慰めと新たな任命書

 翌朝、いつものようにシルフ達に起こされたレイは、ラスティが昨夜からとても心配していると聞かされて、申し訳なくてどうしたら良いのか分からなくなった。

「おはようございます。そろそろ起きてください。朝練に行かれるんでしょう?」

 その時ノックの音と共にラスティの声が聞こえて、レイは慌ててベッドから飛び降りた。

「はい! もう起きてます! おはようございます!」

「おはようございます。今日もお元気ですね。では、こちらの白服に着替えてください」

 いつもと全く同じように普通に話す彼に、逆にレイの方が戸惑ってしまった。

「ええと、あの……昨日は勝手な事してごめんなさい!」

 まだ謝っていなかった事を思い出し、とにかく頭を下げた。

「貴方が謝られる事はありませんよ。もう気になさらないでください」

 そう笑って言ってくれるが、申し訳なくてラスティの顔を見られない。

「でも……」

 口籠ったラスティが、俯くレイの顔を覗き込むようにしゃがんでくれた。

「どうか、お辛いことがあったら我慢しないで下さい。その為に我々がお側におります。ラピスに会いたいのなら、いつでも遠慮無くそう仰ってください。すぐにそのように計らいます」

「……良いの?」

 遠慮がちに顔を上げるレイに、ラスティはしゃがんだまま、しっかりと手を取った。

「貴方は年齢の割にはお身体も大きいし、随分としっかりしていらっしゃいます。でも、貴方はまだ成人年齢まで二年もある未成年なんですよ。ご家族から遠く離れて、全く見知らぬ慣れない土地と人達の中で暮らしているのですから、寂しいと思うのは当たり前です。唯一の伴侶である竜の事を愛しく思うのは当然です。ですから、どうか我慢しないで下さい」

 ラスティの握ってくれた手の上に、シルフが現れて、嬉しそうに笑って重ねた手を叩いてくれた。

「分かりました。今度から、会いたくなったら……ちゃんと言います」

 照れたように笑うレイの顔を見て、ようやくラスティも安心した。正面からきちんと話した言葉は、しっかりと彼に伝わったようだ。

「それでは、まだですよね? まずは着替える前に、顔を洗って来てください」

 握っていた手を解くと、ラスティは笑ってレイの背中を叩いた。

「はあい、では顔を洗って来ます!」

 洗面所へ駆けていく後ろ姿を見送って、ようやく安堵のため息を吐いた。

「良い子過ぎるのも考えものですね。レイルズ様なら、我儘が過ぎるぐらいで、ちょうど良いのかも知れません……」




 朝練には若竜三人組とルークが来ていたが、彼らも別段普段と変わりなく接してくれて、密かに胸を撫で下ろしていた。

 棒で手合わせしてもらった後は、いつものように第二部隊の兵士達の乱取りに混ぜてもらい、しっかり汗を流した。

 午前中はルークに城の図書館へ連れて行ってもらい、大好きな本の山に囲まれて過ごし、すっかり機嫌を直したレイだった。

 午後からは、また白服に着替えて、ルークと一緒に訓練所で木剣で手合せをしてもらった。

 途中からヴィゴが来てくれて二人掛かりで教えてもらい、最後にヴィゴと手合せをしてもらって前半は健闘したのだが、最後にはまた見事に叩きのめされてしまった。



「おい、生きてるか?」

 床に伸びたまま起き上がれないレイに、ルークがしゃがみこんで額を叩く。

「ふぁい……生きてます……」

「半分死んでそうだな。じゃあこのままハン先生のところへ担ぎ込んでやるか」

 その呟きが聞こえた瞬間、レイは、咄嗟にものすごい勢いで腹筋だけで起き上がった。

「痛ーい!」

「痛って!いきなり起きるな!この石頭!」

 起き上がった瞬間、覗き込んでいたルークの額に頭突きする形になり、鈍い音が訓練所に響き渡る。

 まともに食らったルークが悲鳴と共に撃沈した。起き上がったレイも、あまりの痛みに、額を押さえたまま悶絶して動けなかった。

 ヴィゴが大きく吹き出す声が聞こえ、その直後に訓練所は笑い声に包まれた。




「何をやってるんですか。貴方達は……」

 知らせを聞いて駆けつけてくれたハン先生に診察を受け、二人揃って額に湿布を貼られた。

「まあ、打ち身だけなので大丈夫ですが、今日のところは大人しくしていなさい」

「不覚。まさか、あそこまで凄い勢いで起き上がるとは思ってなかったよ」

 ルークが額を押さえて頭を抱えている。

「僕も、あそこまで近くにルークの顔があるとは思わなかったです。

 こちらも額を押さえながらそう言うレイを見て、二人は顔を見合わせ同時に吹きだした。

「あはは、お揃いだな」

「そうだね。一緒だね」

 そう言って、また吹き出す。

 笑い声は、いつまでも終わる事がなかった。



 夕食の時、揃って額に湿布を貼ったレイとルークは、食堂中の無言の大注目を集めた。

 困ったレイが何か言おうとした時、ルークがレイの背中を叩きながら笑って言った。

「全く。お前が石頭なのはタキス殿から聞いていたけど、まさか、自分の額で試す日が来るとは思わなかったぞ」

「ごめんなさい。僕も痛いです」

 顔を見合わせて同時に舌を出す。それからまた同時に吹きだして笑い合った。

「お元気なのは結構ですけれど。怪我には注意してくださいと、あれ程お申し上げたはずですが?」

 背後から聞こえたラスティの言葉に、二人は誤魔化すように笑った。

「大丈夫だよ。ちょっとたんこぶが出来ただけです」

「それは大丈夫とは言いませんよ、普通」

 それを聞いたラスティの、これ見よがしの大きなため息に、もう一度笑って誤魔化すレイだった。






「マーク上等兵、ダスティン少佐がお呼びだぞ。すぐに執務室に来いってさ」

 いつも世話になっている曹長にそう言われて、マークは整理していた降誕祭の飾りを箱に入れた。

「了解です。すみません。ここはお願いします」

 一緒に作業をしていた先輩にそう言って、マークは慌てて立ち上がった。

 大急ぎで執務室へ向かうと、部屋の前でキムと会った。彼は今日は別の作業をしていたはずなのに二人揃ってここに呼ばれたと言う事は、多分理由は一つだろう。

 二人は、互いに顔を見合わせて肩を竦め、小さなため息を吐いた。

「何か進展があったのかな?」

「さあ、どうだろうな?」

 揃ってノックをしてから、部屋に入った。

「マーク上等兵、参りました」

「キム上等兵、参りました」

 直立して、敬礼する。

「ご苦労。ちょっと待っててくれ」

 何かの書類にサインをしてたダスティン少佐は、顔も上げずにそう言った。

 隣にいた兵士に、何枚かの書類を渡すと立ち上がった。

「マークス・ウィルモット。キムティリー・フィナンシェ。本日付で両名を伍長に任命する。これからもしっかり勤めてくれたまえ。これが任命書だ」

 呆気にとられる二人を見て、少佐はにっこりと笑った。

「どうした? 返事は?」

「あ、ありがとうございます! これからも精進いたします!」

 任命書を受け取ったキムの、叫ぶような声を聞いてもマークは動く事が出来なかった。



「あの……昇進の理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「おい、お前、何言ってるんだよ」

 慌てたように小さな声でキムがそう言って脇腹を突く。しかし、マークは聞かずにはいられなかった。

「突然現れた闇蛇に対する冷静沈着な対応。そして、その後始末での、これも冷静で的確な対応。今回の君達の働きは、充分評価に値すると思うがね」

「自分はまだ見習い中です。分不相応な昇進ではないかと……」

 しかし、ダスティン少佐は怒りもせずに首を振った。

「常々思っていたが、君は自己評価が低すぎるぞ。光の精霊を見る事が出来る君を、我々は高く評価している。訓練所での単位が全て習得出来れば、正式な配属先が決まる。それまでは通常の仕事には変わりはない。今まで通り、二人共クロム曹長の指示で動け」

 マークの手に、任命書を押し付けると、少佐は椅子に座った。



「それから、例の一件だが取り調べの中間報告が来ているぞ。見るかね?」

「よろしいのですか?」

 手渡された書類を受け取りながら尋ねると、少佐は苦笑いして頷いた。

「君達はいわば当事者だからね。知る権利があるだろう。まあ正直言って、こんな理由であれ程の大騒ぎを起こされ、後始末をする側としては……あいつらを本気でぶん殴ってやりたくなるな」

 もう、その言葉だけで書いてある内容の予想がついてしまい、二人揃って遠い目になった。

 ため息を吐いて、とにかく書類に目を通す。

 取り調べには素直に応じているようで、反省の様子も見せている事から極刑は免れるだろうとの私見も書かれていた。

「うわあ。やっぱり予想通りか……」

「最低だ……どうやったら、こんな考え方が出来るんだろう」

 書類に書かれていたのは、二人の予想通りの内容だった。

 馬鹿にされたレイルズを見返す為に、教えられた召喚魔法で小さな羽虫をたくさん呼び出して隣の教室へ投げ込み、驚いて騒ぎになったところで、自分たちが出て行って騒ぎを静めるつもりだったと言う内容だった。

「退ける際には、同じ羽虫だから一度の言葉で全部に効果があるって?」

「あり得ないだろう。そんなの」

 顔を上げた二人に、少佐も頷いた。

「彼らは、本当に精霊魔法に対する知識が皆無だ。はっきり言って一年半もの間、一体訓練所で何をしていたのだと本気で問い詰めたくなるよ」

「じゃあ、やはり……座学の単位を全部取ったって言っていたのは嘘なんですね?」

「嘘と言うよりも、これに関しては教授達も惑わされていたようだな。改めて、古竜が教授達全員を調べてくれているが、明らかに操作されてる形跡がある者が複数いるそうだ。恐らく、痺れを切らした犯人が、魔法陣の授業を早く開始させるために妖の術を使ったのだろうとの事だ。これも屈辱だな。そのような術を足元で使われて、誰も気付けなかったとは」

 握りこぶしを机に叩きつける。彼らにもその気持ちはよく分かった。

 第四部隊の面子にかけて、今回の一件は何としても解決しなければならない。

「エッケル侯爵と、ロイズベネット伯爵は、どちらも自宅にて蟄居閉門を命じられている。これも、保護者としての監督不行き届きで、無罪放免という訳にはいかないだろうな」

「例の死体の一件は……」

「背後に死霊術者ネクロマンサーがいた事は確かだな。しかも、周りの人が誰一人違和感を感じなかったという事は、屋敷丸ごと幻術で包んでしまえる程の腕の持ち主という事になる。それ程の術者を前に我々に何が出来るか……考えたくも無いな」

 両手で顔を覆った少佐の言葉に、二人は思わず体を震わせた。

「君の昇進を急がせたのは、そのせいでもある。光の精霊魔法は、唯一、闇の眷属に対して実行力のある技が使える。無理は承知の上だ。とにかくしっかり学んで、なんとしても上位の光の精霊魔法を習得してくれ。一人でも多く、実戦で戦える術者が必要なのだ」

 受け取った任命書を改めて持ち直し、マークは直立して敬礼した。キムもその後ろで同じように直立して敬礼する。

「了解致しました。自分にどこまで出来るかは分かりませんが、出来る限りの事をします」

「期待しているぞ」

 直立して綺麗な敬礼を返してくれた少佐に一礼して、二人は部屋を出た。



 廊下に出た途端、マークは大きなため息と共に廊下に座り込んだ。

「俺は! 俺は辺境農家の八男で、精霊魔法なんて、全部物語の中のものだと思ってたんだぞ! その俺が! なんで、なんで俺なんだよ!」

 もう一度、身体中の息を全部吐き出すほどの大きなため息を吐いて頭を抱えた。

 無言でキムが背中を叩いてくれた。

 しばらく無言で蹲っていたが、ここで騒いだところで何も進展しない。もう一度ため息を吐いて、諦めて立ち上がった。

「とにかく、戻って勉強するよ。上位の魔法陣の展開方法だけでも理解しないと……」

 肩を落とすマークに、キムが慰めるようにまた背中を叩いてくれた。



「ところでさあ……すごく気になったんで、確認しても良いかな?」

 振り返ったマークがそう言うのを聞いて、キムは半歩下がった。

「な、何だよ、確認って」

「俺の聞き間違いじゃ無ければ、キムティリー・フィナンシェって聞こえたんだけど……」

 その瞬間、キムが何か言いかけて飲み込み、口をパクパクさせる。

「確認するけど、どこかにそんな名前の女性兵士がいたっけ?」

「そ、それは……」

「洗礼名を教えてくれないから、俺はてっきり信頼されてないんだと思って落ち込んでいたんだよ。そうか、まさかそんな可愛い名前だったとはね」

 キムティリーも、フィナンシェという名前も、どちらも本来ならば女性に付ける名前だ。明らかに男性である彼に付けるには、少々変わった名前だろう。

「これだから言いたくなかったんだよ。間違いなくからかわれるって分かってたからさ」

「別にからかってる訳じゃ無いさ。でも男の子に付けるにはちょっと変わってるよな。何か理由でもあるのか?」

 何気無く聞かれたその言葉に、キムは大きなため息を吐いた。

「そうだよ、ものすごい理由があるんだよ。誰にも言ったことないけど……お前には教えてやるよ」

 思いの外真剣な声で言われて、マークは慌てた。

「あの、別にそんなつもりで言ったんじゃないよ、深刻に受け取るなって。誰にも言わないから気にするなって。良いじゃないか。可愛い名前で」

 お人好しの言葉に、キムは小さく笑った。

「俺は一人っ子だって、以前言ったことがあったろう。覚えてるか?」

 頷くマークを見て、キムは笑って頷いた。

「俺は、本当なら三男坊なんだよ、だけど、先の二人は一年も経たずにどちらも精霊王の御許へ行ってしまった……両親の悲しみは、それは深かったと思うよ。それで、俺が生まれた時に神殿の神官様に相談したらこう言われたらしい。この子は男の子では無いと精霊王に申し上げようってな」

「つまり……女の子として洗礼を受けたってことか?」

「そう、それでこんな洗礼名になった。それで呼び名はキムになったんだよ。二度目の洗礼の時には、きちんと男の子として洗礼を受けたよ。何でも、古い風習で、男の子が育たなかった時に女の子として育てると、子獲りの精霊に捕まらないんだって言われたんだって」

「子獲りって……そんなおっかない精霊がいるのか?」

「まさか、昔の人の言い伝えだよ。自分達ではどうしようもない事が起こった時に、納得させる為に精霊や悪霊のせいにしたのさ」

 肩を竦めて笑い、現れたシルフにキスをした。

「ってな訳。分かったか? もうこの話は終わり! さて、とにかく曹長のところに昇進の報告に行こうぜ」

 任命書を上げて振り返ると、そのまま歩き出すキムを慌てて追いかけた。

 笑ったシルフ達が、マークの肩に座ってその頬にキスしたのを、彼は気付かなかった。

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