑った。
ウィンディーネ達の頑張りのおかげで、すっかり腫れの引いたその頬には、次々と現れたシルフ達が、笑いながら順にキスを贈っていたのだった。
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