勉強の日々と工房の職人達

 あれから毎日、精霊魔法訓練所に通っているレイだったが、テシオスはずっと休んでいるらしく一度も顔を見ない。

 バルドは、翌日から護衛の者と一緒に一人でラプトルに乗って来ていて、四人になった彼らは、テシオスの事を心配しつつも各自の勉強を進めていた。



「魔法陣の授業は、お願いして俺もまだ受けていないんだ。テシオスがすごく楽しみにしていたからさ、勝手に進むと拗ねられそうだし。結局、先に受けたのは、一日だけだよ」

 上級魔法について書かれた本を手に、バルドがそう言って笑っている。

「確かに、楽しみにしてたな」

「楽しいか? こんなもん。正直言って、面白くも何とも無いと思うけどな」

 魔法陣を描く時の、円を等分割する為の計算方法に辟易しているマークの言葉に、キムも同意するように大きく頷いた。

「俺も、今マークがやってる魔法陣の計算方法は、本気で泣きたくなるぐらいに大変だった覚えがあるよ。魔法陣の計算方法の単位を取るのに、三回も受け直したのは……今となってはいい思い出だけどね」

「ええ! 魔法陣の計算方法の単位を取るのに、三回も試験を受けたの!」

 驚いてレイが叫んだが、キムは心底情けなさそうな顔で頷いた。もうそれを聞いただけで、レイは完全に自信を無くした。

「僕、十回受けても取れない自信ならある」

 ぼそりといったレイの言葉に、三方向から手が出て遠慮無く彼の頭を叩いた。

「そんな事に自信持つんじゃねえよ! 心配するなって、その頃には俺が……完璧に覚えて、教えてやるよ……多分」

「こら! 何で、そこで詰まるんだよ。そこは自信持って、俺に任せろ! って、胸を張るところだろうが!」

 マークの自信無さげな言葉に、キムが横から思いっきり突っ込んだ。バルドも横で大笑いしている。

「だって、俺も正直言って、三回は受けそうな気がする。再試験記録を更新しないように頑張るよ」

 ペンの尻で頭を掻きながら、困ったようにそう言うとまた計算問題を解き始めた。

 しかし、苦労しているのを見兼ねたキムが覗き込んで真剣に計算の考え方を教えているのを、二人も横からこっそり覗き込むようにして真剣な顔で聞いていた。



 レイは、下級の実技はもう全ての単位を修得している。

 ただ、座学の方は、まだまだ勉強不足を否めないので、基礎的な授業が中心だ。下級の座学の単位を全部修得しないと、次の段階に進めない。

 今日は、午後からは一人で数学の授業を受けている。算術盤を使わない暗算の計算問題を沢山解き、その後は、さまざまな図形の面積を出す計算方法の説明を真剣に聞いていた。

「円の面積……そんな事考えた事も無かったや」

 もらった例題を見ながら小さな声でレイが呟く。

「まあ、これらは、図面を描いたり物を作る人なら必須の事なんですけれど、そうでなければ、こんな計算方法があると覚えておく程度で良いですよ」

 懸命に例題を解くレイルズに、教授は優しい声でそう言った。

「じゃあ、分からなくなったらモルトナやロッカに聞けば良いや」

 その言葉に嬉しそうに笑って小さな声でそう呟くと、二問目を解き始めた。




 午後の授業も終わり、迎えに来た護衛の兵士と一緒に本部に戻る。部屋に戻る前に、医務室でハン先生から診察を受けた。

 あんなに痛かった脇腹の青痣も、かなり薄くなってきていて、ハン先生から、明日から朝練に参加しても良いと言われてすっかり嬉しくなったレイだった。

「そう言えば、そろそろ例の補助具の覆いが出来上がるそうですよ。ガンディが明日にも仕上がるのではないかと言ってましたからね」

 立ち上がったハン先生の言葉に、レイは目を輝かせた。

「じゃあ後でモルトナの工房へ行ってみます」

「マイリーの体調も落ち着いていますし、そろそろ退院できるでしょうからね」

 ハン先生のその言葉に、すっかり嬉しくなるレイだった。




 一旦部屋に戻って荷物を置いたレイは、ラスティに言ってモルトナの工房へ一人で向かった。今日はルークはヴィゴと一緒に一日中城で会議があるらしい。

「ご苦労様だね。でも、会議って何をするんだろう?」

 顔の周りを飛び回るシルフに話し掛けながらモルトナの工房に到着したら、廊下にいたドワーフが彼に気付いて扉を開けてくれた。

「ありがとうございます」

 ちゃんとお礼を言ってから工房に入る。

 入った正面の壁側に、足に革製の鎧のような装備が装着された三体の人形が並んでいた。

 どの装備も、革部分とミスリルの部分に、つながるように細やかな蔓草模様が刻印されている。繊細な模様のおかげで、鎧のような威圧感は無く、身体に沿った形な事もあり、それ程不自然さも感じられなかった。

「すごい! もう出来上がったんですか?」

 人形に駆け寄って目を輝かせるレイに気付いたモルトナが、立ち上がって側に来てくれた。

「はい、ようやく満足のいくものが仕上がりました。バルテンの技術は凄かったようですよ。ロッカの工房の若い職人達が、ブレンウッドの工房に勉強の為に交換留学をする話がまとまったそうですからね。もちろん、ここの工房からも職人を行かせますよ」

「交換留学?」

 意味が分からず首をかしげるレイに、モルトナが詳しく説明をしてくれた。

「留学というのは、遠く離れた場所に一定期間住みながらそこで勉強する事を言います。交換留学とは、元いた場所に籍を残したまま、そのように遠方に行ってそこに住み、一定期間勉学に励む事を言います。勉強の期間が終われば交換留学生は、また元の職場や学校に戻るんですよ」

「バルテンの工房にも、若い職人さんが沢山いたよ。殆どがドワーフだったけど人間も何人かいたね」

 ブレンウッドの工房を思い出して、レイはそう言った。でも、どちらかというと人間は、ドワーフと組んで助手のような仕事をしていた感じがした。

「金属を加工する技術は正直言って、総じてドワーフの方が上ですね。革は、個人的にはそれ程差は無いと思うんですけれど、何故なんでしょうね……?」

 首を傾げながらそう呟くモルトナに、レイは頷きながらギードから聞いた話を思い出していた。

「それって多分、金属の加工には火の精霊魔法を使えないといけないからじゃ無いかな? 以前ギードから聞いたけど、特にミスリルは、上位の火の精霊魔法を使える事が必須だって言ってたよ」

「ああ、成る程そういう事ですか。それなら納得です。革は手先の技術がものを言いますから、人間でもドワーフでもする事にそう変わりは無いんですよね。ですが、精霊魔法を使える人間は、殆どが第四部隊や神殿に確保されてしまいますから、技術系の人間で精霊魔法を使えるって話は殆ど聞いた事がありませんね」

 自身も精霊は全く見えないモルトナの言葉に、レイは妙に納得して小さく笑った。

「でも、それじゃあ純粋な技術だけで、これを作っちゃった訳でしょ。僕には、そっちの方がずっと凄い事に思えるけどなぁ」

 人形が装着している見事な細工の施された革を見ながら、レイはそう言って笑った。

「そう言って頂けたら、苦労した甲斐があります。ありがとうございます」

「僕の鞘も、すごく綺麗に作ってくれてありがとうございます。これ、お気に入りだよ」

 レイの言葉に、モルトナも嬉しそうに笑った。

「今日は、久し振りに自室のベッドで安心してぐっすり眠れそうです。でも、これが終わったら予定していた仕事が山程残っていますよ。春の閲兵式の為の準備も、そろそろ始めないといけませんからね」

「凄いや。お仕事いっぱいだね」

 レイの言葉に、モルトナも笑って頷いている。

「でも、やる事が無いよりずっと良いですよ。私は、物を作っている時が一番幸せですからね」

「好きな事してる時が一番幸せだよね」

 満面の笑みでそう言うレイに、周りにいた者達まで皆笑顔になった。




「こんにちは。お邪魔します」

 ロッカの工房にも顔を出したレイは、ロッカとバルテンが工房にいない事に気付いて、側にいたドワーフに話し掛けた。

「えっと、バルテンとロッカは忙しいですか?」

 顔を上げたドワーフは、レイに気づくと慌てて立ち上がった。

「ああ、お仕事の邪魔してごめんなさい! 構わないからお仕事続けてくださいね」

 慌ててそう言うレイに、そのドワーフは笑って首を振った。

「いえ、今は大した事はしておりませんからお気遣い無く。班長とバルテン殿は、炉の方に行かれて、若い職人達にミスリルの扱いを教えておられます。どうぞこちらへ」

 奥の部屋から、ずっと甲高い金属音が聞こえていて、実はずっと気になっていたのだ。

「良いの? お邪魔じゃ無い?」

 心配そうにそう言ったが、笑って気にしないように言われて案内してくれた。




 薄暗い部屋の中には、何匹もの火蜥蜴が走り回っている。ここだけ季節が真夏になったかのように、室内の温度が高い。思わず上着を脱ごうとしたが、剣帯がある事に気付いて脱ぐのを諦めたレイだった。

 部屋にいる多くの火蜥蜴は、奥にある小さな炉の周りで並んでは息を吐き、また走り回っている。

「シルフ、風をくれ」

 バルテンの声が聞こえて、その後、周りで見学しているドワーフ達からため息のような声が漏れた。

 硬質でリズミカルな金属音がずっと続いている。

「この時に、絶対に温度を下げないように手早く行う事。火蜥蜴を使って常に一定温度に保たないと、この後の細工の際に厚みにムラが生じてしまいます」

「竜騎士様の鎧を作っていた時は、時間との勝負だったから殆ど落ち着いて見ていられなかったんですよ。街のドワーフギルドからも大勢の職人が来ていましたから、ここの工房も人であふれていましたからね」

「全くだ。これほどの技術を間近で見せて頂けるとは、本当に有難い事です」

 目を輝かせる職人達を見てレイも嬉しくなり、そっと近くに行って隙間からバルテンの手元を見た。

 座っているバルテンの前には、大きな金床かなどこが置かれ、その上に見覚えのあるミスリルの輝きを持った小さな塊が乗せられて、まさに鍛錬の真っ最中だった。

 バルテンの向かいに立ったロッカともう一人、年配のドワーフの三人が息を合わせて大きな金槌を振るっていた。

 力一杯打たれる度に飛び散るミスリルの火花の美しさに、レイは声も無く見惚れた。



 手際良く伸ばしては折り畳まれるミスリルを四角い形にしたバルテンは、また炉の中にそれを入れて火蜥蜴に指示を出している。

 金槌を立てて一息ついていたロッカが、隙間から身を乗り出して覗き込むレイに気が付いた。

「おや、レイルズ様ではありませんか。如何なさいましたか?」

「ああ、ごめんなさい。気にせずお仕事してください」

 慌てて手を振るレイルズに、周りにいた者達が場所を開けて近くで見られるようにしてくれた。

「ありがとう。僕、以前住んでいた村にいた鍛冶屋のエドガーさんが、包丁を作ってるのを見るのが好きだったの。真っ赤になった鉄を打つ時に火花が飛び散るでしょう。あれを見るのが好きで、いつも見ていたんだよ。でも危ないからって工房の中には入れてもらえなくて、扉の隙間から見てたの。こんなに近くで見るのは初めてだよ」

 驚く周りの者達とは違い、エドガーを知っているバルテンは苦い顔をした。

「なら、もっと近くで見ていなされ。それとは少し違いますが、今からこれを薄く伸ばしますぞ」

 目を見張るレイに、三人は先ほどよりもさらに大きな金槌を手にした。

「それでは始めますか」

 バルテンの言葉に、ロッカが先程とは違い両手で持った金槌を大きく振り上げた。甲高い金属音が響き、またミスリルの火花が辺りに飛び散った。

 三人が順に見事な連携で打ち込む金槌の音が、延々と静まり返った工房に響く。

 やがて倍以上の大きさに伸ばされたミスリルに、まだバルテンは火蜥蜴に熱を何度も加えさせては叩く事を繰り返した。

 三人が金槌を降ろす頃には、金床一面に広がる、見事なミスリルの薄い板が出来上がっていた。

「凄く薄くなったね。これは何に使うの?」

 覗き込むレイルズに、ロッカがレイの腰にあるミスリルの剣を指した。

「その鞘に使われているように、革や別の金属の補強に使う物です。これを専用の道具で切り出して、更に伸ばして立体に加工して細工を施すんですよ」

「すごい! 僕には絶対無理だよ」

 無邪気に笑ってバルテン達を尊敬の眼差しで見るレイルズに、工房にいた全員が感動していた。

 いつの間にか、レイの指輪から出て来た知識の精霊達が、レイの頭に座って、バルテン達の作業の一部始終を見つめていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る