黒衣の使者

「それで、一体どうしたと言うんじゃ?」

 ガンディに話しかけられて、レイは慌てて顔を上げた。

「え? 何が?」

 その様子を横目に見て、ガンディは堪らずに小さく吹き出した。

「先程から、心ここに在らず。と言った風情じゃと思ってな」

「べ、別にどうもしません!」

 赤い顔をして慌てたように叫ぶレイルズを横目に見て、ガンディはもう一度堪えきれずに吹き出した。

「まあ良いわい。中々に面白いものを見せてもろうたぞ」

 からかうようにそう言うと、もう知らん顔で前を向いてしまった。

「だって……まさか、彼女とこんな所でまた会えるなんて……」

 俯いて小さく呟く自分の言葉に、思わず笑み崩れる。


『ご機嫌』

『ご機嫌』

『主様は嬉しい』

『ご機嫌ご機嫌』


 からかうように周りに現れたシルフ達にまでそう言われて、レイは堪らずに叫んだ。

「もう知らない!」

 自分で叫んで、可笑しくなって声を上げて笑った。




 シルフ達の案内で、円形市場の近くまで来た二人だったが、中に入ろうとして気が付いた。

「あ、騎竜は中に入るのに許可がいるんだよ。どうしよう」

「おお、そうであったな。なら居酒屋に預けていけば良かろう」

 目の前に現れたニコスのシルフが、近くの居酒屋を指差している。よく見ると、前回キムが案内してくれた居酒屋だ。

「あ、確かこの前はあそこに預けたよ」

 そう言って、ゆっくりと店先に騎竜を止めた。

「いらっしゃいませ。兵隊様」

 中から出てきた男性に、円形市場へ行く間、騎竜を預かってもらえないか聞いてみた。

「ええ、もちろん大丈夫ですよ。どうぞこちらへ」

 指示された場所にラプトルを止め、預け賃を払って木札をもらう。ラプトルの背中に座ったシルフに笑って手を振り、二人は歩いて円形市場へ向かった。



「僕、ここに来るまで、リベルってお金の単位を知らなかったよ」

 のんびりと周りを見ながらレイがそんな事を言った。ガンディは頷いて聞いている。

「まあそうであろう。市場では、詳しい計算が出来る者ばかりでは無いからな。鉛貨、鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、と言う具合に、それぞれ十枚ずつで次の硬貨になる。そう覚えておけば事は足りるからな」

 面白そうにガンディがそう言って屋台を見る。

 ブレンウッドでは、銅貨何枚、鉄貨何枚という風に値段が書かれていたが、オルダムでは千リベル、銅貨一枚。という具合に併記されている店が多い。

「一リベルって硬貨は有るの?」

 十リベルが鉛貨一枚なら、一リベルはどうなるのだろう。疑問に思って聞いてみる。

「滅多に使わんが、小鉛貨しょうえんかと言うのが有るな。それから五リベルの半鉛貨と言うのも有るぞ」

 ポケットから、あまり見た事の無い硬貨を取り出して見せてくれた。

「ほれ、これが半鉛貨じゃ」

 5という文字が大きく書かれた硬貨を眺めて返した。

「面白いね。まだまだ知らない事がいっぱい有るや」

 笑って円形市場への地下通路に入った。



 入り組んだ道を、シルフに案内してもらいながらゆっくりと歩いてようやく目的の屋台に到着した。

「えへへ。迷子にならずに到着! ほら、あそこだよ。まだあるかな?」

 昼時を少し過ぎた時間なせいか、思った程の人がいなくて、逆にまだあるのか心配になった。

「こんにちは。まだビーフシチューってありますか?」

 声を掛けると、鍋をかき回していた男性が顔を上げた。

「いらっしゃいませ。ええ、大丈夫ですよ」

「二人分、ここで食べます。あ、パンも付けてください」

 ここでもガンディがお金を払ってくれた。

「僕も持ってるのに」

 渡されたシチューとパンを手にレイがそう言うと、ガンディは笑って首を振った。

「誘ったのは儂じゃからな。まあ、これくらい気にせず奢られておけ」

 空いた席に座って、精霊王にお祈りをしてから食べ始めた。

「おお、確かに美味い。噂は聞いた事があったが食べるのは初めてだな」

 満足そうなガンディに、レイも嬉しくなった。

「タキスも、このお店に食べに来た事が有るんだって。すごいよね、そんな前から有るんだって」

 目を細めて聞いていたガンディは、何度も頷いて笑顔になった。

「アンブローシアと街へ出かけた時じゃな。面倒くさがりのあいつが、彼女に誘われた時だけは素直に出て行っていたからな」

「エイベルのお母さんだよね。知ってるの?」

 目を輝かせるレイを見て、ガンディは思い出すように目を閉じる。

「もちろん知っておるぞ。タキスは白の塔の薬学部の在学中にアンブローシアと出逢った。薬学部の学生だった彼女も優秀な子じゃった。タキスは薬学部の特待生と言って、学生の中でも特別優秀な生徒のみが入れる特別寮におったんじゃ。まあ彼は抜きん出て優秀じゃったが、しかし机に齧り付いているばかりでは無く、とにかくやんちゃでな。勝手に寮を抜け出しては街へ遊びに行っておったわ」

「その話、聞いた事がある!」

 寮を抜け出して遊びに行っていて、あの壁登りを取得したのだと聞いたのを思い出して、二人して顔を見合わせて笑った。

「卒業後、二人はそのまま白の塔の職員となった。数年後に結婚の報告を聞いた時には、ようやく決めたのかとからかってやったものだ。幸せそうな二人を昨日の事のように思い出せるぞ」

 ビーフシチューの最後の一口を食べ終えたガンディは、空になった食器を見て当時を思い出すように再び目を閉じる。

「しかし、エイベルを産む時ひどい難産でな。大量出血を起こして、手当ての甲斐無く結局彼女は亡くなってしもうた。乳飲み子を抱えたタキスは、一人で頑張っておったぞ。そうそう、儂も何度かエイベル様のオムツを交換した事が有るぞ」

「すごいね、神様のオムツを交換するなんて」

 また顔を見合わせて、いろんな想いを込めて笑い合った。

「さて、そろそろ行くと……」

 立ち上がりかけたガンディの様子が急に変わった。そのまま座り直して驚きの表情のままでレイの後ろを見ている。驚いたレイは慌ててガンディが見ている方角を振り返った。



 そこにいたのは、見覚えのある黒衣に身を包んだ二人の男性だった。



「あれ? あの人……あのお兄さんだ」

 向かい合って座る黒衣の男性二人の横顔を見て、そのうちの一人が誰なのかに気付いて、思わず声を上げた。

 それは、ブレンウッドで竜人の子供の姿をしていたレイが、群衆に突き飛ばされて踏み殺されそうになった時に助けてくれた、あのお兄さんだったのだ。

 向かいに座っている人は、あの時のキーゼルと呼ばれた人では無かったが、同じような黒衣に身を包んでいる。二人共ビーフシチューを食べながら、屋台の主人と親しげに話しをしていた。

「あの男……間違い無い」

 真剣なガンディの呟きに、思わず振り返って彼を見た。

「どうしたのガンディ。怖い顔」

「ちょっと待っておれ。あの者達と話がある」

 その時、彼らの目の前に現れたシルフ達が彼らに何か言い、驚いた二人がこっちを振り返った。

「ガンディ。なぜこんな所に?」

「バザルトか、砦以来じゃな」

 立ち上がり彼らのすぐ側まで行ったガンディは、バザルトと呼んだもう一人の男性の横に座る。そして、その向かいに座るまだ若いガイと呼ばれていたあの男性を睨みつけた。

「其方、よくこの街へ顔を出せたな」

「さて、何のことやら?」

「しらばっくれるで無い。其方が国境でルー……彼に何をしたか知っておるぞ!」

 机を叩いて厳しい声で怒鳴りつける。

 周りにいた客達が一瞬驚いたように彼らを見て、慌てて全員が目を逸らした。アルカディアの民と竜人の喧嘩に、口出しする程の命知らずはいない。

「強い矢を見せてやったんだよ。あれでもう、あいつについてたシルフ達は強い矢を覚えた。間違い無く次は止めるぞ」

 ニンマリと笑うガイに、ガンディは絶句する。

「お前……」

「戦場では油断は禁物だぜ。白いのに乗ってた彼も、これで懲りただろうさ」

 あまりにも堂々としている彼に、ガンディは怒る気力が失せてしまった。

「もう良い。ただし竜騎士隊の本部には近寄るなよ。ヴィゴに見つかったら大騒ぎになるぞ」

「行かないって。それより、ここで会えたんなら丁度良かった……ちょっと奥を借りよう」

 ガイは立ち上がって屋台の奥にある大きなテントを指差した。

「あんたに話がある。ちょっと付き合ってくれるか」

「頼む。俺達は、貴方を訪ねて白の塔へ行くつもりだったんだ」

 バザルトも立ち上がってガンディの背中を叩く。

「彼は儂の連れじゃ。一緒で構わんか?」

 困ったようにこっちを見ているレイルズを見て、バザルトは小さな声でガンディに尋ねる。

「もしかして、古竜の主か?」

 無言で頷くガンディを見て、バザルトはレイに向かってそっと手招きした。

「貴方も良ければご一緒に」

 頷くガンディを見て、食器を返してレイも彼らの後に続いた。

「お前まさか……もしかして、あの時の竜人の子供だよな?」

 ガイの言葉に、レイは困ったように笑って頷いた。

「えっと、あの時はありがとうございました。お兄さん」

 その瞬間、ガイは破顔した。

「やっぱりそうか。まさかお前さんだったとはな。まあいいや。詳しい話は奥でしよう」

 声を上げて笑うと、駆け寄ってきたレイの背中を叩いて一緒に奥へ向かった。



 ガイの肩には、とても大きなシルフが座っていて、こっちに向かって手を振ってくれた。

「大きなシルフだね」

 手を振り返しながら言うと、ガイも笑顔で教えてくれた。

「彼女は、俺が最初に仲良くなったシルフだから。もうずいぶん長い付き合いだよ」

 頬にキスする彼女に、ガイも笑ってキスを送る。

 笑った彼女は、同じく現れたニコスのシルフ達と一緒に、並んで何か話し始めた。



 案内されたテントの中は、広くて快適だった。

 分厚い絨毯の敷かれた床に直接座る。小さな机が出され、お茶が入れられるのを黙って見ていた。

 しばらく四人で黙ってお茶を飲んだ。



 最初に口を開いたのはバザルトだった。

「貴方に知らせなければならない事があって、ここまで来ました」

「何事じゃ。シルフの伝言ではすまぬのか?」

 ガンディの言葉に、バザルトは首を振った。

「直接会って話すべきだと考えました。キーゼルは……キーゼルは亡くなりました」

 ガンディの手から、空になったカップが転がり落ちる。

 慌てたレイとガイが、咄嗟に両方から手を出して、ガイがカップを掴んだ。

「あっぶねえ」

 机にそっとカップを置いたが、ガンディにはそれを見ている余裕は無かった。

「何があったと言うのだ! 彼程の男が、よもや、遅れをとる事などそうはあるまいに!」

 顔色を変えて叫ぶガンディに落ち着くように肩を叩いて、バザルトはあの日に何があったのか全て話した。



「時の繭……まさか、こんな所に、使い手がいたとはな……」

 呆然と呟くガンディの横で、レイも呆然としながら無意識に胸元のペンダントを握りしめた。

「キーゼルも、そのペンダントを持っていたんだ。彼のは、とても綺麗な黄色い瞳の竜だった。彼と一緒にオークの木の中に消えちまったけどな」

 悲しそうなガイの言葉に、レイとガンディは俯いて祈りの言葉を口にした。

「まさか、我らの知らぬところでそのような事があったとは。其方らの働きに心からの感謝を。せめてキーゼルの魂が安らかであるように祈ろう」

 ガンディの言葉に、バザルトも頷いた。

「タガルノの地下にいる諸悪の根源は、あれ以来ピタリと動きが止まりました。監視は続けさせていますが、今の所変化はありません。万一何かあればシルフを通じて知らせましょう」

「よろしく頼む。このまま永遠に大人しくなってくれれば良いのだがな」

 ガンディの言葉は、ここにいる全員の本音だった。

「上層部への報告は貴方にお任せします。一切物的証拠の無い話ですから、別に信じなくとも結構ですよ」

不老不死者マクロビアンの言葉を疑うほど、この目は曇ってはおらぬわ。内密に陛下に報告しておこう。レイルズ。すまぬがこの話、他言無用に願いますぞ」

「竜騎士隊の人にも?」

「折を見て儂から話します」

「分かりました。お任せします」

 真剣なガンディの言葉に、自分には分からない事情もありそうだと判断したレイは、素直に頷いた。

 それから、ふと思い付いてバザルトを見た。

「時の繭って、貴方も出来るんですか?」

 バザルトは驚いたように目を瞬いたが、苦笑いして首を振った。

「俺が、たとえ命を掛けたとしても……一人では到底無理だろうな。キーゼル程の術者であっても、命と引き換えになったのだ。時の繭を紡ぎ閉じる事はそれ程に難しい……」

 それを聞いたレイは、ペンダントを握りしめたまま目を閉じて母を想った。

 そんな彼を、ガンディは黙って見つめていた。



「では、我らは戻ると致そう。茶をご馳走さま」

 立ち上がったガンディに続いて、レイも立ち上がって一礼した。

「またどこかで会おう。レイルズ。俺の名は、ガイセティ・グレイ」

 差し出された右手を握り返して、レイも名乗った。

「うん、また何処かで会ったらその時はよろしくね。僕は、レイルズ・グレアムです」

 二人の肩に、勝手に出てきて何処かで話しをしていたシルフ達が戻った。




「それじゃあ気をつけてな」

 テントの外まで見送って手を振ってくれた二人に、レイとガンディも笑って手を振り返した。

 思わぬ場所での思いがけない出会いに、人並みに押されながら二人共無言のまま歩いていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る