愛しい竜と降誕祭の最後の贈り物

 降誕祭の最終日も、本部で留守番しているレイルズは、いつもと変わらない日だった。



 朝練ではルークとタドラと一緒に軽く汗を流し、城へ戻る二人を見送ってから戻って食事をして、あとは大人しく部屋で過ごした。

 机の上には、陣取り盤が置かれ駒が定位置に配置されている。

 攻略本を手に、ニコスのシルフに教えてもらいながら、一人で黙々と駒を動かしては何度も考え込んでいた。

「成る程ね。すごいやこれ。いくらでも攻略法があるんだね」

 教え甲斐のある生徒に喜ぶシルフ達は、盤上で、早く次に進もうよと、一生懸命彼を見上げて合図を送っていた。



 あっという間に午前中の時間は過ぎ、午後からはまたガンディが来てくれて、苦手な地理と歴史の勉強をした。

「うう、地理はかなり分かってきたけど……歴史って……歴史って……」

 机に突っ伏して唸っているレイを、ガンディは面白そうに眺めている。

「難しく考える事はないぞ。歴史とは、文字通りその国が歩んできたそれぞれの時間でありその足跡の事だ。我が国の六百有余年以前にも、この地には国があり人々の暮らしがあったのだ。歴史とは、今の時代にありながら、その当時を知る事なのだよ」

 驚いて顔を上げるレイに、ガンディは片目を閉じてみせた。

「例えば今日教えたヘケター皇王の時代、統治が乱れて国が二つに割れそうになっていた頃だな。そして、そなたの竜ラピスが我が国で最初の主を得た時でもあるな」

 驚くレイにの目の前に、シルフが現れて頷いている。

「へえ、そうなんだ。えっと、ブルーの最初の主ってどんな人だったの?」

 無邪気に尋ねるレイに、シルフは少しだけ躊躇った後、ブルーの声で答えてくれた。

『城に仕える兵士だった。まだその当時は、竜騎士隊の前身である聖騎士隊と呼ばれる騎士団がいて、彼は、その聖騎士隊の下位に属する下級兵士だったのだ。貴族では無く、街に家のある平民だった』

 初めて聞く話に、ガンディも興味津々で聞いてる。

『我はその頃、城から近い竜の鱗山にある森を住処にしていた。ある時、王族の狩りの下見に来ていた彼と出会い、我は確信した……彼がなのだと……』

 シルフは悲しそうに首を振った。

『だが、それは結果として彼や彼の家族を苦しめる事になった。我の為に毎日森へ来てくれた彼は、しかし、日に日に弱っていき……今にして思えば、あれこそまさに竜熱症の症状だ。咳や胸の痛み、効かない薬……シルフ達はどこも悪くないと言い、我は愚かにもその言葉を鵜呑みにしてしまったのだ……』

「もう良い、ラピスよ。それは其方の所為ではない」

 ガンディの慰めにも、シルフは首を振った。

『結果として、我は……僅か一年程で彼を喪う事となった。その後の事は……今でも思い出したくも無いな……』

「ブルー、ごめんね。辛い事を思い出させて……」

 泣きそうな声で謝るレイの頬に、シルフが飛び上がって何度もキスをしてくれた。

『喪失の痛みも哀しみも、全て其方が癒してくれた。もう大丈夫だ。今度こそ、我は我の大切な主を守る』



 優しいその言葉を聞いて、突然、レイはブルーに会いたくて堪らなくなった。



 どうして、今ここにブルーがいないのだろう。

 目の前にいたら、自分の不用意な質問のせいで悲しい事を思い出させてしまったブルーを、力一杯抱きしめて慰めてあげられるのに。



 込み上げる感情のままに立ち上がって部屋を走って出て行く。今の彼は、騎士見習いの服は着ているが、剣帯も剣も部屋に置いたままだ。

「おい、如何した。どこへ行く!」

 慌てたようなガンディの声が背後に聞こえたが、レイは構わず厩舎まで力一杯走った。

「おや、レイルズ様。お一人で如何なさいましたか?」

 騎竜の世話をしていた兵士が驚いたように振り返る。

 息を切らせたまま返事もせずに見回すと、すぐ近くでゼクスが彼を見て飛び跳ねているのを見つけた。

「ゼクスを借ります!」

 そう叫ぶと、鞍も乗せないまま一気にその背に飛び乗った。

 それを見て、驚いて止めようとする兵士を振り切ってそのまま柵を飛び越えて駆け出した。

 まるで、彼の言いたい事が分かっているかのように、ゼクスは放たれた矢のように一直線に離宮へ向かった。



 到着した離宮では、湖から出てきたブルーが、庭で待っていてくれた。

「なんて無茶をするのだ……怪我でもしたら何とする……」

 差し出された大きな首に、ラプトルから飛び降りたレイはそのまま力一杯抱きついた。

「ごめんね……ごめんねブルー」

 何度も何度も、抱きついたままそう言い続けた。

 ラプトルに乗ってレイの後を追いかけて来たガンディやラスティ、厩舎の兵士達が見たのは、ブルーにしがみついて大声をあげて泣いているレイの姿だった。

 驚いて駆け寄ろうとしたガンディ達を横目で見たブルーは、これ見よがしに音を立てて大きな尻尾を巻き込み、更には広げた翼でその姿を隠してしまった。



『邪魔をするな』



 目の前に現れたシルフが言う嫌そうなその言葉に、全員が小さなため息を吐いた。

「ラピスよ……仲が良いのは大いに結構だが、もう少し何と言うか……大人しく出来んか?」

 シルフは器用に鼻を鳴らすと、そのままいなくなってしまった。



 彼らを見て何事かと飛び出して来た執事達に、事情を説明して一旦中に入らせる。

 持ってきた鞍と手綱を、兵士達がゼクスに取り付けている間に、ガンディは改めてブルーに話しかけた。

「落ち着いたら、レイルズを解放してくだされ。確かに、此の所あまり直接は会わせておりませんでしたな。まあ……寂しい気持ちも分かりますぞ」

 そっと尻尾を撫でると、ブルーは静かに喉を鳴らした。

 もう、泣き声は聞こえなくなっていた。






「えっと……勝手な事してごめんなさい!」

 ようやく翼の下から出てきたレイは、ガンディやラスティだけで無く、何人もの第二部隊の兵士達が揃って心配そうにこっちを見ているのに気付き、焦ったように頭を下げた。

 まさかこんな大事になっているなんて思ってもいなかったのだ。

「まあ良い。落ち着いたなら一旦中に入ろう、寒かろうに」

 ガンディにそう言われて、レイは笑って首を振った。

「ここにいます。皆は中に入ってて」

 差し出された大きな首にまた抱きついて、レイは目を閉じた。

 静かに鳴らしてくれるブルーの喉の音を聞いていると、先程まで自分でもよく分からなかったいろんな感情が、まるで嘘のように静まっていくのを感じていた。

「大好きだよ。ブルー」

 小さく呟いて、不意に恥ずかしくなってもう一度力一杯抱きついた。

 全部分かっていると言わんばかりに、ブルーはひときわ大きく喉を鳴らしてくれた。



『どうした?何かあったのか?』

 その時、ガンディの腕に座ったシルフが、話し始めた。

『ルークです』

『本部へ戻ったら大騒ぎになってるぞ』

『レイルズはどこへ行ったんですか?』

 その声にレイが慌てて話そうとすると、ガンディが手を上げてそれを遮った。

「ああ、大丈夫ですぞ。彼は今離宮におる」

『離宮に? ラピスに何かありましたか?』

 心配そうな言葉に、ガンディは笑って首を振った。

「心配はいらぬ。落ち着いたら戻りますので、待っていくだされ」

 頷いていなくなるシルフを見送ると、ガンディは小さくため息を吐いた。

「そろそろ戻ろうと思うが、よろしいかな?」

 見上げてブルーに話しかける。

「ごめんね、ブルー。もう戻らないと……」

 名残惜しそうな様子に、ブルーは嬉しい提案をしてくれた。

「我が本部まで乗せて行ってやろう。今夜は降誕祭の最後の日だ。精霊王への手紙を燃やすのだろう? せっかくだから、我も見てみたいぞ」

「いいの?」

「もちろんだ。乗るが良い」

 いつものように伏せてくれたので、腕から背中に乗って、自分を見上げているガンディを見下ろした。

「えっと、ブルーが連れて行ってくれるって。乗る?」

 それを聞いたガンディは小さく吹き出した。

「なら、ラプトルは連れて帰ってやる故、先に戻っていなさい」

 後ろに下がってくれたので、ブルーの首を叩いた。

「じゃあ行こうか、ブルー」

「うむ。では先に戻るとしよう」

 ゆっくりと上昇すると、そのまま本部に向かって飛んで行ってしまった。

 まだ呆然とその姿を見送って声も無いラスティに、ガンディは呆れたように背中を叩いた。

「まあ、其方も大変だろうが、頑張れよ」

「はあ……」

 戸惑うようなラスティの背中をもう一度叩いて、ガンディは振り返った。

「せっかく鞍を持ってきてもらったが、無駄になってしもうたな。まあ、とにかく戻ろう」

 苦笑いする第二部隊の兵士達に笑いかけて、離宮から出てきてくれた執事達に笑って手を振った。

「急に騒がせてすまなかったな。では我らも戻るとしよう」

 皆急いでラプトルに乗り、離宮を後にした。



「待って、ブルー。ちょっとだけこのままでいてくれる?」

 本部の上空まで来た時、突然レイがそう言って黙り込んでしまった。

「どうした? 大丈夫か?」

 レイは、城の向こう側に見える双子の建物を見つめていた。

「楽しかったな……」

 小さな、寂しそうな呟きに、ブルーは喉を鳴らした。

「其方に客人が来ておるようだぞ。とにかく降りよう」

「え?客人って?」

 驚くレイには答えず、ブルーはいつもの中庭にゆっくりと降り立った。

「ありがとうね、ブルー」

 首を叩いて降りようとした時、渡り廊下からこっちをみている人影に気が付いた。



「マーク、キム……」

 思わず声を上げそうになったが、しかし、嘘つきは嫌われたかもしれないと思い、咄嗟に名前を呼びそうになった口を噤んだ。



 渡り廊下に立つ二人は、揃って口を開けたまま呆然とブルーを見上げている。

「すっげえ。なんだよあの大きさ」

「うわあ、間近で見ると桁違いの大きさだよな」

 彼らの声が耳元で聞こえた。

「おい、マーク、ほら行けよ」

「でも……やっぱり俺なんかが友達面して良いお方じゃ無いだろう?」

「まだ言ってるのか、お前は。何の為にここまで来たんだよ! 用意してたプレゼントを渡す為だろうが!」

「だけど、こんなプレゼント。恥ずかしいよ……」

「マーク! キム!」

 我慢出来なくなったレイは、ブルーの背から飛び降りて二人の元へ駆け寄った。

 慌てて膝をつこうとするのに構わず、力一杯抱きついた。

「来てくれたんだね。ありがとう。会いたかった!」

 順にキムにも抱きついた。二人共笑って抱き返して背中を叩いてくれた。

 見ると、マークの頭にはまだ痛々しい包帯が巻かれている。

「大丈夫なの?これ……痛そうだね」

 手を伸ばしてそっと撫でると、マークは笑って首を振った。

「もう大丈夫ですよ。ご心配お掛けしました」

 改まった口調に、悲しくなる。

「普通にして! いつもみたいに!」

 口を尖らせてそう言うと、キムが隣で小さく吹き出した。

「ほら、だから言ったろ。レイルズはそんなやつじゃ無いって」

 片目を閉じてこっちを見るキムに、レイは大きく頷いた。

「……分かったよ。じゃあもう気にしない事にする。だけど、公の場ではちゃんとするぞ。公私混同は駄目だからな」

 真剣な顔でそう言われて、レイは何度も頷いた。

「えっと、こーしこんどーって何?」

「仕事と個人の時間をきっちりと分けるって事。つまり、公式の場では竜騎士見習いとしてお相手するけど、普段はいつも通り、って事。それで良いんだろ?」

 キムの言葉に、嬉しくなってまた何度も頷いた。

 後ろでは、ブルーがそんな三人のやり取りを面白そうに眺めていた。



「よく来てくれたね。どうぞこちらへ」

 ルークの声に振り返ると、若竜三人組が笑って後ろで手を振っている。

「行こう!」

 遠慮するマークの手を引き、三人並んで中に入っていった。部屋に入る前に振り返って手を振るレイに、もう一度ブルーは大きく喉を鳴らした。



 連れて行かれた休憩室は、机いっぱいに豪華なご馳走が並べられ、飲み物や、デザートの大きなケーキも置かれていた。

「うわあ、すごい!」

 それを見たレイが歓声を上げる。

 キムとマークは、もう驚きのあまり言葉も出なかった。

「おい、ちょっとプレゼントを渡して帰るだけって……」

「ああ、そのつもりだったんだけど……」

「ほら、座ってよ。何してるの」

 目を輝かせるレイに、二人はとにかくここに来た一番の目的であるプレゼントを渡した。

「これ、遅れちゃったし、今更だけど……本当は降誕祭の日に渡すつもりだったんだ」

「俺達二人から」

 差し出されたその箱を受け取る。赤いリボンがかけられていて掌に乗る程の小さな箱だ。意外と重い。

「開けても良い?」

 頷く二人に笑いかけて、レイは勢いよくリボンを解いた。

 そっと蓋を開けてみる。

 箱の中から、布で包まれた中身を取り出す。

 それは、不思議な丸いガラスの玉だった。土台部分は木製で、何よりも驚いたのが、直径10セルテ程の大きさのガラスの玉の中には水が入っていて、雪景色の森が広がっていた。

「こうやってごらん」

 キムが、逆さにして軽く振る動作をする。

 言われた通りに土台を持って軽く振ってみた。

「あ! 雪が降った!」

 緑の木々に降りかかっていた白い雪の粒が、舞い上がってまた降り注ぐ。言葉もなくその不思議な光景に見惚れた。

「あ、ありがとう。すごく綺麗だね」

 嬉しくて、それしか言えなかった。

「気に入ってもらえたみたいで良かったよ。これはスノードームって言って、街で人気の細工師が作ってるんだ。他にも色々あったんだけど、これが良いかなって」

「これは今年の新作でね。ほらこっち側、よく見てごらん」

 マークの指差す部分を見たレイは、歓声を上げた。

「ああ! 竜がいるよ!」

 よく見ると、森の木々の間に、青い色をした竜が首を伸ばして上を向いていた。小さな翼も見える。

 もう一度ゆっくり振ると、竜の鼻の先にも雪が積もるのが見えた。

 嬉しくて、嬉しくて、もう一度マークとキムに抱きついたレイだった。



 二人と一緒に、皆で豪華な食事をした。

 キムとマークは緊張して最初のうちは殆ど味も分からなかったのだが、竜騎士達が皆、気さくに話しかけてくれて次第に緊張も解け、最後には彼らとも笑って話せるようになっていた。




「さてと、そろそろ始めようか」

 ルークの言葉に、レイは食べていたビスケットを飲み込んだ。マークとキムも慌てたように立ち上がる。

 ルークがツリーからレイが書いた手紙を下ろしてくれた。受け取って外に出る。

 中庭には、ブルーが丸くなって座っていた。

「おお、始めるのか?」

 差し出された鼻先にそっとキスを贈る。



 シルフ達が大勢現れてレイを見つめている。



「火蜥蜴さん。お願いします」

 手紙を持った手を出来るだけ伸ばして、静かにそう言った。

 指輪から火の守役の火蜥蜴があらわれて、レイが持つその手紙にそっと息を吹きかけた。

 手紙が端からゆっくりと燃え始める。

 一気に大きくなった火は、あっという間に手紙を焼き尽くした。

 手を離した部分も、落ちて行く間に燃え尽きる。

 シルフ達が一斉に風を起こして、手紙の灰を綺麗に撒き散らしてくれた。


『届けるよ』

『届けるよ』

『尊きお方の元へ』


 満天の星の元、そう言って笑うシルフ達の声に、レイは何度も頷いていたのだった。

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