最悪の出会い

 翌日、朝練に参加したレイだったが、残念ながらその朝は竜騎士隊からは誰も来ていなかった。

「うん、昨夜ルークから、朝練には行けないって聞いてるよ」

 心配するラスティに手を振って訓練所に入ると、元気に挨拶をして柔軟体操を始めた。

「おはようございます。一手お手合わせ願えますか」

 一人でいるレイルズに声を掛けてきたのは、いつも送り迎えをしてくれるキルートだ。

「あ、おはようございます! はい、お願いします!」

 元気に返事をして、急いで自分の棒を取りに行った。

 新しくギードが作ってくれた赤樫の棒は、とても手に馴染んで扱いやすくてレイのお気に入りだ。

 ルークと打ち合ってへし折れたあの棒は、今でも何故だか壁にそのまま飾られている。



 驚いた事に、キルートはルークや若竜三人組と変わらないほどの腕前だった。はっきり言って強い。

 あっという間に壁際に追い込まれ、必死になって転がって逃げる。打ち込まれる棒を受けるのが精一杯だ。しかも、キルートの打ち込む棒は、普段の竜騎士隊の彼らとは全く違う動きだった。緩やかな動きでいっそゆっくりと言ってもいいほどなのに、決して素早くは無いその一手一手が驚くほどに重い。上段から打ち込まれたら、受け止めるのが精一杯で、打ち返す事は容易では無かった。

 しばらく打ち合うと両腕が痺れてきた。そうなるともう堪え切れなくなり棒を飛ばされてしまった。

「……参りました」

 転がって横に逃げて起き上がり、両手を上げて降参する。

「すごいキルート!」

 目を輝かせるレイを見て、彼も笑顔になった。

「ありがとうございます。実は、棒術にはちょっと自信があります」

 片目を閉じてそう言われて、もう一度笑って手を打ち合い、転がった棒を拾う。

「もう一本、お願いします!」

「はい。こちらこそお願いします!」

 構えて叫ぶレイルズに、キルートも構えてくれる。

 新しい先生との打ち合いは、いつもの時間になっても戻らないレイルズを心配したラスティが、見に来るまで延々と続けられた。



「棒を、常に力一杯握らない事も大切ですよ」

 腕が痺れたと笑うレイに、キルートが驚いた事を言う。

「ええ、だってしっかり握っていないと飛ばされちゃうよ」

「もちろん、打ち合った瞬間は力一杯握ってください。そうでは無く、強弱をつけて握る事を覚えてください」

 そう言って、構えながら握りの強弱のやり方を教えてくれた。

「そっか、緩めに持って打ち込む瞬間に力一杯握る。戻す瞬間に緩める……」

 繰り返し呟きながら、動きを確認して何度も棒を握り直す。

「一瞬の力は、握り続けている時よりも強く握れます。もちろん、打ち込む瞬間をずらされてしまったら終わりですから、状況を正確に把握する程度の事は最低限出来ないと話になりませんけれどね。慣れると、手への負担は格段に変わりますよ」

 平然としているキルートを見て、これも頑張って習得しようと心に誓った。

「ありがとうございました!」

 棒と装備を片付けて、きちんとお礼を言って朝練の訓練所を後にした。






 今日は、精霊魔法訓練所はお休みの日だ。いつもなら、ヴィゴやルークに教えてもらって最近始めた槍や弓の訓練をするのだが、オリヴェル王子がいらっしゃる間は竜騎士達が交代でお側につくので、訓練はお休みになるようだ。

「じゃあ、本でも読んでいようかな?」

 朝食の後、部屋着に着替えたレイは、そう決めて本棚の前で読む本を選んでいた。

 その時、ノックの音がして振り返って答えると、大きな包みを手にしたガンディが入って来た。

「おはようさん。ルーク達は皆忙しそうだな」

「おはようございます。はい、皆忙しそうだから、今日は僕は自習の日だよ」

 手にした本を見せながら笑うと、ガンディは何やら言いたそうにニンマリと笑った。

「真面目で結構な事だ。それでな、真面目なレイルズ君を悪の道に誘いに来たぞ」

 驚いていると、後ろからラスティが呆れたように笑いながら入って来た。

「本当によろしいんですか? まあ、今日は呼び出しはかかる事は無いと思いますが」

「大丈夫じゃ。ちゃんとヴィゴとマイリーに話は通してあるわい。ほれ、これに着替えなさい」

 ガンディが差し出した包みの中には、見覚えのある第二部隊の制服が入っていた。

 驚いて顔を上げると、もっと悪そうに笑う。

「これを着て、街に出てみたいと思わんか?」

 目を輝かせたレイは、その場で威勢良く着ていた服を全部脱いだ。

 それを見たガンディが堪えきれずに吹き出して、慌てたラスティが脱ぎ捨てた服を拾ってくれた。



 大急ぎで着替えを済ませたレイは、ラスティから小さな袋を渡された。

「ここにお小遣いが入っていますからね。何か食べたり買いたければ使ってください」

「えっと、まだ、森から持ってきたお金があるよ」

 ベルトの小物入れを見せたが、ラスティは笑ってそこに入れてくれた。

「ありがとう。じゃあ持っていくね」

「一応、街へ行く用事があるぞ。街の女神オフィーリアの神殿に、薬の届け物をせねばならんからな」

 ガンディが、包みの中に入っていたもう一つの包みを見せる。

 普段であれば、係りの者が持っていく程度のものだが、用事があると言った方が連れ出しやすかろうと言うガンディの計画だった。

「お使いだね。じゃあ先ずはそこに行かないと」

 相変わらず真面目な答えに、ガンディは笑って頷くのだった。

「さて、では行くとしよう。ああ、これはお前の分の身分証だからな。自分で持っていなさい」

 手渡されたのは、以前お城の中庭にツリーを見に行く時に使った、ガンディが保証人の身分証だ。

「分かりました」

 これもベルトの小物入れに入れて、蓋を閉じた。



 ラプトルに乗って、ワクワクしながらガンディと一緒に街へ出かける。

 彼らの少し離れたところから、キルートを含む数名の護衛の兵士が付いて来ているのに気付いていないのは、レイだけだったのだけれど。



 一の郭の通りを抜け、街へ続く城門を通る。

 ワクワクしながら差し出した身分証は、特に何も言われずに素っ気なく返された。

 城門の兵士達は、一斉にガンディに敬礼して彼が通るのを見送った。レイの事は全く眼中に無い。

 まるで秘密の冒険をしているかのようで、笑い出しそうになるのを必死に我慢してガンディの後について素知らぬ顔で大きな城門をくぐる。

 城門を出て振り返ったガンディと、手を叩き合って笑った。




 街は、相変わらず凄い人出だ。しかし、あちこちでまだ午前中にも関わらず乾杯の声が響き街は妙に賑やかだ。

「アルス皇子のご婚約が正式に発表されたからな。街はお祝いの声であふれておるぞ」

 指差した酒場では、何人もの酔客達が何度も何度も乾杯の声を上げている。

「まあ、彼らにしても堂々と飲む理由が出来て喜んでおるだろうさ」

 肩を竦めるガンディを見て、レイも頷いた。

「皆、楽しそうだね」

 嬉しそうにそう言うレイルズを見て、ガンディも笑顔になった。

「まあ、めでたいのは良い事だな。では行くとしよう」

 人混みの中をゆっくりとラプトルを進める。なんとなく騎竜や荷馬車は真ん中を通る事になっているのだが、しかし大きな荷馬車があちこちに止まっていてなかなか進めない。

「ふむ、いつも以上の混雑ぶりだな。これでは昼までに戻れんぞ」

 困ったようなガンディの呟きに、顔を上げたレイが驚いたように叫ぶ。

「ええ、そんなに早く戻るんですか? 美味しいビーフシチューの屋台があるから、そこに行こうと思ってたのに!」

 その声を聞いて、ガンディはまたしても堪える間も無く吹き出したのだった。

「おお、訓練所の兵士達と一緒に行ったと言う屋台か。それは美味いのか?」

「うん、味は保証するよ!」

 何度も頷くレイルズを見て、ガンディも笑顔になった。

「ならば昼飯はそこにするか。しかし先ずは女神オフィーリアの神殿へ……果たして、いつになったら着けるのかのう」

 道にあふれた人混みを見て、情けなさそうに笑うガンディだった。

「大丈夫だよ。ゆっくり行けばいいって。その間に、周りのお店を見れば良いでしょう?」

 あちこちに出ている屋台や店を見ながら笑うレイルズに、ガンディも頷いて周りを見渡した。

「確かにそうだな。何か面白そうな店があれば入ってみるとしよう」



 二人がようやく目的の女神オフィーリアの神殿に着いたのは、それからかなりの時間が経ってからの事だった。

「ようやくの到着!」

 レイの声に、ガンディも大きなため息を吐いて、神殿の大きな扉の前でラプトルから降りた。

 入り口の係りの者にラプトルを預けて木札をもらう。ラプトルの上で手を振るシルフ達に笑い返して、建物の中に入った。

 正面に、見事な装飾に縁取られた女神オフィーリアの像が立っている。ブレンウッドの彫像よりも、さらに大きい。

 歳月を経たものだけが持つ、鈍い金色の光を放つその像の前にレイは吸い込まれるように近寄って行った。

 しかし、その像を無言で見上げたまま、動くことが出来なかった。

「母さん……」

 間違い無い。

 一瞬だったが、女神像に母の顔が見えたのだ。

「また会えたね……母さん……」

 俯いたまま小さく笑った。

 不意に涙があふれそうになり、唇を噛んで必死で我慢する。何度か鼻をすすりながら近くの窓口で蝋燭を買い、知らん顔でお祈りをして誤魔化した。

 ガンディはそんなレイルズの様子に気が付いていたが、敢えて何も言わずに知らぬ振りをしてくれた。



 それから、その隣にあるエイベル像にもお参りをして蝋燭を捧げた。

 足元に捧げられた山盛りのお花と沢山の蝋燭に囲まれて、金色のエイベル像は笑っているように見えた。

「それではこっちじゃ。ここにはあの子竜のクロサイトの主が見習い巫女として勤めておるぞ。あとで紹介しよう」

「クロサイトの主って、タガルノから来たっていう人だね」

「聞いておるか?」

「うん。ルークから聞きました。でも、えっとタガルノでは死んだ事になってるんでしょう?」

 話しながら、ガンディの案内で、建物の奥へ入って行く。何人かの巫女がガンディを見て一礼して通り過ぎて行った。

「まあ、ガンディ様。わざわざお持ちくださるなんて。ありがとうございます」

 その部屋は、どうやら事務所のようで、机が並んでいた。

 立ち上がった高齢の僧侶がガンディから包みを受け取り深々と頭を下げた。

「ニーカはどうしておりますか?」

「先程、昼食の準備を終えて、戻っておるはずですが?」

 辺りを見回し、目的の人物がいない事を確認すると、側にいた巫女に声を掛けた。

「すまないけれど、ニーカがどこにいるか探してきてくれるかい?」

「かしこまりました」

 一礼して、まだ若い巫女が部屋を出て行った。

「こちらでお待ちください」

 奥に、大きなソファーが置いてあり、どうやら来客用の場所らしかったが、レイは先程から別の事が気になって仕方がなかったのだ。机の横の壁には、大きな縦長の板が何枚も立てかけられているのだが、大きさもバラバラで無秩序に並んでいるために、いまにも倒れそうなのだ。

 奥のソファーの場所へ行こうとしたまさにその時、数枚がゆっくりとずれ始め、あっというまに崩れ始めた。

「ああ!危ない! シルフ止めて!」

 レイルズが叫ぶのと、ガンディが驚いて振り返ったのは同時だった。

 壁際で斜めになって崩れた板の塊を、シルフ達が押さえている。

「危ないですよ。こう言うのは、大きさごとに並べておかないと」

 ため息を吐いたレイが壁まで行って、何枚かの板を取り出して別に並べる。手慣れた様子で大きさ別に仕分けると、それぞれ綺麗に重ねて壁に大きさの順に並べ直した。

「えっと、これはここに置いておけば良いんですか?」

「あ……ありがとうございます。重くて運べなかったので、あとで男の方に運んでいただくつもりだったんですが……」

「運びますよ。どこに持って行けばいいですか?」

 重ねた何枚もの板を軽々と持ち上げるレイの姿に、彼が何者なのか知らないその僧侶は笑顔になった。

「まあ、ありがとうございます。では、こちらの倉庫へお願いします」

 呆気にとられて後ろ姿を見送ったガンディは、現れたシルフと顔を見合わせて小さく吹き出した。

「まあ、彼一人に働かせるのは申し訳ないな」

 そう言うと、彼も軽々と数枚の板を手にして廊下へ出て行った。

「ガンディ、いいよ。僕が運ぶから」

 倉庫から出たところで、ガンディが持ってきた板を受け取り、また中へ入る。ごそごそと音がして、レイが出てきた。

「あとは僕がやるから、大丈夫だよ」

 残りの板を全部まとめて持つと、レイはもう一度倉庫へ向かった。




 厨房で昼食の準備を手伝ったニーカは、事務所へ顔を出し、事務員から倉庫に細々としたものを運ぶように頼まれて渡された大きな籠を手に倉庫へ走った。

 それぞれ決められた場所に戻していき、最後の一つを戻したところで棚の横の壁に立てかけてある大きな鏡に気付いた。

 それは、彼女の全身が映るほどの大きさの姿見で、周りには見事な装飾が施されている。

 貴人が来られた時などに使う部屋に運ぶのだが、何故かその時、鏡に覆いが掛けられていなかったのだ。

 この国に来て、洗面所で小さな鏡を見た時にも本当に驚いたが、ニーカにとっては、初めて見る完全な自分の全身の姿だ。

 水に映ったり、硝子の窓や綺麗に磨かれた金属に映る姿は見た事があるが、これほど完全な自分を見るのは初めてだった。

 思わず近寄ってまじまじと見つめる。鏡の中の自分も、こっちを見つめている。

 彼女はふと思いついて後ろを振り返った。当然鏡の中の自分も後ろを向く。

 振り返って背中が映るのを見たニーカは、小さく深呼吸して自分の服の後ろを引っ張り上げた。



 彼女は背中に大きな痣があるのだ。生まれつきらしく、大人達は女の子なのに可哀想だと言い、男達は気にしないと笑った。

 自分では見た事のないその痣を、一度でもいいから見てみたかったのだ。

 裾の長い見習い巫女の服を何とか引っ張りあげて振り返る。下着が見え、その上の背中の真ん中に掌よりも大きな赤黒い痣がはっきりと見えた。

「ひぃっ!」

 思わず声を上げてしゃがみ込んだ。

 思っていたよりも大きく、そして醜い痣にショックを受けた。

「どうしたの?」

 男の人の声がして、驚いて振り返った。まさか倉庫に誰かいたなんて思ってもいなかった。

 そこには、大きな板を抱えた男性兵士がこっちを見ていたのだ。




 顔を覆って大声で悲鳴を上げた。

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