白の塔への道は……

「それじゃあ行ってきます!」

 見送ってくれたラスティに手を振って、レイは渡り廊下を早足で城へ向かって歩いていた。

 身に付けているのは、いつもの騎士見習いの服だ。剣帯に取り付けた小物入れの中には、ヴィゴが後見人の身分証が入っている。

 城へ入る時には、渡り廊下から城へと繋がる大きな扉を通るのだが、普段はそこは閉じていて、見張りの兵士が立っている。

「おはようございます」

 大きな声で挨拶をして、身分証を手渡す。

「おはようございます。どうぞ」

 身分証を確認した兵士が、横に動いて扉を開いてくれた。

「ありがとうございます」

 通る時にそう話しかけると、兵士は驚いたように顔を上げて一礼してくれた。城側に入って振り返ると、もう扉は閉まっていて、こちら側にも兵士が二人立っていて一礼してくれた。

 何度もこの扉を通っているが、考えてみたら一人で通るのは初めてだ。

 一礼して前を向くと、見覚えのある道をゆっくりと進んで行った。



「えっと、こっちで良かったんだよね?」

 あちこちに綺麗な花が飾られ、時にはその花の周りを蝶や蜂が嬉しそうに飛び回っている。

「蜂や蝶にとっても、この期間はお祭りだね」


『こっちこっち』


 嬉しそうに花を見るレイの目の前に、ニコスのシルフ達が現れた。

「あ、道案内お願いしますね」

 笑顔になったレイは、シルフ達について廊下を歩いた。




 騎士見習いの服を着ていると、誰も彼の事を気にしない。時に誰かと目が合う事はあるが、レイが目を伏せて一礼すると、相手は平然と、或いは同じように一礼してくれるだけでそのまま通り過ぎるだけだ。

 竜騎士見習いの服を着ている時とは、全く違う反応だった。

「ブレンウッドでルークが言ってたよね。人は着ている服で判断するって」

 まあ、誰からも注目されない事は、気が楽だ。それは、初めての一人歩きで緊張していたレイの気を緩ませた。




 中庭に出たところでレイは歓声を上げた。

「うわあ、ここにも花の鳥がある!」

 降誕祭の時に大きなツリーが飾られていた場所に、見上げるほどに大きな花の鳥が飾られていたのだ。

 翼を広げた首の長い鳥の形で、体の部分は真っ白で、広げた翼が先に向かって虹色に順に変わっている。嘴と足が木で出来ていた。

 思わず近くに駆け寄り、口を開けていつまでも見ていた。



「すごい。すごいや……」

 それしか言葉が出なかった。



「あらあら、可愛い騎士様だこと。でもお口が開いていましてよ」

 からかうような、聞き覚えのある女性の声が聞こえてレイは飛び上がった。

「え、え、え! マティ……」

「シー!」

 名前を叫ぼうとした彼の口を、マティルダ様の綺麗な指が塞ぐように押さえて止める。

 驚いた事に、後ろに立っている羽根つき帽子を被った笑顔の男性は……どこから見ても陛下だ。

 しかもお二人共、見た事が無いほどに身軽な服装だ。さすがに陛下は腰に剣を差しているが、それも士官達が持っている程度の一般的な鋼の剣に見える。

「あの、まさかとは思いますが……」

 恐る恐る尋ねたレイに、お二人は満面の笑みで揃って頷いた。

「今年の花の鳥は、それは見事だったからな。近くで見るのが楽しみでならんぞ」

「毎年、これが楽しみなのよね」



 幾ら何でも、無茶では無いのか?

 これは止めるべきなのか、それとも、いってらっしゃいと笑って見送るべきなのかレイには判断がつかなかった。


『心配いらないよ』

『お二人には大勢の護衛が付いてるよ』


 耳元に現れたニコスのシルフが、内緒話をするように教えてくれた。

「えっと、そうなんですね。いってらっしゃいませ」

 シルフ達の言葉に安心して、何とかそう言って笑った。

「して、其方は一人で何をしているのだ? 誰かと一緒にいるのでは無いのか?」

 陛下が、レイの後ろを見て、誰もいない事に気付いて首を傾げている。

「今から白の塔へ行きます。あの、知り合いが入院しているので……」

「例の、タガルノの少女か」

 思いの外真剣な声でそう言われて、レイは頷いた。

「はい、そうです。あの、とても良い子なんです。ちょっと、その……怖い目にあって怪我をしたんです」

「言わなくても良い。詳しい報告は聞いておる。そうか、大事にするようにな」

 今度は普通の声でそう言われたが、レイは聞かずにいられなかった。

「あの、彼女達を花祭りに連れて行ってあげるつもりなんですけれど……良いでしょうか?」

 ガンディは良いと言ってくれたが、ニーカの事を陛下は、タガルノの少女、と言ったのだ。

 もし、彼女が敵国の人間として敵視されているのなら、勝手に連れ歩くのはいけない事ではないのか。不意に湧き上がった不安に、レイは蒼白になった。

 しかし、陛下は笑ってくれた。

「もちろん構わんぞ。好きなだけ見せてあげなさい。彼女にはこの国の良い所をたくさん見てもらわねばな」

「神殿でも真面目に働いていたと聞いたわ。可哀想に。さぞ怖かったでしょうね。一緒にいるのなら貴方がしっかり守ってあげてね」

「はい! もちろんです!」

 思わず直立する彼を見て、お二人は笑って肩や背中を叩いてくれた。

「では、我らは先に行くとしよう。会場で会っても、間違っても、陛下! なんて言うなよ」

「そうよ。私達はただの観光客なんですからね」

「あの……参考までにお伺いしますが、もしお見かけした時には、なんとお呼びすれば良いんですか?」

「オルサムだ」

 確かに陛下のお名前だが、まさかそう呼べと言うのだろうか。

「私はデメティルよ」

 嬉しそうにマティルダ様が言ったその言葉に、レイは反応出来なかった。



 母さんそっくりなお声のマティルダ様が、母さんの名前を名乗っている。



 そう思った瞬間、堪える間も無くレイの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

「あ……」

 咄嗟に俯いて誤魔化そうとしたが、お二人にははっきりと見られてしまった。

「どうしたの?レイルズ」

 慌てたように、マティルダ様が肩を抱いてくれる。

 必死で唇を噛んで涙を堪えた。しかし、また大粒の涙が頬を転がり落ちる。

「そこに座りなさい」

 抱えるようにして、花の鳥から少し離れたところに置かれた椅子に座らせてくれた。

「す、すみません……」

 必死で息を整えて、何とかそう言うのが精一杯だった。

 目の前にしゃがみ込んだマティルダ様が、下から覗き込むようにしてレイを見る。

 側から見たら、これは跪いているように見えるのでは無いだろうか?

 不意に気が付いて、慌てて立ち上がろうとしたが、隣に座った陛下に肩を押さえられた。

「其方は向こうに座りなさい」

 陛下の声に、立ち上がったマティルダ様が反対側に座ってくれた。

 必死になって息を整える。

「あの、大変失礼しました。もう大丈夫です……」

 泣き虫な自分が恥ずかしくて、顔を上げられなかった。

「泣いた理由を聞いても良くて?」

 優しい、母さんそっくりなその声に、また涙が出そうになって必死になって我慢した。



「あの……」

 慰めるように、お二人が黙って背中を撫でてくれる。

「僕の母さんの名前なんです……」

 消えそうな声で、そう言うのが精一杯だった。

 マティルダ様が驚いて目を見開く。

「貴方の、お母上のお名前?」

 無言で頷くと、いきなり力一杯抱きしめられた。

「ごめんなさい。お母上に大変な失礼をしたわね」

 その言葉に、レイは慌てて首を振った。

「ち、違います! あの……マティルダ様のお声が、本当に母さんにそっくりなんです。それで、そのお声で自分のお名前がデメティルだって言われて、まるで母さんがいるみたいに感じてしまって……驚かせてすみませんでした!」

 必死になってそう言うレイの頭上で、お二人は顔を見合わせる。

「デメティルという名は、彼女の祖母の名前なのだよ」

 その言葉に、思わず顔を上げて陛下を見た。

「えっと、アルカーシュから嫁いで来られたって言うお方ですよね」

 頷く陛下に、レイは涙を拭いて笑って見せた。

「それなら、アルカーシュでは女性の名前として人気があったのかもしれないですね」

 その言葉に、お二人も小さく笑って同意するように頷いた。


 聖デメティルは、星そのものを信仰する星系神殿で、唯一の人の姿をした女性だ。

 迷える信仰者達を守り、導く役目を持つとされているのだと、城の図書館で読んだ本に書いてあったのを思い出した。

「あの、もう大丈夫ですから、どうぞお祭りを見に行ってください。僕達も後で行きますので、会えたらいいですね」

 すっかり涙の乾いた顔でそう言うと、お二人も安心したように立ち上がった。

「では、我らは先に行くとしよう。では後程な」

 一緒に立ち上がり、お二人が笑って手を振って乗合馬車の乗り場へ向かうのを、呆然と見つめた。

 まさかとは思うが、お二人もあの馬車に乗っていくのだろうか?

 呆然としたまま、姿が見えなくなるまで見送ったレイだった。

「うん、まさかそんな事ないよね。きっと、乗り場にお二人用の馬車が用意されてるんだ」

 そう自分に言い聞かせて中庭を歩き始めた。

 レイは知らなかったが、花祭りの時にお忍びで会場へ行くのならば、例え王族であっても花馬車に乗る事。と言うのは、実はオルダムの城の伝統なのだ。

 そして花馬車の中では、自ら名乗らない限り例え顔見知りであっても知らん振りをするのも伝統なのだ。




 ぼんやりと考え事をしながら歩いて中庭を突っ切ったレイは、渡り廊下に入る際に足元に置かれていた植木鉢の後ろの段差に見事に躓いた。

「うわっ!」

 見事に転んでしまい、咄嗟に横にあった大きな植木鉢に抱きついた。

 その時植木鉢の縁で、思い切り鼻をぶつける。

「ふぎゃ!」

 間抜けな声が出て、目の前に星が散った。

「だ、大丈夫ですか?」

 その声に、渡り廊下に立っていた一般兵の服を着た若い男性が、慌てて駆け寄ってきてくれた。

「えへへ、大丈夫です。ちょっと考え事していて足元を見ていませんでした」

 恥ずかしくて、とにかくそう言って立ち上がった。

 屈んだ兵士が、レイの汚れた膝を叩いてくれる。

「鼻の真ん中あたりが赤くなっていますよ、大丈夫ですか?」

 確かに鼻の頭では無く、鼻筋の真ん中辺りが痛い。何故、一番高い鼻の頭では無く真ん中が赤いのか? 一体どうやってぶつけたのか考えて、ちょっと情けなくなった。

「あはは……今から白の塔へ行くので、ついでに名医に診てもらいます」

 鼻を押さえて笑うレイのその言葉に、その兵士も笑顔になった。

「それなら安心ですね。花祭りの期間中は、普段は空いている場所にも多くの植木鉢が置かれていますから、どうか足元には十分お気をつけください」

 そう言って、ついでに歪んだ剣帯も直してくれた。

「ちゃんと前を向いて歩かないとね」

 笑ってお礼を言ってその兵士に手を振って、白の塔への渡り廊下へ向かった。

「迷子にはならなかったけど、予定よりもずいぶんと時間が掛かっちゃったね」

 目の前に現れたニコスのシルフに笑いかけて、ようやく見えた、白の塔の入り口である大きな扉へ入って行った。




「ふむ、遅いのう。冗談抜きで、本気で迷子になってるのかもしれんな」

 ガンディの言葉に、二人の少女は声を揃えて小さく吹き出した。

 身支度を整えた二人は、ベッドに並んで座ってガンディが持ってきてくれた本を読んでいる。彼もソファーで持って来た分厚い本を読んでいたが、ふと思いついて窓の外を見る。

「シルフよ。レイルズは今どこにいる?」

 その声に、シルフが現れて答えてくれた。


『今、渡り廊下を歩いてもうすぐ建物に入るよ』

『いろいろあって主様は大変』

『泣いたり笑ったり転んだり』

『大忙し』

『大忙し』


 その言葉を聞いて、ガンディだけで無く二人も驚いて顔を上げた。

「待ってシルフ。レイは転んだの?」

 クラウディアの慌てたような声に、シルフたちは揃って頷いてから笑い転げた。


『前を見ないと駄目』

『植木鉢にしがみついてた』

『痛いの痛いの』

『でも主様は笑ってた』

『変なの』

『変なの』


 それを聞いて、ガンディは吹き出した。

「成る程、恐らく歩いておって植木鉢か柵に躓いたのであろう。了解じゃ。来たらまずは、素っ裸にして身体の隅から隅まで怪我が無いか診察してやろう」

 それを聞いて、二人も揃って吹き出した。




「遅くなりました。お待たせしてごめんね」

 ノックの音がしてレイが入って来ると、三人は一斉に扉の方を向いた。

「レイ、転んだって聞いたけど大丈夫……じゃ無いわね」

 クラウディアの言葉に、レイは慌てて鼻を押さえた。

「ど、どうして知ってるんだよ!」

「おうおう、これはまた見事にぶつけたな。ほれ、ここへ座れ、診て進ぜよう」

 笑ったガンディにそう言われて、レイは大人しく椅子に座った。机の上には、何故か治療の為の道具が既に並んでいる。

「……もしかして君達だね」

 呆れたように、レイは机に並んでこっちを見ているシルフ達に言った。


『だって心配だったんだもん!』

『そうよそうよ』

『すぐに治療が出来るでしょう!』


 口々にそう言われて、もう笑うしか無かった。



 鼻の中を覗き込み、出血が無い事を確認したガンディは、横で心配そうに見ている二人に笑って頷いた。

「出血も無い、心配はいらんよ。ぶつけて赤くなっておるだけだ」

 小さな白い布を取り出して、薬を塗りつけて鼻の真ん中に横向けに貼り付けた。

「これで終わりじゃ」

 満面の笑みでそう言うと、綺麗に磨かれた手鏡を取り出してレイの顔を映して見せてくれた。

 鼻の真ん中に、横向きに白い湿布が貼り付けられている。これは端がくっつくようになっている小さな湿布で、赤くなった部分を隠してくれている。しかし、これはこれで相当恥ずかしい。

「ええ、もうちょっと分からないようにしてくださいよ。これは……」

「贅沢言うで無い。そなたに軽い薬は効かぬからな、これは赤い部分を日に当てない為の処置だ。諦めろ」

 そう言われてしまっては、諦めるより無かった。悪いのは迂闊に転んだ自分だ。

「えっとごめんね、みっともなくて。こんな僕と一緒でも良かったら、花祭りに行こうよ」

 その言葉に、心配そうに見ていた二人も笑顔になった。

「もちろん行くよね」

 ニーカの言葉に、クラウディアも笑って頷いた。でも、心配そうにレイを見る。

「レイルズこそ大丈夫? 痛く無い?」

 そう言われて、レイは笑って立ち上がった。

「大丈夫だよ。それじゃあ、お待たせしました。花祭り会場へ皆で行こうね」

 二人も笑顔で立ち上がった。

「では行くとしよう」

 ガンディがニーカを抱き上げて、四人は揃って白の塔の庭にある乗合馬車の乗り場へ向かった。

 その後ろを、何人ものシルフ達が嬉しそうについて行くのだった。

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