ニーカと精霊達

 別室での事情聴取が終わって廊下へ出ると、そこには数人の僧侶達が並んでレイルズを待っていた。

 彼が部屋から出て来たのを見ると一番年配の初老の僧侶が進み出て、両手を握って額に当てその場に跪いて深々と頭を下げた。

「ニーカをお助けくださり、本当にありがとうございました。祭りの期間中は人の出入りが多くなります。勝手に入られぬように見回りを強化して注意はしておりましたが、まさか本当に入られるとは……」

「ニーカの、怪我の具合はどうですか? それにあの……」

 あの酷い様子を見て、それ程知識の無いレイにも、何があったかぐらいは分かる。

「国一番の名医に診て頂きました。顔と腹を殴られただけで、乙女の純潔は守られておると……」

 もう一度深々と頭を下げる僧侶達を見て、レイは無言で頷いた。

「良かった……せめてもの救いだね……」

 小さく溜息を吐き、促されて彼女達と一緒にニーカの元へ向かった。



 ニーカは、神殿の隣にある施療院に運ばれていた。



 ここは神殿の管轄で、貧しい人達も無料で医師や薬師に診てもらう事の出来る病院だ。

 人が大勢集まる大都市で伝染病などが流行ると、それこそ国の根幹を揺るがし兼ねない大問題となり得る。その為、多くの神殿では、国の補助を受けて無料の施療院や、ごく安い治療費で診る診療所を設けているのだ。白の塔の長として、ガンディも各都市の施療院へ多くの若い医師達を派遣している。また、個人でも基金を作って、毎年多額の資金面での援助を行なってもいる。



「おお、ご苦労さん。事情聴取は済んだのか?」

 通された部屋ではガンディが薬を作っている最中で、開いた扉から入ってきたレイに気付いて、手を止めて顔を上げて笑いかけた。

「はい、殴った事を咎められるかと思いましたが、特にお咎め無しでしたよ」

「当然じゃ、もっと殴ってくれても良かったのじゃぞ」

「そうですよね。本当にもっと殴ってやれば良かった」

 吐き捨てるようなガンディの言葉に、レイは自分も同じ気持ちだったので何度も頷いてからため息を吐いた。



 向かいの席に座って、出来上がって計って小分けした薬を包むのを黙って手伝った。

「僕がもう少し早くあそこへ行っていたら、彼女はあんなに殴られないですんだのに……」

 包み終わった薬を綺麗に並べながら、レイは思わずにはいられなかった。

 団体が出て行った直後だったので沢山の花の屑が出て、あの時はまとめて二つ分集めて持って行ったのだ。普通に一つだけ持って行っていたら、恐らく彼女があの男と会った直後にレイも奥へ行っていたはずだったのだ。

 現に、レイは講習会をしている部屋から、彼女が屑入れを抱えて出て行くのを見ていたのだから。

「もし、あの時自分がああしていたら。自分がこうしていれば。……たら、……れば。事が起きれば誰しも思う事だ。しかし、事実はもう決まっておる。ならば嘆くのでは無く、どうすれば良いか考えるのが我らの役目ぞ」

 その言葉に、レイは小さく頷いた。

「そうですね。あの、彼女はどうしてますか? 僕は会わない方が良いですか?」

 あの怯え様を思い出して、悲しい気持ちになった。

「今は薬が効いてよく眠っておる。すまぬがそっとしておいてやってくれるか。これが出来たら我らは一旦戻るとしよう。これ以上ここにおっても邪魔になるだけじゃ」

 立ち上がるガンディを見て、レイも立ち上がった。

「じゃあ、後で彼女にお見舞いの花を贈る事にします」

「それは良い。きっと喜んでくれるだろう」

 振り返ったガンディにそう言われて、レイは少しだけ笑った。




 暮れ始めた空の下、神殿を出たレイはラプトルの背の上でもう何度目かわからない溜息を吐いた。

 考えてみたら、本気で手加減せずに人を殴ったのは初めての事だ。

 自分の右手の握り拳をそっと見つめて、レイは思い出していた。

 それは格闘訓練を初めて間も無い頃に、無邪気に強くなりたいと言った彼に、ギードが言った言葉だった。



『鍛えて力を持つという事は、一歩間違えれば、圧倒的な暴力で以って、他人に言う事を聞かせる事も出来ます。中にはそうする事で、さらに自分が強くなったと勘違いする者もおる。ですが、そのような事をすれば、その報いはいつか必ず己に返ってきます。忘れんでくだされ。いつか出来る大切なものを守るために、今、己を鍛えておるのだと。よろしいですな、決して他人を虐げる為に、この力を使ってはなりませぬぞ』



「守れたのかな……彼女を……」

 小さく呟いたレイの肩には、何人ものシルフ達が現れて先を争うようにキスを贈った。


『私達は彼女を守れなかった』

『あんなに怖がってたのに』

『どうしたら良いのかわからなかったの』

『悔しい』

『悲しい』


 悲しそうな彼女達に慰めるようにキスを返して、前を行くガンディに声をかけた。

「えっと、ちょっと聞いても良いですか?」

 黙って進んでいたガンディが、その声に振り返った。

「構わんぞ、答えられるかは分からんがな」

 頷いてガンディの横にラプトルを並べて進めながら、レイはずっと思っていた事を質問した。

「訓練所で、ニーカも実技では幾つも単位をもらってるんです。シルフ達に頼めば、あの男ぐらい簡単に弾き飛ばせたと思うんだけど……どうして、彼女はそうしなかったんでしょうか? 一般人には精霊魔法を使っちゃ駄目なんですか?」

 その質問に納得したガンディは、右手にシルフを座らせて教えてくれた。

「精霊達は、我々とは根本的に違う生き物だ。それは分かるな?」

 頷くレイを見て、ガンディは自分の手に座るシルフを見た。

「例えば、今回の事件で、そなたは彼女が襲われておるとすぐに気がついたであろう?」

「もちろんです。彼女は床に押さえつけられいて、知らない男が、上から覆い被さるみたいにしてのし掛かっていました。彼女が殴られて血が出ているのを見て、思いっきりその男を殴り飛ばしたんです」

「良くやった。しかし、例えばそうだな……その部屋で愛し合う男女が同じ様にしているのを見たら、其方はどうする? もちろん、殴られてはおらんぞ」

 横目で見ながらそう言われて、少し赤くなった顔を背けて答えた。

「それなら黙って扉を閉めますよ。そんなの……邪魔するのは失礼でしょう?」

「正解じゃ。しかしな、シルフ達には、言われなければその違いが分からんのだよ」

 驚いてガンディを見ると、彼は手の上のシルフを見せる様に差し出した。

「えっと、今の質問、分かった?」

 レイの質問に、彼女は首を振って答えた。


『男にのし掛かられているんでしょう?』

『助けてって言われたら助けるよ』

『でもそうじゃなければ……どうするのか良いのか分からない』

『だから黙って見てるよ』


「つまりそう言う事じゃ。殆どの精霊達は、人の言葉で様々な事を判断する。人が嫌だと言えば、それは嫌な事。良いと言われたら、それは良い事だと思う」

「つまり、例えば無理して嘘をついても、それを見抜けないって事?」

「その通りじゃ。まあ、上位の精霊などはその限りでは無いがな。それから、今回の彼女の様に恐怖でパニックになってしまったりすると、相当上位の術者であっても精霊を上手く扱え無くなる。精霊達を御するには、自分自身が冷静である必要があるのだ。本当に弱ってしまったり、今回の様にパニックを起こしてしまうと、精霊達は術者の言う事を聞いてくれぬ。声に力が無くなる故な」



 以前、タキスからも同じ様な事を聞いた覚えがある。

 精霊魔法を使うには気力も体力も使うと。なので自分が本当に弱ったら精霊達は言う事を聞いてくれないのだと。



「つまり、彼女はパニックを起こすあまり、シルフ達に助けを求める余裕も無かったって事なんですね」

「気の毒だがそう言う事だ。しかも彼女の証言によると、あの男はタガルノ人だそうだ。向こうでも、同じ様にあの男に何度も殴られていたそうじゃから、恐怖で竦んでしまったとしても仕方あるまい。どうやってタガルノからオルダムまで来たのか。それを調べるのは……衛兵達と軍部の仕事だな。しっかり調べる様に頼んでおいたわい」

 肩を竦めるガンディの言葉に、レイはまた大きくため息を吐いた。

「それから、其方がさっき言った言葉だが、一般人に精霊魔法は使ってはならんのか? と言う話だがな」

 気分を変える様にガンディがそう言い、手に乗ったシルフは一礼していなくなった。

「今回の様に、何らかの被害を受けた者が己の身を守る為に使う場合は、ほぼ正当防衛として認められる。しかし、理由も無く一般人に精霊魔法をかける事は、まあ余り褒められた事では無いな。攻撃性のある魔法などは、場合によっては処罰の対象となるぞ。覚えておきなされ」

 黙って頷くレイを見て、ガンディもため息を吐いた。

「しかし、全く以ってやりきれんな。ようやく元気になって真面目に働き、慎ましくも楽しい日々を過ごしておったと言うのに……」

「クロサイトに会わせてあげたいな。でも、神殿に竜を寄越すのは駄目なんですよね?」

 驚いた様に顔を上げたガンディは、急に黙り込んだ。

「ふむ、それはちょっと不味かろうが……逆に、彼女を連れて来れば……」

 暫く考えていたが、顔を上げた時には彼は笑っていた。

「確かに、今の彼女を慰める一番の方法じゃな。ありがとう。良い事を聞いたわい。明日にでも、彼女を本部へ連れて行くとしよう」

 その言葉に、レイも笑顔で頷いた。

「何ならお手伝いしますよ」

「おおそれは良い。では頼むとしよう」

 鞍上で二人は笑って手を叩き合った。




 施療院の奥にある入院病棟で、目を覚ましたニーカはぼんやりとベッドに横になったまま染みの浮いた古い天井を見上げていた。

 酷く殴られた両頬は、水の精霊達が必死になって冷やしてくれたおかげで殆ど腫れる事も無かった。しかし、殴られて切れた口の中やお腹は、ずっと絶え間無くズキズキと痛み彼女を痛めつけた。

 内臓に出血が見られるとの精霊達の言葉により、当分の間、安静にしている様に言われてここに入院する事になったのだ。

「皆、忙しくしてるのに……また役立たずになっちゃった」

 横を向いた彼女の目に、涙があふれる。

 あの男は逮捕されたからもう安心だと言われたが、彼女は到底安心する気にはなれなかった。第一、なぜあの男がここにいたのか。どう考えても分からなかった。

 金持ちでも無いあの男が、簡単に出国できるはずも無い。

 タガルノでは、一部の商人や軍人などを除いて、出国するのは容易では無い。



 まさか、誰かに命じられてタガルノから自分を探しに来たのではあるまいか?



 突然のその思いつきは、不意に現実感を帯びて彼女に襲いかかった。

 ここにいたら、自分のせいで皆に迷惑をかけるのでは無いか? もしもクラウディアが自分の様な目に遭ったら……。

 そう思い始めたら、もう恐ろしくてじっとしてはいられなくなった。

 黙ってベッドから起き上がる。

 お腹が痛んだが、痛みには慣れている。足元に置かれていた靴を履き、治療用の寝間着を脱いで、側に置いてあった籠から見習い巫女の服を着て立ち上がった。



 自分でも良く分からないが、ここにいてはいけない気がしたのだ。



 足音を殺して部屋を出ようとした時、目の前に見た事も無い大きなシルフが現れた。


『何処へ行くの? 手洗いはあっちよ』


「お願い、黙っててくれる」

 小さな声でそう言うと、シルフはもう一度同じ事を聞いた。


『何処へ行くの?』


 無邪気に尋ねるシルフに、ニーカは笑って答えた。

「もう元気になったから帰るの。皆忙しくしてるでしょう。お手伝いしないとね」


『そう元気になったのね』

『良かったね』


 嬉しそうに笑うと、彼女はくるりと回っていなくなった。

 安堵のため息を吐いた彼女は、そのまま部屋を出て廊下の窓からこっそり外に出て行った。



 着るもの以外、何一つ持たないままに。



 そんな彼女を、窓辺に並んだシルフ達と一緒に先程の大きなシルフが黙って見ていたのだった。

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