ブルーの密かな企み
「お世話になりました。ジグソーパズル、とっても楽しかったです」
表に用意された小型のトリケラトプスの引く竜車の前で、レイは見送りに出てきてくれたバルテンや、ドワーフギルドの人達に笑顔でそう言った。
「お世話になりました」
ルークは、バルテンと握手を交わしている。
「こちらこそ、ありがとうございました。また、いつなりとお越し下さい」
「彼らがまだしばらく面倒お掛けします。どうかよろしくお願いします」
「もちろんです。共に良き物をお作り致しますぞ。何かお気付きの事などありましたら、何なりと仰って下さい」
そう言って手を離したバルテンは、改めてレイの前に立った。
「レイルズ様、本当にありがとうございました。まさか、竜騎士様直々に頼って頂けるとは。長生きはするもんですな」
改めて握ったその手は、ギードと同じに幾つもの硬いタコやマメが出来た、働き者の分厚い手をしていた。
「これからもよろしくね。と言っても、僕はまだ見習いだけどね」
「そうでしたな。では、立派な竜騎士様になられるのを楽しみにしておりますぞ」
目を細めてそう言うと、手を離して背中を叩いてくれた。
リッキーと共に竜車に乗り込み、外側から扉がゆっくりと閉められる。
窓越しに手を振って、動き始めたのでそっとカーテンを引いた。
日の暮れた街を、トリケラトプスの引く竜車はゆっくりと進んで行く。
「明日からって、どうするの?」
カーテンの隙間から外を見ていたが、不意に思い付いて振り返って尋ねた。
「明日は、勉強と訓練かな? 結局、俺達は今日一日中遊んでたようなものだしな」
「僕、棒術訓練が良いな」
目を輝かせるレイを見て、ルークも嬉しそうに笑った。
「お、良いな。叩きのめしてやるから、思いっきりかかって来いよな。目標は、ヴィゴから一本取る事なんだろう?」
「そうだけど……これも一生出来る気がしないよ」
ルークの腕にすがりついて泣く振りをしているレイを、リッキーは驚いて見つめていた。
「も、目標は高く持つのが良いんですよ。レイルズ様」
「ありがとう、頑張ります。でもまずは、ルークに打ち返せる様にならないとね」
「おう、打ち返してくれるのを待ってるんだからな。まあ、ヴィゴ相手だと……若竜三人組と俺の四人がかりで、ようやく対等って感じだからな。お前が加われば何とかなるかな? それだと五対一だもんな。勝ったところで自慢にもなりゃしないよ」
「そうだよね。以前、離宮で相手してもらった時は、ロベリオとユージンと一緒だったけど、全然相手にならなかったよ。僕なんか、言われた通りに完全に死角から打ち込んだのに、見もせずに一瞬で棒を掴まれて取られちゃったもん」
リッキーはそれを聞いて目を丸くしていたが、ルークは当然の事の様に頷いた。
「まあ、彼は棒術と剣術師範だからね。三対一なら当然だろう、そう簡単に勝てる訳ないって。お前も、頑張ってしっかり鍛えてもらえよ」
「はい! 頑張ります!」
「期待してるよ」
そんな話をしているうちに、駐屯地に到着した。
しかし、二人は降りようとしない。ドワーフギルドに行った時もそうだったのを思い出して、小さな声でルークに質問した。
「えっと、どうして降りないの?」
それを聞いたルークは、彼の顔を見て小さく首を振った。
「後で詳しく教えてやるよ。ちなみにこういう場合は、外から開けてくれるまで、中から勝手に出ては駄目だぞ」
「お待たせ致しました。どうぞ」
その時、ノックの音と共に声がしてそっと扉が開かれた。リッキーが先に降りてから、それに続いて二人も降りる。
そのまま、待っていた第二部隊の兵士の案内で、今日泊まる部屋に案内された。
「よろしくお願い致します。ここにおいでの間、お世話をさせて頂きます。ウォーレンとお呼びください」
マイリーの様な、やや浅黒い肌の青年がレイに向かって深々と下げた。
「レイルズです。お世話になります。よろしくお願いします」
慌ててそう言い、レイも頭を下げた。
「ウォーレン久しぶりだね。そうか、今はこっちにいるんだ」
ルークが、嬉しそうにそう言って彼の背中を叩いた。
「ルーク様、お久しぶりです。もう此方に配属されて五年になります。月日が経つのは早いですね」
彼の言葉に、ルークも苦笑いしている。
「そうか、もうそんなになるんだ。じゃあ、レイルズの事よろしくな」
そう言って、もう一度彼の背中を叩くと、振り返った。
「レイルズ、じゃあ明日は七点鐘で起床。それからいつもの朝練かな。食事の後は相手してやるから訓練所を使わせてもらおう。午後からは、ガンディ達の様子を見に行くか、放っておくかは様子を見て決めるよ」
「分かりました。じゃあ、朝練はいつもの白服?」
「そう。一通り用意してくれてるはずだから、その辺りはウォーレンがやってくれるよ」
「はい、よろしくお願いします」
元気に返事をするレイを見て、ルークは小さく笑った。
「元気で何より。それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
背後で待っていた第二部隊の兵士と共に、ルークは手を振って隣の部屋に入っていった。
レイもウォーレンに案内されて部屋に入ったが、豪華な部屋に驚いてしまった。
部屋の真ん中に立ったまま動かない彼を見て、ウォーレンが心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫ですか? お部屋がお気に召さない様でしたら、早急に別の部屋をご用意致しますが……」
慌てて、ものすごい勢いで首を振って、そうじゃない事を示して深呼吸をした。
「えっと、豪華なお部屋だったのでびっくりしただけです」
ウォーレンはそれを聞いて嬉しそうに笑った。
「どうぞ、我が家と思ってお寛ぎください。本がお好きとの事でしたので、何冊かご用意しております。本棚の本は、ご自由にお読みいただいて構いません」
それを聞いたレイは、目を輝かせて本棚に駆け寄った。見覚えのある本や、読んだ事の無い本が何冊も並んでいる。思わず、そのうちの一冊を手に取ってみた。
「精霊魔法の系統とその派生に伴う変化について。あ、これって訓練所で読んでるのと同じ本だ!」
立ったまま読み始めたレイを見て、ウォーレンは苦笑いしてそっとレイの肩を叩いた。
「お読みになるのなら、どうぞ此方に」
言われるままにソファに座ったレイは、もう本に夢中で顔も上げなかった。
前の机に、お茶の入ったカップを置くと、ウォーレンはそのまま静かに部屋を出て行った。
彼がそろそろ眠る時間だと言いに来てくれるまで、レイはお茶も飲まずに夢中になって本を読んでいたのだった。
その夜、食事を終えた三人はお茶を飲みながら少なくなった甘露煮の瓶を見つめていた。考えている事は皆同じだ。
「知らせがあったのは、到着した日だけだったな。元気でやっとるのだろうが、声が聞けぬのは……やはり寂しいな」
「そうですね。でもそれで良いんですよ。新しい環境できっと大変でしょうし」
「そうだな、そろそろ本格的に訓練が始まっているのだろうしな」
ニコスの言葉に、二人は揃って彼を見た。
「訓練って、具体的にはどんな事をするんですか?」
二人に見つめられて、ニコスは甘露煮の瓶を見る。そっと撫でながら目を閉じて考えながら答えてくれた。
「そうだな。恐らく、まずは団体行動を経験させるだろう。彼は生まれてこの方、見知らぬ人達との長期間の集団行動を取った事が無いからな。軍の訓練所に入れるか、まだ未成年な事を考えると、どこかの学校に入れるだろう。寮生活をさせるかどうかは微妙だな。身分を明かして入るなら、士官学校か軍の訓練所辺りだろうけど……授業や一般常識の面で知識不足は否めない。最低でも半年は個人授業で、まずは知識の底上げが必要だな」
甘露煮の瓶を置いて、お茶を一口飲む。
「だって、俺達は地理や歴史は全く教えていないだろう? 精霊魔法にしたって、系統立てた教え方はしていないから、これも無理。棒術と格闘訓練はある程度の基礎は叩き込んだけど、一番大事な剣術や弓や槍、騎竜を使った攻撃方法なんかも知識も技術も皆無……行儀作法や礼儀作法。言葉遣いだってそうさ。騎士としての振る舞いや所作。宮廷内での慣習や作法。ある程度以上の身分のある人物は最低でも把握しておく必要があるし、それらの人達の繋がりや仲の良し悪し、竜騎士隊での内部の仕事は分からないけど、戦略的な事や軍関係の歴史や各国との繋がりは、最低限覚える必要があるだろうな。まあ他にも……覚えるだけでも気が遠くなる程にあるぞ」
次々に出てくる内容に、タキスとギードは言葉も無かった。
「以前、少し話した事があったろう? ここが貴族のお茶会だったらどうだ? って話」
思い出して遠い目になる二人を見て、ニコスは吹き出した。
「まあ、服装については執事や従卒がついてるから、早々失敗は無いだろうけど……竜騎士見習いってだけで、間違いなく周り中から好奇の目に晒される事になるだろう。彼の一挙手一投足に、常に注目が集まるんだよ。それは相当な精神的負荷だぞ」
「だんだん、心配になって来ました。本当に大丈夫でしょうかね?」
不安そうなタキスの言葉に、ニコスもため息を吐くしかなかった。
「これに関しては、俺達に出来る事は無いよ。託したシルフ達が頑張ってくれる事を祈ろう」
甘露煮の瓶を三人は見つめた。
まるで、そこからレイの声が聞こえてくるのを待っているかのように。
その時、その甘露煮の瓶の上にシルフが現れた。
思わず身を乗り出す三人だったが、シルフの口から聞こえた声は、レイでは無く蒼竜の声だった。
『揃っているな、丁度良い』
「蒼竜様! 何か有りましたか?」
驚いたタキスの言葉に、シルフは笑って首を振った。
『いや、毎日元気でやっておるぞ。数日前からオルダムにある精霊魔法訓練所に通っている。早速仲の良い友達が出来たようだ』
それを聞いた三人の顔は、揃って笑顔になった。
「それは何よりです。年の近い友達は、彼のこれからの人生の財産となりましょう」
『それから、いきなり問題児と喧嘩もしていたぞ。まあ、圧倒的にレイの勝ちだったがな』
「それは……喜んで良いのでしょうか?」
『そうなのだろうな。周り中から拍手喝采を浴びていたぞ』
三人の中で、学校生活を知っているのはタキスだけだ、その彼が苦笑いして頷くのを見て、二人もなんと無く問題無いのだろうと見当を付けた。
「まさに今、彼の話をしておりました。色々と大変かと思います。どうか、彼の事をよろしくお願い致します」
『うむ、普段は彼にシルフを付けておる。しかし、怪我でもせぬ限り手出しはせぬように言ってあるからな』
「そうですね。おかれた場で何を学ぶかは本人次第です。今は彼の成長を見守りましょう」
タキスの言葉に、シルフも笑って頷いてくれた。
『それでな、せっかくなのでお前達に知らせてやろうと思ってシルフをやった』
「何か問題でも?」
『いや、そうではない。今、我は蒼の森の泉で休んでおる』
それを聞いて、思わず三人は顔を見合わせた。
「お待ちください。何故、蒼の森の泉にお戻りなのですか?」
「レイは? レイは何処に?」
「何故、彼の側を離れておられるのですか?」
殆ど同時に一気に喋った彼らの言葉は、ちゃんと蒼竜に届いていた。
『心配は要らぬ。言ったはずだ、我はレイと共にある。彼は今、ブレンウッドにおるぞ』
それを聞いたギードが、無言で机に突っ伏した。
実はブレンウッドのバルテンから数日前に連絡があり、物凄い勢いでレイルズの正体について聞かれたのだ。
どうやら彼が直接、身分を明かしてバルテンに連絡を取ったらしい。結局、洗いざらい話す事になってしまい、今度街に行った時に詳しく話す事を約束したのだ。
「ブレンウッドに? どうしてまだ見習いであるレイが来るのですか?」
気を取り直したタキスが、首を傾げながら質問した。
各地方の街への定期的な巡行も竜騎士達の仕事の一つだが、今の彼はまだ見習いなのだから、いきなり巡行に付いて行く事は無いだろう。
『アメジストの主の怪我の件で、我と、もう一人オパールの主の竜騎士が、ギルドマスターのところに専門の職人達を連れて来たのだ。詳しくは知らぬが、伸びる革を使うと言っていたな』
「それならば恐らく、マイリー様の為の義足か補助の道具を作る為でしょうな。あの伸びる革ならば、確かに、切れてしまった筋肉の補助道具として使えそうだ」
そう言って大きく頷くギードの言葉に、二人も意味が分かって納得した。
「そうでしたか。早速、お役に立てているようで安心しました」
『それでな、まだしばらく雪も降らぬようだし、畑仕事も終わったのだろう? 良い気候だし、街へ気晴らしに出るのも良いかと思っただけだ』
その言葉に、三人は思わず立ち上がりかけた。
「それは。つまり……」
「今、ブレンウッドへ行ったら……?」
「会えるのか? レイに!」
目を輝かせる三人に、シルフは当然のように笑った。
『ギルドマスターに、詳しく説明しろと言われているのだろう? 尋ねる理由には充分だと思うがな。それではお休み』
そう言って、唐突にシルフは姿を消してしまった。呆気にとられた三人を残したまま。
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