試作品とポリーの事

 緑の跳ね馬亭で美味しいお茶とお菓子を頂いた一同は、揃ってドワーフギルドに向かっていた。

「あ、旧市街の精霊王の神殿にも行こうと思っていたのに、ドワーフギルドに戻るともう暗くなっちゃうね」

 残念そうなレイの声に、ルークが振り返った。

「それなら、明日にでも行ってみるか? 確か、同じ敷地内に女神オフィーリアの神殿があって、そこにもエイベル様の全身像が祀られている筈なんだ。せっかくブレンウッドまで来ているんだから、ご挨拶しておきたい。ああ……でもそうなると、正式に行く事になるから、勝手に俺達だけで行くのは不味いか」

 最後は小さく言って考え込んだ。

「どうしたの? 勝手に行くのは不味いって、どうして?」

「まあ、大人の事情なんだけどな。詳しい事は戻ったら教えてやるよ」

 そう言って肩を竦めるルークをニコスは無言で見つめていた。




 そんな話をするうちにドワーフギルドに到着した一行は、ラプトルを預けてバルテンのところに向かった。

 案内役の女性と一緒に出てきたリッキーと共に向かった先は、先程も来た、地下にある大きな工房だった。

 机の上には、革のベルトとあの伸びる革が山のように積み上げられている。しかも、よく見ると革同士はあちこちで繋がれて立体的で複雑な形をしていた。

 部屋の奥には、木で出来た人形が何体も並んでいるが、これは衣装部屋などで見た事のある、服を着せる為の代理人形だ。

 どの人形にも、左足に形の違う革のベルトを巻き付けている。

「ええ、もう試作が出来たのか?」

「凄い凄い! どうなってるのこれ?」

 思わず叫んだルークとレイだったが、ガンディを始め、そこにいる職人達は誰も笑っていない。そして、声が聞こえているにも関わらず、誰もこちらを見ようとしなかった。

「……どうやら、上手くいってないみたいだな」

 小さな声でルークがそう言い、レイも小さく頷いた。



「ようやく戻ってきたな。おかえり。無事に行き逢えたようでなによりだ。しかし、こちらは行き詰まっておるところだ」

 その時、困ったような声で、ガンディがそう言って振り返った。

「見た所良さそうに見えますけど、何が問題なんですか?」

 ルークの言葉に、バルテンが首を振った。

「立ち上がらせる事は出来ました。ですが、聞けばマイリー様は今でも立ち上がる事は出来るとの事、ですからこれは意味がありません。歩こうとしても、まず足そのものが前に出ないのです。前に出せれば、伸びる革の伸縮運動で動かせる筈なのですが、その第一歩が出ないのです」

 車椅子に座った体験役で呼ばれたリーザンは、自分の足にまだ装着されたままになっているベルトを見ながら悔しそうにそう呟いた。

「立ち上がる事が出来ただけでも、私にとっては途轍もなく嬉しい事なのですが、皆様が望んでおられるのはもっとその先なんですね。頑張って動かそうとしたんですが、左足が動いてくれないんです。残念です」

「それで、ギードの意見を聞きたいって言ってたんだね」

 ルークの言葉に、リーザンは申し訳なさそうに俯いてしまう。それぞれの口から、唸るようなため息が漏れる。

「えっと……マイリーの右足は普通に動くんだから、左足側で立って、まず一歩目は右足を出せば良いんじゃないの?そうすれば、勝手に二歩目は付いてくると思うんだけどな」

 人形の装着している試作品の革のベルトを引っ張りながら、レイは思わずそう呟いた。全くこういった事に知識の無いレイには、何故第一歩目がそんなに出来ないのか意味が分からなかった。

 だから、ただ何と無く自分が思った事を口にしただけだった。



 突然、室内が静まり返る。



「えっと……ごめんなさい。分からないのに変な事言いました」

 全員に見つめられて、レイは慌てて頭を下げて謝った。

 しかし、次の瞬間、全員が吹き出した。

「はあ、全くもってその通りじゃな。左足を動かす事ばかり考えて、右足の動きを失念しておったわい。なんて事だ。我らの頭は、揃いも揃って相当硬く硬直しとるな」

「いや全くだわい。ああ、我ながら情けない。子供でも分かる事を一日中考えておったとはな」

 バルテンの言葉に、モルトナとロッカも、まだ笑いながら半泣きになっていた。

「待ってください。もう一度やってみましょう!」

 車椅子のリーザンが、顔を上げて左右の手摺を掴んだ。

 慌ててモルトナが車椅子を動かないように押さえる。礼を言ったリーザンはゆっくりと立ち上がった。

「おお、本当に立てるんだ」

 ルークの声に、小さく頷くと両手を少し広げてバランスを取りながらゆっくりと右足を前に出した。ルークが横に立って、もしも倒れてもすぐに支えられるようにする。反対側にはモルトナが立った。

 一同が固唾を飲んで見守る中、そのまま左足が付いてくる。しかし、体より前には出せず、いわば直立した位置で足が止まってしまった。もう一歩右足を出し歩いてみるが、同じように左足は体より前には行かなかった。

 言ってみれば、怪我をした時などに片方の足を引きずって歩いているような感じだ。

「うむ……まず最初の一歩目は右足で問題無さそうじゃが、足が身体より前に出ないとこうなる訳か。これではちと不自由じゃな」

「そうですな。となると……やはり、左足を身体の前に出す方法を考えなければならず、って事は、振り出しに戻ったでは無いか!」

 ロッカの言葉に、全員が大きくため息を吐いた。そしてそれぞれが頭を抱えてしまう。

「いや、もう少し伸びる革を強くしてくだされ。そして、歩かれる際に腰から歩く感じで歩いてみてください」

 後ろで見ていたギードが、突然口を出した。

「革を強く? まあ、その試作もあるぞ」

「出来れば補助する伸びる革は、腿だけで無く腰まであった方が尚良いかと。つまりこう言う構造です」

 新しい紙に、ペンを持ったギードがいきなり図面を描き始める。モルトナとロッカ、バルテンの三人がそれを取り囲むようにしてギードの手元を見つめていた。

「だいたいこんなところか。伸びる革を取り付ける位置は?」

「この腰の部分に、ここからこう? いやこっちから引っ張るべきか?」

「どうであろう? こっちの方が引っ張るような気がするが……」

「いや待て。これはガンディ殿の意見を聞くべきだ」

 四人が一斉に顔を上げてガンディを見る。彼も急いで横から覗き込んだ。

「なるほど、腰骨の位置まで固定して動かす訳か。それならば確かに動かせそうだ。それならば、こことこちら、ここにも必要だな……」

 真剣な顔で話をしている専門家五人を、取り残された人達は呆気に取られて見つめていた。

「うん、ギードを連れて来て役に立ったみたいだな」

 ニコスの言葉に、全員が小さく笑いながら頷いた。



「夕食までまだ少し時間がありますので、あちらでお休みください。今、お茶のご用意を致します」

 リッキーに声を掛けられて、まだ話を続ける専門家達を置いて、一旦休憩する事にした。

「とは言っても、さっきお茶も飲んだところだしな。まあ、少しだけな」

 出されたカナエ草のお茶を飲みながら、ルークが苦笑いしている。

「僕なんて、ケーキ二個も食べちゃったし」

 レイも、出されたお茶を飲みながら笑った。

「お前はしっかり食べろよ。この育ち盛り」

 レイとルークは顔を見合わせて笑い合う。試作が上手くいきそうで彼らも安心した。



「ああ、そうだリッキー。今夜は、レイルズは彼らと一緒に外泊させるから」

 ルークの言葉に、ポットを置いたリッキーは頷いた。

「ご家族とですね。了解しました。報告しておきます。一泊でよろしいですか?」

「ああ、それで頼むよ」

 ルークの言葉を聞いて嬉しそうに頷いたレイは、慌てたようにタキスを振り返った。

「ねえ、家畜達やトケラ。それにポリーは? 全員出て来て大丈夫なの?」

 お茶を飲んでいたタキスが、カップを置いて顔を上げた。

「ええ、ブラウニー達が請け負ってくれましたから大丈夫ですよ。それに、ポリーは今年の冬の間は無理に動かさない方が良いですからね」

 その言葉に、レイは驚いて目を見開いた。

「え、ポリーがどうかしたの? 何かの病気? それとも怪我をしたの?」

 レイが、騎竜達を可愛がって一生懸命世話をしていたのを見ていたルークも、驚いてタキスを見ている。

「どうしたんですか? 怪我でもしましたか?」

 二人に見つめられて、タキスは慌てたように口を噤んだ。

「ああ……確定するまでは、秘密にしておこうと思っていたんですけれどね」

 困ったように笑ってレイを見た。

「おそらくポリーは今、卵をお腹の中に持っています。ブラウニー達によると、お相手は恐らくヤンだそうですよ。ベラは、今の所は兆候はありませんが、こちらもオットーとよく一緒にいますから期待していますよ。冬の間に卵を産んでくれたら、赤ちゃんが孵るのは春頃ですね」

「ええ見たい!ラプトルの赤ちゃんって、僕、見た事ないよ!」

 目を輝かせるレイに、ルークが笑っている。

「それなら、春になったらロディナの竜の保養所に連れて行ってやるよ。そりゃあ好きなだけラプトルやトリケラトプスの子供と遊べるぞ」

「行きます!」

 即答したレイに、その場にいた全員が吹き出した。

「そうか、楽しみにしてろ。言っておくけど、騎竜の子供ってものすごく人懐っこいからうっかり近寄ったら大変な事になるぞ。俺は最初、知らずにうっかり近寄って、揉みくちゃされた事があるぞ。皆、笑ってて誰も助けてくれないし」

 思い出して笑っているルークを見て、それからもう一度タキスを見た。

「確定したらって事は、まだ産んでないんだね?」

「ええ、ギードが、数日前からポリーの様子がおかしいと言い出してね。よく見ていたら、明らかに巣作りを始めていたんです。なので、いつもより多めに干し草を出してあげているんです。念の為、追加の干し草をもう少し作っているところですよ」

「そうなんだ、卵を産んだら教えてね」

 そう言って、残りのお茶を飲んでいたが、不意に気付いて顔を上げた。

「あれ? それじゃあ、冬の間に、もしも三人で出かける事があったあったら困るんじゃない?ベラとポリーが乗れないと、ギードが乗る騎竜がいなくなるよ」

「それもあって、ここに来たんじゃよ。ここならドワーフでも乗れる大柄のラプトルを何匹も所有しとるからな。一匹借りて帰るつもりだ」

 横から聞こえた声に、レイは目を輝かせて振り向いた。

「ギード。どうだった? 改良したベルトは上手くいったの?」

「今、協力して試作中じゃ。しかし、構造が複雑だから時間が掛かりそうなのでな。一旦、ワシらは帰らせてもらうとしよう」

「良いの?」

「まあ、あれほどの専門家が揃っておるのだ。一般人のワシなんぞが口出しするのは烏滸おこがましいわい」

「いや、我らが一日中掛かって出来なかった事を、其方達が来てくれたおかげで解決出来たのだからな。感謝しとるぞ」

 背後のガンディの言葉に、ギードは振り返って照れたように笑った。

「あの構造は、昔、オルベラートの鉱山跡に潜った時に出会った屍人ゾンビを思い出したからですわい。奴らは骨だけになってもガシガシ歩いて来おってな。そりゃあちょっとした悪夢だったぞ。それで、仲間達と足を狙って転がしてから精霊の炎で焼き払って殲滅したんじゃ。今思い出しても足が震えるわい」

 ルークは、前回の国境の戦いの時の屍人ゾンビを思い出して、うんざりした顔になった。ついでにタガルノとの交渉まで思い出してしまい、更に嫌になった。

「うう、確かにあれは思い出したくも無いな。まともにあれと地上で戦うのは……絶対に遠慮したい」

「それはもしや、蒼竜様が言っておられた、ガーゴイルやグレイウルフが現れた時でございますな」

「ええ、はっきり言って確かに悪夢そのものでしたよね……ああ、やめましょう!こんな気が滅入る話は!」

 ルークがそう叫んでカップに残ったお茶を飲んだ。



「それじゃあ、俺達は宿に戻るとするか」

 ニコスも残りのお茶を飲んでそう言った。

「えっと、ルークは駐屯地まで帰るんだよね?」

「ああ、俺はリッキーと一緒に帰るよ。それで、明日の予定は?」

 タキスとニコスは思わず顔を見合わせて首を振った。

「いえ、もう用事は全てすみましたし、レイにも逢えましたからね。あとは言ったように、ここでラプトルを一匹借りて帰るだけです」

「それなら、午前中はゆっくりしてください。昼ぐらいに俺がそちらの宿に行きますから、一緒に昼食を食べてからお帰りになるので良いですか?」

「もちろんです。ならそうさせてもらいます」

 タキスが嬉しそうにそう答えて、残りのお茶を飲んでから立ち上がった。

 ガンディ達は、引き続き今日もここで作業を進めるらしい。リーザンもここに泊まるらしいが、彼には泊まる部屋が用意されていて、更に付き添いの医療兵が一緒にいると聞き安心したレイだった。




「それじゃあ、また明日」

「ゆっくり楽しんでおいで。また明日な」

 リッキーとルークが、揃ってラプトルで走り去るのを見送って、レイ達四人もそれぞれラプトルに乗った。

 見送りに出て来てくれた、ガンディと受付の女性に挨拶してから緑の跳ね馬亭へ向かった。

「二回目だね。皆で一緒に泊まるのって」

 前回、酔っ払って寝てしまい殆ど部屋での記憶が無いレイは、心底嬉しそうに笑って振り返った。

 そんな満面の笑みの彼を見て、無理してでも来て良かったと心から思った三人だった。

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