ニーカの悪夢と暴行事件

「何処も人だらけだね」

 前回と同じガンディが保証人の身分証を見せて、前回通ったのとは違う別の城門を抜けて街へ入った二人だったが、花祭りの会場への道とは違う通りであるにも関わらず、狭い通りには何処も人であふれていた。

「そりゃあ花祭りの期間中は、遠方からの観光客も多いからな」

「皆、迷子にならずに歩けてるのかな?」

 心配そうなレイの言葉に、ガンディは堪える間も無く吹き出した。

「まあ、案内人にとっては年に一度の稼ぎ時だな」

 まだ笑っているガンディに舌を出して、レイは肩に座ったシルフに笑いかけた。

「僕が迷子になったらよろしくね。今日の目的地は女神オフィーリアの神殿だからね」

 レイの頭上には、大勢のシルフが現れて楽しそうに輪になって飛び回っている。


『女神の神殿は一番の人出』

『人がいっぱい』


「うわあ、それは大変だね。クラウディアやニーカは大丈夫かな?」

 すると、シルフ達は笑って教えてくれた。


『ニーカは荷物運び』

『たくさん花を運んでるよ』

『ディアは先生役』

『子供達に花を触らせてる』

『可愛い鳥さんがいっぱい』

『時々変なのも有る』

『でも皆笑顔』

『楽しい楽しい』


「彼女は、花の鳥を作る講習会の先生役だって言ってたもんね」

 シルフと楽しそうに話すレイを横目で見て、ガンディは小さく微笑んだ。

 訓練所での、微笑ましい両片思いの初恋の話はガンディもルークから聞き及んでいる。

 様子を見て自分がお節介を焼くつもりで誘ったのだが、さすがにそれだけ忙しい時に、彼女を誘い出すのは講習会の仕事を邪魔しそうで考え直した。

「まあ、会わせてやるのもお節介のうちかのう?」

 自分の肩に座ったシルフに話しかけて、密かに笑うガンディだった。




 ようやく到着した女神オフィーリアの神殿は、シルフ達の言葉通り大勢の人であふれかえっていた。

「裏へ回ろう。ラプトルを預けて来なければな」

 関係者用の裏へ回り担当の神官にラプトルを預けた二人は、一旦表へ回り、まずは女神オフィーリアに挨拶しようとした。しかし、余りの人の多さに諦めてもう一度裏へ回った。

「何処にこんなに人がいたんだろうね。神殿に入れないなんて、思ってもみなかったや」

 ため息を吐いた呆れたようなレイの言葉に、ガンディも苦笑いしている。

「儂もここに住んで長いが、考えてみたら祭りの期間中に街へ出るのは久しぶりじゃ。いつ以来だ? ふむ……覚えておらんぐらいに久しぶりじゃな」

 顔を見合わせて笑いあった。

 それから、花の鳥の講習会の会場になっている広い部屋を覗いた。

 部屋には何列も並んだ机に隙間なく座った大勢の人がいて、大人も子供も関係無く、皆笑顔で花を手にして一生懸命花の鳥を作っていた。

 その間を縫うようにして、巫女や僧侶達が作り方を教えて回っている。



「……忙しそうだね」

 あちこちから助けを求める声がかかり、先生役の巫女達は大忙しのようだった。

「ふむ、邪魔するのは悪いな。裏方のニーカの様子を見に行くか」

 残念そうなレイの背中を叩き、部屋を後にしようとした時、背後から声が掛かった。

「もしかして、レイルズ? まあ、来てくれたんですね」

 そこには、切った枝や花の残骸の入った大きな屑入れを抱えたクラウディアが笑顔で立っていたのだ。

「うん、ちょっと見に来てみたんだけど……忙しそうだね。えっと、それは何処かに運ぶの? 手伝うよ」

 彼女が持っている、見るからに重そうなその屑入れを横から手を出して取り上げて、レイは笑った。

「あ、ありがとうございます……こっちです」

 並んで奥に消える二人を、ガンディは満面の笑みで見送ったのだった。




「ニーカ、精霊王の神殿から応援の神官見習いの方々が来てくれたから、此処はもういいわ。講習会のお手伝いに行ってくれる」

 倉庫担当の僧侶にそう言われて、ニーカは驚いて顔を上げた。

「でも、私は花の鳥の作り方なんて知りませんが……」

「ああ、そうじゃ無くて。講習が終わった後の机の片付け役が欲しいそうなのよ。枝や花の残りがどんどん机や床に散らかって、片付ける暇が無いんですって」

 まだまだ講習希望の人々が、表に長蛇の列になっていると聞いていたので納得して頷いた。

「分かりました。では行って参ります」

 来てくれた神官見習いの男の人達に頭を下げて花運びを任せると、ニーカは講習会をしている部屋へ小走りに向かった。




「片付けのお手伝いに参りました」

 大勢の人であふれた部屋に驚きつつ、見知った顔の僧侶に声を掛けた。

「ああ、ありがとう。とにかく、切った枝と足元に落ちている花屑を出来るだけ拾ってくれる。人が多過ぎて片付ける暇が無いのよ」

 振り返った僧侶は、待ち兼ねていたかのようにそう言うと、ニーカに大きな屑入れを渡した。受け取った屑入れを持って、ニーカは教えられた通りに空いた席や床に散らかった屑を手早く集めて回った。

 あっという間に屑入れは一杯になり、裏庭にある屑置き場へ運んだ。空になった屑入れを抱えて大急ぎで部屋へ戻ると、またせっせと花の屑を集めを続けた。手の届かない机の真ん中や床の奥に飛んだものは、こっそりシルフに頼んで集めてもらったりもした。

 何度も往復して屑を集め続け、ようやく一息ついた時、クラウディアがいない事に気付いた。

「あれ、休憩かな? さっきまでいたのに」

 先生役をしているクラウディアは、忙しい合間に屑集めを手伝ってくれるのだ。しばらくすると屑入れを持ったレイルズと一緒に笑顔で戻ってくるのを見て、彼女は小さく吹き出した。

「そういう事か。これは邪魔しちゃ悪いわね」

 枝をこっちへ飛ばしてくれたシルフに笑いかけて、これ以上入らない程に入った屑入れを抱えて、また裏庭へ走った。




「ご苦労さん。あんまり無理するなよ。適当に休憩してて良いんだからな」

 裏庭の屑置き場を担当している顔見知りの用務員の年配の男性に言われて、ニーカは首を振った。

「働くのは慣れてます。こんなの、以前いた農場に比べたら楽なんてものじゃ無いわ」

 ニーカの笑顔に、男も笑顔になった。

「働き者にはご褒美だ。そこを入って左の部屋の机の上に、俺の娘が差し入れてくれた焼き菓子が置いてあるから、良かったら一つ食いな。ただし、お茶は無いぞ」

「嬉しいです。ありがとうございます」

 笑顔でお礼を言って、屑入れを横に置いて言われた部屋に走った。

 途中の水場で手を洗い、前掛けから手拭き布を取り出して綺麗に拭く。服についた汚れも叩いて落とすと、言われた部屋に早足で向かった。



 ところが、驚いた事にそこには薄汚い格好をした男が座っていたのだ。

 差し入れの大きな箱ごと抱えて、貪るようにしてそのお菓子を食べている。



 その服装はどう見ても神殿で働く人では無い。明らかに不審者だ。

 驚きのあまり扉を開いたところで声も出せずに立ち尽くしていると、その男はお菓子の入った箱を抱えたまま振り返った。



 目が合った瞬間、彼女は血の気が引くのを感じた。それは、見覚えのある顔だったのだ。



「なんだ? 誰かと思ったらニーカかよ。お前……やっぱり死んでなかったんだな。何だよ、小綺麗な服なんぞ着やがって。生意気だな。こっち来いよ、可愛がってやるぜ」

 歯の抜けた薄汚れた顔で男が笑う。

 男を目の前にして、ニーカは恐怖のあまり声を上げることすら出来なかった。



 その男は彼女が竜と出会う直前、今日からここで働けと言われ、連れていかれた薄汚い竜舎で働いていた男だ。嫌がる彼女を倉庫へ引きずり込んで、何度も酷い事をした男でもあった。少しでも抵抗すれば死ぬほど殴られた。今でも思い出すだけで恐怖と屈辱で体が震える。



 タガルノにいるはずのその男が、今、何故か目の前にいるのだ。



 男が薄笑いを浮かべたまま、ゆっくりと立ち上がってこっちへ来る。逃げようとしたが、一瞬で腕を掴まれて壁に押さえつけられてしまった。

「ちょっと見ないうちに、ずいぶんと成長しやがったな。これならちょっとは抱き心地が良さそうだ」

 腕を掴まれて身体を押し付けられ、顔を寄せてそう言われて全身に鳥肌が立った。

 口を開こうとしたら、いきなり腹を力一杯殴られた。後ろの壁に叩きつけられて余りの痛みに一瞬気が遠くなる。

 床に転がり、痛みに声も出せずに悶絶していると、汚い布を口に丸めて押し込まれた。そのまま仰向けに押し倒されて、服を捲り上げて足を触られた。

 抵抗しようとしたが即座に顔を何度も殴られて、更にもう一度腹を殴られた。その気が遠くなる程の痛みと一方的な暴力への恐怖のあまり、もう抵抗する気力も消えてしまった。



 自分はやっぱり、こうなるのが運命なのだ。

 薄汚い男の手が服の下に潜り込み、声も無く笑いながら身体を弄るのを、必死で目を閉じてただ我慢するしか無かった。



 彼女は知らなかったのだ。

 嫌だ、助けてくれと落ち着いてシルフに頼めば、彼女達が守ってくれたのだが、恐怖でパニックになったまま諦めて抵抗しなくなった彼女を見て、シルフ達もパニックを起こしてしまい、どうしたら良いのか分からなくなっていたのだ。






「これもお願いします」

 レイが両手に屑入れを抱えて持って来たのを見て、振り返った男は笑った。

「いやあ助かるよ、ご苦労さん。重いのにすごいな。しかし祭りの日に見学に来て働かされるなんて、お前さんも災難だな」

「構わないよ。働くのは平気だからね」

 レイの言葉に、男は奥を指差した。

「さっき、ニーカにも言ったんだが、働き者のお前さんも良かったら食っていけ。俺の娘が、さっき屋台の焼き菓子を沢山差し入れてくれたんだ。お茶は無いけどな」

「ありがとうございます。じゃあ、一つ頂きますね」

 笑顔でお礼を言って、水場で手を洗うと教えられた部屋に向かった。



 しかし、その部屋の机の上には、ぐちゃぐちゃになって潰れた空のお菓子の箱が転がっているだけだ。

「あれ? どうしたんだろう……」

 不審に思い、そっと部屋に入る。その時、ニーカが床に押し倒されているのが見えた。彼女の上には薄汚い服を着た男がのし掛かっている。

「何をしてるんだ!」

 咄嗟に大声で叫び、駆け寄った。

 恐怖に引きつる殴られて血が滲んだニーカの顔を見た瞬間、レイルズはその男を力一杯殴り飛ばしていた。

 一撃で吹っ飛ばされた男は、机にぶち当たって椅子をなぎ倒し、潰れたような声を上げてそのまま気絶してしまった。

「だ、大丈夫!」



「来ないで!」



 駆け寄ろうとしたが、彼女はそう叫ぶと、うつ伏せになって背中を丸めて声を上げて泣き出してしまった。

 彼女は明らかに殴られて怪我をしている、服もぐしゃぐしゃだ。

 その声に驚いた屑置き場にいた男が走って来て部屋を覗き込み、倒れて気絶している見知らぬ男を見て悲鳴を上げた。

「い、一体何事だよ。ニーカ、どうした!」

「おじさん、誰か女性と警備の者を呼んで来てくれますか」

 駆け寄ろうとした男の目の前に手を出して止める冷静なレイの言葉に、男はようやく何があったか理解したようで、声もなく頷くと慌てて走り去った。



 まだうずくまったまま震えて泣いているニーカに、レイはかける言葉が無く呆然とその場で立ち尽くすしかなかった。



 すぐに声がして、女性僧侶と一緒にガンディとクラウディアも駆け込んで来た。後ろには神殿の衛兵の姿もある。

 倒れて気絶している男を、衛兵が手早く縄で縛って連れ出して行った。

「後ほど、お話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

 ひとりの衛兵が、レイに近付きそう言うので黙って頷いた。

 床にうずくまった彼女には、僧侶とクラウディアが駆け寄り話をしている。

「ニーカ、儂が診ても大丈夫か?」

 ようやく泣き止んだ彼女に、ガンディが静かな声で話しかける。

 無言で頷く彼女の顔は、両方の頬が真っ赤に腫れ上がっていた。口元には血が滲んでいる。

 手渡された毛布でそっと彼女を包むと、ガンディはそのまま毛布ごと彼女を抱き上げた。

「あの、私は医術の心得も少しですがございます。お手伝い程度ならば出来ますので……」

「おお、ならばお願いします。あなたがおれば彼女も心強かろう」

 頷くガンディについて、クラウディアも足早にその場を去って行った。



 黙ってそれを見送ったレイは、小さなため息を吐いて倒れた椅子を起こした。

「おじさん。せっかくの娘さんの差し入れ、駄目になっちゃったね。ごめんね」

 まだ呆然としている用務員の男の背中をそう言って叩くと、戻って来た衛兵と一緒に、レイもその場を後にしたのだった。

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