一緒に帰ろう
美味しい蜂蜜たっぷりの蒸しケーキを堪能したレイは、もう一つあった蒸しケーキを丸ごとお土産にもらって、すっかりご機嫌でブルーの待っている場所まで走った。
「美味しいお菓子を食べて、お土産までもらって元気一杯だよ。それじゃあ戻ろうか」
喉を鳴らして頬擦りするブルーの大きな額にキスをして、レイは腕から背中に乗った。
その時、クロサイトが飼育担当の職員達に連れられて竜舎から出て来た。
「それじゃあな、クロサイト。一旦飛び始めたら途中で降りられないんだぞ。しっかり自分の翼で飛んで、主が待つオルダムまで行くと良い」
何度も名残惜しそうに優しく撫でてやり、最後に額にキスを贈った職員は、深々とブルーに頭を下げた。
「ラピスよ、どうかクロサイトの事をよろしくお願いします」
「いってきます。今までありがとうね。主の次に大好きだよ」
クロサイトの言葉に、顔を上げた職員達の目には堪え切れない涙があふれた。
「俺達も忘れないよ。本当に、本当に元気になって良かった。お前と主のこれからに……幸多からん事を」
最後にもう一度キスを贈りそう言って下がると、もう一度後ろにいた兵士達と一緒に揃って深々と頭を下げた。
「それでは行くとしよう。クロサイトよ、我が下についてやるから思いっきり飛ぶが良い」
「クロサイト、一緒に帰ろう」
ブルーに続いて、レイも思わずクロサイトに話しかけた。
「うん、よろしくお願いします、僕、まだ一度に長い事飛んだ事が無いんだ。ちょっと不安だけど、ラピスとオパール、それに竜騎士様が二人も一緒にいてくれるから怖く無いよ」
嬉しそうにそう言って頷いたクロサイトは、ブルーに比べるとはるかに小さな翼を、それでも精一杯伸ばしてゆっくりと上昇した。それを見てルークの乗ったパティが続き、最後にブルーがゆっくりと上昇した。
シヴァ将軍を始め、多くの職員や兵士達が見送る中、三頭の竜はオルダムに向かって飛び去って行った。
「行っちまったな」
「ああ。でもあの子にとっては待ちに待った主との新しい生活の始まりだ。笑って見送ってやるのが俺達の務めだよ」
「でも、どうなるんだろうな。あの子と主は……」
「まだ、どちらも幼いからな。これからどう成長して行くのか、楽しみでもあり、怖くもあるな……」
タガルノから来た主の事は、彼らも先日会って驚いたのだ。あれ程に幼い竜の主が、これまた、まだ少女といっても良いような幼い子供だったのだ。多くの竜の主を見て来た彼らにとっても、これ程に幼い組み合わせは初めての経験だった。
「あの主と竜のこれからに幸多からん事を。精霊王よ、どうかあの子達を守り給え」
一人が手を組んで静かに祈ると、次々と皆それに倣った。
しばしの沈黙の後、誰かが小さく笑った。
「さてと、それじゃあ戻って竜にブラシをかけてやろう」
「ああそうだな。俺達がする事は、別に何も変わらないよ」
お互いに照れたように笑い合うと、それぞれ自分の持ち場へ戻って行くのだった。
冬の良く晴れた午後の日差しに照らされながら、三頭の竜はオルダムを目指して飛行を続けていた。
クロサイトは、疲れて何度も飛行速度が落ち、その度に慌てたように羽ばたいてシルフ達に支えられていた。
「慌てる事はない。今の自分に出来る力配分を覚えなさい。無理だと思ったら我の精霊達が支えてやる故、安心して飛ぶが良い」
ブルーの言葉に、クロサイトは元気な声で返事をした。そんなクロサイトを、ルークとレイは優しい目で見守っていた。
「この子の主って、女神オフィーリアの神殿の見習い巫女だって言ってたけど、竜騎士にはならないの?」
無邪気なレイの質問に、ルークは首を振った。
「彼女は、未成年でしかも女性だからね。それに、生まれが隣国のタガルノなんだよ。正直言って、この国で竜騎士になるのは難しいだろうな」
「女性だから? それともタガルノ人だから?」
レイの質問に、ルークは頷いた。
「そのどちらも大きな理由だね。我が国では、今まで俺の知る記録にある限り、女性の竜騎士はいない。未成年で竜の主になった者は、お前みたいに見習いとして勉強させて成人年齢になるのを待って正式な竜騎士になるんだけど、女性が竜の主になったって話はいずれにしても聞いた事が無いね」
「女性の兵士はいるのに、どうして?」
レイルズの無邪気な質問に、ルークは答えに窮した。
「……どうしてだろうな。俺にも分からないよ。でも、以前言ったと思うけど、有事の際には俺達竜騎士には真っ先に出撃命令が下る。いわば機動力抜群の最強の即戦力だからね。それを考えると、体力的に、どうしても男性より劣る女性には、荷が重いんじゃないかとは思うな」
言いながら、自分でも納得出来なくて、ルークは密かに小さなため息を吐いた。
「ブルーは? 女性の竜の主って知ってる」
質問の矛先を変えられて、ルークは密かに安堵していた、自分でも納得していない事を、彼に説明する自信が無かったからだ。
「さてな。我とても、常にこの城にいた訳では無い。だが、我の知る限りにおいても女性の竜の主は初めてだな」
クロサイトを見ながら、ブルーはしみじみと言った。
「あくまでも我の意見だが、この国で女性の竜騎士がいない最大の原因は、そもそも女性には竜との接点が殆ど無い、というのが確実にあるだろうな」
ようやく納得できる理由を一つ見つけて、ルークも小さく頷いた。
「確かにそれはあるだろうな。貴族の男子は、成人年齢になると最低でも一回は精霊竜との面会が慣習で義務付けられているよ。でも、確かに女性はその中には入っていないな」
レイには分からなかった、どうして男性だけが義務付けられて、女性は駄目なのか。
「でも、陛下も仰っていたけれど、これからは変わるかもしれないよ。タキス殿のおかげで、あの苦くて不味いカナエ草のお茶も、殆どの人が飲めるようになったし、子供でも、あの飴があればある程度は大丈夫だろうからね。もしかしたら近い将来、女性の竜騎士が同僚になる日が来るかもな」
「そうだね。でもそれまでに、僕は覚えなきゃならない事が山積みだよ」
すっかり忘れていたが、また帰ったらやる事だらけだ。
「頑張れ、こればかりは助けてあげられないからな。まあ、二年あるからなんとかなるだろうさ」
「十年あっても、出来る気がしません!」
悲鳴のような声で叫ぶレイに、ルークは堪える間も無く吹き出していた。
夕焼けが空を染め始めた頃、ようやく目の前にオルダムの街並みが見えて来た。まだ明るい時間な事もあり、上空からのオルダムの街を、レイは初めてじっくりと眺めた。
多くの住民が、上空の竜の姿に気付き、歓声をあげて手を振っているのも見えた。
「確かに、上空から見ても入り組んでいるのが分かるね。全然道が真っ直ぐじゃ無いや」
感心したようなレイの言葉に、ルークも頷いた。
「ちょうど今、真下に見える大きな城壁があるだろう。あれが街で一番大きい、ヘケター皇王の時代に築かれた大壁と呼ばれる城壁だよ。あれがあるおかげで、街を横断する道路が作れないんだ。でも、壁の中と外で地面の高さが違うから、壊して均す事も出来ないんだよ」
ルークの言葉に、レイは身を乗り出すようにして地面を見下ろした。
「左に見える白っぽい城壁は、その前のレオアラ皇王の時代の物だよ。あれは大壁と違ってそれほどの大きさは無いんだけど、行き当たりばったりで作られた感満載でね。途中で途切れているかと思えば、二重に作られていたり、最悪の箇所は円形になっていて地上には入口が無い。一旦地下に降りてから円形の中に入らないと駄目なんだよ。でも、それなら丁度良いってんで、その円形の中は、今では常設の市場になっている。まあ、あの辺りが一番迷う率の高い場所だな。白壁の周りを迷わずに歩けるようになれば、オルダムの城壁を制覇したって言えるぞ」
それを聞いたレイは本気で遠い目になり、またルークに笑われるのだった。
「お疲れ様でした。奥の竜舎に場所を用意しましたので、クロサイトはこちらに」
ようやく到着した本部の中庭で、出迎えた第二部隊の兵士に連れられて、クロサイトはカーマイン達のいる方の竜舎へ向かった。途中一度だけ振り返って、嬉しそうに尻尾を振るクロサイトを見て、レイも笑って手を振ってやった。
「元気でね、クロサイト」
小さく喉を鳴らしたクロサイトは、今度こそ兵士たちと一緒に竜舎に入って行った。
「さてと、今日はもうゆっくりしてて良いぞ。明日からはまた、精霊魔法訓練所かな」
「うん、たくさん友達が出来たんだよ」
嬉しそうなレイの声に、ルークも笑って頷いたのだった。
「まあ、その辺りはしばらくは様子見だな。でも、妙な取り巻き連中が出来ないように、一応キム伍長に頼んでおくべきかな?」
お土産にもらった大きな蜂蜜蒸しケーキを持って、休憩室へ走るレイの後ろ姿を見送って、ルークは小さく呟くのだった。
「あの子がオルダムに来たんですか!」
夕方、竜騎士隊本部からの知らせで、スマイリーがオルダムに到着した事を知らされたニーカは、嬉しさのあまり、またしても目に涙を浮かべた。彼女の人生で、二度目の嬉し涙だった。
「あ、ありがとうございます。どうか、あの子の事をよろしくお願いします」
深々と頭を下げる少女に、知らせに来た第二部隊の兵士も笑って頷いた。
「アルス皇子様からこちらを預かって参りました。貴方の身分証明書兼入場許可証です。これがあれば、いつでも竜騎士隊の本部に入れますから、いつでも竜に会いに来てくれて良いんですよ」
受け取った木札を見て、ニーカは驚きのあまり声も無かった。
女神オフィーリアの神殿の見習い巫女になった彼女には、神殿から身分証明書が発行されているが、それでは、街の中の城門は通れても、城へ行くための一の郭よりも上には上がれない。自分の身分を考えれば当然だと思っていたが、まさか皇太子自ら発行した竜騎士隊の本部迄上がれる身分証明書を手渡されて、本気で驚いてしまったのだ。
「私に、これを……?」
木札を握りしめて、思わず問いかける。
「はい、そう言われました。何か問題がありますか?」
「……問題? 無い訳がないでしょう! 私は、私はタガルノ人なんですよ! もし私が悪意を持って城に侵入しようとしたら! これがあれば城の中まで入ることが出来ます。そんな無警戒な事……」
持っていた木札を差し出す。
しかし、その兵士は黙ってニーカの言葉を聞いていたが、木札を受け取ろうとはせずに首を振った。
「逆にお聞きします。今の貴方に、ファンラーゼンへの敵意がありますか? 万一、タガルノ側から何らかの接触があって、城への侵入を手引きしろと言われたら、手を貸しますか?」
真顔の兵士にそう聞かれて、ニーカは即座に首を振った。
「そんな事、そんな事する訳がない! 私が、私がここの方々にどれ程世話になったか、忘れた日は一日たりとも有りはしません。心から感謝しています。万一にでもそんな事があれば、その場で貴方達に其奴を突き出します」
それを聞いた兵士は、にっこりと笑った。
「なら、何の問題も有りませんね。ああ、その木札は無くさないように気をつけてくださいね。一応、精霊の守りは付いているそうですから、後で確認しておいてください」
思わず手にした木札を見つめると、一人のシルフが現れて手を振ってくれた。こういった大切なものには、精霊に頼んで守ってもらう事が出来るのだ。
「よろしくね。これがあるとスマイリーに会いに行けるんだって」
小さな声で話しかけると、シルフは笑って大きく頷いてくれた。
『守ってるから大丈夫だよ』
小さな声が聞こえて、ニーカは笑った。
それはまさに野の花が開いたような、十二歳の少女の年相応の可愛い笑顔だった。
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