緑の跳ね馬亭での一夜
日の暮れた街の中を、四人の乗ったラプトルは、前回と同じように街の中をゆっくりと進んで緑の跳ね馬亭に向かっていた。
前回と違うのは、レイの乗っているラプトルがポリーでは無い事と、彼の着ている服が第二部隊の兵士の服な事であった。
なんとなく皆無言だったが、レイは何度も顔を上げては三人の顔を見て、その度に嬉しそうに笑っていた。
ようやく緑の跳ね馬亭に到着した一行は、表で待っていてくれたクルトにラプトルを預けて、前回泊まったのと同じ豪華な部屋に通された。
「それではごゆっくり。夕食はまだなのか? そうか、それなら落ち着いたら下の食堂へどうぞ」
部屋に案内してくれたバルナルに礼を言って、何と無く四人はそのまま居間のソファーに座った。
「またここか。まあ良いか。滅多に無い機会だしな」
天井を見回して小さな声で呟くニコスに、ギードが同じく小さな声で話しかけた。
「そうじゃぞ。貴重な、レイとゆっくり話せる時間なんじゃ。金ならあるから心配するな」
「確かにそうだな。前回は誰かさんが酔っ払ったせいで殆ど何も出来なかったしな」
「そうですね。前回が最初で最後だと思っていた、四人でゆっくりできる貴重な時間なんですから、大事にしましょう」
タキスの言葉に、二人も嬉しそうに頷いた。
持って来た水筒から、カナエ草のお茶を飲みながら、レイは不意に思い出して慌てた。
「ああ! 大変だ! 僕、泊まるなんて思っていなかったから、カナエ草のお茶とお薬を持って来ていない!」
「何ですって! レイ、それは絶対にいけませんよ!」
思わず叫んだタキスと目があったが、彼は縋るようなレイの視線に首を振った。
「ここが蒼の森なら上の草原で摘んで来て一日分くらいならすぐに作ってあげますけれど、さすがに街の中ではカナエ草自体手に入りませんね。困りましたね……仕方ありません。ルーク様に連絡して、取りに行きましょう。これは無いでは済まされませんから」
「のど飴ならあるんだけどなぁ」
剣帯のベルトに付けた缶を撫でながら、情けない声でレイが呟いた。
「シルフ、申し訳ありませんがルーク様に連絡をお願いします。レイが、今夜と明日の朝の分の、カナエ草のお茶とお薬を持って来ていない事を伝えてください」
頷いたシルフが顔を上げてタキスを見る。しばらくの沈黙の後に口を開いた。
『ルークですウォーレンに確認したら』
『彼に予備の薬を持たせていないと聞きました』
『なので既に使いの者にお茶と薬を持って行かせています』
『間も無くそちらに到着すると思いますので』
『受け取ってください』
「ありがとうルーク。僕、取りに戻るつもりだったのに」
申し訳無さそうなレイの言葉に、シルフは首を振った。
『せっかくの貴重な時間なんだから』
『せいぜい甘えて来いよな』
『それじゃあまた明日おやすみ』
「はい、ありがとうございました!おやすみルーク」
レイの元気な返事に笑ったシルフは、手を振ってくるりと回っていなくなった。
四人はそれぞれが、安心したようなため息をついて立ち上がった。
「それでは、先に食事にするか」
ギードの言葉にレイも頷いて、階下の食堂に向かった。
レイとタキスとニコスの三人は、挽肉の団子にキノコとくるみのソースがかかった季節の一品を頼み、ギードは分厚い薫製肉の焼いたものを頼んだ。付け合わせは潰した芋のサラダと目玉焼き、茹でた野菜のサラダとスープも付いている。
それぞれの目の前に出された豪華な夕食に、精霊王にお祈りをしてから食べ始めた。
「相変わらず、ここの飯は美味いのう。ニコスと良い勝負じゃわい」
薫製肉を大きく切って口に入れたギードは、味わって飲み込んでから顔を上げて厨房の方を見た。ニコスも、ギードの言葉に食べながら頷いている。
「エルミーナ! 変わらずお前さんの作る料理は美味いですな!」
厨房にいる、白髪の女性に声を掛ける。顔を上げた彼女は笑って手を振り返してくれた。
「いつもありがとうねギード。あんたも変わらず元気だね。しっかり食べて帰るんだよ。うちへ来て空腹で帰るなんて事、あたしゃ許しゃしないからね!」
「いつもすっごく美味しいです!」
隣で、レイも嬉しそうにそう叫んだ。
「ありがとうね。若い子もしっかりお食べよ!」
「はい! いっぱい食べてます!」
その答えに、レイのいるテーブルの周りでも笑い声が上がった。
「料理上手のエルミーナに乾杯だ!」
「全くだよ。俺達の胃袋、完全に掴まれてるもんな!」
「俺達の、料理上手な女神に乾杯!」
陽気な酔っ払い達がそう言って笑い合い、あちこちで乾杯の声と酒を追加する声が聞こえた。
「皆、楽しそうだね」
前回の失敗を教訓に、レイの前にはキリルのジュースが置かれている。でもワインを頼んでいる他の三人と同じグラスなので、見た目では分からない。
「俺達も乾杯だ!」
ニコスの声に、レイも笑ってグラスを上げるのだった。
お腹も一杯になり、食後のお茶を頂いてる時、第二部隊の軍服を着た二人の兵士が食堂に入って来た。
彼らは中を見回して、レイに気付くとそっと近寄って来た。
扉側を向いていたタキスが、それに気付いてレイに合図する。
「あ、ありがとうございます」
振り返って慌てて立ち上がって、手渡された包みを受け取った。
荷物を持って来てくれたのは、今朝、朝練で乱打戦の時に相手をしてくれた兵士達だった。
「あ、今朝はありがとうございました。またよろしくお願いしますね」
思わず、そう言って笑ったレイに、二人も嬉しそうに頷いた。
「いえ、こちらこそ良い経験をさせて頂きました。またいつなりと喜んでお相手致しますので、その際は、どうぞよろしくお願いいたします!」
そう言って、二人は揃って直立して敬礼すると、タキス達に一礼してそのまま出て行ってしまった。
「今朝、棒術の訓練で、あと三人と一緒に合計六人で乱打戦をさせてもらったの。ちょっと怖かったけど、すごく面白かった。全員と打ち合えたよ」
座ったレイがそう言うのを聞いて、ニコスは感心したように呟いた。
「そうか。もう一般兵と乱打戦が出来るぐらいにまで腕を上げてるのか。すごいな。きっと、あっという間に俺なんか相手も出来なくなるだろうな」
包みを開いて、中を確認して薬を取り出すレイを見つめているニコスは、感心している口調とは裏腹に、少し寂しそうだった。
そんなニコスの様子に気付かずに、顔を上げたレイは包みの中を見せた。
「ほら。包みが大きいから変だと思ったら、薬とお茶だけじゃ無くて、蜂蜜の瓶と着替えも持って来てくれてるや」
照れたように笑うレイに、ニコスは頷いた。
「さすがですね。良かったですね。これで寝る前に湯を使えますよ」
部屋に戻った四人だったが、誰もベッドルームには行かずそのまま居間のソファーに座った。
三人は用意してもらっていた酒を飲み、レイは自分で新しく入れたカナエ草のお茶を飲みながら話をする事にした。
「レイ、よく似合ってるけど、その軍服が竜騎士様の着る制服なのか?」
ニコスの言葉に、レイは首を振った。
「違うよ。これは第二部隊の兵隊さんが着る服。えっと、僕は普段は竜騎士見習いの制服か、貴族の若い人が着る騎士見習いの服を着てるんだよ。竜騎士隊の本部にいる時とか、お城に他の竜騎士隊の人と一緒に行く時は、竜騎士見習いの服で、一人で精霊魔法訓練所に行く時は、騎士見習いの服を着ているの」
それを聞いて、何と無く事情を察知したニコスは、念の為確認した。
「つまり、その精霊魔法訓練所? そこに行っている時は、レイは竜騎士見習いじゃ無くて、
「そうだよ。そこは身分を問わず、誰でも平等に精霊魔法を習えるんだ。すごいでしょ! それに、図書室や教室にある本は、全部精霊魔法に関する本なんだよ。それを全部好きなだけいつでも読めるの」
隣にいるニコスに向かって、目を輝かせて話すレイは、本当に楽しそうだ。
「そうか。まずはその辺りを詳しく教えてもらおうかの。友達は出来たのか?」
ギードの声に、レイは大きく頷いた。
「うん、地方の農家出身の第四部隊のマークって人とキムって人と友達になったよ。マークは、春から訓練所に通ってるんだって。それで、精霊魔法がうまく出来なかったらしいの。でもね、光の精霊魔法は出来るのに、カマイタチやカッターが出来なかったんだって。変でしょう?」
それを聞いた三人は目を瞬いて顔を見合わせた。
「光の精霊魔法を使えて、カマイタチやカッターが出来ない? あり得んだろう?」
ニコスもそう言って首を傾げている。
「水を出したり、風を起こしたりするのは出来るんだよ。だから、ヴィゴが秋から先生役で訓練所に行って個人授業で教えていたんだって」
「光の精霊魔法を使える人間は本当に貴重だからな。そりゃあ先生方も必死になるだろうな。それで、出来たのか?」
「うん、僕が初めて訓練所に行った時、ヴィゴがマークの授業の日だからって言ってくれて、一緒にお勉強したの。それで、魔法の訓練用の教室に先に二人で行って待ってる時に、カマイタチやカッターが出来ないって話を聞いて、僕と同じだって思ったんだ」
「そうでしたね。貴方も最初の頃、カマイタチやカッターが出来ませんでしたよね」
「そうだったな。でも出来るようになったじゃないか?」
タキスとニコスの言葉に、レイは頷いて自分が考えた解決方法を説明した。
「麦刈り! 成る程な、確かにぴったりの表現かも知れないな。それで、そのマークって人も出来たわけだな」
「うん、凄かったんだよ。いきなりすごいカマイタチが出て、訓練教室の壁にものすごく大きな音がしてヒビが入ったの。先生達が血相変えてすっ飛んで来たよ」
笑っているレイの言葉を聞いて、三人は呆気にとられた。
「訓練所って事は、普通は精霊の守護を掛けてあるから、そう簡単にはヒビなど入らない筈だぞ?」
「そうですよ。かなりの上位の守護の術が掛けてある筈です。それをぶち破った?」
「さすがは光の精霊の使い手じゃな。大したもんだ」
三人が、半ば呆れたように感心するのを、レイは嬉しそうに見ていた。
「それから、一緒に授業を受けてるの。食事も一緒に食べることが多いよ。図書室ではお勧めの本を教えてくれたりもしてくれるよ。あ、キムは訓練所の生徒じゃ無くて研究生なんだって」
レイが、楽しそうに次々と話すオルダムでの生活を、三人は聞き漏らすまいと何度も頷きながら耳を傾けていた。
「キムはね、個人の研究の為に自分でお金を払って通ってるんだって。えっと……精霊魔法の合成と……はつどーの確率について研究してるんだって。何の事か分かる?」
「それは、精霊魔法の合成と発動の確率について、ですね。素晴らしい研究ですよ。まだ確立されていない理論ですが、充分に研究の価値のある分野です」
目を輝かせるタキスとニコスを見て、レイは感心したように笑った。
「やっぱりタキスとニコスには分かるんだ。僕とマークには何の事だかさっぱり分からなくて、首を傾げたら笑われたの」
何となくその光景が思い浮かべてしまい、三人は小さく吹き出した。
「それでその後ね……」
しかし、突然レイが口籠った。
「どうした?」
ニコスが心配そうに覗き込んだが、レイは情けなさそうな顔をして三人を見た。
「実はその日……僕、生まれて初めて喧嘩しました」
驚いた三人だったが、蒼竜様から問題児と喧嘩したと聞いていたのを思い出し、とにかく話を聞く事にした。
レイは戸惑っていたが、しばらくすると詳しく話してくれた。
「椅子に座っていたキムを突き飛ばして、お茶を飲み掛けていた、マークのコップを叩き落としてびしょ濡れにした?」
ニコスが、話を聞いて驚いて聞き返した。頷くレイを見て唸り声を上げる。
「それは、怒って正解ですよ。と言うか、絶対に怒ってください。他人に対するそんな失礼な態度、到底許せるのもでは無いでしょうに」
「しかしまあ……元老院の議長の侯爵の息子なら、まあその態度も分かる気もするな。自分以外は全員ゴミだと思っているだろうからな」
自分の事のように怒るタキスとは違い、貴族達の事情を分かっているニコスは、別の意味で感心していた。
ギードもまた、別の意味で知ってる貴族の傲慢さを思い出して、無言で顔をしかめていた。
「それで、謝ったのか? そいつは」
ニコスの質問に、レイは首を振った。
「覚えてろよ!って言って逃げて行った。でもその後すぐに、ブレンウッドから連絡が来て、次の日にここに来たから、実はまだ二日しか経ってないの。帰ったらどうなってるんだろう。やっぱり叱られるかな?」
「ヴィゴ様は何か言っておられましたか? ルーク様は?」
「帰ってラスティに全部話したよ。後の事は任せろって言って褒めてくれた。騎士として正しい行動を取ったって。えっと、そのあとヴィゴやルークからは特に何も言われてないよ。でも、まだ聞いてないのかもね」
困ったように笑ったレイだったが、三人はその答えに満足していた。
彼らは、レイに対して一方的に叱るのではなく、黙って見守ってくれている。
しかし、裏では恐らくすぐにその侯爵本人と連絡を取っているだろう。その上で、ここに来させているという事は、しばらく時間をおいて、お互いに落ち着かせる意味もあるのだろう。
「まあ、帰ったら何か言われるかもな。でも、お前がした事は何も間違っておらんぞ。それは我らが保証してやる。謝る必要など有りはせんわい」
ギードにそう言って肩を叩かれて、レイも嬉しそうに頷いた。
「うん、僕も間違ってなかったと思ってるよ。帰ったら、ヴィゴに聞いてみるね」
そう言って、カナエ草のお茶を飲み干したレイは、小さな欠伸をした。
「ふわあ……ちょっと眠くなってきたかも」
目をこするレイに、タキスは立ち上がって手を取った。
「そんな風に強くこすったら赤くなりますよ。じゃあ、もうそろそろ休みましょう。明日は少しはゆっくり休めそうですね」
「そうじゃな、特に買い物も無いし、まあゆっくりさせてもらうとしよう」
ギードも立ち上がって大きく伸びをした。
「それじゃあ、おやすみなさい。貴方に蒼竜様の守りがありますように」
「おやすみなさい。タキスにも、ブルーの守りがありますように」
額にキスされて、嬉しそうに笑ったレイはタキスの頬にキスを返した。それから順番に二人にも挨拶をしてから自分の部屋に入って行った。
部屋に戻ったレイを見送った三人は、苦笑いして互いに顔を見合わせた。
「まあ、早速色々とやらかしておるようじゃな。これから先、どうなるのか楽しみじゃな……」
「そうだな。でも、レイは竜騎士様方を始め、周りには恵まれているようだな。安心して送り出せるよ」
「ええ、皆様。本当に良い方ばかりでしたよ……」
込み上げてくるものを隠すように、それぞれに閉まった扉を見つめてそう言うのだった。
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