飛べない竜と子供達

 年が明けて、本格的なレイルズの教育が始まった。



 まずはグラントリーが教師役となり、行儀作法や騎士としての立ち居振る舞いを徹底的に教えられた。

 今まで、どれだけ自由に振舞う事を許されていたのかを思い知らされて、こっそり皆に感謝したレイだった。

 それから貴族の身分の説明に始まり、王宮の主な貴族達の名前や交友関係を教えられた。またこの時初めて、レイはテシオスの父親がどれだけ高い身分の持ち主だったのかを知った。

 気が遠くなる程に覚える事があり、もう本気で蒼の森に帰りたくなったレイルズだったが、それでもこれはやらなければいけない事だと分かる以上、諦めて覚えるしか無い。見つからないように小さなため息を吐いて、こっそり出そうになった欠伸をルークに教えられた方法でこっそり誤魔化した。

 この時のレイには自覚は無かったが、これらの知識は後に、ニコスが寄越してくれた知識の精霊達が大活躍してくれる事になるのだが、彼がそれに気付くのはもう少し先の話だ。




「はい、それでは本日はここまでに致しましょう」

「ありがとうございました」

 立ち上がってきちんと礼をしたレイルズを見て、グラントリーは密かに目を細めた。

 レイ自身は、全然分からないし覚える事が多すぎてもう駄目だと言っているが、今まで彼が教えてきた若者達に比べると、レイはかなり成績優秀な生徒だ。まだまだ未熟な部分は多いが、何より素直だし、教えた事は確実に自分のものにしている。まだお披露目まで二年ある事を考えれば、充分育てる事が出来るだろう。

 未来の立派な竜騎士になった姿を思い浮かべて、嬉しくなるグラントリーだった。



「お疲れ様でした。明日は午後から食事の際の作法をお勉強しますので、昼食は軽めにお願いします」

 にっこりと笑顔で言われているのに、怖さしかないのは何故なんだろう。

 若干、遠い目になりつつ、レイはきちんと返事をしてグラントリーを見送った。

「うう……もう駄目。僕、行儀作法と貴族の交友関係に関しては……絶対自信無いよ」

 精霊魔法訓練所で習うような事なら、どれだけ大変でもある意味覚えてしまえばそれで済む。

 しかし、行儀作法や騎士としての立ち居振る舞いは自分一人の事では済まない。第三者に常に見られる事を前提にしているのだから、他人からの視線に慣れていないレイにとっては、前提の時点で既に気後れしてしまうのだ。

 竜騎士隊の皆は、自分達はそんなものだから慣れるしか無いと言うだけだし、実際確かにその通りなのだろう。


『大丈夫』

『大丈夫』

『我らが支えるよ』


 ニコスが寄越してくれたあのシルフ達が現れて、机に突っ伏しているレイの頬に交代で何度も慰めるようにキスしてくれた。続いて現れたいつものシルフ達も、レイの頬や額にキスをしてからかうように髪の毛を引っ張ってくれた。

「あはは、頼りにしてるからよろしくね。でも、考えたら何にも知らなかったルークもこれを全部半年で覚えたんだよね。うん、僕も負けないで頑張るよ!」

 大きく伸びをして、散らかった机の上を片付けた。



「今日は午後から何をするのかな? 出来れば体を動かしたいな」

 窓の外は今日も良いお天気だが、風が強いらしく、遠くに見える竜騎士隊の旗が斜めに歪んではためいていた。






 延々と続く行儀作法の実践とひたすら覚える事だらけの日々に、レイが本気で逃げ出したくなったその日、朝練から戻る途中のルークから嬉しい事を告げられた。

「今日は竜達と一緒に竜の保養所まで行くぞ。食事の後は遠征用の竜騎士見習いの服に着替えておけよな」

 目を輝かせるレイを見て、ルークは片目を閉じてみせた。

「竜の保養所では、騎竜の子供も沢山いるよ、揉みくちゃにされる覚悟があるなら厩舎へ連れて行ってやるよ。俺はもうごめんだけどな」

「行きます! えっと、でも何をしに行くの? まだまだ覚えなくちゃ駄目な事が山ほどあるんだよ」

 グラントリーから大切な事だからしっかり覚えるようにと言われて、真面目なレイは、寝る前の読書の時間も、新しくもらった貴族達の身分制度や城の貴族社会の仕組みを詳しく書いた本を読んでいる程だ。全く面白く無いが、三度目の読み返しで、何となくだけど少しは理解出来てきたような気がしている。

「以前紹介した、ターコイズって竜を覚えてるかい?」

「えっと、主のいない綺麗な水色の竜だよね。確か、怪我をして長い時間飛べないって……」

「そう、あの子だよ。ラピスが協力して今回、竜の保養所にターコイズを連れて行く事になったんだ。ラピスが付き添って一緒に飛んでくれるんだって。それなら、ラピスの指示でシルフ達が飛んでいるターコイズを支えられるらしい。な。素敵だろ。ターコイズは自分の翼で竜の保養所まで飛んで行けるんだって」

「そんな事が出来るの?」

 思わず、目の前のシルフに話し掛けると、シルフはブルーの声で答えてくれた。

『まあ、普通は無理だ。我でも付きっ切りで一緒に飛んでやる必要がある。でも、自分の翼で飛んで行けたなら、それは彼にとって自信になるだろう。どこかにいるかもしれぬ、新たな主との出会いまで潰す事はない。せめて、彼が自分の事を許し、新たな主との出逢いを求めてくれるようになれば幸いだ』

「ありがとうブルー。元気になってくれれば良いね」

 シルフにキスをしたレイは嬉しそうに笑った。理由はどうあれ、ブルーと一緒に出かけられる事は純粋に嬉しい。

 ルークやラスティ達と一緒に朝食を食べた後、部屋に戻って言われた通りに、遠征用の竜騎士見習いの服に着替えた。

 廊下で待っていたルークと一緒に竜舎へ向かう。

 見上げた上空には、既に鞍を装着したブルーが旋回しているのが見えた。見上げた体勢のまま笑って手を振ると、肩の上に現れたシルフが嬉しそうにキスしてくれた。

「お待たせ。ターコイズの様子はどうだい?」

 出迎えてくれたマッカムの案内で、先にターコイズの元へ向かう。

 以前会った時と違って、ターコイズは顔を上げてこっちを見ていた。

「其方が、あの古竜の主か」

 低い声が聞こえて、レイは見上げてそっと手を伸ばした。

「改めてはじめまして、ターコイズ。レイルズ・グレアムです。一緒に竜の保養所へ行こうよ。あそこは広いから、きっと気分も良くなるよ」

 差し出された鼻先をそっと撫でると、目を閉じた水色の竜は小さく喉を鳴らした。

「今になって、もう一度空を飛べるなど……我は夢を見ているのだろうか……」

「夢じゃないよ。行こうよ。外は良いお天気だよ」

 何でもない事のように話し掛けるレイを、マッカムは半ば呆然と見つめていた。

 ターコイズは、誰がどれ程話しかけても殆ど返事をせず、マッカムでさえも、喉を鳴らす音を聞いたのは彼が主を亡くして以来初めての事だった。

 ゆっくりと立ち上がったターコイズは、一度だけ大きく翼を伸ばして背中を反らせるように大きく伸びをした。

 慌てたマッカムが柵を外してターコイズが外に出られるようにする。

「行っておいで、ターコイズよ。貴方のこれからに幸多からん事を」

 その声を聞いたターコイズは、静かに喉を鳴らして側に立つマッカムにそっと頬擦りした。

「其方には本当に世話になった。ありがとうじいちゃん。また会えるだろうか……」

 その言葉を聞いたマッカムの目には、堪え切れない涙があふれた。

「待って……待っておりますぞ、ターコイズよ。其方に良き出会いがあるように、毎日精霊王に祈らせて頂きましょう」

 第二部隊の兵士に導かれて、本当に久し振りにターコイズは中庭に出た。

 中庭には、ルークの竜のパティが鞍を取り付けた状態で待っていて、二頭は、仲良く首を絡めるようにして久しぶりの挨拶をした。

 それからターコイズは、もう一度大きく翼を広げて伸びをした。まるで、自分の身体を確認するかのように何度か羽ばたきをする。しかし、右の翼は歪んで完全に伸ばす事が出来ていなかった。

「どうだ。少しは飛べそうか?」

 ルークの言葉に、ターコイズは少し戸惑ったが小さく頷いた。

「うむ、一度飛んでみよう。シルフよ、よろしく頼む」

 低い声でそう言うと、大きく翼を広げてゆっくりと上昇した。それを見たルークは、嬉しそうに笑ってパティの背に飛び乗って後に続いた。

 交代で降りて来たブルーに、下がって二頭を見ていたレイは大急ぎで駆け寄り、腕からその大きな背中に乗った。

「それでは行くとしよう」

 鞍に遠征用の荷物が積んである事を確認したレイがそっと首を叩くと、ブルーは小さく喉を鳴らしてからそう言って、大きく翼を広げた。

 ターコイズの横に、ルークの乗ったパティが付き、二頭の下側にブルーが寄り添った。

 三頭の竜は、第二部隊の兵士達が見送る中を、北西の空に向かってゆっくりと飛び去って行った。




「大丈夫そうだね」

 見上げるレイの目には、ターコイズを支える多くのシルフ達の姿が見えている。

 途中、何度か疲れて下降しそうになるターコイズを見る度に、ブルーの指示で現れた多くのシルフ達がその飛行を支えていた。


『大丈夫』

『大丈夫』

『支えるよ』

『支えるよ』


 歌うようなシルフ達の言葉に、ターコイズは目を細めて嬉しそうに喉を鳴らした。

「ありがとう、シルフ達よ。そしてラピスにも心からの感謝を、もう一度この光景を見る事が出来るとは思わなかったよ」

「其方が心底飛びたいと願うなら、まだ回復の余地は有るかもしれぬ。竜の保養所で、しっかり翼を広げて、伸ばす訓練をするが良い。完全には戻らなくとも、有る程度回復出来れば、シルフ達の助けを得て飛べるようになるだろう。我らは鳥のように翼の力だけで飛んでいるのでは無いからな」

 ブルーの言葉に、レイは目を輝かせた。

「頑張ってね、ターコイズ。貴方に良い事が沢山あります様に」

 嬉しそうなレイの言葉に、ターコイズは改めて喉を鳴らした。




「おお、本当に飛んできたぞ」

「おお、なんと言う事だ。もう一度あの子が飛んでいるところを見る事が出来るなんて」

 竜の保養所では、待っていた職員や兵士達が、揃って上空を見上げて感動していた。

 怪我をして飛べなくなったターコイズの事は、竜の保養所でも何度か話題になっていて、どうにかしてここまで運んでやれないかと皆思っていたのだ。

 その竜が今、目の前で自分の翼で飛んでいる。

 ゆっくりと降りて来たその竜に、大勢の人が駆け寄って声をかけて久し振りの飛行の疲れを労った。

「なんとか無事に到着したな。翼は思っていたよりも伸びている。これならば、訓練次第でかなりの回復が見込めるだろう。頑張って手当をしてやってくれ」

 ブルーのその言葉に、何人もの兵士達が感謝の意味を込めて敬礼をした。

「ありがとうございます。ラピスよ。心からの感謝を貴方に。もちろん、ここに来てくれたからには、徹底的に出来る限りの治療をします。いつかもう一度自分の翼で飛べるようになってもらう為に」

 その言葉に、ブルーも嬉しそうに目を細めた。




 レイとルークは、一旦建物の中で休憩してから、シヴァ将軍の案内で騎竜の子供達がいると言う厩舎に向かった。

「本当に、よろしいんですね?」

 何やら心配気な将軍に、レイは大きな声で返事をして頷いた。彼はこれら起こる事を全く理解していなかったのだ。

「こちらです……どうぞ」

 案内された平屋建ての大きな厩舎の前で、将軍は扉に手を掛けたままそう言ってそっと扉を開いた。

「えっと、こんにちは」

 何も知らないレイが、開かれた扉の中に入るのを見て、将軍は黙って素早く扉を閉めた。

 それを見ていた、なんとも言えない顔をしたルークと将軍が顔を見合わせて無言で首を振った。

 しばらくして中からレイの悲鳴が聞こえて、二人は同時に堪えきれずに吹き出したのだった。




「えっと、こんにちは」

 挨拶をして厩舎の中に入ったレイが見たのは、真ん中に大きく取られた通路と、左右の壁側に並んでこっちを見ている、見たことのない程の小さな騎竜達だった。

「ようこそ、騎竜のこども園に。私が担当のアンフィールドと申します。どうぞアンフィーとお呼びください」

 大柄な恰幅の良い男性兵士に笑顔で挨拶されて、レイは改めて差し出された大きな手を握った。

「騎竜の子供達を見てみたいとの仰せ。どうぞお好きに遊んでやってください」

「良いの?」

 嬉しくなったレイは、一番近くにいた子竜の頭を撫でてやった。それを見たアンフィーが、そっと子竜達のいる柵を外してくれたので、隙間から中に入った。

 次の瞬間、一斉に寄って来た子竜に、レイは押し倒されてしまった。悲鳴をあげて咄嗟に近くにいた子竜にしがみつくも、そのまま子竜ごと押し倒されてしまった。

「待って! ちょっと待って!」

 レイの制止も虚しく、一斉に集まった子竜達は、レイの腕や髪の毛を甘噛みし、自分を撫でろとばかりに頭突きをしてくる。

 どうにか立ち上がるも、またしても倒れそうになり、今度はもう少し大きな子竜の背にしがみ付く。何とか押し倒されるのは免れたが、その背中にまた一斉に頭突きをされて、もう一度悲鳴をあげた。

 もう、完全に揉みくちゃにされて、何が何だか分からない。服の隙間から頭を突っ込んでくる子の頭を押さえて、レイは必死で立ち上がろうとしては、また押し倒されるのを繰り返していた。

「こらこらお前ら。嬉しいのは分かるが、無茶をするなよ」

 呆れたようなアンフィーの声と共に、レイの背中が掴まれて興奮して大騒ぎしている子竜の群れから救出された。

「大丈夫ですか? こいつらはまだ加減って言葉を知りませんからね。どうかお怒りになりませんように」

 申し訳なさそうなアンフィーの声に、レイは首を振って大きく深呼吸すると、声を上げて笑い出した。

「何するんだよもう。死ぬかと思ったよ」

 柵の隙間から大きく首を伸ばしていた少し大きめの子を抱きしめると、レイはもう一度声を上げて笑った。それから、柵越しに並んで首を差し出す子竜達を順番に抱きしめて、まだ細い首を爪を立てて掻いてやった。

 子竜達は、皆嬉しそうに目を細めて、もっとやれとばかりにいつまでも甘えて首を伸ばした。

 あっという間に子竜達を御してしまったレイルズを、アンフィーは驚きの目で声も無く見つめていた。




 扉の隙間から、顔を出して中の様子を見たルークは、乱れた服に構いもせず、何事もなかったかのように子竜達と戯れるレイルズの姿を見て、改めて感心していた。

「さすがはレイルズだね。どうやら彼の魅力はやんちゃな騎竜の子供達にも有効だったらしいよ」

 その後ろでは、無言で感心するシヴァ将軍の姿もあり、二人はもう一度揃って吹き出したのだった。

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