竜の面会初日

 翌朝、聞いた通りに朝練は無しで朝食を早めにとり、第二部隊の制服に着替えたレイは、早速、第二部隊の事務所へ向かった。



「おはようございます!」

 事務所で書類の束を数えていたティルク伍長を見つけて挨拶する。

「おお、おはよう。ちょうど良かった。これを持ってくれるか」

 手渡されたのは、面会の際に最初に受け付けで記入する書類の今日使う分だ。

 渡された箱ごと受け取り、伍長と一緒に今日の仕事場所へ向かう。



 見慣れた第二竜舎の前には特設の大きなテントが建てられていて、いくつもの机と椅子が並べられている。

「アドリアンは、俺と一緒に受付の前で全体の案内役として立つ。ハンネスとマヌエルが受付に座って実際の受付作業を行うから、お前はフェリクスとルノーと三人で、二人の後ろで助手役だ。手早く新しい書類をまとめて渡して、受け付けで全部記入したら、それを受け取って面会する本人と付添い人を待合室へ案内して第一班に引き継ぐ。ここまでが俺達の仕事だ。良いな」



 昨日、一通りのやり方の説明は聞いていたので、改めて手順を確認しながらレイは真剣な顔で頷いた。



「受け付けに渡す書類は三種類。持って来た面会証を添付して、付添い人を記入する書類。薬とお茶をきちんと飲むと言う同意書。これはサインを確認する事。同意無しには決して竜に触らないと言う確認書。これもサインを確認する事」

 確認内容を呟きながら、運んで来た箱を開けて書類を準備していく。

「受け付け担当が、書類を記入している間に、もう次の書類を渡せるようにしておけよ。ルノーとフェリクスがまずは受け付けて案内するから、お前は後ろで彼らの動きとやり方を見て覚えろ。二人のうちのどちらか先に終わった方にお前は入れ。新しい書類一式は用意して持っておいて、それを渡して後ろで待機だ。そして書類の記入が終わったら、三種類の書類を受け取って、本人と付添い人を待合室まで案内する。終わったらすぐに戻って来いよ。順に、また開いたところに入って次の人を案内するんだ。手早くやれよ。良いな」


 思った以上に、忙しそうで、レイは真剣な顔で返事をした。

 二人の受け付けで、三人が案内役。確かに、急がないと案内役がいなくなりそうだ。


「お前らの動きを見て、こっちである程度は止められるけどな。まあ、どうしても無理そうだったら、俺かアドリアンのどちらかが応援に入るから心配するな。とにかく、お前は目の前の仕事をしろ。良いな」

 頼もしい言葉を聞き、レイは大きく頷いた。

「よろしくお願いします!」

 笑って背中を叩かれた。



 全員揃った朝礼で、今一度全員の手順を確認する。

 レイも、真剣に話を聞き漏らすまいと必死になって聞いていた。



「それでは、そろそろ受け付けを始めます。各自、担当場所にて待機してください」

 別の班の曹長の言葉に、全員の背筋が伸びる。

 第一竜舎の横に設けられたテントでは、既に大勢の人が並んでいて、受け付け開始を今か今かと待っていたのだった。




 九点鐘の鐘の音を合図に、受け付けに何人もの人が一斉に並んだ。

 しかし受け付けは二人のみ、当然、全員同時に受付が出来るわけも無い。

 ティルク伍長とアドリアン上等兵が、手慣れた様子で声をかけながら整列して並ぶように促す。

 意外と素直に並ぶ人達を見て、レイは新しい書類を手に目の前の作業を見守った。

 レイの肩にはニコスのシルフ達が並んで座り、受け付けの動きを真剣な顔で見つめていた。



 先に記入が終わったのは、ルノーの前の人達だった。

「ご案内いたします。こちらへどうぞ」

 書類を手にしたルノーがそう言って振り返り、レイを見て頷く。レイも頷きを返して素早く後ろに並び、新しい書類を渡した。

「こちらにご記入をお願いします」

 ハンネス一等兵の落ち着いた声に従い、付添い人が書類を記入している。レイは、後ろで頭の中で必死になって手順を確認していた。



「早くしろ。まだなのか?」

 隣に座っていた青年が、つまらなさそうにそう言って足を組む。

「申し訳ございません。決まりですので手続きが終わるのをお待ちください」

 ティルク伍長が態とらしく頭を下げてそう言う。

「面倒だな、私が竜の前に行けば済む事だろう? こんな臭い場所でいちいち待たされて。全く、私を誰だと思っているんだ」

 臭い場所と言われて思わず顔を上げそうになったが、後ろ手にハンネス一等兵に足を叩かれて我に返った。

「はい結構です。では彼の案内で奥の待合室へどうぞ」

 三通の記入した書類を手渡されて、レイは一礼してその青年を奥の受付に連れて行こうとした。

 しかし、その青年はそのまま竜舎の方へ行こうとしたのだ。

「申し訳ありません。先に奥の待合室でお薬とお茶をお飲みください」

 その青年の前に、レイは進路を遮るように出て、出来るだけ申し訳なさそうにそう言う。

「そこを退け。私を誰だと思っている。未来の竜騎士だぞ」

 後ろで執事が慌てて引き止めようとしているのを見て、レイは深々と頭を下げた。

「竜騎士の皆様が日々お飲みになっている貴重なお薬とお茶です。これを飲まないと、人間は恐ろしい病にかかります。どうかお戻りになって、まずはお薬とお茶をお飲みください」

「坊っちゃま。その兵士の言う通りです。まずは竜騎士様方が日々お飲みになっているお薬とお茶を頂きましょう」

 咳払いをしたその青年は、偉そうに胸を張った。

「そうか、ならばそうしよう。案内しろ」

 まさか自分を案内するその兵士が、未来の竜騎士その人だなんて知る由もなく、威張り散らしていたその青年は、案外素直にレイの案内で奥の待合室へ向かった。



「やるな。彼は案外使えるかも」

 感心してそう呟いたティルク伍長に、その場にいた全員が、声を出さずに力一杯同意していた。



 第一班の兵士に青年を託し、急いで戻って次の人を案内する。

 ブツブツと文句を言う者は多かったが、午前中はとりあえず暴力を振るわれる事も、大きな混乱も無く、無事に受け付けは終了した。




 一刻しか無い休憩時間で、本部の食堂まで行っている時間は無い。この期間中は、食堂から弁当が支給されるのだ。

 担当兵から大きな弁当箱をもらい、カナエ草のお茶もカップに入れてもらう。

 第二竜舎の控え室に兵士達の為の休憩場所が設けられているので、とにかくそこへ行って空いた椅子に座った。

「お疲れ様、どうだ、貴族のお坊っちゃま方のお相手は」

 同じく弁当を手にしたティルク伍長の声に、レイは小さくため息を吐いた。

「話には聞いてましたけど、本当にいろんな人がいますね。でも、今のところ頬は無事です」

 それを聞いて伍長は吹き出した。

「お前さんに暴力を振るう人がいたら、竜騎士隊の方々が絶対黙って無さそうだよな。怖い怖い。そんな馬鹿が現れないように祈ってるよ」

 からかうようなその言葉に、レイも小さく吹き出した。

「大騒ぎしないように頼んでおきますね」

 それを聞いて、伍長はもう一度声を上げて笑ったのだった。



 弁当箱の蓋を開けて、ぎっしり詰まった中身に二人共笑顔になる。きちんと精霊王にお祈りをしてから食べ始めた。

 それぞれ無言で弁当を食べ終わり、いつものカナエ草のお薬を飲む。もう一杯お茶をもらってから、少し早目に担当場所に戻ったけれど、先にアドリアン上等兵とハンネス一等兵は戻って来ていた。

「ご苦労様。上手くあしらってくれたね。この調子で午後からも頼むよ」

「今確認したけど、午後からは特に有名な我が儘者はいなさそうだから、無事に終わる事を祈ろう」

「はい、なんて言うか……そうですね。凄く……勉強になります」

 言葉を濁すレイに、二人は同時に吹き出した。

「まあ、言いたい事は何と無く分かるよ。午後からもこの調子で頑張れよな。お互い頬は死守するんだぞ」

 差し出された拳をぶつけ合って笑い合った。

 ルノーとフェリクス二等兵も戻って来て、次の担当する順番を確認し合った。



「間も無く、午後の受け付け開始時間になります。各自担当場所にて待機してください」

 先程の曹長の言葉に、各自が担当場所にて直立して鐘の音を待った。

 次々とやってくる人達を、レイは必死になって案内した。時に我が儘を言われる事もあったが、初日は暴力騒ぎも大きな混乱も無く、無事に仕事を終える事が出来た。



 残念ながら、この日は新しい竜の主は誕生しなかったようだ。



「残念だったね、今日の人は誰も竜の主じゃ無かったんだね」

 受け付けの掃除をしながら呟くレイに、書類を整理していたティルク伍長が、苦笑いしながら顔を上げた。

「まあ新しい竜の主なんて、一年に一人でも現れれば良い方なんだからさ。当たり前だけど、一人もいない年だってある。ちなみに、俺が先輩から聞いた話では、初日に竜の主が現れた事は、この二十年で一度も無いらしい」

 それを聞いて、周りにいた掃除をしていた兵士達も小さく吹き出す。

「まあ、今日の顔ぶれを見るに、相応しい人はいなさそうだったよな」

 ハンネス一等兵の言葉に、もう一度全員が吹き出した。

「碌でも無さそうな奴らばっかりだったよな。いつも思うけど、平民で良かったと思うね。あんなの相手に毎日仕事するなんて、絶対御免だよ」

 アドリアン上等兵の言葉に、何人もが同意するように笑っていた。

「貴族って言ってもいろんな人がいるんだね。アルジェント卿のお孫さん達は、皆礼儀正しい良い子達だったよ」

 レイが思わずそう言うと、奥からカーネリアンの声が聞こえて来た。

 彼女は、面会期間中も第二竜舎で過ごしている。面会には参加しないので、一番奥に場所を作り、手前の通路は入れないように柵が設置してある。

「あの子達は、面会に来る人達とはまた違う意味で危険ですよ。竜舎を所狭しと走り回って、竜達にご機嫌で遊んでもらっていましたが、突然倒れて寝るまで、それはもう元気一杯だったんですから」

「突然倒れて寝るって……何それ?」

 思わず聞き返すと、竜達は皆、愛おしそうに笑って喉を鳴らした。

「確かに、アルジェント卿が連れてこられたお孫さん方は、なんと言うか、元気一杯で、本当に……そう、つむじ風みたいだったよな」

 しみじみと呟いた伍長の言葉に、小さく吹き出す兵士が続出した。

「アルが連れて来た子達は皆、本当に命の輝きに満ちていたわ。人の子の成長の早さを思い知らされた。きっと、すぐにりっぱな若者になって面会に来てくれるわね」

 カーネリアンの言葉に、他の竜達も楽しそうに喉を鳴らした。



 掃除を終えると、もう今日の作業は終了だ。いくつか明日の準備と確認をして、解散となった。



 レイは、帰る前に竜達のところへ向かった。

「お疲れ様でした。明日こそ良い出会いがあるといいね」

 それぞれの竜に、そう言いながら順にそっとキスを贈っていく。



 竜達の中で一番愛想が無く素っ気ないのは、成竜のカルサイトだ。彼女は百年以上も前に主を亡くして以来、毎年面会には参加しているが、一向に新しい出会いが無いのだ。

 レイにキスされて、ちょっとだけ喉を鳴らして直ぐに首を引いてしまった。

 気にせず、順に話しかけていった。



 最後のトルマリンの前に立ち、差し出された顔をそっと抱きしめてやる。

「君の主の事をルーク達から聞いたよ。辛かったね。僕では何の力にもなれないけど、貴方に良い出会いがあるように祈っているからね。どうか元気を出して」

 一瞬驚いたように身震いしたトルマリンだったが、目を閉じて大きな音で喉を鳴らし始めた。

「もしも、もしも次の出会いが私にあるのなら、私は今度こそ絶対に主を守ってみせるよ。色んな事を知って、少しでも賢くなって、主を助けられるようにするの。ラピスにも色んな事を教えてもらってるよ。貴方にも心からの感謝を、ここに来てくれてありがとう」

 優しいその言葉に、レイは涙を堪えられなかった。

「皆に、良い出会いがありますように……心から……祈ってるよ」

 もう一度、色んな想いを込めて、トルマリンの額にそっとキスを贈った。



 レイの肩の上では、ブルーのシルフと、ニコスのシルフ達が並んでその様子をじっと見守っていたのだった。

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