それぞれの日々と偽りの病

 翌日、しばらく朝練は休む様に言われて久しぶりにゆっくり休んだレイは、朝食の後、いつもの精霊魔法訓練所へ護衛の兵士と一緒に向かった。

 ただ、ラプトルに乗る時に、昨日ヴィゴに打たれた脇腹が痛んでしまい、護衛の兵士に心配されてしまった。

「どうか無理をなさいません様に。痛みがある様なら、訓練所はお休みなさっても良いのですよ」

「大丈夫です。ハン先生に見てもらって、骨には異常は無いって言われたから、打ち身だけだもん」

 照れた様にそう言って笑うと、ちょっと気をつけてゆっくりとラプトルに跨った。

「ほら、大丈夫だもんね」

 鞍上で得意げに胸を張る彼を見て護衛の兵士は納得した様に笑い、自分も一気にラプトルに飛び乗った。




「え? お休みなんだ」

 丁度、廊下でマークと会ったので一緒に図書館へ向かっていたが、途中で合流したキムからテシオスがしばらく休むらしいと聞かされた。

「今日は、魔法陣の講習が入っていたらしいんだけど、何でも、体調を崩して熱を出して寝込んでるらしい。しばらく休むみたいだって、教授が言ってたよ」

「一昨日は元気そうだったのにな」

 マークもそう言って心配そうにしている。

「あれ、一昨日って事は、昨日もお休みだったの?」

 自分も来ていなかったレイは、思わずそう言って二人を見た。

「ああ、そうらしいぞ。俺達も昨日は部隊の方で仕事があったから、ここには来ていないよ」

 答えたマークと顔を見合わせてしまったが、隣のキムは笑っていた。

「まあ、あんなのでも一応は侯爵様のご子息なんだからさ、きっと専任の医者が付いて、ちゃんと診てくれてるよ。俺達が心配する事なんて無いって」

「そうだな。きっとすぐに元気になって来てるよ」

 マークの言葉に、レイも笑って大きく頷いた。

「風邪か。久しくひいてないな」

 大真面目にそう言うキムに、マークまで一緒になって大真面目な顔で頷くものだから、図書館の扉を開けながら、レイは笑い声を堪えるのに苦労していた。




 いつものように自習室を借りて、各自が勉強をする為の何冊もの本を取って来て机に積み上げている時、不意に脇腹が痛んだレイは思わず声を上げてしまった。

「痛っ」

 積み損なった数冊の本が、音を立てて床に落ちる。

 少し屈んで脇腹を押さえる彼を見て、側にいたキムが慌てて覗き込んだ。本を持って来ていたマークも慌てて駆け寄る。

「おい、大丈夫か?」

「どうした、大丈夫か?」

 ため息を一つ吐いて顔を上げたレイは、心配そうな二人に照れたように笑った。

「ごめんね、大丈夫だよ。えっとね、昨日、剣術の訓練中にまともに脇腹に一発食らっちゃったの。もう本気で死んだかと思ったよ」

「それってもしかして……」

「うん、ヴィゴ……様に、手合わせしてもらったんだよ」

 慌てて様を付けて言った彼に、二人は心底羨ましそうに揃って声を上げた。

「良いなぁ。ヴィゴ様に直接教えていただけるなんて」

 マークがそう言ってレイの背中を叩き、キムはレイの頭を抱え込んで髪の毛をぐしゃぐしゃにした。

「お前。羨ましすぎるぞ!」

「ええ、何それ。僕だって直接手合わせしてもらったのって、昨日が初めてだったんだよ」

「それにしたって羨ましすぎる!」

 二人から真顔でそう言われてしまい、困ってしまうレイだった。

「まあ、重い物ぐらい言えば持ってやるから無理はするなよな。でも、剣術訓練での打ち身って事は木剣だろう? 骨を持っていかれなくて良かったな。まともに食らったらあばらなんか、すぐ折れるぞ」

 驚きに目を見張るレイに、二人は互いを見て頷き合っている。

「肋は痛いよな」

 キムの言葉に、マークも頷いている。

「うん、確かに痛かった。でも手や足と違って動けるもんだから、無理に動いて痛みに悶絶するんだよな」

「そうそう、妙に前屈みの姿勢悪い状態から立ち直れないんだよな」

「痛み止めは手放せなかったよなぁ」

 遠い目でそう話す二人に平気な顔をして聞いていたが、レイは内心でかなり怖がっていた。

 確かガンディから、竜騎士は、竜射線の影響で薬が効かないと教えられた事も思い出し、絶対に怪我には気をつけようと、密かに心に誓うのだった。

 午前中いっぱい自習室で勉強をして、昼食の後は、二人はそれぞれ振り分けられた教室へ向かい、キムはまた自分の研究の為に自習室へ戻って行った。

「二人のお目付役のお陰で、自分の研究する時間が貰えるのはありがたい事だよな」

 小さく呟いて、論文を書くための資料集めに向かった。






「いや、実に見事だったよ。城はあの伸びる革の話題で持ちきりだ。これで仕込みは完璧だね」

 アルス皇子の嬉しそうな言葉に、バルテンは深々と頭を下げた。

「大した事は致しておりませんが、お役に立てたのなら宜しゅうございました。それでは、私はモルトナの工房へ顔を出して参ります」

 そう言って改めて一礼すると、バルテンは案内役の者と一緒に休憩室を出て行った。

「心配しておりましたが、何とかなりそうですな」

 ヴィゴの言葉に、皇子は嬉しそうに頷いた。

「昨日、モルトナから決定した図案を見せてもらった。見事だったよ。早く、あれを装着して元気に歩くマイリーを見てみたいものだ」

「身体を鍛える訓練は、頑張ってくれていてかなりの効果も出ているようだし、何とかこれで上手くいきそうで良かったですね」

「一つ肩の荷が降りたよ。とは言え、不自由な身体に変わりはない。あまり無理はさせられないからね。二人共、改めてよろしく頼むよ。未熟な私を支えてくれ」

 改まった皇子の言葉に、ヴィゴとルークは姿勢を正し、二人揃って跪いて深々と頭を下げた。

「どうぞ、我らを殿下の剣として存分に振るわれますように。なに、簡単に折れるような鍛え方はしておりませぬぞ」

 顔を上げた自信ありげなヴィゴの言葉に、皇子も大きく頷くのだった。






「いや待て、こっちはどこに繋がるのだ?」

「このパーツです。もう少し切り口を削ってください。これでは取り付けた時に段差が出来てしまう」

「了解だ。ではもう少し削ろう」

「班長、革の細工はこれで宜しいですか?」

「ああ、これで良いがここにもう少し細かく入れてくれ。あとはオイルを塗り込む班に任せてくれれば良い」

 バルテンが入った工房は、さながら戦場のような様相を呈していた。

 革に熱を掛けて形成している者。木槌を手に、革に細かな細工を打ち込んでいる者。別の机では、出来上がった革に、オイルを塗り込んでいる者もいた。

「おお、上手くいっとるようだな」

 バルテンの声に、モルトナが振り返った。

「バルテン殿! いつ此方に?」

 駆け寄って手を握り合った二人は、再会を喜びあった。

「バルテン? あの、伸びる革を作られたブレンウッドのギルドマスターだろう?」

「え? どうしてオルダムにいるんだ?」

 驚く職人達に、バルテンは手短にここに来た経緯を説明した。

 皆、一瞬無言になった後、納得したようにあちこちで頷き合い、感心する声が聞こえた。

「それはご苦労様でした。遠いところをようこそお越しくださいました。ここが竜騎士隊付きの革工房です。どうぞ好きにご覧ください」

 モルトナの言葉に、バルテンも嬉しそうに頷いた。

「それで、もしや今作っておられるのは、マイリー様の補助具の上から取り付けると言う、革製の覆いですか?」

「そうです、どうぞ此方へ。これが決定案の設計図です。如何ですか?」

 バルテンは、モルトナから手渡された数枚の図面を、真剣な目で見つめている。

「成る程、確かにこれは良い考えだ。補助具を装着している事は一目瞭然だが、重要な部分はきちんと保護され隠されておる。見た目にも違和感が無いように出来ておるな。素晴らしい。さすがだ」

 図面を返しながら、工房を見回した。

「それで、どこを手伝えば宜しいですかな?」

 目を輝かせるバルテンに、モルトナは首を振った。

「それならば、ロッカのところに行ってやってくださいませんか。バルテンはミスリルを扱えると聞きました。これらのパーツに、補強の意味もあって各部分にミスリルで細工をするのですが、重量を出来る限り抑える為に、ミスリルを極力薄くのばす必要があるのです。ですが、どうにも難儀しているようなのです」

 工房をもう一度見渡したバルテンは、納得したように頷いた。

「了解致しました。ならば、そちらに参りましょう」

 そう言って一礼すると、改めて案内の者と一緒にロッカの工房へ向かった。






 テシオスは、目が覚めた時感じた痛みと怠さに、無意識に枕にしがみついて唸り声を上げた。

 誰かが自分の名を呼んでいる声が聞こえるが、酷い頭痛がしてまともに考えられない。何度も背中を撫でられて抱えられて上向けに寝かされる。嫌がって頭を振ったが、額に冷たい布を当てられて、あまりの気持ち良さにまた声を上げた。

「坊っちゃま、しっかりしてください……」

 遠くで爺の声が聞こえる。何か言おうと思ったが、しかし、すぐに聞こえなくなってしまった。



 不意に意識が鮮明になる。また、誰か別の声が自分を呼んでいる。

 しかし、更に頭痛が酷くなり、気分も悪くなってきて吐きそうになって動こうとしたが、身体が全く動かなかった。

 またぼんやりする意識の中で、ベッドの横に誰かが立っているのに気が付いた。

 助けを求めようとして少しだけ無理して目を開いた時、見えたその光景にテシオスは悲鳴を上げた。上げたつもりだった。

 そこに立っていたのはモルトバールだったが、モルトバールでは無い何かだった。

 その人は、まるで死人のような土気色の顔色をしていて、目には全く生気が無かった。そして、彼の周りには真っ黒な影が取り囲み、まるで生きているかのように渦を巻いていたのだ。

「な……なんだよ……これ……」

 なんとか絞り出すような声でそう呟くと、突然、そいつはカッと目を見開いた。

 しかし、そこにあったのはひたすらに真っ黒な闇で、そこにある筈の、モルトバールの茶色の瞳はどこにも無かったのだ。

 もう一度悲鳴を上げようとした時、真っ黒な影が一斉に襲い掛かって来た。

 開いた自分の口にその影が殺到する。

 自分の口の中にその真っ黒な影が飛び込んでいくのを、抵抗する事も出来ずにただ見ていた。

 そのまま身体が氷のように冷え切っていく、音が遠くなりもう何も考えられなくなって、テシオスはそのまま意識を失ってしまった。

 ベッドに横たわるテシオスの胸の上には、初めてモルトバールと会った時に見た、あの真っ黒な精霊が立っていた。

「目を覚まされてどうなるかと思ったが、上手くいったな。これでもうこいつの意識は完全に掌握した。さてと、次の罠は魔法陣の講習が全て終わってからだな。それまでせいぜい良い子で日々の生活を楽しんでおけ。罠が発動する時、こいつが最初のにえになるのだからな」

 嘲るようにそう言うと、その真っ黒な精霊は差し出されたモルトバールの掌に乗り、そのまま身体の中に染み込むようにしていなくなった。

 顔を上げたモルトバールは、もう顔色も普通に戻っているし、あの黒い影はどこにもいなかった。右手を上げて指を鳴らすと、それに応じるように何かが割れるような音が響く。

 にんまりと笑ったモルトバールは、ベッドの横に置かれた椅子に座ると、テシオスの額に乗せられた布を取り、机に置いてあった冷たい水と氷の入った桶に躊躇うことなく手を入れて布を絞り、また彼の額の上にそっと戻した。

 ノックの音がして、交代の為の執事が水と氷の入った新しい桶を持って来るまで、彼は、何度も同じようにしてテシオスの額を懸命に冷やし続けていた。

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