幾つかの出逢い

「まあまあ、なんて事でしょうか。あの古竜の主に荷物運びをさせてしまうなんて」

 ガンディからレイルズの正体を耳打ちされた高齢の僧侶は、慌てたように後を追おうとして笑ったガンディに止められた。

「気にする事は無い。彼は市井の出身でな。周りに世話をされる事を余り喜ばん。どちらかと言うと、自分で動くのが良いという奴でな。今日も気晴らしに街へ連れて来てやりました。ニーカとは年も近い。仲良くなれたら良いのだがな」

「そうですね。竜の主同士、我らには話せぬ事もありましょうから」

 顔を見合わせた二人が笑い合っていた時、倉庫の方から悲鳴が聞こえた。

 思わず、目を見開いた二人は、直後に先を争うようにして駆け出して行った。




 先に倉庫に飛び込んだのはガンディだった。

 その彼の目に飛び込んできたのは、持って行った板をまだ抱えたまま、途方にくれたようにこっちを振り返るレイルズの姿だった。

 慌てた僧侶が、ガンディの横をすり抜けてそのまま倉庫の奥へ走って行く。その背中に、有無を言わせぬものを感じたガンディは、彼女の後は追わずに顔を上げてシルフを呼び出し、何があったのか聞いて見る事にした。

「シルフ、一体今の悲鳴は何事だ?」

 すると、何人ものシルフ達が現れて口々にこう言ったのだ。


『ニーカはおっちょこちょい』

『慌てん坊の早とちり』

『びっくりしたの』

『びっくりしたの』

主様あるじさまは無実』

『でも主様も不用心』


 笑いさざめく彼女達の言葉を聞き、心配した最悪の事態では無い事を確認した。

 大きなため息を一つ吐くと、苦笑いしながら呆然と立ち尽くすレイルズを見た。

「で、お主はそこで何をしておるのだ?」

 板を抱えたまま、まだ呆然としていたレイルズだったが、その声を聞いて困ったように口を開いた。

「えっと、物音がしたから、どうしたの? ってシルフに聞いたんです。そうしたら、突然物陰から女の子が出て来て……僕を見るなり悲鳴を上げたんです。もしかして、驚かせちゃったのかな?」

 何となく状況を把握したガンディだったが、とにかく僧侶が出てくるまでその場で待つ事にした。レイルズは、困ったようにまだ板を抱えたままだ。




 しばらくすると、僧侶に連れられて見習い巫女が奥から出て来た。

「ニーカ。大丈夫か?」

 出来るだけ優しく声を掛けてやる。

「ガンディ様。あの……誰もいないと思っていたのに、突然、男の人が出て来て驚いただけです。お騒がせして申し訳ありませんでした」

 俯いたまま謝るニーカを見て、ガンディはレイルズを振り返った。

「驚かせてすまんな。彼はレイルズ。その……お前さんに紹介しようと思って連れて来たんだ。彼はあの古竜の主だ。まだ竜騎士見習い扱いなので、街へ出るに当たって第二部隊の兵士の服を着せたのだがな。逆に驚かせてしもうたようだな。本当にすまぬ」

 目線と指で、持っている板を置くようにレイルズに指示を出しつつ、とにかくニーカにレイルズを紹介してやる。

「えっと、驚かせてごめんなさい。レイルズ・グレアムです。竜騎士見習いとして勉強中です。改めましてよろしくね」

 ようやく我に返ったレイルズも、慌てて板を置いてそう挨拶をした。

「……古竜の主?」

 驚きの余り、顔を上げてまともに彼の顔を見てしまった。



 あの醜い、背中の痣を見られていたらどうしよう。



 内心、ニーカはパニックになっていたが、レイルズは平然と挨拶をしてこっちを見ているだけだ。

 タガルノの男達のように、彼女を蔑む事もせず、また、殴ろうともしない。

 ガンディの言葉が、パニックだったニーカの頭にようやく届いた。

「あの、古竜の主……!」

 今度は彼女が呆然とする番だった。



 目の前の第二部隊の服を着た若者は、困ったような顔で少し首を傾げてじっとこっちを見ている。竜騎士隊の人達のように、彼を信じても良いのだろうか?

 ニーカは、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。

「まあ、とにかく場所を変えよう。ここで話をするのはあんまりだな」

 苦笑いするガンディの声に僧侶も頷き、ニーカの背に手をやってひとまず応接室へ案内した。

 後ろを付いてくる二人をニーカはこっそりと振り返り、レイルズと目があってしまい慌てて前を向いた。



 先ほどの自分のしていた事を見られていたらどうしよう。それだけがニーカの頭の中をぐるぐると回っていた。



 応接室へ通された一同は、ひとまず向かい合ったソファーに、レイルズとガンディ、ニーカと僧侶がそれぞれ並んで座った。

 ニーカが立ち上がって手早く人数分のお茶を入れる。それを見たレイルズが、立ち上がって食器を運ぶのを手伝ってくれた。俯いたままお礼を言ってお茶を注いだ。

 しかし、まだニーカはレイルズの顔を落ち着いて見る事が出来ないでいた。僧侶は立ち上がって扉を開け、外にいた見習い巫女に何かを頼んでまたすぐに戻って来た。

 レイルズとニーカの前にはカナエ草のお茶が入れられ、ガンディと僧侶の前には、普通のお茶が置かれた。

「えっと、お先にどうぞ」

 レイルズが、蜂蜜の瓶をニーカに渡す。受け取ったニーカは一瞬戸惑ったが、ガンディが笑って頷くのを見て自分のカップにたっぷりと入れてからレイルズに渡した。レイルズも、たっぷりと蜂蜜を入れてから瓶の蓋を閉めた。

 しばらく、無言でそれぞれがお茶を口にした。



「えっと、ニーカはもうクロサイトには会ったの?」

 沈黙を破ったのは、レイルズだった。カップを置いたニーカもまだ少し俯き加減だったが小さく頷いた。

「はい。殿下に身分証を作っていただきましたので、神殿の人がお城へ用事で行く時に、ご一緒させてもらっています。すっかり元気になって、私……嬉しくて……」

「初めて会った時に比べたら、ずいぶん大きくなったよね」

 嬉しそうなレイルズの言葉に、ニーカも思わず笑顔になった。

「はい、ここの方々には、本当に良くして頂いています。どれだけ感謝しても足りません」

 小さく呟くように言った彼女の言葉に、皆笑顔で頷いた。

「しっかり学びなさい。巫女の資格を取れたら、城にある、女神オフィーリアの神殿の分所に勤める予定だそうだから、そうすればもっと気軽にクロサイトに会いに行けよう」

「はい、あの子も楽しみに待っていると言ってくれました」

 ガンディの言葉に思わず顔を上げて答えたニーカの瞳は、嬉しそうにキラキラと輝いていた。

「良かった。彼女の機嫌は直ったみたいだね」

 カップの横に現れたシルフに、レイは小さな声でそう囁いて、残ったお茶を飲んだ。



 その時、控えめなノックの音がして僧侶が答える。

「お入りなさい」

「失礼致します」

 そっと扉を開けて部屋に入って来たその巫女を見た瞬間、レイルズは周りの音が消えるのを感じていた。



 そこにいたのは、ブレンウッドの神殿にいるはずの、あの巫女のクラウディアだったのだ。



「お呼びでしょうか。ルグリット様」

 そう言って一礼する彼女からレイルズは目を離せなかった。心臓が早鐘のように鳴っているのが耳元聞こえる。

「クラウディア、こちらへ。ガンディ様に貴女を紹介したくてね」

 ルグリットと呼ばれた僧侶は、笑顔で彼女を手招きしてガンディを振り返った。

「ガンディ様、彼女はクラウディア。先日ブレンウッドの女神オフィーリアの神殿よりこちらに参りました。彼女は若いですが精霊魔法の才能もあり、神殿としても彼女の事は高く評価しております。まだ新米の巫女でございますが、近々城の分所へ勤めさせる予定でございます。どうぞ、よろしくご指導くださいませ」

「そうでしたか。白の塔の長を務めるガンディと申します。しっかり励みなされ」

 差し出したガンディの右手を、彼女は両手でそっと指先を持ち、その手に額を寄せた。

「ご紹介に預かりました、クラウディアと申します。未熟者でございますゆえ、どうか、ご指導賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」

 深々と頭を下げてそう言った。

「顔を上げられよ。して、精霊魔法は何を使われる?」

 自分の隣の椅子を示して彼女を座らせると、ガンディが尋ねた。レイルズはまだ動けずにいる。

「風と水は、上位までの適性があるとの事で、未だ勉強中でございます。それから光の精霊が見えますが、神殿では光の精霊魔法を使える方がおられませんので、主に書物で勉強しております」

「ほう、光の精霊に適性があるのか、それは素晴らしい」

 感心したようなガンディの声も、レイルズの耳を通り過ぎていくだけだった。はにかむように笑う彼女が、本当に現実の事なのか、レイルズには信じられなかった。



 視線を感じて、クラウディアが顔を上げてレイルズを見る。

「どうして、第二部隊の兵隊様がここに?」

 思わず呟いた彼女の声を聞き、ガンディが苦笑いしながらレイルズを紹介した。

「ああ、彼はレイルズ。今はこんな格好をしておるが、これでも一応、竜騎士見習いじゃ」

「ガンディ、一応は酷いよ」

 困ったように笑うと、改めて正面から彼女を見た。記憶にあるのと変わらずに、いやそれ以上にやっぱり彼女は綺麗だった。

「えっと、初めまして。レイルズ・グレアムです」

 差し出した右手を、彼女は先程と同じように両手で持つと、その手に額を寄せた。

「初めまして、竜騎士様にお目にかかれて光栄でございます」

 平静を装っているが、その手が震えているのにレイルズはすぐに気付いた。

「僕はまだ、見習いなんです。だから遠慮しなくて良いですよ。普通にしてください」

 そう言ってそっと手を離すと、驚いたように顔を上げてこっちを見ている彼女と目が合った。

 とりあえず、笑ってみた。

 安心したように笑う、彼女の花も綻ぶようなその笑顔を見てレイルズは幸せを噛み締めていた。

 そんな二人のやり取りを、ガンディは面白そうに黙って見つめていた。



「レイルズは、光の精霊魔法を使えるぞ。もちろん儂もな。城に務めるようになったら、教えて差し上げますぞ」

 目を輝かせて尊敬の眼差しで自分を見つめる彼女に、レイは困ったように笑って誤魔化した。

「僕もまだ勉強中なんです。精霊魔法訓練所に通っているんです」

「まあ、そうなんですね。ここでの生活が落ち着いたら、彼女をその精霊魔法訓練所に通わせるつもりです。どうか、不慣れな事も多いと思いますので、面倒を見てやってくださいませ」

 ルグリット僧侶は、笑顔でそんな嬉しい事を言ってくれた。

「そうなんだ。訓練所は楽しいところですよ。大勢の人が皆、精霊魔法を勉強しています。一緒に勉強出来たら良いですね」

 和やかに話す二人を、ニーカは無言で見つめていた。

「ニーカは? 君は訓練所には通わないの?」

 なんとかクラウディアから視線を外したレイは、こっちを見ているニーカに無邪気にそう尋ねた。

「わ、私は見習いですし、これ以上ご迷惑はかけられません」

 今でも、分不相応なほどの扱いを受けている自覚があるのに、この上訓練所に通うなんてとんでもないと思った。

 でも、訓練所に堂々と通えるクラウディアが、正直言って少しだけ羨ましかった。

「ニーカの場合は、勝手に訓練所に通わせるのはちと不味いのう。一度確認しておく故、少し待ってくれるか」

 ガンディにそんな事を言われて、逆に慌ててしまった。

「ガンディ様、とんでもありません。私は今でも充分に良くして頂いております。これ以上はとても……」

 必死になって首を振ったが、ガンディは笑って彼女の背中を叩いた。

「精霊魔法を使える者が、それを制御する事を覚えるのは義務です。訓練所へ通うか、あるいは人を寄越して学ばせるか。いずれにしても、何らかの形でしっかりと学ばせる必要はあるな」

 何度か頷きながらそう言うと、ガンディは笑って立ち上がった。

「さてと、すっかり遅くなってしもうたな。我らはそろそろお暇すると致そう」

「はい、それではこれで失礼します。お茶をごちそうさまでした」

 レイルズも、立ち上がって一礼した。

 三人に見送られて、レイルズとガンディは神殿を後にした。




 二人を見送りながら、クラウディアはずっと考えていた。

「あの方、どこかでお目にかかった事があるような気がするんですけれど……?」

 第二部隊の制服を着たレイルズを見た時から、どこかで会ったような気がしてずっと気になっていたのだ。それに、ガンディの事も初対面のはずなのにどこか見覚えがある。

 ニーカが食器を片付けるのをぼんやりと見ながら、クラウディアは自分の考えに沈んでいた。

「クラウディア? どうしたのですか?」

「は、はい!」

 突然話しかけられて、彼女は文字通り飛び上がった。

「ど、どうしたのですか? 何処か具合でも悪いのですか?」

 心配そうに聞かれて無言で首を振り、不意に思い出した。

「あ! あの時の方々だわ」

 突然声を上げた彼女を、ニーカとルグリット僧侶は驚いて見つめた。

「レイルズ様とガンディ様。どこかでお目にかかった事があるような気がして、ずっと考えていたんです。そうです。あの時の方ですわ」

「何の話ですか?」

 不思議そうなルグリット僧侶に、クラウディアは目を輝かせてブレンウッドでの出来事を話した。

「街で、孤児院への寄付金を募っていた時に、通りがかりのラプトルに乗った兵士がお二人と竜人がお一人、金貨をご寄付下さったのです。赤い髪の兵士の方がレイルズ様だったのですね。あの方が私が持っていた箱に金貨を入れてくださいました。帰って箱の中を見て驚いたんです。私だけでなく、すべての箱に金貨が入っていたんです。嬉しくて、あの日は皆で抱き合って泣きました……それなら、あの時にもう一人おられた方は……ルーク様?」

 ニーカと顔を見合わせて、笑顔になる。

「ルーク様なら、焦げ茶色の短い髪の方です」

 ニーカの言葉に、クラウディアは嬉しそうに笑った。

「それなら間違いありませんね。あの時、竜騎士様がブレンウッドの街へ来られていましたから。まさか、お忍びの竜騎士様にご寄付いただけていたなんて」

 嬉しそうにそう言うと、小さく祈りの言葉を呟いた。

「オルダムは人が多くて、怖いところかと思っていました。でも、良い事もありそうですね」

「そうよ。この国の方は皆、とても良い方ばかりだわ」

 幸せそうにそう言って笑い合う彼女達の周りを、嬉しそうにシルフ達が輪になって踊っていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る