白の塔へ

 落ち着いた彼女をガンディは抱き上げると、ラプトルの手綱を引いてそのまま歩いて女神オフィーリアの神殿へ戻った。



 神殿裏の施療院では、ニーカがいない事に看護師が気付いて大騒ぎになっていた。

「ニーカ! そんな身体で一体何処へ行っていたの!」

 ガンディに抱かれて戻った彼女の元に、心配そうに看護師が駆け寄る。その後ろには、心配そうにこちらを伺うイサドナ様や僧侶達の姿も見える。

「心配かけてすまなかったな。施療院を抜け出したのはちょっとした好奇心からの悪戯心じゃ。しかし思った以上の人混みで、途中から迷子になってしもうたらしい。勘弁してやってくれ」

 ガンディの言葉に、自分の服の胸元を握りしめたニーカは何か言いかけたが、レイルズが自分を見て笑って首を振るのを見て、俯いて口を噤んだ。

「……心配かけて、ごめんなさい」

 消えそうな小さな声でそう言う彼女を、駆け寄った僧侶達が代わる代わる抱きしめた。

「無事で良かった。おかえりなさい。そうだったのね、この悪戯っ子。冒険は楽しかったですか?」

 抜け出した理由を何も聞かない優しい言葉に、ニーカは笑おうとしたが叶わなかった。

「はい、楽しかった……です……」

 頬を堪え切れない涙がこぼれ落ちたが、皆、気付かない振りをしてくれた。



「すまぬが、彼女は儂がしばらく預かる故、白の塔へ連れて帰る。よろしいですかな?」

 ガンディの言葉に、僧侶たちは揃って深々と頭を下げた。

かしこまりました。どうかよろしくお願いいたします」

 その時、奥からクラウディアが飛び出して来た。

「ニーカ! 良かった……何処に行っていたのよ!」

 彼女は、汗をびっしょりかいて息を切らせている。

「何処を、探しても、いないから……シルフに、探させたのに、私では、まだ、見つけられ、なく、て……良かった……」

 ニーカを抱きしめて、必死に息を整えながら泣きそうな声でそう言うと、クラウディアは堪え切れないようにその場に座り込んでしまった。

 まだ息が早く、肩が上下している。



 竜の主であるニーカは、本人にあまり自覚はないが、精霊魔法の使い手としてはかなりの上位になる。まだまだ修行中である人間のクラウディアでは、追跡で自分よりも上位の精霊使いであるニーカを見つけられなかったのだ。

「心配かけてごめんね……」

 座り込んだ彼女の背中を何度も撫でて、ニーカは今度は泣かずに笑えた。二人は顔を見合わせて、もう一度笑ってしっかりと抱き合ったのだった。



 少し離れて二人の様子を見ていたガンディは、そっと隣に杖をついて立つ僧侶のイサドナに話しかけた。

「ニーカ一人では不安であろう。あのクラウディアも付き添いで連れて行って構わんか?」

 花祭り期間中の神殿の忙しさを知っているガンディは、断られると思っていたが、イサドナはにこりと笑うと頷いた。

「こちらからお願いしようと思うておりました。あの二人はとても仲の良い姉妹のように、いつも一緒におります。どうぞご迷惑でなければ共にお連れくださいませ。今夜の事件を聞いて、精霊王の神殿だけでなく、他の神殿からも多くの応援を頂ける事になりました。こちらの事はどうぞお気遣いは無用にございます」

「そうであったか。ならば二人共連れて行くとしよう。ふむそうなると……彼女はラプトルには乗れますかな?」

 イサドナ僧侶は、その言葉に目を瞬かせた。

「恐れながら、我らは一人で騎竜に乗った事など一度たりともございませぬ。彼女も同じかと」

 通常、一般の街に住む市民は騎竜は見る事はあっても乗る事は無い。せいぜいが乗合馬車でお世話になる程度だ。

「そうか……ならばどうするかな……」

 一歩下がって二人を見ているレイルズを見て、その後ろで大人しく並んでいる二頭のラプトルを見た。

 ニンマリと笑ったガンディは、自分の思い付きに満足したように大きく頷くのだった。

「ニーカ。其方はしばらくの間、療養を兼ねて白の塔へ来い。彼処ならば、安心してゆっくり出来るだろう」

 驚いて振り返る彼女に、ガンディはこっそりと片目を閉じて見せた。それからクラウディアを見る。

「クラウディアよ。其方も良ければ共に来てくれぬか。ニーカも一人では心細かろう」

「それは……ですが、今、神殿は人手が足りませぬ故……」

 ニーカが心配なのは当然だ。一緒に行けるならそれが一番だが、今日の講習会の忙しさを思い出してクラウディアは首を振った。

 しかし、イサドナ僧侶は彼女に最後まで言わせなかった。

「クラウディア。お願いだからニーカについていてやっておくれ。こちらの事は心配いりませんよ。他の神殿から大勢応援を頂ける事になりましたので」

 満面の笑みでそう言うと、彼女は二人の少女をまとめて抱きしめた。

「其方達の進む道に、良き風が吹きますように。女神は常に共におられますよ。どうかそれを忘れないで。それぞれに定められた己の為の道を、自らの足でしっかりと前を向いて、胸を張って進みなさい」

 改まった口調に、二人は驚いて居住まいを正した。

「はい。肝に銘じます」

 二人は口を揃えてそう言うと、片膝をついて敬意を示した。

「さあ、用意をしておいで。ガンディ様とレイルズ様には応接室でお待ちいただくからね」

 今度は軽い口調でそう言い、二人の背中を叩いて神殿の宿舎のある方へ行かせた。

「それでは、用意をして参ります」

 振り返ってガンディとレイルズに一礼した二人は、並んで宿舎へ向かった。その後を看護師と僧侶がついて行った。



「さて、彼女達が戻るまで、もうしばらくお待ちください。どうぞこちらへ」

 にっこりと笑うイサドナ僧侶に案内されて、二人は顔を見合わせて後に続いた。杖をついている彼女を見て、レイは慌てて隣に立って、ゆっくりと歩く彼女を支えた。



「お待たせ致しました」

「お待たせ致しました!」

 包みを抱えた二人が応接室に入ってきた時、ガンディとレイルズは出されたお茶を前に二人で顔を寄せ合って何やら相談をしていた。

「ええ、そんな! 僕はてっきり辻馬車を借りると思ってましたよ!」

「この時間でも、どれだけ人出があると思うておるか。来るまで待っておったら夜が明けるぞ。其方は別に、あのラプトルでも乗れるだろうが」

「そりゃあ乗れますよ。当たり前です。でも……」

「って事だから、よろしくな。間違っても彼女を落とすなよ」

 笑って背中を叩かれて、レイルズは悲鳴を上げた。

「おお、準備は出来たか?」

 振り返ったガンディに、二人は一礼した。

「ご迷惑をお掛けします。どうぞよろしくお願いします」

 声を揃えて挨拶する二人を満足そうに見て、ガンディは嬉しそうに頷いた。

「では行くとしよう。茶をご馳走さま」

 もう一度レイルズの背中を叩いてガンディは立ち上がった。

 大きなため息を吐いて、レイも立ち上がった。

「荷物はこれだけ? 持つよ」

 そう言って、二人の手から包みを取ると、片手で二つまとめて抱えた。

「行こう、こっちだよ」

 頷いた二人が後に続いた。




 ラプトルが待っていたのは、神殿の横にある納屋の前だった。看護師と一緒にイサドナ様が見送りに来てくれていた。

 二頭並んだラプトルの、大きい方の鞍の後ろでレイルズが何かしていたが、見ていると横から籠が出て二人共驚いた。

「折り畳みの籠だよ。ここに荷物を入れるからね」

 振り返ってそう言うと、左右に一つずつ、二人の荷物を入れた。

 それから、彼は軽々と大きなラプトルの背に跨ったのだ。見上げると、首が痛いほどに高い。

「えっと、僕のところにクラウディアも乗ってもらうんだけど、大丈夫?」

 レイルズにそう言われて、クラウディアは思わず首を振った。

「む、無理です。私はラプトルなんて乗った事無いです」

「大丈夫じゃよ。ほれ、ここに乗りなされ」

 ガンディが持ってきたのは、三段になった踏み台だ。

「ですが……」

「白の塔まで歩いておっては夜が明けるぞ。ほれ、横向きで良いから乗りなされ」

 恐る恐る言われるままに踏み台に乗る。後ろをガンディがついて上がって来て、彼女が一番上の段まで登ると、声をかけて軽々と脇を持って抱き上げたのだ。

「失礼するぞ。ほれ、しっかり掴まっておれよ」

 レイルズの前に、彼女を横向きに座らせる。あまりの高さに怖くなって、咄嗟にレイルズにしがみ付いた。

 妙な声がレイルズの口から漏れて、慌てて離そうとしたらずり落ちそうになりまたしがみ付く。

 今度は背中に彼の手が回って、しっかりと支えてくれた。

「もう少し後ろに下がって。そう、それで良いよ。ラプトルの背の上は揺れるけど、シルフに守らせてるから落ちる心配はしなくて良いからね」

 上から聞こえる冷静な声に、クラウディアは真っ赤になった顔を隠すように、俯いたまま小さく頷くしか出来なかった。

「では、我らも乗るとしよう」

 そんな二人を満足そうに見たガンディは、そう言ってラプトルに跨ると、手を伸ばして踏み台に登って来た彼女を抱き上げて、自分の前に同じく横向きに座らせた。

「それでは行くとしよう」

 ガンディがゆっくり自分の乗ったラプトルを進め、レイもこれ以上ないくらいに慎重にラプトルに合図を送った。



 初めのうちこそ緊張して硬くなっていたクラウディアとニーカだったが、ラプトルの揺れに慣れてくる頃には周りを見る余裕さえ生まれていた。

「すごい。ラプトルの上って、こんなに高いんですね……」

「本当だね。景色が違って見える」

 思わず呟いたクラウディアの言葉に目を輝かせたニーカが答える。それを聞いてクラウディアも頷いた。

 確かにいつもの景色が、視界が高いだけで全く違って見える。

 まだ通りには大勢の人がいるが、ラプトルの周りは皆近寄りたくは無いらしく、何となく空間が開いているのだ。

 ゆっくりと二頭のラプトルは前後に並んで人混みを抜け、一の郭へ続く城門を潜った。

 城門を通る時、ガンディが何か耳打ちすると、門番の兵士は一礼して四人を通してくれた。



 一気に人通りが無くなった道を、二頭のラプトルがゆっくりと進んで行く。

 その周りには、何人ものシルフ達が見守るように後をついて来ていた。

「一の郭には、初めて入りました。綺麗なんですね……」

 レイルズとガンディが飛ばした光の精霊達に照らされて、一行は一の郭の通りを抜けて白の塔へ向かった。

「今通って来た通りは、街から白の塔へ通じる、一番近道の通りじゃ。覚えておくと良いぞ」

「分かりました。覚えておきます」

 真剣な声で答えるレイルズに、ガンディは小さく笑った。すると、前を向いていたニーカが、振り返って少し笑った。

「ありがとうございます、ガンディ様。ディアを一緒に連れて来てくれて。レイルズも嬉しそうね」

「そうだな。見ていて微笑ましいわい」

「ディアはレイルズの事が好きなんだよ。いつもシルフ達に言ってるんだって。レイルズも、彼女の事が好きだよね?」

 その言葉に、ガンディは目を瞬いた。

「ほう、シルフ達がそう言っておったのか?」

「うん。だけど、身分違いだから駄目なんだって。レイルズが聞いたらきっと泣くよね」

 可笑しそうに小さく笑うと、ニーカはこっそりと後ろの二人を見た。

「お似合いだと思うんだけどなぁ」

「其方は優しいな」

 ガンディがそう言ってそっとニーカの背を叩くと、彼女は小さく笑って口を尖らせてこう言った。

「正直、ちょっと羨ましいなって思うけど……私にはスマイリーがいるもん」

『そうだよニーカ僕がいるよ』

 彼女の膝の上にシルフが座り、スマイリーの言葉を伝えた。

「さっきはごめんね。もう、あんな馬鹿な事しないから、私の事……嫌いにならないでね」

『大好きだよニーカ』

『何があっても貴女の側にいるよ』

『だから安心してね』

 ふわりと飛んだシルフは、ニーカの頬にキスを贈ると肩に座った。

「そうよね。私は……私は一人じゃ無い。今度は守るの。私が……私が皆を」

 俯いてそう呟いたニーカは、意を決したように顔を上げてガンディを見た。

「ガンディ様、私のお願いを聞いていただけますか?」

「何じゃ? 儂に出来る事か?」

 小さく頷くと、彼女はこう言った。

「私に精霊の入る石の付いた指輪を頂けませんか。お代は、お代は何年掛かっても必ず働いて返します。ですから……」

 それまで、精霊魔法の勉強について真面目に訓練所に通ってはいたが、実技には消極的だった彼女の、それは決意を秘めた言葉だった。

「もしかしたら、あの男はタガルノから私を探しに来たのかもしれない。もしもそうなら……私の周りにいる人に危険が及ぶかも知れない。そう思って……施療院を抜け出したんです。でも、スマイリーを置いては何処へも行けない……考えれば考える程、逃げ場が無くて、あんな馬鹿な事をしてしまいました。助けてくれて、ありがとうございました」

 無言で自分を見つめるガンディに、ニーカはしっかりと頷いて見せた。

「私は、自分と私の大切な人達を守りたい。今度、あんな事があれば、必ず……必ず叩きのめしてみせます。だから…だから私に……」

 宝石の入った指輪が、どれほどの価格なのか彼女には見当も付かない。だけど簡単に返せる金額では無い事も予想はつく。だが万一の時、咄嗟に自分の言葉を聞いてくれる精霊を身近に持つ事は、どう考えても必要だったのだ。

「成る程。其方はそう考えたか」

「我が儘を言っている自覚はあります。ですが、どうかお願いします。私に指輪を持たせてください」

 真剣にそう言って、身動き取れない体で出来るだけ丁寧に頭を下げた。



 訓練所のマークとキムは、軍の支給品だという指輪をしている。ごく小さな石の入った指輪だが、あれでも相当な金額なのだと聞いた覚えがある。

 レイルズがしている、大きな青い石の嵌った指輪は、彼の竜の守護石なのだと聞いた。あれは一般人には到底手が出ない程の相当な値打ちものなのだろう。

 贅沢は言わない。どんな小さな石でも構わなかった。彼女は自分の精霊の入る場所が欲しかったのだ。



「分かった。ちと相談する故、答えは待ってくれるか?」

「もちろんです。よろしくお願いします」

 嬉しそうに頷くと、また前を向く。

「あ、あの塔ですよね」

 見覚えのある大きな塔が木の陰から姿を見せ、一気に迫って来る。

「あんなに大きかったんですね。以前は景色を見る余裕なんて無かったから、全然覚えてないです」

 嬉しそうなニーカの笑顔に、ガンディも笑顔になった。

 二人の背後からも、白の塔を見上げて歓声をあげるクラウディアの声が聞こえていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る