友達

 二の月に入ると一気に気温が下がって、王都でも早朝には霜の降りる日が続いた。

 ようやく、壊れた壁の修繕の終わった精霊魔法訓練所も授業を再開しており、雪や風の強い日は竜車で、お天気の日にはラプトルに乗って精霊魔法訓練所に通った。

 魔法陣の描き方や、上位の精霊魔法について詳しく教わり、レイの精霊魔法の上達振りには教授達も密かに感心していた。

 しかし、上位の魔法陣の展開方法の授業に入った途端一気に難しくなり、マークと二人揃って希望して補習を受ける日々が続いた。




「ああ、もう駄目。どうしてこんなに難しいんだろうな」

 マークが机に突っ伏して半泣きになりながらそう言うと、レイも大きく頷いてこちらも泣きそうになりながら、机の上に散らかる問題集を睨みつけた。

「昨日、ヴィゴが教えてくれたんだけどね……上位の魔法陣の展開方法に苦戦してるって言ったら、これってワザと難しくしてあるんだって……」

「何で! 何でそんな事するんだよ! 苛めか? これは新たな苛めなのか!」

 レイルズの言葉に、マークはもう一度叫び声を上げた。

「うん、僕も本気でそう思った。でもね、これを簡単に描けるぐらいにならないと、上位の魔法陣を使った魔法は使っちゃいけないんだって。これは言ってみれば、使い手を選ぶ為の方法なんだって……」

「何だよそれ……でもまあ分かる気もするな。上位の魔法陣を展開して使うような魔法って、どれもはっきり言ってすごい威力だもんな。今教えてもらってる、防御の魔法の盾や上位の結界を張る方法。目隠しの術。確かに、どれも簡単に使っちゃいけないものばかりだよ……」

 二人の脳裏には、降誕祭の日の事件が同時に浮かんでいた。

 それは、確かに己の力で御しきれない上位の魔法に手を出した、無知な愚か者達が引き起こした事件だった。

「あの二人、これからどうなるんだろう……」

 レイルズの呟きに、マークは大きなため息を吐いてそっと肩を叩いた。

「俺の聞いた話では、一通りの取り調べはもう終わったらしいよ。まだ正式な判決は出ていないけど、未成年である事も配慮して、恐らく身分を剥奪されて王都からの追放になるだろうって。それで、どこかの辺境の神殿に見習いとして入る事になるだろうって」

 それがどれ程の重さの刑になるのか、レイには分からなかった。

「大人だったら確実に極刑だろうから、それを考えると、まあ……配慮はされてるんだろうさ」

「極刑って?」

「ああ、つまり……精霊王の御許へ行って、一からやり直すって事。分かるか」

 しばらくの沈黙の後、無言で頷くレイを見て、もう一度マークは大きなため息を吐いた。

「こういうのを聞くと、しっかり勉強して知識を蓄える事って本当に重要な事だって思うよな。判断一つするにしても、知識が多ければそれだけ選択肢は増えると思う」

「知識と技術は邪魔にならぬから、出来るだけ覚えておきなさい。って、僕のいた村の村長がいつも言ってた。確かにそうだよね。知らないよりも、何でも知ってる方が絶対に良いと思うよ」

「せめて、あいつらが己のしでかした事をちゃんと反省して、新しい人生を歩んでくれればと願うよ」

「僕は、彼らの事も友達だと思ってた……今でもそう思ってる」

 マークは、もう何度目になるのか数える気も無いため息を吐いて、そっと慰めるようにレイの背中を撫でた。

「お前がそう思ってるなら、あいつも友達だよ。たとえもう会えなくてもな」

 泣きそうになるのを我慢して、レイは小さく頷いた。

「それじゃあもう一度やってみるか。こうなったら、俺達が魔法陣の展開方法を攻略するまで、どれくらいかかるか賭けるか?」

「ええ、賭け事は駄目だよ!」

 本気で叫んで慌てたように首を振るレイルズを見て、マークは呆れたように笑った。

「お前は本当に真面目だな。こんなの言葉遊びだよ、冗談。分かるか? 誰も本気でお前と賭け事しようなんて思ってないから。仮に賭けるとしても、負けた奴が何か奢るとか、荷物持ちさせるとか、その程度だよ」

 手を振りながら笑ってそう言うマークを見て、レイも困ったように笑いながら、器用に口を尖らせた。

「そんなの分からないよ! マークの意地悪!」

「何だとー! そんな事言う奴はこうだ! こちょこちょのくすぐりの刑に処する!」

 そう言って、いきなりレイの脇腹を両手で擽り始めた。

「やめてー! ごめんなさい! そこは駄目!」

 奇声を上げて立ち上がって逃げるレイを、マークはワザと声を上げて追いかけた。

「待てー! 逃げるなー!」

 時間になっても出てこない二人を心配したキムが、教室の扉を叩くまで、二人は必死になって緊迫した追いかけっこを楽しんだのだった。



「全く、いい歳して何やってるんだよ、お前らは……」

 呆れたようなキムの声に、レイとマークは二人揃ってまた声を上げて笑った。

 二人とも教室の床に転がって、お腹を抱えて大笑いしている。

「ああ、もう駄目。お腹痛い……」

 レイルズの言葉に、マークも無言で頷いている。

「楽しそうで結構だけど。いい加減にしないと、俺は待ちくたびれたぞ。もう行かないなら先に帰るぞ」

 歪んだ机の位置を直しながらのその言葉に、二人は慌てて立ち上がった。

「駄目、帰らないで! 楽しみにしてたんだから!」

 レイルズの必死の声に、キムは堪えきれずに吹き出した。

「だったらとっとと片付けろ。ほら、全く……服もぐちゃぐちゃじゃないか。これに着替えろ。第四部隊の制服だよ」

 持っていた鞄を机に置くと、中から許可を得て借りてきた軍服を出してやる。

 受け取ったレイは、遠慮無くその場で着ているものを脱いで着替え始めた。

 マークが、無言で開いたままだった扉を閉めてくれた。

「どう?これで良い?」

 両手を広げて嬉しそうに笑うレイの横にしゃがんで、皺になった服を直してやり、剣帯も背中側が歪んでいたのを引っ張って直してやった。

「お揃いだね」

 笑顔で振り返ってマークにそう言うレイルズは、堪らなく可愛かった。

 お揃いだと笑い合う二人の頭を、キムはくしゃくしゃに撫で回してやった。

「ありがとうね、キム」

 無邪気に笑うレイルズを見て、キムはもう一度頭を撫でてやった。



 散らかした部屋を片付けて、身支度を整えた二人を見てキムは頷いた。

「よし、これで大丈夫だな。じゃあ行こうか」

 歓声をあげてレイがキムに続き、自分の鞄を持ったマークも慌てて二人に続いた。

 受付で帰る挨拶をした三人は、揃ってラプトルを取りに行った。




「街へ出るのって初めてなんだ。どこに連れて行ってくれるの?」

 目を輝かせるレイルズを振り返って、キムとマークはこっそりと笑った。

 今回、レイの希望もあり、きちんと保護者であるヴィゴの許可を得て、今日の訓練所の授業が終わったら、マークとキムの案内で街へ見学に行く事になっていたのだ。

「今、円形市場に美味しい屋台が期間限定で来てるんだよ。毎年、この時期しか来ない屋台だから楽しみにしてろよ。そこのビーフシチューが絶品なんだよ。本当にすごく旨いんだよな」

「楽しみ! ちゃんとお小遣いも持ってきたもんね!」

 嬉しそうにベルトに取り付けた小さな小物入れを叩き、自慢げに胸を張るレイルズを見て、また二人はこっそりと笑い合った。

「まあ、あれだけ楽しみにしてくれれば、案内する値打ちもあるってもんだな」

「確かに、一応、シルフは付けてあるから大丈夫だとは思うけど……彼が迷子になんかなったら、俺達……竜騎士隊の人達に殺されるぞ。極刑だぞ」

 マークの言葉に、キムが震える真似をして声を上げた。

「やめてくれ! それ、本気で冗談に聞こえないよ!」

 竜騎士隊の人達が、彼の事をどれだけ可愛がっているか垣間見た二人には、本気で冗談にならない話だった。

 こっそりと揃って振り返ると、楽しそうにきょろきょろと周りを見まわしながら、後ろをついてくるレイルズと目が合った。

「どうしたの?」

 不思議そうに首を傾げる彼に、二人揃って笑って首を振った。



「円形市場には、金を払って許可を取った荷物持ちの為の騎竜しか入れないんだ。そんな大きな買い物は無いだろ? 近くの居酒屋のご主人に頼んであるから、そこにラプトルは預けて行くぞ」

「ブレンウッドの朝市では、そんな事無かったのにね」

 驚くレイルズに、キムは肩を竦めた。

「騎竜の立ち入りを制限してるのは円形市場だけだよ。街のあちこちで開催されてる朝市や、普通の商店街ではそんな事ないんだけどな」

「どうして? 円形市場って、城壁が周り全部を取り囲んでる場所でしょう? 道路が細いから?」

 疑問に思った事は聞かずにはいられない知りたがりのレイルズの質問に、キムは笑いながら教えてくれた。

「まあ、通路が細いってのも理由としては確実にあるな。今お前が言ったように、円形市場はその名の通り城壁にぐるっと囲まれた楕円形の場所を利用して、その中に市場が出来てずっとそのまま使われてるんだ。だけど、城壁には何故だか城門が無い。だから、出入りは城壁の下を掘って作られた三箇所の地下通路しか無いんだ。当然、通路の広さも高さも限られてるから、大型のトリケラトプスなんかは、そもそも立ち入り禁止だぞ。当然、騎竜を預かる場所なんて中には無い。まあ、行けば分かるよ。とにかく狭くてごちゃごちゃだぞ。でもそれが良いんだよな」

「確かに、俺も少し街歩きに慣れてきたけど、円形市場は、あのごちゃごちゃ感が良いんだよな」

 キムの言葉に、マークも頷いている。

「迷子にならないように気を付けないとね」

「そうだぞ。勝手に動くなよな」

 キムに真顔で念を押されて、レイは慌てて何度も頷くのだった。




「ほら、あそこが円形市場の外壁だぞ。でもその前に騎竜を預けないとな」

 キムが指差す方向には、背の高い城壁が立ちはだかっている。

 とにかく、街に入ってから城壁が視界から無くなる事は無い。どの方角を向いても、城壁が見える。

「話には聞いていたけど、本当に壁だらけなんだね。もう、どっちに向かってるのか全然分からないや」

 到着した店の前でラプトルから降りながら、辺りを見回して感心したように呟いた。

 キムの案内で、まずは近くにあった居酒屋にラプトルを預ける。

 木札を貰いながら、レイはこっそり居酒屋の中を覗き込んだ。まだ夕暮れには早い時間なのに、中には何人もの男達がご機嫌で酒を飲んでいる。

「お?何だ? 見かけない顔だな。新兵か? よしよし、良いからこっち来て一杯やれよ」

 覗き込むレイに気付いた男が、笑いながら手招きする。

「駄目だよ、おっちゃん。こいつはこう見えても、まだ十四歳なんだからな! 酒なんか飲ませたら、俺が後で保護者に叱られるだろ!」

 喜んで中に入ろうとするレイの、首根っこを慌てて引っ掴んで、キムが中に向かって怒鳴る。

「十四歳!」

 中から綺麗に揃った叫び声が聞こえて、その直後に大爆笑になった。

「おい、冗談にも程があるぞ。キム坊。断るにしても、もうちょっと真実味のある嘘にしろよな」

「そうだぞ、キム坊。いくらなんでも、それはこいつに失礼だろうが」

 全く信じていない客達に、キムはもう一度大きな声で叫んだ。

「だ、か、ら! こいつは本当に未成年なんだよ! 酒なんか飲ませたら、俺がヴィゴ様に叱られるだろうが!」

 その瞬間、全員が、ぽかんと口を開けてキムを見た。

「キ、キム坊。お前今……何つった?」

「ヴィゴ様? って?」

「そうだよ。こいつの後見人はヴィゴ様なんだよ! 今日は今から社会見学なの!分かったか!この酔っ払い共が!」

 片手で酔っ払い達を追い払う仕草をして、呆然としているレイルズの首根っこを掴んだまま、キムは振り返った。

「ここからは歩きだからな。入り組んでるから迷子にならないように、ちゃんと付いて来いよ」

「お、おう。分かったよ」

 円形市場は何度も行った事があるが、噂のシチューの屋台は初めてのマークも、大人しくキムの後について歩き始めた。

 ようやく、首根っこを放してもらったレイルズは、照れたように笑いながらキムを見た。

「残念。ちょっとぐらいなら飲んでみたかったのに」

 無言で頭を叩かれて、態とらしい悲鳴をあげたレイルズは、笑いながらマークの後ろに隠れた。

「助けてマーク。キムが僕の事苛めるの」

「そうか、そりゃあ大変だな。諦めろ!」

 笑ってレイルズの首を捕まえると、また脇腹を擽った。

 また悲鳴をあげるレイルズを見て、二人も堪えきれずに吹き出して、揃って大爆笑になった。



「なあなあ。それより……すっごく気になったんだけどさ」

 笑いを収めたマークの言葉に、レイルズも頷いて目を輝かせた。

 二人は顔を見合わすとニンマリと笑って、揃ってキムを見た。二人の目が横向きの三日月みたいになっている。

「な、何だよ……」

 仰け反るキムに、マークが満面の笑みで言った。

「お前、キム坊って呼ばれてるのか?」

「キム坊! 可愛い! 僕もそう呼んで良い?」

 唐突に真っ赤になったキムは、思いっきり首を振って叫んだ。

「馬鹿野郎! 絶対嫌だぞ! 人前でそんな呼び方してみろ!俺は……俺は泣くぞ!」

 その瞬間、三人揃ってまた大爆笑になったのだった。

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